「衆議院」の版間の差分
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2006年9月27日 (水) 13:30時点における版
日本の旗 日本の政治 日本国政府の紋章(桐紋) |
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衆議院(しゅうぎいん)は、日本の国会を構成する議院の一つ。英訳はThe House of Representatives。大日本帝国憲法下では貴族院と共に帝国議会を構成し、日本国憲法下では参議院と共に国会を構成する。
なお、このように、一つの議会が各別の議決権を持つ二つの議院により構成され、両議院の議決の一致により議会の意思形成を行う制度を両院制という。
日本国憲法下の衆議院
選挙権
- 選挙権:20歳以上の日本国民。
- 被選挙権:25歳以上の日本国民。
任期
任期は4年(ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う)。
地位
- 参議院との違い
- 衆議院の任期(4年)は参議院の任期(6年)より短く、また衆議院は任期途中での解散があるため、より忠実に民意を反映できることから参議院に対して優越的地位に立つ。(衆議院の優越)
- 憲法上、予算の議決、条約の承認、内閣総理大臣の指名について、参議院に優越する。さらに、衆議院のみが、内閣信任決議権ないし内閣不信任決議権を保持し、予算先議権を有する。
- 内閣との関係
- 内閣は衆議院を解散することができる。衆議院で内閣不信任案が決議された場合、10日以内に衆議院を解散しない限り、総辞職をしなければならない。
定数
定数は、公職選挙法により定められる。 1950年に公職選挙法で466と定められた後、中選挙区制の1975年までは増員ばかりが繰り返され、1975年の511以後、長い間固定されたままだった。増員ばかりが繰り返された背景には、減員を行えば、当時政権の座にあった自由民主党の基盤となっている農村部での減員は避けられなかったためとの声もある。
この間の産業構造の変化に伴う都市への人口集中により一票の格差が問題とされるようになった。 すなわち、選挙区によって議員が当選するのに必要な得票の数が大きく異なるという現象が生じるようになったのである。このような現象が平等を定める憲法14条に反するとの最高裁判所の判決の後、1986年に初めての減員を含む8増7減を行い定数は512となった。1992年に9増10減で511。
1993年、日本新党を中心とする細川内閣が誕生。これにともない選挙制度改革の議論が活発化、 小選挙区比例代表並立制が導入され、511から500(小選挙区300,比例代表200)に変更。
その後2000年に比例代表のみ20削減され、現在定数は480(小選挙区300,比例代表180)。国民27万人に1議席の割合であり、世界的に見ると人口の割には定数がかなり少ない部類に入る。
衆議院の役員人事
- 2005(平成17)年9月21日に召集された第163特別国会にて選出された。
- 2005(平成17)年11月1日に一部の委員長が内閣改造人事に併せて改選された。
役職 | 氏名 | 所属政党 |
---|---|---|
議長 | 河野洋平 | 無所属(自由民主党出身) |
副議長 | 横路孝弘 | 無所属(民主党出身) |
事務総長 | 駒崎義弘 | (非議員) |
役職 | 氏名 | 所属政党 |
---|---|---|
内閣委員長 | 佐藤剛男 | 自由民主党 |
総務委員長 | 中谷元 | 自由民主党 |
法務委員長 | 石原伸晃 | 自由民主党 |
外務委員長 | 原田義昭 | 自由民主党 |
財務金融委員長 | 小野晋也 | 自由民主党 |
文部科学委員長 | 斉藤鉄夫 | 公明党 |
厚生労働委員長 | 岸田文雄 | 自由民主党 |
農林水産委員長 | 稲葉大和 | 自由民主党 |
経済産業委員長 | 谷口隆義 | 公明党 |
国土交通委員長 | 林幹雄 | 自由民主党 |
環境委員長 | 木村隆秀 | 自由民主党 |
安全保障委員長 | 浜田靖一 | 自由民主党 |
国家基本政策委員長 | 深谷隆司 | 自由民主党 |
予算委員長 | 大島理森 | 自由民主党 |
決算行政監視委員長 | 筒井信隆 | 民主党 |
議院運営委員長 | 佐田玄一郎 | 自由民主党 |
懲罰委員長 | 岩國哲人 | 民主党 |
役職 | 氏名 | 所属政党 |
---|---|---|
災害対策特別委員長 | 大野松茂 | 自由民主党 |
政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長 | 鈴木恒夫 | 自由民主党 |
沖縄及び北方問題に関する特別委員長 | 川内博史 | 民主党 |
青少年問題に関する特別委員長 | 近藤昭一 | 民主党 |
国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員長 | 三原朝彦 | 自由民主党 |
北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長 | 平沢勝栄 | 自由民主党 |
日本国憲法に関する調査特別委員長 | 中山太郎 | 自由民主党 |
行政改革に関する特別委員長 | 伊吹文明 | 自由民主党 |
教育基本法に関する特別委員長 | 森山眞弓 | 自由民主党 |
大日本帝国憲法下の衆議院
選挙権
- 選挙権
日本内地(北海道から沖縄にいたる)に居住する25歳以上で、当時日本国籍(台湾・朝鮮半島出身者を含む)を有する男子のみに与えられていた。時期によっては、1年以上その府県内において一定額以上の直接国税を納めている者に制限していた。俗に外地と呼ばれる台湾や朝鮮半島・樺太、および得撫島以北の千島列島などの地域では選挙区が無い為選挙は行なわれず(1945年4月、樺太・朝鮮・台湾に選挙法が施行されて男子住民に選挙権が与えられたが、これによる選挙は行われなかった。後段で詳述)、外国在日本人には選挙権が無かった。また、皇族、華族の戸主、現役軍人には選挙権はなかった。
- 被選挙権
30歳以上の日本内外地出身を問わず、日本国籍の男子なら立候補出来た。時期によって、1年以上その府県内において直接国税を一定額以上を納めている者に限定していたことがあった。ただ、当時選挙区は日本内地にしか無く、1945年の法改正で外地に選挙区が設置され選挙出馬が可能になったが、終戦により実行される事は無かった。また、皇族、華族の戸主、現役軍人には被選挙権はなかった。
西暦 | 選挙権 | 被選挙権 |
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1890年- | 15円以上 | 15円以上 |
1900年- | 10円以上 | 制限なし |
1919年- | 3円以上 | 制限なし |
1925年- | 制限なし | 制限なし |
定数
定数は衆議院議員選挙法によって定められていた。1889年に衆議院議員選挙法によって300人と定められた後、増員が繰り返され、1925年に466人となった(実際に466人が選出されたのは1928年の総選挙)。1945年4月の樺太・朝鮮・台湾への選挙法施行で31人が追加され497人となったが、そのための選挙は行われなかった。敗戦後、大選挙区制が採用された1945年12月の選挙法改正で468人とされたが、うち2人を占める沖縄県は米軍の統治下に置かれて選挙法が施行されなかったので、1946年4月の戦後第1回総選挙(第22回総選挙)は沖縄を除く466人について実施され、新憲法下に継承された。
選挙区
小選挙区制(第1次)
1889年の衆議院議員選挙法では北海道と沖縄県を除いた区域を区(市制施行以降の市)・郡を単位に257の選挙区に分け、1選挙区から1人を選出する小選挙区制を原則としたが、43選挙区は2人区とされ、全体で定数300人となった。投票方法について1人区においては当然に1名単記とされたが、2人区では2名連記が採用された。第1回総選挙(1890年7月1日執行)から第6回総選挙(1898年8月10日執行)までがこの選挙法によって行われた。
大選挙区制(第1次)
1900年、第2次山県有朋内閣により選挙法が改正され選挙権・被選挙権が拡大されるとともに、従来の小選挙区制から原則として1つの府県を1つの選挙区としてそれぞれから2人〜12人を選出する大選挙区制に改められた。ただし、市部や離島は1選挙区として郡部からは分離され、東京市・京都市・大阪市(のち横浜市も追加)を除いて定数1人の小選挙区とされた。これにより総定数は369人となったが、1902年に第1次桂太郎内閣の下で再度選挙法が改正されて、この間に新たに発足した市が郡部選挙区から分離して総定数は381人となった。このうち、札幌区・小樽区・函館区を除く北海道と沖縄県への施行は当初は見合わされ、得撫島以北の千島列島を除く北海道全域には1903年、沖縄県には1912年にようやく選挙法が施行された。この改正から大選挙区においても単記制が採用された。第7回総選挙(1902年8月10日執行)から第13回総選挙(1917年4月20日執行)までがこの選挙法によって行われた。
小選挙区制(第2次)
大正デモクラシーの下での普選運動の高まりに対して原敬内閣は1919年に選挙法を改正して、納税額による選挙権の制限を残しながらも選挙権の拡大を図るとともに、大選挙区となっていた郡部選挙区を分割して、従来から事実上の小選挙区であった市部・離島と合わせて小選挙区を原則とする選挙制度に改めた。総定数は464と大幅に増員され374の選挙区が設定されたが、そのうち68選挙区が2人区、さらに11選挙区は3人区とされて、小選挙区制の原則からは大きく逸脱したものであった。第14回総選挙(1920年5月10日執行)および第15回総選挙(1924年2月20日)がこの選挙法によって行われた。
中選挙区制
第2次護憲運動の高まりの下で行われた第15回総選挙で護憲三派が勝利することによって発足した加藤高明内閣が1925年に衆議院議員選挙法を全面改正することによって普通選挙(ただし男子のみ)が実現した。この改正衆議院議員選挙法を一般に普通選挙法と呼ぶ。北海道から沖縄県までの全国(得撫島以北の千島列島および小笠原島を除く)に1選挙区の定数を3人〜5人とする122選挙区が設定され、総定数は466となった。直前の小選挙区制とも府県を1選挙区とする大選挙区制とも違うという意味で中選挙区制と呼ぶ。第16回総選挙(1928年2月20日執行)から第21回総選挙(1942年4月30日執行)までの総選挙がこの選挙法によって行われた。
前述の通り、この選挙法は植民地である樺太・朝鮮・台湾には実施されていなかったが、第2次世界大戦末期の1945年4月に選挙法が改正されてこれらの地域にも議席が配分されて(樺太:3人、朝鮮:23人、台湾:5人)、衆議院の総定数は497人となった。選挙権・被選挙権は当該地域に居住する日本人だけでなく朝鮮人や台湾人などにも当然に与えられたが、選挙権については「引続キ一年以上直接国税十五円以上ヲ納ムル者」という制限があった。この改正にかかわらず、8月の日本の敗戦によってこれによる選挙は結局行われなかった。また、得撫島以北の千島列島と小笠原島には最後まで選挙法が施行されなかった。
大選挙区制(第2次)
敗戦後、占領軍の指導の下に行われた「民主化」の一環として幣原喜重郎内閣によって1945年12月に衆議院議員選挙法が改正されて女性に選挙権が与えられるとともに、都道府県を単位とする大選挙区制が導入された。1900年の大選挙区制とは違い、各都道府県全域を1選挙区とすることを原則に総定数468人を沖縄県を含む各都道府県の人口(1945年11月1日の人口調査による)に基づいて配分された。これにより15人以上が配分される東京都・大阪府・兵庫県・新潟県・愛知県・福岡県および北海道の7都道府県についてはこれを分割して2選挙区とした。この結果,各選挙区では4人〜14人の議員(沖縄県は2人)を選挙することとなり、定数10人以下の選挙区では2名、11人以上の選挙区では3名を連記して投票する制限連記が採用された。これによる総選挙は1946年4月10日に執行された(第22回総選挙)が、米軍の直接統治下に置かれた沖縄県には実施されず、実際にはこれを除いた466人について選挙が行われた。
新憲法施行を控えた1947年3月の衆議院議員選挙法改正により中選挙区制が復活し、同年4月25日に執行された第23回総選挙はこの復活した中選挙区制によって行われたので、大選挙区制による総選挙は第22回のみに終わった。
任期
1890年第1回衆議院総選挙のから1936年第19回衆議院総選挙で選出された衆議院議員の任期は4年(ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う)。1900年の衆議院議員選挙法の改正によって、1902年の第7回衆議院総選挙以降において選出された衆議院議員は議会開会中に任期を終了しても閉会となるまで在任となった。そのような例として、第9回衆議院総選挙において選出された衆議院議員がある。
衆議院議員任期延長ニ関スル法律の制定によって、1941年2月以降は任期は5年となった(ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う)。任期5年の衆議院議員の例として、1937年第20回衆議院総選挙において選出された衆議院議員がある。衆議院議員の任期を4年とする日本国憲法の施行によって、1947年5月以降、衆議院議員任期延長ニ関スル法律は死文化したが、同法は1954年5月まで存在した。
備考
代議士
大日本帝国憲法の元では国民から選出される衆議院議員に対して、貴族院議員は旧公家・旧大名などの華族や天皇に任命された元官僚や高額納税者などから選出されており、選挙で選ばれたものではなかった。そこで当時の人々は国民の代表として政治に参加する事を許された衆議院議員に対して敬意を込めて代議士(だいぎし)と呼称するようになった。戦後の日本国憲法では貴族院が廃止されて、代わりに国民から選出される参議院(参議院議員)が誕生したものの、今日でも衆議院議員のみが代議士と呼ばれるのである。
議事進行係
衆議院には本会議場で「ぎちょおーー」と大声で発言し、議事進行に関する動議等を提出する議事進行係が存在する。通称呼び出し太郎。議事進行係は議院運営委員会の与党新人議員が務めることになっており、若手の登竜門とされている。
1894年の帝国議会時代に吉本栄吉議員が紛糾する国会を静めるために大声で叫んだのが始まりとされる。当時はマイクなどの音響設備のない時代であり、広い議場で全議員に響き渡るためにあのような抑揚で叫んでいた。いかに議場が紛糾しているといえども、議員同士の討論自体にはやはり厳然とした価値があり、議長といえども早々「討論を止め議事進行」とはいかない、という万機公論精神の遵守の意味がある。議長は、議員に対する討論停止の下令を忌避する傾向にあったので、その代わりに議員側から進行を促そうというわけである。その後時代は進み、半ば慣習的に、また大声を最初に出して議場を引き締める人が必要という意見が増えて、議事進行係が定着した。
なお、参議院には1996年に議事進行係は廃止され、その後は議長が議事進行を務めている。