コンテンツにスキップ
Wikipedia

「張洹三」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
156行目: 156行目:
[[Category:野球のオリンピックメダリスト]]
[[Category:野球のオリンピックメダリスト]]
[[Category:慶尚南道出身の人物]]
[[Category:慶尚南道出身の人物]]
[[Category:東国大学校出身の人物]]
[[Category:1983年生]]
[[Category:1983年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2018年8月15日 (水) 14:20時点における版

本来の表記は「張洹三」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

Jang Won-Sam
サムスン・ライオンズ #13
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 慶尚南道 昌原市
生年月日 (1983年06月09日) 1983年 6月9日(41歳)
身長
体重
181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 KBO二次ドラフト
初出場 2006年4月11日
年俸 2億5000万ウォン(2018年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗 大韓民国
五輪 2008年
WBC 2009年2013年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

オリンピック
男子 野球
2008 野球

(チャン・ウォンサム、1983年 6月9日 - )は、大韓民国慶尚南道 昌原市出身のプロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。韓国プロ野球三星ライオンズに所属している。

経歴

プロ入り前

大学時代には2005年 オランダで開催された第36回IBAFワールドカップの韓国代表に選出。予選の南アフリカ戦では8回をパーフェクトに抑えのを始め、中継ぎを中心に全11試合中7に登板。

プロ入り後

2006年新人ながら12勝を記録し、現代ユニコーンズの左のエースに成長し、同年のドーハアジア大会の韓国代表にも選ばれた。2007年もチーム2位の防御率3.63と安定した成績を残した。現代が解散し2008年ヒーローズに移籍した後も、馬一英と並ぶ左の2枚看板として活躍しチーム最多の12勝をあげ、北京オリンピック韓国代表にも抜擢された。

北京オリンピック野球韓国代表として出場。8月14日雨天サスペンデッドゲームとなり、3日後の17日に再開された予選ラウンドの中国戦の2番手としても登板し、4回を無失点に抑える好投で勝利に貢献した。また8月20日の予選ラウンド最終戦・オランダ戦では先発登板し、8回コールドゲームではあったが被安打4つの完封勝利を挙げた。

2008年シーズン後、現金30億ウォンと無名の投手を代償に三星ライオンズにトレードされた。しかし、ヒーローズの創設の前提のひとつであった「創設から5年間は選手を金銭トレードで出さない」という約束を破ったとして、韓国野球委員会(KBO)からトレードが承認されず、ヒーローズに戻された。韓国プロ野球史上、コミッショナー裁定によってトレードが取り消されたのは初の事例である。

2009年は開幕前第2回WBC韓国代表にも選出された。1次ラウンド1戦目では大量にリードされた3番手として登板し、2回3分の1を投げ被安打4自責点2だった。2次ラウンド順位決定戦の日本戦に先発しが、内川聖一に先制の本塁打を打たれたが、3回を自責点1(失点は2)と好投。大会を通して目立った活躍はできなかった。そのときの不調を引きずったかプロ野球の公式戦でも調子が上がらず、故障もありシーズンを通して登板できなかったため、わずか4勝とプロ入り後最低の成績に終わった。同年12月末、資金難のチーム事情もあり、トレード失敗から1年たって、三星へ金銭20億ウォンと投手2人との交換条件でトレードされた。

2010年は三星で先発の軸として活躍し、自己最多、チーム最多勝となる13勝を記録した。

2011年は故障により出遅れ、8勝にとどまったが先発として安定した投球を続け、韓国シリーズ優勝に貢献した。また同年のアジアシリーズでは福岡ソフトバンクホークスとの決勝戦などで先発として好投し、優勝に貢献したため大会MVPを受賞した。

2012年は自己最多となる17勝を記録し、初の個人タイトルとなる最多勝を獲得した。

2013年 3月第3回WBC韓国代表として2度目の出場となった。第1ラウンド最終戦のチャイニーズタイペイ戦で8回表途中からリリーフ登板し無失点に抑えると、その裏姜正浩の逆転2ランでそのまま勝利したため勝利投手となったが、韓国は得失点差の関係で第1ラウンド敗退となった。レギュラーシーズンでは13勝し、シーズンオフに初のFAを行使し4年契約を三星と結んだ。

2015年まで4年連続2けた勝利を記録した。先発での成績が悪化し2016年8月から中継ぎに転向した。

詳細情報

年度別投手成績
















|

|























W
H
I
P
2006 現 代 29 12 10 0 0 0 0 183.1 146 19 63 5 142 60 58 2.85 6.97 1.17
2007 30 9 10 0 0 0 0 168.2 152 16 75 3 132 80 68 3.63 7.04 1.36
2008 ヒーローズ 27 12 8 2 2 0 0 167.1 145 9 57 2 126 54 53 2.85 6.78 1.22
2009 19 4 8 0 0 0 0 91.0 108 17 31 6 60 57 56 5.54 5.93 1.59
2010 三 星 29 13 5 0 0 0 0 151.0 139 13 44 5 115 62 58 3.46 6.85 1.25
2011 25 8 8 0 0 0 0 115.0 139 13 37 0 68 58 53 4.15 5.32 1.53
2012 27 17 6 0 0 0 1 157.0 143 9 38 9 127 64 62 3.55 7.28 1.21
2013 27 13 10 1 0 1 0 154.0 165 21 42 9 104 85 75 4.38 6.08 1.34
2014 24 11 5 0 0 0 0 129.1 149 16 37 5 63 70 59 4.11 4.38 1.44
2015 26 10 9 0 0 0 0 136.2 151 29 50 1 107 96 88 5.80 7.05 1.47
2016 26 5 8 0 2 0 0 78.1 114 16 23 2 53 69 61 7.01 6.09 1.75
2017 49 4 5 0 6 0 0 67.1 96 8 17 5 55 48 42 7.01 7.35 1.68
通算:12年 338 118 92 3 2 1 9 1599 1647 186 514 52 1152 803 733 4.13 6.48 1.35
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル

  • 最多勝利:1回 (2012年)

表彰

関連項目

外部リンク

監督
コーチ
二軍監督・コーチ
三軍コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
 
業績
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
 
野球韓国代表
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /