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「那覇港湾施設」の版間の差分

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<ref name="hyakka">国吉永啓「那覇軍港」『沖繩大百科事典』(沖縄タイムス社、1983年、下巻p. 62)</ref>
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2016年11月27日 (日) 19:19時点における版

沖縄本島に所在する米軍用地の図(2007年現在)
本島のうち最も南にある赤い地区が那覇港湾施設の敷地を示す

那覇港湾施設(なはこうわんしせつ)は、沖縄県 那覇市にある在日米軍基地で、アメリカ陸軍が使用している[1]

尚、"軍港"と通称されているが、海軍の基地ではなく、陸軍の管理する港湾設備である。

概要

旧称と通称は那覇軍港(なはぐんこう)で[2] アーミー・ポート(army port)ナハ・ミリタリー・ポート(Naha military port)とも呼ばれた[2] 。施設番号はFAC 6064[3]

国場川の河口南側、明治橋の西側、那覇港フェリーターミナルの対岸に位置する。南側には陸上自衛隊 那覇駐屯地がある。

2008年(平成20年)3月末時点の面積は55.9ヘクタールである[1] 。2,545メートルのバースを有し、2万トン級の船舶7隻が同時に接岸可能であった[2]

ベトナム戦争時には重要な後方支援基地であった[2] 。かつては沖縄最大の軍港であったが[2] 用地の部分返還が進められ、現在は沖縄県内にある軍港としてはアメリカ海軍ホワイト・ビーチ地区に次ぐ規模である[3]

移設条件付きの全面返還が日米間で合意されており、現在は、全面返還に向けての準備が進められている。

沿革

那覇港湾施設内のLST(戦車揚陸艦) ランプ

1945年(昭和20年)に米軍が沖縄を占領して以来、那覇軍港として陸軍によって整備が進められてきた。

1972年(昭和47年)の沖縄の復帰に際して、名称が「那覇港湾施設」と改められ、1974年(昭和49年)の第15回日米安全保障協議委員会で、移設条件付き全面返還が合意された[1]

その後、国道331号国道332号の拡幅、那覇西道路の海底トンネル建設などのため、一部用地が日本側に返還された[1] 2001年(平成13年)に浦添市が代替施設受け入れを表明したため[3] [4] 、現在は、那覇港の浦添埠頭に代替施設を建設した上で、那覇港湾施設は全面返還するという計画で準備が進められている[1]

那覇大綱挽まつりへの協力

毎年10月の体育の日の週に開催される那覇まつり(平成23年から那覇大綱挽まつりに改称)のメインイベントにあたる那覇大綱挽に使用される世界一のギネス記録を持つ大綱は、1992年から那覇港湾施設の敷地内で制作されている[5] 。また、同祭りにはアメリカ軍関係者も数多く参加している[6]

参考文献

  1. ^ a b c d e 沖縄総合事務局『跡地利用カルテ
  2. ^ a b c d e 国吉永啓「那覇軍港」『沖繩大百科事典』(沖縄タイムス社、1983年、下巻p. 62)
  3. ^ a b c 沖縄県基地対策課『那覇港湾施設
  4. ^ 浦添市『那覇港湾施設移設受入について
  5. ^ 自治体共同利用型ポータルサイトOkinavita(オキナヴィータ)『那覇市:第43回那覇大綱挽まつり - 大綱づくりの現場へ潜入!
  6. ^ 在日本アメリカ海兵隊公式サイト『地元やアメリカ軍関係者の人たちも那覇大綱挽を楽しむ
ウィキメディア・コモンズには、那覇港湾施設 に関連するカテゴリがあります。

座標: 北緯26度12分30秒 東経127度40分00秒 / 北緯26.20833度 東経127.66667度 / 26.20833; 127.66667 (那覇港湾施設)

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