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'''サモア・ジョー'''(''Samoa Joe'')の[[リングネーム]]での活躍で最も知られる'''ジョー・シーノア'''(''Joe Seanoa''、[[1979年]][[3月17日]] - )は、[[サモア]]の[[プロレスラー]]。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]での活躍で最も知られ、またリングネームに自分のルーツであるサモアを冠している。身長188cm、体重127kg。
'''サモア・ジョー'''(''Samoa Joe'')の[[リングネーム]]での活躍で最も知られる'''ジョー・シーノア'''(''Joe Seanoa''、[[1979年]][[3月17日]] - )は、[[サモア]]の[[プロレスラー]]。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]での活躍で最も知られ、またリングネームに自分のルーツであるサモアを冠している。身長188cm、体重127kg。


==経歴==
==経歴(追記) ・人物 (追記ここまで)==
[[1999年]]にデビュー。その後、当時[[WWE|WWF]]傘下のファーム団体であった[[UPW]]と契約し、WWFのダークマッチにも参戦し、[[ジョン・シナ]]、[[ミステル・アギラ|エッセ・リオス]]らと対戦している。[[2001年]]にUPWを視察に訪れた当時・[[プロレスリングZERO-ONE]]社長であった[[橋本真也]]の目に止まり、ZERO-ONEマットで初来日を果たし、常連外国人として定着する。ZERO-ONEではその後、'''キング・ジョー'''を名乗り、同じサモア系レスラーである[[キング・アダモ]]、[[キング・ダバダ]]らと主に活動した。
「サモアン・サブミッション・マシーン」(''Samoan Submission Machine'')の異名を取り、ナガタロックIIやブサイクへの膝蹴りなど、日本人有名レスラーの得意技を使いこなす(三沢はこの事を「何人もの選手と戦っているようだ」と評している)。[[2005年]]9月には、アメリカ遠征した[[小橋建太]]([[プロレスリング・ノア]])と[[ニューヨーク]]にてシングルマッチを行い、数々の技を受けきったことで、会場からは「マッチ・オブ・ザ・イヤー!」の大合唱が起きた。この試合は日本でも話題となり、アメリカでもROH系のホームページで絶賛されている。


(削除) 長らく (削除ここまで)[[ROH]](削除) の (削除ここまで)看板選手として活躍していたが、[[2005年]]からは[[TNA]]にも本格参戦。ヘビー級ながらもXディビジョン戦線に活路を見出し、Xディビジョン王座を獲得。[[ダニエル・コベル|クリストファー・ダニエルズ]]、[[アレン・ジョーンズ|AJスタイルズ]]の2人と長らく抗争を繰り広げた後、[[2006年]][[3月]]、アルティメットXでダニエルズに王座を奪われた。これを機にXディビジョンから抜けて、ヘビー級を相手にしていくことになった。
(追記) [[2002年]]に (追記ここまで)[[ROH]](追記) に移籍。 (追記ここまで)看板選手として活躍していたが、[[2005年]]からは[[TNA]]にも本格参戦。ヘビー級ながらもXディビジョン戦線に活路を見出し、Xディビジョン王座を獲得。[[ダニエル・コベル|クリストファー・ダニエルズ]]、[[アレン・ジョーンズ|AJスタイルズ]]の2人と長らく抗争を繰り広げた後、[[2006年]][[3月]]、アルティメットXでダニエルズに王座を奪われた。これを機にXディビジョンから抜けて、ヘビー級を相手にしていくことになった。


2007年にはTNAとの独占契約を締結し、長年活動していたROHを去ることになる。同年11月には[[プロレスリング・ノア]]へ数年ぶりの来日を果たす。いきなり[[三沢光晴]]とのGHCヘビー級王座戦を組まれる大抜擢を受けるも敗北。
2007年にはTNAとの独占契約を締結し、長年活動していたROHを去ることになる。同年11月には[[プロレスリング・ノア]]へ数年ぶりの来日を果たす。いきなり[[三沢光晴]]とのGHCヘビー級王座戦を組まれる大抜擢を受けるも敗北。

2008年2月15日 (金) 16:40時点における版

サモア・ジョー

サモア・ジョー(Samoa Joe)のリングネームでの活躍で最も知られるジョー・シーノア(Joe Seanoa1979年 3月17日 - )は、サモアプロレスラーアメリカでの活躍で最も知られ、またリングネームに自分のルーツであるサモアを冠している。身長188cm、体重127kg。

経歴・人物

1999年にデビュー。その後、当時WWF傘下のファーム団体であったUPWと契約し、WWFのダークマッチにも参戦し、ジョン・シナエッセ・リオスらと対戦している。2001年にUPWを視察に訪れた当時・プロレスリングZERO-ONE社長であった橋本真也の目に止まり、ZERO-ONEマットで初来日を果たし、常連外国人として定着する。ZERO-ONEではその後、キング・ジョーを名乗り、同じサモア系レスラーであるキング・アダモキング・ダバダらと主に活動した。

2002年ROHに移籍。看板選手として活躍していたが、2005年からはTNAにも本格参戦。ヘビー級ながらもXディビジョン戦線に活路を見出し、Xディビジョン王座を獲得。クリストファー・ダニエルズAJスタイルズの2人と長らく抗争を繰り広げた後、2006年 3月、アルティメットXでダニエルズに王座を奪われた。これを機にXディビジョンから抜けて、ヘビー級を相手にしていくことになった。

2007年にはTNAとの独占契約を締結し、長年活動していたROHを去ることになる。同年11月にはプロレスリング・ノアへ数年ぶりの来日を果たす。いきなり三沢光晴とのGHCヘビー級王座戦を組まれる大抜擢を受けるも敗北。

得意技

ZERO-ONEに参戦していたザ・プレデターのキングコングバスターと同型。
  • コキーナクラッチ(TNA)/ザ・チョーク(ROH) (胴締めスリーパー)
現在のフィニッシュムーブ。
ROH参戦期に多用し、ドラゴンスープレックスやクロスアームスープレックスでフォールを奪うこともしばしばあった。負担が大きすぎるためか最近はほとんど使わない。
  • トペ・スイシーダ
リング内から場外の相手に向かって、トップロープとセカンドロープの間を抜けるようにして体当たりする。
  • トルニージョ
リング内から場外の相手に向かって、トップロープを飛び越えながらキリモミ回転して体当たりする。大一番でしか使わないが、巨体が回転して飛ぶ様は強い印象を残す。

上記以外にも、数多くの日本人プロレスラーをリスペクトした様々な得意技・ムーブを使いこなす。

  • アイランド・ドライバー(エメラルドフロウジョン)
三沢光晴の得意技で、旧ZERO-ONE時代やROH参戦中期のここぞという時に使っていた。最近はあまり使用していなかったが、2007年11月27日のNOAH日本武道館大会においての三沢光晴とのGHCヘビー級選手権試合で使用した。
蝶野正洋のムーブ。
  • STO
小川直也の得意技。
  • オレ・キック(ランニングからの顔面ウォッシュ)
「オ〜レ〜、オレオレオレ〜♪」とサッカーで有名なテーマを観客が歌うのがお約束になっている。
なお、顔面ウォッシュは大谷晋二郎のムーブである。
  • エクスプロイダー
秋山準の得意技。
  • ストレッチプラム
川田利明の得意技。
永田裕志の得意技。
  • ブサイクへのヒザ蹴り
KENTAの得意技。
天龍源一郎のムーブ。

タイトル歴

TNA
ROH
  • ROH世界王座 : 1回
  • ROHピュア・レスリング王座 : 1回

外部リンク

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