「小堀政恒」の版間の差分
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
編集の要約なし
1行目:
1行目:
{{出典の明記|date=2019年11月3日 (日) 12:10 (UTC)|ソートキー=人1694年没}}
{{出典の明記|date=2019年11月3日 (日) 12:10 (UTC)|ソートキー=人1694年没}}
{{基礎情報 武士
[[Image:Kobori Masatsune.jpg|200px|thumb|小堀政恒]]
| 氏名 = 小堀政恒
'''小堀 政恒'''(こぼり まさつね、[[慶安]]2年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]([[1649年]][[5月6日]]) - [[元禄]]7年[[1月2日 (旧暦)|1月2日]]([[1694年]][[1月26日]]))は、[[近江国|近江]][[近江小室藩|小室藩]]の第3代藩主。小室藩小堀家4代。
| 画像 = Kobori Masatsune.jpg
| 画像サイズ = 200px
| 画像説明 = 小堀政恒
| 時代 = [[江戸時代]]前期
| 生誕 = [[慶安]]2年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]([[1649年]][[5月6日]])
| 死没 = [[元禄]]7年[[1月2日 (旧暦)|1月2日]]([[1694年]][[1月26日]])
| 改名 = 主繕(幼名)、政延(初名)、政恒
| 別名 = 宗實(号)
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 = 法源院
| 霊名 =
⚫
(追記) | (追記ここまで)墓所(追記) = [[ (追記ここまで)滋賀県(追記) ]][[ (追記ここまで)長浜市(追記) ]] (追記ここまで)の孤蓬庵
| 官位 = [[従五位|従五位下]][[和泉国#江戸時代|和泉守]]
| 幕府 = [[江戸幕府]]
| 主君 = [[徳川家光]]、[[徳川家綱|家綱]]
| 藩 = [[近江国|近江]][[近江小室藩|小室藩]]主
| 氏族 = [[小堀氏]]
| 父母 = [[小堀正之]]、[[森川氏之]]娘
| 兄弟 = '''政恒'''、[[松平康寛]]正室、[[水野重職]]室
| 妻 = '''[[土岐頼行]]娘・円鏡院'''<br>真光院
| 子 = [[小堀政房|政房]]、[[小堀政峯|政峯]]、[[岡田善諧]]正室、[[小堀克敬]]室ら
| 特記事項 =
}}
(追記) ''' (追記ここまで)小堀(追記) 政恒'''(こぼり まさつね) (追記ここまで)は(追記) 、 (追記ここまで)[[(追記) 江戸時代 (追記ここまで)]](追記) 前期 (追記ここまで)の[[(追記) 大名 (追記ここまで)]](追記) 。 (追記ここまで)[[(追記) 近江国 (追記ここまで)]][[(追記) 近江 (追記ここまで)小(追記) 室藩 (追記ここまで)|小室(追記) 藩 (追記ここまで)]]3代(追記) 藩主 (追記ここまで)。(追記) [[ (追記ここまで)官位(追記) ]] (追記ここまで)は[[(追記) 従五位| (追記ここまで)従五位下]](追記) ・ (追記ここまで)[[和泉国(追記) #江戸時代 (追記ここまで)|和泉(追記) 守 (追記ここまで)]]。(追記) 小室藩 (追記ここまで)小堀(追記) 家4代。[[遠州流]]茶道3世[[家元]] (追記ここまで)。号は(追記) ''' (追記ここまで)宗實(追記) ''' (追記ここまで)。
== 略歴 ==
⚫
[[延宝]]2年([[1674年]])、父の死去により跡を継ぐ。臨時で[[駿府城|駿府(削除) ]] (削除ここまで)加番を務めたことがある。御詰衆、田安御門番などを歴任した。[[天和 (日本)|天和]]2年([[1682年]])には[[朝鮮通信使]]の御馳走役、[[元禄]]4年([[1691年]])には[[日光東照宮]]御(削除) [[ (削除ここまで)祭礼(削除) ]][[ (削除ここまで)奉行(削除) ]] (削除ここまで)を勤める。元禄7年(削除) (1694 (削除ここまで)年)元旦に江戸城に登城したとき、急病により倒れて翌日に江戸屋敷で死去した。享年46。跡を四男(削除) の (削除ここまで)政房が継いだ。
2代藩主・[[小堀正之]]の長男として誕生。母は[[森川氏之]]の娘。幼名は主繕、初名は小堀政延。
⚫
[[延宝]]2年([[1674年]])、父の死去により跡を継ぐ。臨時で[[駿府城(追記) #駿府加番 (追記ここまで)|駿府加番(追記) ]] (追記ここまで)を務めたことがある。御詰衆、田安御門番などを歴任した。[[天和 (日本)|天和]]2年([[1682年]])には[[朝鮮通信使]]の御馳走役、[[元禄]]4年([[1691年]])には[[日光東照宮]]御祭礼奉行を勤める。元禄7年(追記) ([[1694 (追記ここまで)年(追記) ]] (追記ここまで))元旦に江戸城に登城したとき、急病により倒れて翌日に江戸屋敷で死去した。享年46(追記) 。法号は法源院。墓所は滋賀県長浜市の孤蓬庵 (追記ここまで)。跡を四男(追記) ・[[小堀 (追記ここまで)政房(追記) |政房]] (追記ここまで)が継いだ。
⚫
[[書]]は[[藤田乗因]]に、茶法は父・正之に学んだ(削除) 。[[遠州流]]茶道3世[[家元]] (削除ここまで)。
⚫
[[書]]は[[藤田乗因]]に、茶法は父・正之に学んだ。
⚫
(削除) 法号は法源院。 (削除ここまで)墓所(削除) は (削除ここまで)滋賀県長浜市の孤蓬庵(削除) 。 (削除ここまで)
『[[土芥寇讎記]]』では「(政恒は)茶の湯を好む」とどちらかと言うと宜しくない行状として記されているが、そもそも家元である。
『[[土芥寇讎記]]』では「(政恒は)茶の湯を好む」とどちらかと言うと宜しくない行状として記されているが、そもそも家元である。
== 系譜 ==
*父:[[小堀正之]](1620-1674)
*母:[[森川氏之]]の娘
*正室:円鏡院 - [[土岐頼行]]の娘。
*側室:真光院 - 青山氏
**六男:[[小堀政峯]](1689-1761)
*生母不明の子女
**四男:[[小堀政房]](1685-1713)
**女子:[[岡田善諧]]正室
**女子:[[小堀克敬]](仁右衛門家3代)室
⚫
{{近江小室藩主|[[遠州流|小堀家]]|3代|1647年 - 1674年}}
⚫
{{近江小室藩主|[[遠州流|小堀家]]|(削除) 第 (削除ここまで)3代|1647年 - 1674年}}
{{DEFAULTSORT:こほり まさつね}}
{{DEFAULTSORT:こほり まさつね}}
[[Category:小堀氏|まさつね]]
[[Category:小堀氏|まさつね]]
2020年2月27日 (木) 11:31時点における最新版
小堀政恒 | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶安2年3月25日(1649年 5月6日) |
死没 | 元禄7年1月2日(1694年 1月26日) |
改名 | 主繕(幼名)、政延(初名)、政恒 |
別名 | 宗實(号) |
戒名 | 法源院 |
墓所 | 滋賀県 長浜市の孤蓬庵 |
官位 | 従五位下 和泉守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱 |
藩 | 近江 小室藩主 |
氏族 | 小堀氏 |
父母 | 小堀正之、森川氏之娘 |
兄弟 | 政恒、松平康寛正室、水野重職室 |
妻 |
土岐頼行娘・円鏡院 真光院 |
子 | 政房、政峯、岡田善諧正室、小堀克敬室ら |
テンプレートを表示 |
小堀 政恒(こぼり まさつね)は、江戸時代前期の大名。近江国 小室藩3代藩主。官位は従五位下・和泉守。小室藩小堀家4代。遠州流茶道3世家元。号は宗實。
略歴
[編集 ]2代藩主・小堀正之の長男として誕生。母は森川氏之の娘。幼名は主繕、初名は小堀政延。
延宝2年(1674年)、父の死去により跡を継ぐ。臨時で駿府加番を務めたことがある。御詰衆、田安御門番などを歴任した。天和2年(1682年)には朝鮮通信使の御馳走役、元禄4年(1691年)には日光東照宮御祭礼奉行を勤める。元禄7年(1694年)元旦に江戸城に登城したとき、急病により倒れて翌日に江戸屋敷で死去した。享年46。法号は法源院。墓所は滋賀県長浜市の孤蓬庵。跡を四男・政房が継いだ。
『土芥寇讎記』では「(政恒は)茶の湯を好む」とどちらかと言うと宜しくない行状として記されているが、そもそも家元である。