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「佐藤耕平」の版間の差分

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== タイトル履歴 ==
== タイトル履歴 ==
* NWA・ZERO-ONE認定UNヘビー級王座
* NWA・ZERO-ONE認定UNヘビー級王座
* NWAインターコンチネンタルタッグ(削除) ( (削除ここまで)パートナーは崔領二)
* NWAインターコンチネンタルタッグ(追記) (2回/ (追記ここまで)パートナーは(追記) [[ (追記ここまで)崔領二(追記) ]]→[[高山善廣]] (追記ここまで))
* [[火祭り (プロレス)|火祭り]]優勝(1回/2004年)


== その他 ==
== その他 ==

2007年12月29日 (土) 13:49時点における版

佐藤 耕平(さとう こうへい、1977年 9月21日 - )は、東京都 江東区出身のプロレスラーである。フリーランス(ファースト・オン・ステージ預り)。駒澤大学高等学校 柔道部大東文化大学中退。大学では元DDTプロレスリングで現在フリーの橋本友彦と同級生。

金髪(最近は黒のショート)のヘアスタイルと、背中左肩部の刺青が特徴でありトレードマーク(以前はその刺青は虎の輪郭だけを描いたものであったが、2004年頃からちゃんと全体を描いたものになる)。

リングでは最初からファイトを剥き出しにし相手に向かって一直線といったトンパチとは違うが(パートナーの崔領二は逆にそれが売り)、狙った獲物を徐々に苦しめ、最後にしぶとく狙っていく感じのタイプである。しかしリング外では優しい好青年である。

ニックネームは「若虎」。ただ「FIGHTING TV サムライ」のZERO1-MAX中継の実況担当の塩野潤二氏は、彼のことを「反逆の鬼武者」と呼んでいる。

リングインのテーマ曲は、Bondの「VIVA」(ビバルディの「四季」の"冬"のアレンジ曲)。

「佐藤」ではなく「耕平」と呼ばれることが多いが、大森隆男だけは彼を「佐藤」と呼ぶ。

経歴

プロ修斗をバックボーンにZERO-ONEに入団、2003年に海外修行を果たし凱旋、かつては横井宏考とチーム名「ROWDY」として共闘。当時、崔領二は長期欠場中で、横井はZERO-ONEにはフリー参戦している状態であったが(後にZERO1-MAXになって正式入団)、2人の技術の向上の為にと敵対していた佐藤と横井がユニットを結成した。現在は主に崔領二をパートナーにトップ選手への挑戦を続けている。

ZERO-ONEに入団当時は長身だけが目に付く痩せこけた感じのファイターであった。しかし大谷晋二郎が「熱い奴 集まれ」の掛け声で提唱し開催された「火祭り」の第1回大会(2001年9月)において完全にノーマークであったが、何と大谷と決勝戦を行ない、敗戦したものの準優勝の大健闘を修める。その後も橋本真也の付き人として世話をする傍らで、橋本とのタッグでザ・プレデタートム・ハワードネーサン・ジョーンズマット・ガファリといった大物外人との戦いを経験し、やられながらも頭角を表す。そして「ZERO-ONEを将来背負って立つ男」と将来を嘱望される逸材として注目される。

しかし体の方は依然ヒョロヒョロで体重もギリギリでヘビー級であるという感じで、格闘家ではあるがプロレスラーらしくない体格で凄みが感じられなかった。そんな2004年のある日にスランプに陥ったことがあり、どうにも対戦成績が良くない状態が続いた。ついに見かねた橋本真也が佐藤を単身アメリカでの無期限の武者修行を命令する(ちなみにその当時の橋本の付き人は佐藤から代わり、葛西純{大日本プロレスから移籍で、当時はまだ試用期間}が務める)。佐藤は藁をも掴む思いで渡米。

およそ3ヶ月して帰国した佐藤は、その強さと共に課題であったプロレスラーらしき体格を引っさげての凱旋となった。周りが驚くほどの実に115kgにウエイトアップした。そして実力もうなぎ登りで「火祭り」の参加となる。火祭りはずっと常連であったが、2001年の準優勝だけで2002・2003年はリーグで敗退していただけに、この2004年のエントリーは起死回生となるか注目された。そして同年の第4回火祭りではAブロックで田中将斗大谷晋二郎を破る金星があり、決勝に出場。大方の予想では圧倒的にBブロック制覇の大森隆男の優位であったが、佐藤耕平のこの一戦の為に温存していた必殺技"ポールスター"を決め何と大森からフォール。初戴冠を成し遂げた。以後はヤング・MAXと銘打たれた若手軍団の筆頭レスラーである。

また2005年の暮れからはハッスルにおいて、モンスター軍として出場を重ねている。リングネームは佐藤耕平であるが、キャッチフレーズは共闘する川田利明の「モンスターK」に倣い、「モンスターK’」(ケーダッシュ)である。なお、ZERO1-MAXのメンバーでは唯一のモンスター軍であったが、ハッスル24から大谷晋二郎がモンスター軍に加入した。(それまで、大谷はACHICHIというギミックであった。)

2005年10月、新日本プロレスとの対抗戦が勃発し、大谷晋二郎崔領二神風とタッグを組み、ZERO1-MAX代表チームとして新日本軍の天山広吉飯塚高史吉江豊山本尚史組との8人タッグマッチを自身初の東京ドームにて実現した。ちなみに、佐藤が普段は敵対する大谷晋二郎とタッグを組むのは異例であり、以前2003年全日本プロレスとの対抗戦で大谷・田中の炎武連夢の試合で田中が急遽欠場した際に大谷のパートナーとしてタッグを組んだくらいであった。

2006年 1月4日、昨年秋から勃発した新日本プロレスとの抗争第2ラウンドで、新日本の中邑真輔とのシングルマッチが組まれ、マスコミ関係者ならずとも"次世代のエース決定戦"と新年早々注目を浴びる。しかし、同日のメインイベントでIWGP王者ブロック・レスナーに挑戦する筈の藤田和之の欠場でその挑戦権が急遽中邑になった為、佐藤対中邑は幻となってしまった。

ZERO1-MAX9月大会では大学時代の柔道部の同胞、橋本友彦とのシングルマッチが実現。共に柔道部を逃げ出したという旧知の仲であり、当時の柔道成績は巨漢に勝る橋本の圧勝であったが、このプロレスとしての試合は、圧倒的な橋本ペースを挽回して佐藤の勝利に終わった。

何も現在に始まった訳でもないが、ZERO1-MAX内においては、大谷晋二郎田中将斗大森隆男といった30歳代選手に刃向かう新世代選手の旗頭として、これらの選手を敵に回し奮闘している。かといって最近は、同じZERO1-MAX内の他の新世代選手(特に崔領二)らとタッグを組み共闘するといった事も無く、2007年から参戦したフリーの高山善廣やROWDYとして元のタッグパートナーである横井宏考とタッグを組む場合が多い。

2006年下半期から2007年 3月においては怪我が多く、戦線離脱する事がある。

高山善廣とのタッグがZERO1-MAXという団体の枠からの乖離を呼んだのか、自分の今後進む方向性に於いて団体と言う枠組みは邪魔になったのか、(盟友であった崔領二の急成長で、自分の陽のあたる場面が少なくなった事も考えられる)無断欠場や会場入りの遅刻といった奇行が目立ち、団体から外れる行動が多くなり、ZERO1-MAXを解雇処分となる。

得意技

ポール・スター
基本はノーザンライトボムだが、自分の足で相手の足をフックして勢いを増すのが完全形。あまりにも難度が高すぎてめったに見せない。最上位のフィニッシュムーブ。
ジャーマン・スープレックス・ホールド
決め技として最も多用される。相手を一旦クレーンで吊り上げる様に滞空させてから投げつける独特のフォームで、「二段式ジャーマン」とも呼ばれる。
三角絞め
ミドルキック
払い腰
主に走り込んできた相手へのカウンター技として使用し、相手のスピードを利用して放つ。
パイルドライバー
崔虎
崔領二との合体技。片方が相手を肩車し、もう片方がスワンダイブ式ミサイルキックを決める。

タイトル履歴

  • NWA・ZERO-ONE認定UNヘビー級王座
  • NWAインターコンチネンタルタッグ(2回/パートナーは崔領二高山善廣)
  • 火祭り優勝(1回/2004年)

その他

  • 天龍源一郎を思わせるハスキーな声が特徴(ハスキーを通り越し、完全に喉が潰れている)。談話などを聞いても言っていることが非常に分かりづらく、ハッスルにおいては途中で川田利明に「おめー何言ってるのかわかんねんだよ」とマイクを取り上げられることもある。

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