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|都市 = [[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]](追記) [[ (追記ここまで) 大通西(追記) (札幌市)| (追記ここまで) 大通西(追記) ]]<ref name="特殊公園">{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/ryokuka/shiryo/toukei/documents/28-2-3.pdf |title=特殊公園 |format=PDF |publisher=[[札幌市]] |accessdate=2016年10月04日}}</ref> {{Switcher (追記ここまで)
|{{Maplink2|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=200|frame-height=150|zoom=13|type=shape|fill=#f5fffa|stroke-color=#006400|stroke-width=1|type2=point|marker2=park|frame-latitude=43.059|frame-longitude=141.346}}
| 位置情報 = {{ウィキ座標2段度分秒|43|03|35|N|141|20|47|E|}}
|{{Location map|Sapporo2|float=center|width=200}}
| 面積 = 78,901 m<sup>2</sup>
| 設備・遊具 = 噴水、記念碑、文学碑、屋外ステージ、庭園など
|{{Location map|Sapporo|float=center|width=200}}
|緯度度 = 43 |緯度分 = 03 |緯度秒 = 35
| 告示 = [[1980年]]([[昭和]]55年)[[6月6日]]
|経度度 = 141 |経度分 = 20 |経度秒 = 47
|分類 = 特殊公園<ref name="特殊公園"/>
|運営者 = 札幌市公園緑化協会([[指定管理者]])
|設備・遊具 = [[壁泉]]、[[噴水]]、[[広場]]、[[遊具]]、[[水路]]、園路
|駐車場 = 札幌大通地下駐車場(366台)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-chikagai.jp/access/ |title=アクセス・駐車場 |work=[[さっぽろ地下街]] |publisher=札幌都市開発公社 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>
|告示 = 昭和55年6月6日<ref name="特殊公園"/>
|アクセス = [[札幌市営地下鉄]][[大通駅]]または[[札幌市営地下鉄東西線|東西線]][[西11丁目駅]]下車
|公式サイト = [http://www.sapporo-park.or.jp/odori/ 大通公園]
'''大通公園'''(おおどおりこうえん)は、[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]][[大通西 (札幌市)|大通西]]にある[[公園]]。「[[日本の道100選]]」「[[日本の都市公園100選]]」「[[都市景観100選]]」「[[日本の歴史公園100選]]」選定{{Sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=16-17}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/crd/townscape/townscape_b/jusyou/100jusyo.htm |title=都市景観大賞「都市景観100選」受賞地区一覧 |publisher=[[国土交通省]] |accessdate=2016年10月06日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/singikai/infra/city_history/historic_climate/11/images/04-2.pdf |title=日本の歴史公園100選の実施 |format=PDF |publisher=国土交通省 |accessdate=2016年10月02日}}</ref>。札幌の[[ランドマーク]]である「[[さっぽろテレビ塔]]」は大通公園内に位置している。大通公園を中心としたエリアは札幌市の[[中心市街地]]を形成しており、同公園周辺は、通称「'''大通'''」と呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|title=大通地区のまちづくり |url=https://www.city.sapporo.jp/kikaku/downtown/areamanagement/odori.html |website=札幌市 |access-date=2023年09月14日 |language=ja |last=札幌市}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=大通中心街まちづくり指針 {{!}} 札幌大通まちづくり株式会社 |url=https://sapporo-odori.jp/,%20https://sapporo-odori.jp/guideline/ |access-date=2023年09月14日 |language=ja}}</ref>。
'''大通公園'''(おおどおりこうえん)は、[[札幌市]]の中心部を東西に横切る[[公園]]。[[中央区 (札幌市)|中央区]]大通西1丁目から大通西12丁目まで長さ約1.5kmにわたって連なる。札幌の[[都市計画]]の基線となる大通りとして設けられ、徐々に公園として整備された。現在に至るまで札幌の中心を占めるもっとも重要な公園・[[広場空間]]である。[[1980年]](昭和55年)[[6月6日]]に都市公園告示(特殊公園)、面積78,901m²(約7.9ha)。[[都市景観100選]]受賞地区。
札幌市中心部に位置し、東西約1.5 km、面積約7.8 haの[[公園#特殊公園|特殊公園]]である<ref>{{Cite web|和書|title=大通公園とは |url=https://odori-park.jp/about/ |website=大通公園 -公益 財団法人 札幌市公園緑化協会 |access-date=2023年09月16日 |language=ja}}</ref>。幅105 m、6車線の[[都市計画道路]]3・1・2「大通」の一部になっているほか<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/sogokotsu/kotsutaikei/documents/databook_1-1.pdf |title=札幌市の都市交通データ 道路(1) |format=PDF |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>、札幌市の「[[風致地区]]」「景観計画重点区域」に指定されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/ryokuka/midori/kisei/fuchisyousai/ichiran.html |title=風致地区制度(風致地区一覧) |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月06日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/keikanhou/documents/keikankeikaku_01.pdf |title=第1章 景観計画の区域 |format=PDF |work=札幌市景観計画 |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。[[芝|芝生]]や[[花壇]]を整備しており、[[ライラック]]、[[ハルニレ]]、[[ケヤキ]]をはじめとした92種、約4,700本の[[木|樹木]]がある{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=9}}。また、各種[[イベント]](『[[さっぽろ雪まつり]]』『[[さっぽろライラックまつり]]』『[[YOSAKOIソーラン祭り]]』『[[さっぽろ夏まつり]]』『[[さっぽろオータムフェスト]]』『[[さっぽろホワイトイルミネーション]]』など)が開催されている。札幌市を代表するメインストリートである。
1993年には市道の一部の廃止により西8丁目と西9丁目間が連続化した<ref name="hokkaido-np20220323">{{Cite web|和書|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/660319|title=大通公園の一部市道廃止へ 札幌市、広場拡大へ新年度検討|publisher=北海道新聞|date=2022年03月23日|accessdate=2022年03月23日}}</ref>。
札幌市中心部は[[碁盤]]目状の区画であり、その住所は「北17条東5丁目」「南9条西15丁目」のように南北東西に条丁目をつけて表される。東西を分ける基準となっているのは[[創成川]]である。これに対し南北の境界にあたる道路が'''大通'''であり、またそれに面した、南北の「0条」にあたる地域のことも大通という(送り仮名の「り」をつけないのが正しい表記)。
都市計画道路としての「3.1.2大通」(幅員105.45m)に公園部分も含まれる。車両通行帯は公園を挟んで北大通と南大通に分かれており、それぞれ東、西への一方通行となっている。大通公園は、幅65mの巨大な[[中央分離帯]]であるともいえる。
2016年に札幌市は大通公園を創成川を越えて東側に約100メートル延伸する方針を発表した。延伸を予定する中央区[[大通東 (札幌市)|大通東]]1丁目の区画内で、市道と[[北海道電力]](北電)本店などがある民有地を交換し、公園用地を取得する。併せて、北電などが今後進める再開発事業を支援し、創成川を挟んで東西両側の一体的な活性化を目指す<ref name="headlines.yahoo/2016-11-30/hl?a=20161130-00010001-doshin-hok">{{Cite news |author= |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00010001-doshin-hok |title=札幌市、大通公園拡張へ 「東1丁目」まで延伸方針 |newspaper=[[北海道新聞]] |agency=[[Yahoo!ニュース]](北海道・東北) |publisher=[[Yahoo! JAPAN]] |date=2016年11月30日 |accessdate=2016年11月30日 |archiveurl=https://archive.is/20161130075101/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00010001-doshin-hok |archivedate=2016年11月30日 |deadlinkdate=2017-09}}</ref>。
用途地域は商業地域(800/80)。第一種風致地区(大通風致地区)。都市景観形成地区(大通地区)。
2022年3月23日、札幌市は国道の通る西3丁目と西4丁目間([[札幌駅前通]])及び西10丁目と西11丁目間([[石山通]])以外の公園区画の間を通る市道9路線の一部を廃止し、公園区画をつなげて面積を広げる方針を明らかにした<ref name="hokkaido-np20220323" />。
大通公園の南側に大手デパート等の商業施設が多く、現在もショッピング・エリアとして賑わっている。これらの地域は公式には「本府」(開拓使時代の札幌本府、つまり札幌市街地であったことに由来)と称されるが、一般には「大通」と呼ばれることが多い。
== 大通(削除) と公園の歴史 (削除ここまで) ==
== (追記) 地域名「 (追記ここまで) 大通(追記) 」 (追記ここまで) ==
同公園及び[[札幌市営地下鉄]]の[[大通駅]]を中心とした地域の通称であり、行政上の地名ではない。札幌市の[[都心]]及び[[中心業務地区]](CBD)である。
[[1869年]]([[明治]]2年)、北海道の中心となる都市を建設するために札幌に来た開拓判官[[島義勇]]は、札幌市を南北で二つに分け、北を官庁と官吏の区域、南を人民の区域とする計画を立案した。官民は広い道路で隔てられたが、その位置は現在の大通公園とは異なる。島の更迭後に建設の指揮をとった[[岩村通俊]]が作り直した[[1871年]](明治4年)の計画で、官地と民地を分ける「'''火防線'''」が、現在の大通公園の位置に設定された。大火の延焼を防ぐための空き地を確保するもので、実際明治時代にこの線がたびたび火災の広がりを食い止めた。幅は105メートル(58間)で、当時の日本の都市の常識を超えていた。
東西に伸びる大通公園を境に、北側が[[北海道庁]]、[[札幌市役所]]、[[札幌駅]]などの公的機関や[[オフィスビル]]が位置する官公庁街・[[オフィス街]]、南側が[[百貨店|デパート]]、大型商業施設、[[商店街]]、[[飲食店]]などが集積する[[繁華街]]となっている。さらに南側には一大[[歓楽街]]「[[すすきの]]」が位置している。大通公園は南側の繁華街や歓楽街の火災が北側の官公庁街に延焼することを防ぐ火防線の役割を担っており、北側と南側で街の役割や景観が大きく異なる<ref>{{Cite web|和書|title=大通公園の歴史と植物 |url=https://odori-park.jp/history/ |website=大通公園 -公益 財団法人 札幌市公園緑化協会 |access-date=2023年09月14日 |language=ja}}</ref>。また、地下鉄3路線が乗り入れる大通駅を中心として、[[さっぽろ地下街|ポールタウン]]や[[札幌駅前通地下歩行空間]](チ・カ・ホ)といった[[地下街]]・[[地下道]]も発達しており、[[すすきの駅]]や[[札幌駅]]・[[さっぽろ駅]]へ地上を経由せずに地下のみでアクセスが可能である。
札幌の街路には、[[1872年]](明治5年)9月18日に北海道の国郡名が与えられ、今の大通りには'''後志通'''の名が与えられた。しかしこの呼び名は普及せず、[[1881年]](明治14年)6月、「札幌市街名称改正」で条丁目制が導入され、大通という名称になった。
[[札幌駅]]の[[都市再開発|再開発]]や[[郊外]]型[[ショッピングセンター|ショッピングモール]]の開業など、商業地区としての大通地区の相対的地位は低下しつつある<ref>{{Cite web|和書|title=大通中心街まちづくり指針 {{!}} 札幌大通まちづくり株式会社 |url=https://sapporo-odori.jp/,%20https://sapporo-odori.jp/guideline/ |access-date=2023年09月14日 |language=ja}}</ref>。[[2003年]]に札幌駅の[[駅ビル]]として開業した[[JRタワー]]の影響は大きく、JRタワーの[[アンカーストア|核テナント]]の[[大丸札幌店]]([[大丸松坂屋百貨店]])は、[[2010年]]に大通地区の[[丸井今井]]札幌本店の売上高を抜いて、道内一番店の百貨店の座を奪った<ref>{{Cite web|和書|title=20周年の大丸札幌店 盤石の道内一番店が掲げる地元密着 |url=https://www.wwdjapan.com/articles/1529777 |website=WWDJAPAN |date=2023年03月16日 |access-date=2023年09月14日 |language=ja |first=CREEK & |last=RIVER}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=#6 道内小売業の新陳代謝を進めたのは、しがらみにとらわれない消費者の合理的な行動だった _小売・物流業界 ニュースサイト【ダイヤモンド・チェーンストアオンライン】 |url=https://diamond-rm.net/management/41372/ |website=小売・流通業界で働く人の情報サイト_ダイヤモンド・チェーンストアオンライン |date=2019年09月19日 |access-date=2023年09月14日 |language=ja |last=k-abe}}</ref>。
[[File:Odori Park in 1936.JPG|thumb|200px|戦前の大通公園]]
1丁目には[[豊平館]]が、2丁目には電話局がせり出しており、他の部分より幅が狭かった。3丁目、4丁目付近は当時から街路の中心で、市の中心の広場として多目的に利用された。[[1878年]](明治11年)に2丁目と3丁目に第一回農業仮博覧会の会場が設けられ、これ以後各種催しの会場になった。
西に行くと町の賑わいはなくなり、10丁目以西の部分は[[屯田兵]]の練兵場であった。屯田兵が廃止になると、近隣の学校の運動会が開かれたりしたが、明治の末に大通に組み入れられた。大通の利用度は低く、ゴミ捨て場や雪捨て場になっていた。市の中心部に広い土地を放置していることを問題視する意見は多く、宅地などへの転用を求める運動が何度かおきたが、結局実現に至らなかった。
*[[北海道庁舎]]([[北海道庁旧本庁舎|赤レンガ庁舎]])
[[1876年]](明治9年)に、3丁目、4丁目に二千坪(約6600m<sup>2</sup>)の花壇が作られた。さらに[[1909年]](明治42年)に造園設計家の[[長岡安平]]を招いて逍遙地としての整備を行い、[[1911年]](明治44年)に完成したのが大通公園のはじまりとされる<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20110909-OYT8T00020.htm 大通公園100周年イベント開催・・・12〜19日:北海道発:YOMIURI ONLINE(読売新聞)]2011年9月15日閲覧。</ref><ref>[http://mainichi.jp/hokkaido/news/20110912hog00m040003000c.html 札幌:大通公園100周年 記念ウイークでイベント次々-毎日.jp(毎日新聞)]2011年9月15日閲覧。</ref><ref>[http://www.asahi.com/travel/news/HOK201109130016.html asahi.com(朝日新聞社):大通公園100周年 15日にはセレモニーも 北海道-トラベル]</ref>。
*[[さっぽろ創世スクエア|さっぽろ創成スクエア]]
=== (削除) 戦後の公園整備 (削除ここまで) ===
=== (追記) 南側 (追記ここまで) ===
[[第二次世界大戦]]中に大通はイモ畑にされた。戦後、食糧事情が好転すると、畑地はなくなったが、かわりに再びゴミ捨て場、雪捨て場になった。大通の一部を進駐軍が接収して野球場とテニスコートを作った。これにならって民間も運動場を作った。返還後は他にも大通り西側にさまざまな運動場が作られた。
進駐軍から大通が返還された[[1950年]](昭和25年)から、公園としての整備が再開された。その年以来、造園関係の業者に一定のスペースを割り当てる方式で多数の花壇を作っている。花壇の前には担当の会社名を記したプレートがあり、季節ごとにさまざまな趣向で花壇造りの技を競う。
なお、[[1988年]](昭和63年)には[[さっぽろ・ふるさと文化百選]]に選定された(No.80)。
[[画像:Odori Park in Sapporo 1936.jpg|thumb|1936年の大通公園]]
[[1869年]]([[明治]]2年)、[[開拓使]]は判官の[[島義勇]]に札幌本府建設を命じ{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=3}}、島は現在の南1条通と江戸時代に[[大友亀太郎]]が掘削した大友堀(現在の[[創成川]])が交差する地点をまちづくりの基点(現在の[[創成橋]]付近)にした{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|pp=3-4}}{{Sfn|大通公園|p=10}}。ところが、本府建設には多額の費用が必要であり、経費の追加を求めた島は開拓長官の[[東久世通禧]]によって罷免されてしまい、本府建設も一時中止となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/2-04.pdf |title=島義勇 |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2016年10月05日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail01/ |title=札幌の町の誕生 |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。1871年(明治4年)、[[岩村通俊]]が開拓判官になると島の構想をもとに街の東西に幅60間(実際は58間、105 m)の[[防火帯|火防線]]を設けてそれより北を官地、南を民地として格子状の[[区画整理]]を行っていった<ref name="火防線から後志通、そして大通">{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail02/ |title=火防線から後志通、そして大通 |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>{{Sfn|札幌地名考|p=31}}{{Sfn|荒井|2011|pp=52-53}}。[[1872年]](明治5年)に[[北海道 (令制)|北海道内の国郡]]名を札幌本府の道路に付けて火防線は後志通、現在の北1条通は浜益通、現在の南1条通は渡島通となったが、煩雑であったため[[1881年]](明治14年)に現在の[[丁目#条・丁目|条・丁目]]に変更されて後志通は大通となった{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=5}}<ref name="火防線から後志通、そして大通"/>。1876年(明治9年)頃に現在の西3・4丁目に札幌官園で育てた花卉を植えた大通花草園を設置しており、大通の多目的利用が始まっている<ref name="大通(後志通)の土地利用の変化">{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail03/ |title=大通(後志通)の土地利用の変化 |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>{{Sfn|大通公園|pp=15-16}}。また、西10丁目に[[屯田兵]]第一大隊本部を設け、以西を練兵場とした<ref name="鯨森">{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/6-04.pdf |title=鯨の森(大通西9丁目) |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。なお、西9丁目辺りは森として残され、遠くから見ると高く盛り上がった部分と低くなっている部分がクジラのように見えたことから鯨森(鯨ヶ森、鯨の森)と呼ばれるようになった<ref name="鯨森"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail01/ |title=鯨の森 |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>{{Sfn|大通公園、100歳|2011}}。1878年(明治11年)には『第1回農業仮博覧会』を開催、以後隔年で開いていたが手狭になっていったため1887年(明治20年)に会場を中島遊園地(現在の[[中島公園]])へ移した<ref name="大通(後志通)の土地利用の変化"/>{{Sfn|大通公園|p=16}}。1880年(明治13年)に現在の[[札幌市民ホール]]や[[NHK札幌放送局]]のある一角に[[西洋館]]の[[豊平館]]を建設し、皇族や貴族、政府高官の宿泊施設や各種集会や宴会の場として利用した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail05/ |title=豊平館の誕生 |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。当時、西4丁目以西は荒地になっていたが、1888年(明治21年)に近辺学校の連合運動会を行ったことをきっかけに運動場として利用するようになった{{Sfn|大通公園|p=21}}。1899年(明治32年)には偕楽園にあった開拓記念碑を大通西6丁目に移設し、小公園にしている<ref name="大通花壇史1">{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail07/ |title=大通花壇史(その1) |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。
1907年(明治40年)、札幌興農園の小川二郎が[[札幌農学校]](現在の[[北海道大学]])で得た知識と技術を活かし、西2丁目から西4丁目にかけてを自費で花壇を造成した<ref name="大通花壇史1"/>{{Sfn|大通公園|pp=21-22}}。1908年(明治41年)、鯨森や練兵場跡地を含む西9・10丁目を逍遥地(散策する場所)として整備した<ref name="鯨森"/>。1909年(明治42年)に造園技師の[[長岡安平]]を招き3ヵ年計画で本格的な公園整備を行い、西3丁目から西7丁目までが逍遥地となった{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=5}}。1915年(大正4年)から札幌洋翠園の戸部佶が自費で花壇づくりを行い<ref name="大通花壇史2">{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail08/ |title=大通花壇史(その2) |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>{{Sfn|大通公園|pp=21-22}}、1918年(大正7年)に札幌区が引き継いだ<ref name="大通花壇史2"/>{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=9}}。1923年(大正12年)には[[宮部金吾]]達の指導により練兵場跡地の西10丁目から12丁目にかけても植栽と芝生を整備した{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=6}}{{Sfn|大通公園|p=102}}。1926年(大正15年)には西13丁目に札幌控訴院(現在の[[札幌市資料館]])の建物が完成している{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=6}}{{Sfn|大通公園|p=102}}。[[太平洋戦争]]中の大通は[[空襲]]に備えた避難広場として重視され{{Sfn|大通公園|pp=102-103}}、1944年(昭和19年)になると食糧不足から10,000坪が畑に転用され{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=6}}{{Sfn|大通公園|pp=102-103}}、ゴミ捨て場や[[排雪|雪捨て]]場となって荒廃した{{Sfn|荒井|2011|p=53}}。戦後は[[連合国軍最高司令官総司令部|進駐軍]]に接収されて西3丁目に教会、西4丁目に野球場、西5丁目にテニスコートが造られ{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=6}}、市民の手によって西6丁目にバレーボールコート、西7丁目に野球場、西8丁目に児童遊戯場を設けて運動場と化した{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=6}}。
1丁目から13丁目まで、南北約65メートル、東西約110メートルの長方形が東西に連なる。1丁目が一番東で、数字が増すごとに西方になる。この区画は幅4メートルの歩道で囲まれ、さらに車道で囲まれる。行き来には横断歩道を使わねばならない。規則的配置の例外が二つある。1丁目は区画の面積が他よりやや小さい、8丁目と9丁目は現在連結している。
1950年(昭和25年)から5ヵ年計画で芝生や花壇のある公園への復旧を始め{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=7}}、翌年に北海タイムス社(現在の[[北海道新聞社]])が[[北大植物園]]の石田文三郎の助言を基に園芸店などの協力を得て西3丁目に花壇を復活させた{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=9}}<ref name="大通花壇史3">{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail09/ |title=大通花壇史(その3) |work=大通公園の歴史と植物 |publisher=札幌市公園緑化協会 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。公園の復旧は進駐軍の真駒内(キャンプ・クロフォード)移転後に本格化していく{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=7}}<ref name="大通花壇史3"/>。1952年(昭和27年)から市内の花卉園芸業者が[[ボランティア]]による花壇造成を行い<ref name="大通花壇史3"/>、1954年(昭和29年)に札幌市花壇推進組合を結成して『大通花壇コンクール』が始まった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/ryokuka/hanaki/odouri/history.html |title=大通公園花壇の歴史、札幌市花壇推進組合 |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。1957年(昭和32年)には豊平館を中島公園へ移築し、[[さっぽろテレビ塔]]が完成{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=7}}。1968年(昭和43年)に西1・2丁目のバスターミナルを移転して芝生や花壇を整備して西4・7・11丁目に噴水を設置するなど、現在へと続く大通公園になっていく{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=7}}。1980年(昭和55年)に「[[都市公園法]]」に基づく公園として告示され、名実ともに大通公園となった{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=7}}。1989年(平成元年)からは6ヵ年かけて大通地区の再整備事業の一環として大通公園全体の連続性と数丁目単位での連携性や丁目毎の個性化を図るとともに、植物の生育環境改善や園路や広場のデザイン化とバリアフリー化などを進め、1993年(平成5年)には西8・9丁目が連続化した{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=8}}。2011年(平成23年)に本格的な公園整備から100周年を迎えた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/ryokuka/top/odori100/ |title=大通公園100周年記念事業について |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月06日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/travel/news/HOK201109130016.html |title=大通公園100周年 15日にはセレモニーも |date=2011年09月14日 |work=[[朝日新聞デジタル]] |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。
以下の解説中、名称を( )で囲んだものは、撤去や移転により現在公園に存在しないものである。変遷が多い公園の歴史をすべて網羅したものではなく、現在ある施設等をすべて収録したものでもないことを付記する。
{| style="border-collapse:collapse; background-color:#c8c8c8; text-align:center;"
* [[1869年]]([[明治]]{{0}}2年):開拓判官の[[島義勇]]が札幌本府建設に着手。
* [[1871年]](明治{{0}}4年):幅60間(実際は58間)の火防線を設ける。
* [[1872年]](明治{{0}}5年):北海道内の国郡名を道路につけ、後志通となる(1881年に廃止となって条丁目に変更、後志通から大通となる)。
* [[1876年]](明治{{0}}9年):西3・4丁目に大通花草園造成。西10丁目以西に[[屯田兵]]第一大隊本部と練兵場設置(1896年に第一大隊本部は[[札幌連隊区]]司令部となる)。
* [[1878年]](明治11年):『第1回農業仮博覧会』開催。
* [[1879年]](明治12年):札幌と小樽間の馬車輸送開始に伴い、西3丁目に馬車発着所開設{{Sfn|大通公園|p=32}}{{Sfn|大通公園|p=229}}。
* [[1880年]](明治13年):[[豊平館]]完成。
* [[1884年]](明治17年):『北海道物産共進会』開催。
* [[1888年]](明治21年):練兵場で近辺学校の連合運動会を開く。
* [[1901年]](明治34年):西1丁目から西8丁目までが逍遥地になる{{Sfn|大通公園|p=248}}。
* [[1907年]](明治40年):小川二郎が西2丁目から西4丁目にかけて自費で花壇の造成開始。
* [[1908年]](明治41年):練兵場跡地(西9・10丁目)を逍遥地とする。
* [[1911年]](明治44年):造園技師の[[長岡安平]]を招いた西3丁目から7丁目までの本格的な公園整備完了{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=6}}。
* [[1915年]]([[大正]]{{0}}4年):戸部佶が西3・4丁目にかけて自費で花壇の造成開始。
* [[1923年]](大正12年):西10丁目から西12丁目にかけて植栽と芝生整備を行う。大通が札幌市の管理となる{{Sfn|大通公園|p=262}}。
* [[1939年]]([[昭和]]14年):大通を「[[風致地区]]」に指定。
* [[1944年]](昭和19年):約10,000坪を畑とするための春耕開始{{Sfn|大通公園|p=272}}。
* [[1946年]](昭和21年):進駐軍が教会、野球場、テニスコートを造り、市民がバレーボールコート、野球場、テニスコートなどを造る。
* [[1950年]](昭和25年):『[[さっぽろ雪まつり]]』初開催。花壇の復旧を始める{{Sfn|大通公園|pp=277-278}}。
* [[1952年]](昭和27年):市内の生花店、園芸店、造園業者などによる花壇の造成開始。
* [[1954年]](昭和29年):札幌市花壇推進組合結成。『大通花壇コンクール』『[[さっぽろ夏まつり]]』初開催。
* [[1957年]](昭和32年):豊平館を[[中島公園]]へ移築。[[さっぽろテレビ塔]]完成。西2丁目に市営バスセンター設置(1963年にバスセンターを廃止のうえ公園に復元){{Sfn|札幌の駅|p=210}}。
* [[1959年]](昭和34年):『[[さっぽろライラックまつり]]』初開催。
* [[1963年]](昭和38年):『さっぽろ菊花展覧会』(『さっぽろ菊まつり』)初開催(1973年まで大通公園で開催){{Sfn|大通公園|pp=289-290}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://kiku.sapporo-fes.com |title=さっぽろ菊まつり |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。
* [[1964年]](昭和39年):時間制限で行ってきた大通の一方通行を全面的に開始{{Sfn|大通公園|p=291}}。
* [[1965年]](昭和40年):札幌市が公園内の[[屋台]]([[トウモロコシ|トウキビ]]売り、ラーメン屋など)に撤去を通知。同年8月10日以降、約80店が姿を消す<ref>「窓」『日本経済新聞』昭和40年8月11日.15面</ref>。
* [[1967年]](昭和42年):札幌観光協会による[[とうきびワゴン]]販売開始。
* [[1968年]](昭和43年):『[[全国菓子大博覧会]]』開催<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.zenkaren.net/_0100/_0117 |title=第17回全国菓子大博覧会・札幌 |publisher=全国菓子工業組合連合会 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。
* [[1971年]](昭和46年):大通り地下駐車場供用開始<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/sogokotsu/kotsutaikei/documents/databook_11.pdf |title=札幌市の都市交通データ 駐車場 |format=PDF |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。大通地下歩道、[[さっぽろ地下街]](オーロラタウン、ポールタウン)開業<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/sogokotsu/kotsutaikei/documents/databook_1-2.pdf |title=札幌市の都市交通データ 道路(2) |format=PDF |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。[[札幌市営地下鉄南北線]]開通。
* [[1972年]](昭和47年):西1丁目に大通警察官派出所(現在の大通交番)設置{{Sfn|大通公園|p=299}}。
* [[1976年]](昭和51年):[[札幌市営地下鉄東西線]]開通。バスセンター廃止以来、路上に分散していた市営バス停留所の多くを[[バスセンター前駅]]に集約、残るバス路線のほとんども地下鉄各駅での乗り継ぎに変更し、都心部への市営バスの流入が激減する。
* [[1978年]](昭和53年):[[札幌観光幌馬車]]営業開始。
* [[1979年]](昭和54年):西12丁目にバラ園造成{{Sfn|大通公園|p=305}}。
* [[1980年]](昭和55年):「[[都市公園法]]」が適用される。
* [[1981年]](昭和56年):『[[さっぽろホワイトイルミネーション]]』初開催。
* [[1986年]](昭和61年):「[[日本の道100選]]」選定。
* [[1988年]](昭和63年):[[札幌市営地下鉄東豊線]]開通。
* [[1989年]]([[平成]]元年):「[[日本の都市公園100選]]」選定。
* [[1991年]](平成{{0}}3年):「[[都市景観100選]]」選定。
* [[1992年]](平成{{0}}4年):『[[YOSAKOIソーラン祭り]]』初開催。
* [[1993年]](平成{{0}}5年):西8・9丁目を連続化し、[[イサム・ノグチ]]作の「ブラック・スライド・マントラ」設置{{Sfn|大通公園、100歳|2011}}。
* [[1994年]](平成{{0}}6年):「大通公園リフレッシュ事業」完了{{Sfn|大通公園、100歳|2011}}。
* [[2006年]](平成18年):「[[日本の歴史公園100選]]」選定。
* [[2008年]](平成20年):大通地区が「景観計画重点区域」に指定。『[[さっぽろオータムフェスト]]』初開催。
* [[2009年]](平成21年):『[[北海道マラソン]]』のゴール地点になる(2012年からスタート地点にもなる)<ref>{{Cite web|和書|url=http://hokkaido-marathon.com |title=北海道マラソン |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。
* [[2010年]](平成22年):「北の造園遺産」選定<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jila-hokkaido.com/gyouji_/kitanozouensisan/kitanozoen_all/2_oodori/Isan-2(Odori).pdf |title=大通公園 |format=PDF |publisher=[[日本造園学会]]北海道支部 |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。
* [[2021年]]([[令和]]{{0}}3年):[[2020年東京オリンピック]]の[[2020年東京オリンピックの陸上競技|マラソン・競歩競技]]のスタート・ゴール地点となる。
1988年(昭和63年)の「第3次札幌市長期総合計画」策定に伴い、大通整備関連三事業の1つとして大通公園リフレッシュ事業を実施し、公園全体を5つのゾーン(国際交流ゾーン、水と光のゾーン、遊び・イベントゾーン、歴史・文化ゾーン、サンクガーデンゾーン)に分けて再整備している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/singikai/kaisai/documents/24_2gijiroku.pdf |title=平成24年度第2回 札幌市都市景観審議会 会議録 |page=5 |date=2012年09月18日 |format=PDF |work=札幌市市民まちづくり局 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。大通公園の範囲は西1丁目の西半分から西12丁目までであり、[[さっぽろテレビ塔]]や西13丁目の[[札幌市資料館]]は含まれていない(資料館の区域は[[札幌市教育委員会]]の管轄){{Sfn|大通公園100年 これからの100年|2009|pp=6-7}}。
{|style="border-collapse:collapse;background-color:#c8c8c8;text-align:center"
|colspan="25"|'''〈大通〉'''一方通行 →
|rowspan="2" style="width:1em;font-weight:normal"|↑<br />一<br />方<br />通<br />行
|rowspan="2" style="background-color:#788cff;vertical-align:middle"|[[創成川|創<br />成<br />川]]
|rowspan="2" style="width:1em;font-weight:normal"|一<br />方<br />通<br />行<br />↓
|-style="font-weight:bold;vertical-align:middle"
|style="background-color:#32eb00;width:2em;line-height:4em"|13
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|12
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|11
|style="width:1em;font-weight:normal"|[[File:Japanese National Route Sign 0230.svg|20px|link=国道230号]][[石山通|石<br />山<br />通]]
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|10
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|9
|style="background-color:#32eb00;width:1em"|
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|8
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|7
|style="width:1em;font-weight:normal"|↑<br />一<br />方<br />通<br />行
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|6
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|5
|style="width:1em;font-weight:normal"|一<br />方<br />通<br />行<br />↓
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|4
|style="width:1em;font-weight:normal"|[[File:Japanese National Route Sign 0036.svg|20px|link=国道36号]][[札幌駅前通|札<br />幌<br />駅<br />前<br />通]]
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|3
|style="width:1em;font-weight:normal"|↑<br />一<br />方<br />通<br />行
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|2
|style="width:1em;font-weight:normal"|一<br />方<br />通<br />行<br />↓
|style="background-color:#32eb00;width:2em"|1
|(削除) (削除ここまで)colspan="(削除) 26 (削除ここまで)"(削除) (削除ここまで)| (削除) 車両 (削除ここまで)通行(削除) 方向 → (削除ここまで)
|colspan="(追記) 28 (追記ここまで) "|(追記) ← (追記ここまで) (追記) 一方 (追記ここまで) 通行(追記) '''〈大通〉''' (追記ここまで)
| rowspan="2" style="background-color:#788cff; vertical-align:middle;" | [[創成川|創<br />成<br />川]]
| rowspan="2" style="width:1em;" |
|- style="font-weight:bold; vertical-align:middle;"
| style="background-color:#32eb00; width:2em; line-height:4em;" | 13
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 12
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 11
| style="width:1em; font-weight:normal;" | [[石山通|石<br />山<br />通]]
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 10
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 9
| style="background-color:#32eb00; width:1em;" |
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 8
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 7
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 6
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 5
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 4
| style="width:1em; font-weight:normal;" | [[札幌駅前通|駅<br />前<br />通]]
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 3
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 2
| style="background-color:#32eb00; width:2em;" | 1
| colspan="28" | ← 車両通行方向
=== 1丁目 ===
=== (追記) 交流 西 (追記ここまで) 1(追記) ・2 (追記ここまで) 丁目(追記) (国際交流ゾーン) (追記ここまで) ===
* '''[[札幌市営地下鉄|地下鉄]][[大通駅]]'''([[札幌市営地下鉄東豊線|東豊線]])
* '''[[さっぽろテレビ塔]]''' 展望台から公園と札幌市街を一望することができる。逆に公園側からも良く見え、大通公園の景観の焦点となる。[[1957年]](昭和32年)に建てられた。
* ('''[[豊平館]]''') [[1880年]](明治13年)に作られた洋式の旅館で、北1条西1丁目にあり、その庭園が大通りの北半にせり出していた。後に公民館・市民会館などに利用された。テレビ塔と新しい市民会館の建設のため[[中島公園]]に移設された。
* ('''[[札幌市交通局]]''') 戦後、豊平館の南に車庫、寮、営業所が置かれている。
** 姉妹都市の[[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]から贈呈された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/5-04.pdf |title=ベンソンの水飲み |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。
** 北海道の電話加入数100万到達を記念して建立{{Sfn|片岡|2012|p=56}}。
<gallery widths=180 heights=120>
Sapporo television tower 01.jpg|さっぽろテレビ塔(2009年4月)
Benson Fountain.JPG|ベンソンの水飲み(2015年5月)
Monument to Telephon Exchange of Hokkaido.JPG|北海道電話交換創始の地碑(2015年5月)
=== (削除) 2 (削除ここまで)丁目 ===
=== (追記) オアシス 西3・4・5 (追記ここまで) 丁目(追記) (水と光のゾーン) (追記ここまで) ===
[[画像:OdoriKoenNishi2chome2004-4.JPG|thumb|200px|大通西2丁目(2004年4月)]]
** [[山田良定]]作<ref>{{Cite web|和書|url=https://artpark.or.jp/sansaku/artist/yamadaryoujyou/no1.html |title=湖風の像 |publisher=札幌芸術の森 |accessdate=2018年02月11日}}</ref>。
[[画像:O-dori Sapporo carriage.jpg|thumb|200px|観光用の馬車(2002年9月)]]
** 明治・大正・昭和の歴代天皇の業績をたたえる碑として建立。「聖恩無疆」の題字は[[閑院宮載仁親王]]によるもの{{Sfn|片岡|2012|p=60}}。また、札幌市水道事業完成記念事業の一環として、周囲の池と四隅にジョン・クラレス・カッターの寄付を基金として設けられた水飲み場がある{{Sfn|片岡|2012|p=60}}。
<gallery widths=180 heights=120>
Odori Park Sapporo.JPG|西3丁目(2006年8月)
Tanka Monument of Isamu Yoshi'i.JPG|吉井勇歌碑(2015年8月)
朝の大通公園 2014年05月02日 09-56.jpg|西4丁目(2014年5月)
Monument of Thanks to Emperor Showa at Odori.JPG|聖恩碑(2015年8月)
=== つどい 西6・7・8・9丁目(遊び・イベントゾーン) ===
* '''[[札幌市営地下鉄|地下鉄]][[大通駅]]'''([[札幌市営地下鉄東豊線|東豊線]])
* '''北海道電話交換創始の地碑''' 明治時代にはこの2丁目の北半分に札幌逓信局、札幌郵便局の敷地がせり出していた。記念碑は[[1973年]](昭和48年)に建てられた。
* ('''農業仮博覧会''') [[1878年]](明治11年)に2丁目と3丁目を使って開かれた。[[1887年]](明治20年)から博覧会の会場は中島公園に移った。
* '''(バレーボールコート)''' 戦後の一時期。
** 1899年(明治32年)に偕楽園から移設{{Sfn|片岡|2012|p=62}}。碑石は[[本願寺道路]]開削時に掘り出されたもので、題字は[[榎本武揚]]によるもの{{Sfn|片岡|2012|p=62}}と従来は言われたが、2007年以降、[[王羲之]]の書とされている<ref>{{Cite news|title=開拓紀念碑(大通公園西6)は榎本武揚の書ではなく、王羲之(おうぎし)の拓本だった|newspaper=文化資料室ニュース|date=2007-02|last=西田|first=秀子|url=https://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunkashiryoshitsunews/documents/newsletter2.pdf|publisher=札幌市文化資料室}}</ref>。
* インフォメーションセンター&オフィシャルショップ
** [[イサム・ノグチ]]作。[[マイアミ]]にある白い「スライド・マントラ」の姉妹版。当初は西9丁目のクジラ山と呼ばれている滑り台を撤去して設置する予定であったが、現地を視察したノグチが子供たちと一緒になってクジラ山を楽しみ、滑り台を残すことにした{{Sfn|札幌のまちとともに歩んだ公園|p=8}}。また、ノグチは8丁目と9丁目の間の道路に立って「ここがいいね」と述べたという{{Sfn|荒井|2011|p=54}}。ノグチの急逝後、札幌市は一旦公園内にブラック・スライド・マントラを設置したが、故人の意思を尊重しようという考えから西8丁目と西9丁目の連続化に踏み切り、ノグチの指示通りの場所に移設した{{Sfn|荒井|2011|p=55}}。ノグチは「この作品は子どもたちのお尻によって磨かれる」と述べている{{Sfn|荒井|2011|p=55}}。
** 白い滑り台であり、ブラック・スライド・マントラと好対照を成している{{Sfn|荒井|2011|p=55}}。
<gallery widths=180 heights=120>
Monument to Development at Odori Park.JPG|開拓紀念碑(2015年7月)
Biack Slide Mantra.JPG|ブラック・スライド・マントラ(2015年8月)
Literary Monument to Takeo Arishima at Odori Park.JPG|有島武郎文学碑(2015年8月)
Whale Hill at Odori Park.JPG|クジラ山(2015年8月)
=== フロンティア 西10・11丁目(歴史・文化ゾーン) ===
* 3丁目と4丁目の間の道路はJR[[札幌駅]]から続く「駅前通」で、最も人通りの多い場所である。
* '''地下鉄[[大通駅]]'''([[札幌市営地下鉄南北線|南北線]]・[[札幌市営地下鉄東西線|東西線]])
* '''石川啄木歌碑''' [[1981年]](昭和56年)に建てられた。
* (削除) '''泉 (削除ここまで)の像(削除) ''' (削除ここまで)
* (追記) ホーレス・ケプロン (追記ここまで) の像
* ('''大通花草園''') [[1876年]](明治9年)に3丁目、4丁目の二か所に開拓使が花壇を作った。これが大通が公園的なものになる端緒であった。
* ('''永山将軍銅像''') 屯田司令官だった[[永山武四郎]]の像。[[1909年]](明治42年)11月に建てられ、[[1943年]](昭和18年)に金属資源として軍に供出された。
** 姉妹都市[[ミュンヘン]]から贈呈された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/5-02.pdf |title=マイバウム |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2016年10月05日}}</ref>。1976年(昭和51年)設置、2001年(平成13年)復元<ref>{{Cite web|和書|url=https://pucchi.net/hokkaido/closeup/maibaum.php |title=大通公園にたたずむ「マイバウム」って何? |date=2010年11月10日 |work=[[北海道ファンマガジン]] |accessdate=2016年10月06日}}</ref>。
* ('''教会''') 日本の敗戦後、札幌に進駐したアメリカ軍が教会堂を建てた。返還後に取り壊された。
* オリンピックシンボルマークのモニュメント(11丁目)
** [[1972年札幌オリンピック]]開催から50周年となったのを記念して2022年2月に設置。[[2020年東京オリンピック]]大会期間中、10丁目に設置していたものを再利用している<ref>[https://www.htb.co.jp/news/archives_14781.html 札幌冬季オリンピックから50年...大通公園にモニュメント登場] - [[HTBニュース|HTB北海道ニュース]]
<gallery widths=180 heights=120>
Odorinishi, Chuo Ward, Sapporo, Hokkaido Prefecture 060-0042, Japan - panoramio (5).jpg|ホーレス・ケプロンの像(左)と黒田清隆の像(右)(2011年5月)
Maibaum Sapporo.JPG|マイバウム(2006年8月)
Olympic Sapporo.jpg|オリンピックシンボルマークのモニュメント(2021年7月)
=== 花 西12丁目(サンクガーデンゾーン)、資料館 ===
* '''[[札幌市営地下鉄|地下鉄]][[大通駅]]'''([[札幌市営地下鉄南北線|南北線]]・[[札幌市営地下鉄東西線|東西線]])
* '''[[札幌観光幌馬車]]''' 幌馬車の発着場・停留場がある。
** 山田良定作。通水期間は6月上旬から9月下旬。
* '''聖恩碑''' [[昭和天皇|天皇]]への感謝を表するために造られた石の塔。[[1938年]](昭和13年)に建てられた。
* ('''運動会場''') 明治時代に空き地になっていた大通西側では、近辺の学校の運動会がしばしば開かれた。
[[画像:OdoriKoenKaitakuKinenhi2004-10-30.jpg|thumb|200px|right|開拓紀念碑(2004年10月)]]
* '''開拓紀念碑''' [[1886年]](明治19年)に札幌市内の[[偕楽園 (札幌市)|偕楽園]]に建てられ、[[1899年]](明治32年)に大通に移された。
* ('''テニスコート、バスケットボールコート''') 戦後の一時期。
* ('''黒田伯爵銅像''') 開拓長官[[黒田清隆]]の銅像。[[1903年]](明治36年)8月に建てられた。1943年(昭和18年)に軍に資源として供出された。
[[画像:OdoriKoenMaibaum2005-2-6.jpg|thumb|200px|雪まつり前夜のマイバウム(2005年2月)]]
<gallery widths=180 heights=120>
* 8丁目と9丁目は、間に道路がない広々としたスペースになっている。<!-- 何年からか不明。加筆を請う。 -->
Shiryokan (16169282072).jpg|西12丁目と札幌市資料館(2012年10月)
* '''ブラック・スライドマントラ''' [[イサム・ノグチ]]作の奇妙によじれた形の滑り台。[[1988年]](昭和63年)春、札幌市とノグチとの間で[[モエレ沼公園]]設計の合意が発表された際、同時にこの作品の大通公園への設置も発表された。[[ヴェネツィア・ビエンナーレ]]で発表され現在は[[マイアミ]]にある白い「スライド・マントラ」の姉妹版である。この設置のために、8丁目と9丁目の間の道路は廃止されることになった。
SapporoShiShiryokan201109.JPG|札幌市資料館(2011年9月)
(削除) = (削除ここまで)== (削除) 9丁目 (削除ここまで) (削除) = (削除ここまで)==
== (追記) イベント (追記ここまで) ==
* [[さっぽろ雪まつり]]大通会場<ref name="4shou">{{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/keizai/kanko/statistics/documents/h24_4shou.pdf |title=第4章 イベントとコンベンション |publisher= 札幌市|accessdate=2021年11月14日}}</ref>(2月上旬から2月中旬)
* [[さっぽろライラックまつり]]大通会場<ref name="4shou" />(5月下旬)
* [[YOSAKOIソーラン祭り]](6月上旬) - 大通公園ほか複数会場で開催<ref name="4shou" />
* 花フェスタ(6月下旬から7月上旬)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aurora-net.or.jp/doshin/hanafesta/ |title=花フェスタ札幌 |accessdate=2016年10月07日}}</ref>
* [[SAPPORO CITY JAZZ]](7月上旬から8月上旬)
* [[さっぽろ夏まつり]]メイン会場<ref name="4shou" />(7月下旬から8月下旬)
** 福祉協賛さっぽろ大通ビアガーデン(7月下旬から8月中旬)
* [[さっぽろオータムフェスト]](9月上旬から9月下旬)
* [[さっぽろホワイトイルミネーション]]大通公園会場<ref name="4shou" />(11月下旬から1月上旬)
* ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo(11月下旬から12月24日)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sapporo-christmas.com |title=ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo |accessdate=2016年10月07日}}</ref>
(削除) = (削除ここまで)== (削除) 10丁目 (削除ここまで) (削除) = (削除ここまで)==
== (追記) 脚注 (追記ここまで) ==
* '''地下鉄[[西11丁目駅]]([[札幌市営地下鉄東西線|東西線]])'''
* '''黒田清隆之像''' 戦後に再度作られた黒田清隆の像。
* '''ケプロン之像''' [[開拓使]]顧問[[ホーレス・ケプロン]]の像。
* ('''屯田兵第一大隊本部''') 琴似と山鼻にある屯田兵中隊を統括する大隊の本部が置かれた。これより西は、通りの両側も含め、[[1896年]](明治29年)まで練兵場として使われた。跡地は運動場に使われたが、[[1923年]](大正12年)に札幌市が逍遥地(今でいう公園)として整備した。
(削除) = (削除ここまで)== (削除) 11丁目 (削除ここまで) (削除) = (削除ここまで)==
== (追記) 参考文献 (追記ここまで) ==
* {{Cite book|和書|publisher=[[札幌市]] |title=さっぽろ文庫 |url=https://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2016年10月02日 |volume=1 札幌地名考 |ref={{SfnRef|札幌地名考}}}}
* '''地下鉄[[西11丁目駅]]([[札幌市営地下鉄東西線|東西線]])'''
* {{Cite book|和書|publisher=札幌市 |title=さっぽろ文庫 |url=https://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2016年10月02日 |volume=11 札幌の駅 |ref={{SfnRef|札幌の駅}}}}
* '''マイバウム''' マイバウムとは木を飾りつけたもので、ドイツの民俗である。大通公園のマイバウムは木の形を模した巨大なもので、姉妹都市[[ミュンヘン]]から贈られ、[[1976年]](昭和51年)に設置された。そのマイバウムは古くなったため[[2000年]](平成12年)に撤去され、翌年に復元したものが立て直された。高さ25メートル。
* {{Cite book|和書|publisher=札幌市 |title=さっぽろ文庫 |url=https://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2016年10月02日 |volume=32 大通公園 |ref={{SfnRef|大通公園}}}}
* ('''岩村通俊像''') 岩村通俊は、開拓判官として札幌の建設にあたり、後に初代北海道庁長官になった。銅像は[[1933年]](昭和8年)に建てられ、[[1943年]](昭和18年)に軍に供出された。
* {{Cite book|和書|author=「日本の道100選」研究会 |title=日本の道100選〈新版〉 |publisher=[[ぎょうせい]] |editor=国土交通省道路局(監修) |date=2002年06月20日 |isbn=4-324-06810-0 |ref={{SfnRef|「日本の道100選」研究会|2002}}}}
* {{Cite book|和書|author=荒井宏明 |title=なぜなに札幌の不思議100 |publisher=[[北海道新聞社]] |date=2011年02月28日 |isbn=978-4-89453-583-1 |ref={{SfnRef|荒井|2011}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://pucchi.net/hokkaido/report/odori100.php |title=100周年を迎える札幌市大通公園 |date=2011年05月16日 |work=北海道ファンマガジン |accessdate=2016年10月04日 |ref={{SfnRef|大通公園100周年|2011}}}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/backno/documents/p2-7_175.pdf |title=大通公園、100歳 |date=2011-09 |format=PDF |work=広報さっぽろ |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月05日 |ref={{SfnRef|大通公園、100歳|2011}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.city.sapporo.jp/ryokuka/top/odori100/documents/kinensasshi1.pdf |title=大通公園 |format=PDF |work=「札幌のまちとともに歩んだ公園」大通公園・中島公園・円山公園 |publisher=札幌市 |accessdate=2016年10月04日 |ref={{SfnRef|札幌のまちとともに歩んだ公園}}}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.jila-hokkaido.com/gyouji_/LA09_houkokusyo.pdf |title=大通公園100年 これからの100年 大通逍遥地の変遷から考える 公園緑地の未来 |year=2009 |format=PDF |work=ランドスケープシンポジウム実行委員会 |accessdate=2016年10月05日 |ref={{SfnRef|大通公園100年 これからの100年|2009}}}}
* {{Cite book|和書|author=片岡秀郎 |title=札幌歴史散歩 |publisher=ヒルハーフ総合研究所 |date=2012年07月14日 |isbn=978-4-9906400-0-2 |ref={{SfnRef|片岡|2012}}}}
(削除) = (削除ここまで)== (削除) 12丁 (削除ここまで)目 (削除) = (削除ここまで)==
== (追記) 関連項 (追記ここまで) 目 ==
{{Commonscat|Odori Park}}
* '''サンク・ガーデン''' 30種類のバラが咲く庭園。
* 公園の外だが、資料館が作られてからは公園の一部とみなせなくもない。
* '''[[札幌市資料館]]''' 札幌[[控訴院]]として[[1926年]](大正15年)9月に完成した。煉瓦、札幌軟石、鉄筋コンクリートで造られた(西11丁目を横切る[[国道230号|石山通]]をつかって札幌軟石が運ばれた)。[[1973年]](昭和48年)に札幌市資料館となった。[[1997年]](平成9年)に建物が国の[[登録有形文化財]]になった。
* ('''札幌地方裁判所、札幌区裁判所''') [[1912年]](明治45年)に建設。
[[ファイル:Sapporo Snow Festival Odori-Site At Night Panorama 1.jpg|thumb|200px|right|[[さっぽろ雪まつり]]大通会場(2010年2月)]]
札幌に春の訪れを告げるのは4月下旬から営業を始める大通公園名物「[[とうきびワゴン]]」であるといっても過言ではない(「とうきび」とは[[トウモロコシ]]の意味)。昼間の公園は、ゆで・焼きとうきびを頬張る人々と、こぼれたとうきびをついばむハトの群れであふれている。
5月中旬には[[さっぽろライラックまつり]]が行われ、それに続いて6月前半には夏の訪れを告げる[[YOSAKOIソーラン祭り]]のメイン会場となる。南北大通の道路や公園内の特設ステージで、のべ4万人もの参加者が踊り歩く。そしてその数十倍の観客が押し寄せ大混雑となる。公園内には有料の桟敷席が設けられ、熱心な観客や、人混みを好まない人々に利用されている。
YOSAKOIソーラン祭り終了後は[http://www.aurora-net.or.jp/doshin/hanafesta/index.html 花フェスタ]が行われ、[[7月21日]]から[[8月20日]]までは[[さっぽろ夏まつり]]のメイン会場となり、まずは巨大な[[ビアガーデン]]が開催される。4大ビール会社がそれぞれに会場を設け(5丁目から8丁目)、ビールとつまみの味を競う。この他にも世界のビールを集めた会場(10丁目)、各地の[[地ビール]]が合同出店する会場(11丁目・[[2003年]](平成15年)まで)などがあり、天候にもよるが3週間で40万リットルほどのビールが消費され、ビアガーデン終了後は[[北海盆踊り]]と雑貨販売のさっぽろバザールが開催される。
秋は木々が赤や黄色に色づき大変美しい。秋の訪れを告げる行事は長らく開催されていなかったが、[[2008年]](平成20年)に[[さっぽろオータムフェスト]]が始まり、これが秋の訪れを告げる行事になる。そして落葉があらかた終わったころには、樹木は[[冬囲い]]が行われ、花壇やベンチは撤去され、とうきびワゴンの姿もなくなって、大通公園は一時の静寂を迎えることになる。
冬を迎え、11月から[[街路樹]]に電飾を点す[[さっぽろホワイトイルミネーション]]が始まると、公園は再び活気を取り戻し始める。そして2月には[[さっぽろ雪まつり]]が開催される。全国各地、さらには外国からも観光客が訪れ、大通公園が最も賑わう1週間である。
公園沿いにあるコンビニエンスストアは札幌市都市景観条例に基づき景観に配慮し、看板に通常店とは異なる配色がされている。詳細は[[ローソン]]、[[サークルKサンクス]]の項を参照。但し[[セブン-イレブン]](札幌大通西7丁目店、同9丁目店、10丁目店)のように配色が他店舗と変わらない店舗もある。
* [[万年太郎と姉御社員]] 1961年 [[ニュー東映]]
[[高倉健]]が演ずる万年太郎の[[左遷]]先である札幌支社は大通公園の近隣という設定で園内にある[[花時計]]が登場する。
* [[久屋大通]] - [[愛知県]][[名古屋市]]にある大通であり、こちらは南北に貫いている。
: 毎年6月に開催される、北海道を代表する夏のイベント。原則として[[BS朝日]]でファイナルが全国放送される。
* [[ザ・警察官|ザ・警察官2 全国大追跡スペシャル]]
* [[札幌市内の通り]]
* [[札幌市内の通り]]
* [[(削除) 創成川 (削除ここまで)]]
* [[(追記) 北海道の観光地 (追記ここまで) ]]
* [[(削除) 日本の通り (削除ここまで)一覧]]
* [[(追記) 北海道ガーデン (追記ここまで) 一覧]]
* [[柳町公園]]:形が当公園に似ている、[[釧路市]]にある公園。
* [[2020年東京オリンピックの陸上競技・男子20km競歩]]
* [https://odori-park.jp/ 大通公園]
{{Commons|Category:Odori Park}}
*[http://www.(削除) sapporo-park (削除ここまで).(削除) or (削除ここまで).jp/(削除) odori (削除ここまで)/ 大通公園(削除) (札幌市公園緑化協会) (削除ここまで)]
*(追記) (追記ここまで) [http://www.(追記) pref (追記ここまで) .(追記) hokkaido.lg (追記ここまで) .jp/(追記) kn (追記ここまで) /(追記) tkn/hana/place/c039.html (追記ここまで) 大通公園(追記) {{!}} 北海道 花めぐり・庭めぐり (追記ここまで) ]
*[http://www2.wagamachi-guide.com/sapporo_koen/ 札幌市公園検索システム]
*[http://www.city.sapporo.jp/ryokuka/ 札幌市環境局みどりの推進部]
*[http://rera-sapporo.com/sapporo/oodoripark.html 大通公園完全マップ(レラサッポロ内)]
{{DEFAULTSORT:おおとおりこうえん}}
{{DEFAULTSORT:おおとおりこうえん}}
[[Category:(削除) 北海道 (削除ここまで)の公園]]
[[Category:(追記) 札幌市 (追記ここまで) の公園]]
[[Category:札幌市中央区の地理]]
[[Category:札幌市中央区の地理]]
[[Category:2020年東京オリンピックの会場]]
2024年9月15日 (日) 01:19時点における最新版
曖昧さ回避
この項目では、札幌市にある公園について説明しています。横浜市にある公園については「
大通り公園 」をご覧ください。
大通公園 (おおどおりこうえん)は、札幌市 中央区 大通西 にある公園 。「日本の道100選 」「日本の都市公園100選 」「都市景観100選 」「日本の歴史公園100選 」選定[ 4] [ 5] 。札幌のランドマーク である「さっぽろテレビ塔 」は大通公園内に位置している。大通公園を中心としたエリアは札幌市の中心市街地 を形成しており、同公園周辺は、通称「大通 」と呼ばれる[ 6] [ 7] 。
札幌市中心部に位置し、東西約1.5 km、面積約7.8 haの特殊公園 である[ 8] 。幅105 m、6車線の都市計画道路 3・1・2「大通」の一部になっているほか[ 9] 、札幌市の「風致地区 」「景観計画重点区域」に指定されている[ 10] [ 11] 。芝生 や花壇 を整備しており、ライラック 、ハルニレ 、ケヤキ をはじめとした92種、約4,700本の樹木 がある。また、各種イベント (『さっぽろ雪まつり 』『さっぽろライラックまつり 』『YOSAKOIソーラン祭り 』『さっぽろ夏まつり 』『さっぽろオータムフェスト 』『さっぽろホワイトイルミネーション 』など)が開催されている。札幌市を代表するメインストリートである。
1993年には市道の一部の廃止により西8丁目と西9丁目間が連続化した[ 13] 。
2016年に札幌市は大通公園を創成川を越えて東側に約100メートル延伸する方針を発表した。延伸を予定する中央区大通東 1丁目の区画内で、市道と北海道電力 (北電)本店などがある民有地を交換し、公園用地を取得する。併せて、北電などが今後進める再開発事業を支援し、創成川を挟んで東西両側の一体的な活性化を目指す[ 14] 。
2022年3月23日、札幌市は国道の通る西3丁目と西4丁目間(札幌駅前通 )及び西10丁目と西11丁目間(石山通 )以外の公園区画の間を通る市道9路線の一部を廃止し、公園区画をつなげて面積を広げる方針を明らかにした[ 13] 。
同公園及び札幌市営地下鉄 の大通駅 を中心とした地域の通称であり、行政上の地名ではない。札幌市の都心 及び中心業務地区 (CBD)である。
東西に伸びる大通公園を境に、北側が北海道庁 、札幌市役所 、札幌駅 などの公的機関やオフィスビル が位置する官公庁街・オフィス街 、南側がデパート 、大型商業施設、商店街 、飲食店 などが集積する繁華街 となっている。さらに南側には一大歓楽街 「すすきの 」が位置している。大通公園は南側の繁華街や歓楽街の火災が北側の官公庁街に延焼することを防ぐ火防線の役割を担っており、北側と南側で街の役割や景観が大きく異なる[ 15] 。また、地下鉄3路線が乗り入れる大通駅を中心として、ポールタウン や札幌駅前通地下歩行空間 (チ・カ・ホ)といった地下街 ・地下道 も発達しており、すすきの駅 や札幌駅 ・さっぽろ駅 へ地上を経由せずに地下のみでアクセスが可能である。
札幌駅 の再開発 や郊外 型ショッピングモール の開業など、商業地区としての大通地区の相対的地位は低下しつつある[ 16] 。2003年 に札幌駅の駅ビル として開業したJRタワー の影響は大きく、JRタワーの核テナント の大丸札幌店 (大丸松坂屋百貨店 )は、2010年 に大通地区の丸井今井 札幌本店の売上高を抜いて、道内一番店の百貨店の座を奪った[ 17] [ 18] 。
1936年の大通公園
1869年 (明治 2年)、開拓使 は判官の島義勇 に札幌本府建設を命じ、島は現在の南1条通と江戸時代に大友亀太郎 が掘削した大友堀(現在の創成川 )が交差する地点をまちづくりの基点(現在の創成橋 付近)にした。ところが、本府建設には多額の費用が必要であり、経費の追加を求めた島は開拓長官の東久世通禧 によって罷免されてしまい、本府建設も一時中止となる[ 22] [ 23] 。1871年(明治4年)、岩村通俊 が開拓判官になると島の構想をもとに街の東西に幅60間(実際は58間、105 m)の火防線 を設けてそれより北を官地、南を民地として格子状の区画整理 を行っていった[ 24] 。1872年 (明治5年)に北海道内の国郡 名を札幌本府の道路に付けて火防線は後志通、現在の北1条通は浜益通、現在の南1条通は渡島通となったが、煩雑であったため1881年 (明治14年)に現在の条・丁目 に変更されて後志通は大通となった[ 24] 。1876年(明治9年)頃に現在の西3・4丁目に札幌官園で育てた花卉を植えた大通花草園を設置しており、大通の多目的利用が始まっている[ 28] 。また、西10丁目に屯田兵 第一大隊本部を設け、以西を練兵場とした[ 30] 。なお、西9丁目辺りは森として残され、遠くから見ると高く盛り上がった部分と低くなっている部分がクジラのように見えたことから鯨森(鯨ヶ森、鯨の森)と呼ばれるようになった[ 30] [ 31] 。1878年(明治11年)には『第1回農業仮博覧会』を開催、以後隔年で開いていたが手狭になっていったため1887年(明治20年)に会場を中島遊園地(現在の中島公園 )へ移した[ 28] 。1880年(明治13年)に現在の札幌市民ホール やNHK札幌放送局 のある一角に西洋館 の豊平館 を建設し、皇族や貴族、政府高官の宿泊施設や各種集会や宴会の場として利用した[ 34] 。当時、西4丁目以西は荒地になっていたが、1888年(明治21年)に近辺学校の連合運動会を行ったことをきっかけに運動場として利用するようになった。1899年(明治32年)には偕楽園にあった開拓記念碑を大通西6丁目に移設し、小公園にしている[ 36] 。
1907年(明治40年)、札幌興農園の小川二郎が札幌農学校 (現在の北海道大学 )で得た知識と技術を活かし、西2丁目から西4丁目にかけてを自費で花壇を造成した[ 36] 。1908年(明治41年)、鯨森や練兵場跡地を含む西9・10丁目を逍遥地(散策する場所)として整備した[ 30] 。1909年(明治42年)に造園技師の長岡安平 を招き3ヵ年計画で本格的な公園整備を行い、西3丁目から西7丁目までが逍遥地となった。1915年(大正4年)から札幌洋翠園の戸部佶が自費で花壇づくりを行い[ 38] 、1918年(大正7年)に札幌区が引き継いだ[ 38] 。1923年(大正12年)には宮部金吾 達の指導により練兵場跡地の西10丁目から12丁目にかけても植栽と芝生を整備した。1926年(大正15年)には西13丁目に札幌控訴院(現在の札幌市資料館 )の建物が完成している。太平洋戦争 中の大通は空襲 に備えた避難広場として重視され、1944年(昭和19年)になると食糧不足から10,000坪が畑に転用され、ゴミ捨て場や雪捨て 場となって荒廃した。戦後は進駐軍 に接収されて西3丁目に教会、西4丁目に野球場、西5丁目にテニスコートが造られ、市民の手によって西6丁目にバレーボールコート、西7丁目に野球場、西8丁目に児童遊戯場を設けて運動場と化した。
1950年(昭和25年)から5ヵ年計画で芝生や花壇のある公園への復旧を始め、翌年に北海タイムス社(現在の北海道新聞社 )が北大植物園 の石田文三郎の助言を基に園芸店などの協力を得て西3丁目に花壇を復活させた[ 44] 。公園の復旧は進駐軍の真駒内(キャンプ・クロフォード)移転後に本格化していく[ 44] 。1952年(昭和27年)から市内の花卉園芸業者がボランティア による花壇造成を行い[ 44] 、1954年(昭和29年)に札幌市花壇推進組合を結成して『大通花壇コンクール』が始まった[ 45] 。1957年(昭和32年)には豊平館を中島公園へ移築し、さっぽろテレビ塔 が完成。1968年(昭和43年)に西1・2丁目のバスターミナルを移転して芝生や花壇を整備して西4・7・11丁目に噴水を設置するなど、現在へと続く大通公園になっていく。1980年(昭和55年)に「都市公園法 」に基づく公園として告示され、名実ともに大通公園となった。1989年(平成元年)からは6ヵ年かけて大通地区の再整備事業の一環として大通公園全体の連続性と数丁目単位での連携性や丁目毎の個性化を図るとともに、植物の生育環境改善や園路や広場のデザイン化とバリアフリー化などを進め、1993年(平成5年)には西8・9丁目が連続化した。2011年(平成23年)に本格的な公園整備から100周年を迎えた[ 47] [ 48] 。
1988年(昭和63年)の「第3次札幌市長期総合計画」策定に伴い、大通整備関連三事業の1つとして大通公園リフレッシュ事業を実施し、公園全体を5つのゾーン(国際交流ゾーン、水と光のゾーン、遊び・イベントゾーン、歴史・文化ゾーン、サンクガーデンゾーン)に分けて再整備している[ 67] 。大通公園の範囲は西1丁目の西半分から西12丁目までであり、さっぽろテレビ塔 や西13丁目の札幌市資料館 は含まれていない(資料館の区域は札幌市教育委員会 の管轄)。
〈大通〉 一方通行 →
↑
一
方
通
行
創 成 川
一
方
通
行
↓
13
12
11
石 山 通
10
9
8
7
↑
一
方
通
行
6
5
一
方
通
行
↓
4
札 幌 駅 前 通
3
↑
一
方
通
行
2
一
方
通
行
↓
1
← 一方通行〈大通〉
さっぽろテレビ塔
花の母子像
壁泉
ベンソンの水飲み
開拓母の像
水位表示塔
北海道電話交換創始の地碑
さっぽろテレビ塔(2009年4月)
ベンソンの水飲み(2015年5月)
北海道電話交換創始の地碑(2015年5月)
オアシス 西3・4・5丁目(水と光のゾーン) [ 編集 ]
湖風の像
牧童の像
石川啄木歌碑
泉の像
西3丁目噴水
吉井勇歌碑
西4丁目噴水
日本の道100選の石碑
聖恩碑
明治・大正・昭和の歴代天皇の業績をたたえる碑として建立。「聖恩無疆」の題字は閑院宮載仁親王 によるもの。また、札幌市水道事業完成記念事業の一環として、周囲の池と四隅にジョン・クラレス・カッターの寄付を基金として設けられた水飲み場がある。
観光インフォメーションセンター
西3丁目(2006年8月)
吉井勇歌碑(2015年8月)
西4丁目(2014年5月)
聖恩碑(2015年8月)
つどい 西6・7・8・9丁目(遊び・イベントゾーン) [ 編集 ]
日時計
開拓紀念碑
1899年(明治32年)に偕楽園から移設。碑石は本願寺道路 開削時に掘り出されたもので、題字は榎本武揚 によるものと従来は言われたが、2007年以降、王羲之 の書とされている[ 74] 。
奉仕の道像
インフォメーションセンター&オフィシャルショップ
漁民の像
西7丁目噴水
集団帰国記念碑
ブラック・スライド・マントラ
イサム・ノグチ 作。マイアミ にある白い「スライド・マントラ」の姉妹版。当初は西9丁目のクジラ山と呼ばれている滑り台を撤去して設置する予定であったが、現地を視察したノグチが子供たちと一緒になってクジラ山を楽しみ、滑り台を残すことにした。また、ノグチは8丁目と9丁目の間の道路に立って「ここがいいね」と述べたという。ノグチの急逝後、札幌市は一旦公園内にブラック・スライド・マントラを設置したが、故人の意思を尊重しようという考えから西8丁目と西9丁目の連続化に踏み切り、ノグチの指示通りの場所に移設した。ノグチは「この作品は子どもたちのお尻によって磨かれる」と述べている。
有島武郎文学碑
公園管理事務所
野外ステージ
プレイスロープ(通称クジラ山)
白い滑り台であり、ブラック・スライド・マントラと好対照を成している。
遊水路
開拓紀念碑(2015年7月)
ブラック・スライド・マントラ(2015年8月)
有島武郎文学碑(2015年8月)
クジラ山(2015年8月)
フロンティア 西10・11丁目(歴史・文化ゾーン) [ 編集 ]
黒田清隆の像
ホーレス・ケプロンの像
マイバウム
西11丁目噴水
オリンピックシンボルマークのモニュメント(11丁目)
花 西12丁目(サンクガーデンゾーン)、資料館 [ 編集 ]
西12丁目と札幌市資料館(2012年10月)
札幌市資料館(2011年9月)
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「中央通り」、「武家屋敷通り」は複数あるため所在地を表記
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