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** 第36,40代...パートナーは天山広吉(天コジタッグ)
* [[G1 TAG LEAGUE]]...第8回(&武藤敬司)、第11回(&天山広吉)優勝。
'''MLW'''
* MLW世界ヘビー級王座(削除) ... (削除ここまで)第2代
'''全日本プロレス'''
* [[(削除) 三冠 (削除ここまで)ヘビー級王座]](削除) ... (削除ここまで)(削除) 33 (削除ここまで)
* [[世界タッグ王座]]
** 第47代...パートナーは[[太陽ケア]]
(削除) ** (削除ここまで) (削除) 第49代... (削除ここまで)パートナーは[[カズ・ハヤシ]]
** 第53代...パートナーはTARU
* [[アジアタッグ王座]]...第75代(グレート・コスケとして。パートナーは[[カズ・ハヤシ|獅龍]])
* [[アジアタッグ王座]]...第75代(グレート・コスケとして。パートナーは[[カズ・ハヤシ|獅龍]])
* [[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]](削除) ...2003年 (削除ここまで)優勝(削除) 。 (削除ここまで)
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* [[世界最強タッグ決定リーグ戦]](削除) ...2002 (削除ここまで)(削除) (&太陽ケア)、 (削除ここまで)2003年(削除) (&カズ (削除ここまで)(削除) ハヤシ)、 (削除ここまで)2006年(削除) 優勝(&天山広吉 (削除ここまで))
* [[世界最強タッグ決定リーグ戦]](追記) 優勝(3回/2002 (追記ここまで)(追記) ・ (追記ここまで)2003年・2006年)
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* [[(追記) IWGP (追記ここまで)ヘビー級王座]](追記) (1回/ (追記ここまで)(追記) 41 (追記ここまで)(追記) ) (追記ここまで)
* 2000年 プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(削除) (& (削除ここまで)天山広吉)
* [[IWGPタッグ王座]](3回/第31代・第36代・第40代)
: パートナーは最初が[[中西学]]→後の2回は[[天山広吉]]。
* [[G1 TAG LEAGUE]]優勝(2回/1998年・2001年)
: パートナーは[[武藤敬司]]→[[天山広吉]]。

=== MLW ===
* MLW世界ヘビー級王座(追記) (1回/ (追記ここまで)第2代(追記) ) (追記ここまで)

(追記) === (追記ここまで)ZERO-ONE(追記) === (追記ここまで)
* [[火祭り (プロレス)|火祭り]]優勝(1回/2003年)

=== [[プロレス大賞]] ===
* 2000年 プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(追記) (& (追記ここまで)天山広吉)
* 2002年 プロレス大賞 技能賞
* 2002年 プロレス大賞 技能賞
* 2005年 プロレス大賞 最優秀選手賞
* 2005年 プロレス大賞 最優秀選手賞

2007年12月29日 (土) 13:56時点における版

小島 聡
プロフィール
リングネーム 小島 聡
愚零斗孤士
ザ・グレート・コスケ
本名 小島 聡
ニックネーム 豪腕継承
コジコジ
クラッシャーK
コジ魔
身長 183cm
体重 115kg
誕生日 (1970年09月14日) 1970年 9月14日(54歳)
出身地 東京都 江東区
所属 全日本プロレス
スポーツ歴 柔道
トレーナー アニマル浜口
馳浩
佐々木健介
デビュー 1991年 7月16日
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小島 聡(こじま さとし、1970年 9月14日 - )は、日本プロレスラー東京都 江東区出身。全日本プロレス所属。オレンジを基調としたコスチュームがトレードマーク。タレントとして、武藤敬司と共にサラエンターテインメントに所属。血液型A型

2002年 7月に誕生日が1日違いで3つ年上の元デザイナーと入籍、2006年 10月10日に長女が誕生した。

経歴

新日本プロレス

学生時代に格闘技のバックボーンを持たず(柔道経験があるが特に大きな記録は持ってない)、一度は(株)ノーリツに就職したものの退職し、アニマル浜口ジムでトレーニングを積み、1991年2月に新日本プロレスに入門した。

同年7月、山本広吉(現天山広吉)戦でデビュー。1994年ヤングライオン杯で全勝優勝を飾り、海外遠征に出発。1996年に凱旋帰国、中西学とブル・パワーズを結成しIWGPタッグ王座を獲得するなど活躍する。

1998年武藤敬司に誘われnWo JAPANに加入、ヒールに転向する。この時、体格やファイトスタイルが重複していた天山広吉とタッグを組む機会が増え、「天コジタッグ」として知られる。その後nWoが蝶野正洋率いるTEAM 2000に吸収されるとIWGPタッグ王座を当時の最高記録である6度の防衛を果たすなど名タッグとして活躍。

しかし武藤に追随する形で2002年1月31日に新日本プロレスを離脱、同年2月26日に全日本プロレスに入団した。

全日本プロレス

全日本に入団後、2003年は火祭り、チャンピオン・カーニバル初制覇、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝など、数々の実績を残している。また、愚零斗孤士なるキャラに扮したり、A BATHING APEとのコラボレーションによる『BAPE STA!! PROWRESTLING ZEPPTOUR』をプロデュースし、興行を成功させている。同興行ではグレート・コスケなる覆面レスラーに扮している。2004年には、ハッスルに参戦した。

2005年 2月16日、東京・代々木競技場第二体育館で川田利明を破り悲願の第33代三冠ヘビー級王者に就く。これにより小島が平成デビューの選手で初めての三冠王者となる(3大メジャーで三冠王座のみここまで平成デビューの王者が誕生しなかった)。この試合で川田が約16年間続けてきた平成デビューの日本人選手相手のシングル無敗記録も打ち破る。その4日後、新日本プロレスのIWGPとのWタイトルマッチで、59分49秒の激戦の末、脱水症状を起こした天山広吉を下して第41代IWGPヘビー級王者となり、全日本と新日本の至宝のタイトルを独占した。同年5月14日に陥落するまでの間、一度もIWGPベルトを巻かなかった。その理由として「新日本に居たときは喉から手が出るほど手にしたかったIWGPだけど、今の俺は全日本プロレスの小島聡だから」と理由を述べている(後に巻いておけばよかったかもと多少後悔している)。なお、四冠王者である間にターザン後藤一派の清水大会でターザン後藤&清水の画伯と対戦しており、「どインディーに参戦する四冠王者」としてプロレスファンの話題を呼んだ。

四冠王者(三冠+IWGP)を奪取したことと、川田利明、武藤敬司、佐々木健介らを撃破して三冠を防衛した実績を評価され、2005年度のプロレス大賞MVPを獲得。授賞式の席では、話題賞を受賞したインリン様から挑発を受け、まんざらでもない様子を見せていた。

2006年は、「チャレンジする王者」を目標に掲げていた。プロレス大賞受賞直後に2005年12月29日 ビックマウス・ラウド第2回興行で柴田勝頼からの対戦要求に応えた事や、VOODOO-MURDERSTARUの三冠挑戦を受諾したこと(いずれも小島が勝利)、HGの直訴を快諾してのハッスル・エイド2006の参戦はその表れと言えるだろう。7月3日 太陽ケアに三冠ヘビー級王座は奪われてしまったが、新日本のG1 CLIMAXへ5年ぶりに出場し準優勝。8月28日にはアパッチプロレス軍で「ストリートファイト有刺鉄線ボードデスマッチ」という試合形式のデスマッチにも挑戦。9月17日世界Jr王者近藤修司とシングルで対戦し勝利を収めた。年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦では天山広吉とのタッグ「天コジ」を復活させ、優勝決定戦で諏訪魔RO'Z組と対戦し最後は小島がRO'Zをラリアットで沈め勝利し見事優勝を果たした。

2007年 2月17日の東京・両国国技館大会で鈴木みのるの三冠ヘビー級に挑戦するも、みのるの胴絞めスリーパーホールドで意識を失いピンフォール負けを喫した。7ヶ月ぶりの三冠王者返り咲きには至らなかった。3月、武藤敬司不在のシリーズ「2007全日本プロレスEX」では、全大会を通じてメインに出場した。4月、5月シリーズはチャンピオンカーニバルの結果から苦悩の日々が続き、その状態を利用してかTARUVOODOO-MURDERSへの勧誘を勧める。最終的には完全に吹っ切れ、6月24日後楽園大会の第5試合終了後に、T28真田聖也の新人コンビとユニット・AJFを結成し、新たに再出発を図ることを発表した。しかし、メイン終了後にまさかの裏切り。VOODOO-MURDERS入りを宣言し、全日移籍から初めてヒールとして活動することになり、自身のブログも更新が途絶えている。

その後もリング上では、武藤、健介を痛めつけており全日のメインレフェリーの和田京平レフェリーにも暴行を加えたことがある。太陽ケアにいたっては欠場を余儀なくされるほどである。

8月26日両国国技館においてパートナーをTARU世界タッグ選手権が開催されて、川田利明&太陽ケア組から見事勝利し世界タッグ王者となる。9月シリーズからは攻撃の的を武藤に絞り、武藤の痛めている膝等に攻撃をしている。

獲得タイトル歴

全日本プロレス

パートナーは太陽ケアカズ・ハヤシTARU
パートナーは太陽ケアカズ・ハヤシ天山広吉

新日本プロレス

パートナーは最初が中西学→後の2回は天山広吉
パートナーは武藤敬司天山広吉

MLW

  • MLW世界ヘビー級王座(1回/第2代)

ZERO-ONE

  • 2000年 プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&天山広吉)
  • 2002年 プロレス大賞 技能賞
  • 2005年 プロレス大賞 最優秀選手賞

得意技

自身のニックネームである「コジ」を冠した技が多い。

ラリアット(小島式ウエスタン・ラリアット、継承ウェスタン・ラリアット)
新日本プロレス時代から使っていたが、全日本プロレス入団後、PWF会長として来日していたスタン・ハンセンから直接指導を受けた。ハンセンのラリアットからヒントを得てラリアットを習得したレスラーは星の数ほど多いが、直接指導を受けたのは小島が初めてである。そのため小島のラリアットを「継承ウェスタン・ラリアット」「豪腕継承ラリアット」と呼ぶこともあるが、あまり浸透していない。
新日本時代は「世界一のラリアッター」を自称しながら1試合中に乱発していたため、ラリアットに一撃必殺を求めるファンからは「塩」(しょっぱいの意味。元は相撲界の隠語で口ばかり達者で弱い力士の意。転じて面白くないプロレスを指すことも)とも酷評され評価が低かったが、全日本移籍後にハンセンの教授を経てからは使用頻度を少なくし、フィニッシュホールドとしての説得力を獲得している。
新日本時代には「ぶん殴りラリアット」と呼ばれていた(他にもバカヤロー・ラリアット、世界一ラリアットとも)。
「継承ウェスタン・ラリアット」と「ぶん殴りラリアット」ではスタイルが異なる。「ぶん殴りラリアット」では、長州力リキラリアットのように助走をつけて自らの片腕を相手の喉下に当て込み、そのままマットに叩き付けるようにしたり、あるいはそのまま自らの体ごとマットに浴びせ倒すようにしたり、とにかく力任せ・勢い任せのラリアットだった。「継承・ウェスタン・ラリアット」では、相手の体勢・自分の腕の角度・タイミング・スピード・全身の力の込め具合など、様々な要素を考慮し必要最小限の力で最大の威力を発揮するハンセンのラリアットに近いスタイルとなっている。具体的な形としては、自らの片腕を伸ばし、野球の打者がバットを振るかのように自らの足腰を支点にして、伸ばした片腕を振り、相手の顎を的確に引っ掛けてそのまま振り抜くというものである。三冠王座陥落後からはハンセンのように相手をロープに振って返ってきたところを助走せずにカウンターで当てるパターンも使うようになった。
いっちゃうぞエルボー
「いっちゃうぞ!バカヤロー!」の叫びと共にトップロープに上ってダイビングエルボードロップを行う。エルボードロップを敢行する直前、必ず足元を確認する。
ちなみに、「いっちゃうぞ!〜」は対戦相手に対してのアピールと思われているが、TVインタビューで小島が「俺がバカだから、自分に言ってるんですよ」と発言したこともあり、真相は不明である。新日本末期からは観客と一緒に合唱するのが通例。2007年 1月2日の後楽園大会ではトップロープから「あけおめ!」といいながらエルボードロップを落とした。ラリアットと並ぶ小島の代名詞的な技であるが、本人曰く「ピンフォールが全く取れないのが悩み」。但し地味に痛い技で、蝶野正洋のようにこれを嫌いな技として挙げるレスラーもいる。2004年に武藤に「いっちゃうぞエルボーで満足している」と指摘され、叫ぶ直前に攻撃されるようになってスランプに陥ったが叫ぶと見せかけてその場で相手にエルボードロップを落としてダイビングエルボードロップを行うようになって克服した。ヒールターンしてからは「いっちゃうぞ!バカヤロー!」は言わず無言でやる。1度だけやったがその時は観客から大ブーイングを浴びた。
CCD(コジ・クラッシュ・ダイナマイト)
小島が三沢光晴と対戦した際に食らったエメラルド・フロウジョンの威力に魅了されて、自ら研究して完成させた技。エメラルド・フロウジョンと類似だが、落とす方向はエメラルド・フロウジョンと逆サイドである。持ち上げ方はボディスラムの要領で担ぎ上げる場合と、ブレーンバスターの状態からいく場合とがある。また佐々木貴の「D-ガイスト」にも似ている。たまにノーザンライト・ボムのような形にもなる事がある。
技名の「コジ」は自らの愛称、「クラッシュ・ダイナマイト」は若手の頃の入場曲の名前から取り、初心に帰るという意気込みが込められている。
コジマカッター(コジコジカッター)
小島の行うダイヤモンドカッター。小島がダイヤモンド・ダラス・ペイジに憧れていたことから使い出した。相手の頭部を自らの肩越しに掴んで自分を前方に投げ出すようにしてジャンプし、相手の顔面をリングに打ち付ける。試合の流れを変える際によく使用される。当初コジコジカッターともコジマカッターとも呼ばれていた。なお2004年7月のHCW遠征時に、憧れのダイヤモンド・ダラス・ペイジとのタッグが実現した。
週刊プロレスの別冊であったケンファー第1号の小島聡特集で「恥ずかしいのでコジコジカッターの呼び名は使わないで下さい」と発言したが、新技名について言及が無かったため、もうひとつの呼び名であるコジマカッターがそのまま正式名称として残った。しかし、ファンの間では、いまだにコジコジカッターという名称もかなりの頻度で使用されている。
コジMAXホールド
変形の羽折固め。うつぶせの相手に対し頭部側から馬乗りになり、右足で相手の左腕を羽折り上にロック。両腕で相手の右腕を掴み絞り上げる。
川田殺し
川田利明との三冠ヘビー級選手権対策として編み出した、変形の肩固め。
コジMAXドライバー
ファルコンアローのように担ぎあげて前に落とす。TAKAみちのくのみちのくドライバーIIとほぼ同型である。
ロッキン・バウ
コブラクラッチで首と腕をロックして、そのままネックブリーカードロップのように落とす(新日本にも参戦していた、現WWEのウィリアム・リーガルのリーガルカッターと同じ)。
ライディーンバスター
旋回式のスパインバスター
ストレッチボム
相手の片腕を相手の股下を通して、その手首を片手でクラッチした変形のコブラツイストの体勢から、そのまま頭上付近まで持ち上げ、そこから相手の体を反転させると同時に開脚ジャンプし、尻餅状態で着地すると同時に相手を背中から落とす。「小島スペシャル」とも。ストレッチボムとほぼ同じ。
ラウンディングボディプレス
小島が若手時代に一年間程得意技として使っていた。元からムーンサルトはできないが海外遠征中に仲間に言われインパクトを残すために凱旋帰国試合で使用、その後何度も使用していたが相手に当たらず自爆したため封印した。
垂直落下式ブレーンバスター
小島はその場に脳天から落とすのではなく、後方に自らスライドするようにして落とす。獣神サンダー・ライガーの放つそれとほぼ同型である。
レッグ&ネックロック
左腕を相手の首の後ろに回して、右腕は相手の右脚を折りたたみクラッチを組む。佐々木健介が考案し、小島に授けた。新日本プロレスのヤングライオン杯で使用し決勝で中西学からギブアップを奪ったのはじめ、リーグ戦の大半をこの技で勝利し優勝を遂げた。しかし、それ以後、ほとんど使用されていない。
アンクルホールド
VOODOO-MURDERSに加入してから使用。膝に爆弾を抱えている武藤敬司相手に主に使用している。

入場曲

  • 「STYLUS」(鈴木修)...現テーマ、三冠王座陥落後に使用。
  • 「RUSH!!」
  • 「RIDE OVER 〜煽風〜」
  • 「CRASH DYNAMITE」

エピソード

  • ヨーロッパ武者修行中のリングネームは、ジョー・ジョー・リー
  • 2000年頃からはノーズクリップ(鼻孔拡張テープ)がトレードマークだったが、三冠&IWGPヘビー獲得後は使用していない。
  • 2003年にはZERO-ONEの「火祭り」で優勝、賞金と火祭り刀を手に入れるが火祭り刀が抜けなかったので返還、オレンジ色の火祭り刀を作ってもらい入場時に持つようになっていた。
  • ヒールとしてnWoに在籍していたにもかかわらず、新日本のマークのついたシャツを着てインタビューを受けていたこともある。
  • 小島の兄 (RYO) はハードコアパンク バンド「鉄アレイ」のボーカルで、インディーズバンド界の重鎮である。
  • ファンサービスの良さに関してはプロレス界No.1との呼び声も高く、小橋建太と並びプロレス界二大いい人と呼ばれる場合もある。奇しくもこの2人はともに脱サラ組である。
  • 似顔絵が得意。桂三枝の物真似も得意。
  • 武藤に誘われ、リック・フレアートリプルHステファニー・マクマホンと食事をしたことがある。しかし、緊張のあまりほとんど会話はできなかったと本人は語っている(普通に談笑してる武藤をみて、改めて偉大さを知ったとも話していた)。
  • 2006年3月から放送された、TBS 愛の劇場すてきにコモン!』で小学校の先生役で出演するほど、ルックスが良く、演技力にも評判があった。その後、2007年9月から放送された『家に五女あり』にも医師役でゲスト出演している。
  • 好きな食べ物はざるそばハンバーグ
  • マクドナルドのメニューの中で、えびフィレオバーガーが好きなようである。

外部リンク

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