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偉業達成の大谷翔平「51―51」で新たな伝説 30歳にして上がったスプリント力...6月まで16盗塁→7月以降35盗塁の進化恐ろしい

スポーツ報知
7回、50号2ランを放った大谷(AP)

だいやまーく米大リーグ マーリンズ4―20ドジャース(19日、米フロリダ州マイアミ=ローンデポパーク)

ドジャース・大谷翔平投手(30)が19日(日本時間20日)、メジャーリーグ史上初の「50発&50盗塁」を達成しただけでなく「51―51」まで上乗せし、新たな伝説を作った。敵地でのマーリンズ戦で3打席連続本塁打を放つなど、6打数6安打10打点2盗塁。1試合の安打、本塁打、打点は自己新の大爆発だった。ド軍は12年連続でプレーオフ進出決定。大谷は米7年目にして初めて頂点を目指す舞台に立つ。

ド派手に決めるのは大谷らしいが、それでもここまでの「全部乗せ」は初めてだろう。

とはいえ、漫画でもドラマでも映画でも描けないストーリーを描き上げるのが、今季の大谷だった。8月23日の本拠地・レイズ戦では史上6人目の「40発&40盗塁」を同じ試合で達成。初のサヨナラ満弾で決めた。同28日にはデコピンが始球式を行って1打席目に本塁打を放った。7月16日の球宴でも、試合前に真美子夫人と手をつないでレッドカーペットを歩いたかと思ったら、2打席目に球宴初本塁打。この日も「本当に勝ててよかった」と振り返ったように、試合に勝ちたいというシンプルな渇望が偉業の原動力だが、永遠に記憶にも記録にも残る活躍を続けている。

だが、2月のキャンプからここまでの活躍が想像できたかと言えば、担当記者として恥ずかしながら「ノー」と言わざるを得ない。右肘手術の影響で練習が制限されるもどかしさが見えたからだ。キャンプ中のある日。ほとんど誰もいなかったクラブハウスで、1人シャドーピッチングをしていた姿を見たことがある。当時はまだキャッチボールすら再開できていなかった。報道陣にも見えるロッカーには投手用だけではなく、外野用と一塁用のグラブも置いていた。マウンドに上がれないという事実が、大谷の心にぽっかりと穴を開けていたように感じた。

その余ったエネルギーの矛先を向けたのが走塁練習だった。投球はできず、スイング数も制限され、バットすら持てないこともあった日々。エンゼルス時代に打者に専念した19年は右肘を守るためにヘッドスライディングなどが制限され、盗塁数は伸びなかった。チーム方針の違いもあり、今季の盗塁に手術の影響はほとんどなかった。30歳にして「単純にスプリント能力も多少上がっている」と大谷。最新機器を使った走力アップだけでなく、コーチ陣とはスタート時の足の位置までミリ単位で調整。試合前も相手投手のデータ分析にぬかりはない。この試合前にも、マッカロー一塁コーチらとパソコン画面をジッと見つめていた。

足の速さには定評があったが、盗塁数に注目が集まることはほとんどなかった。二刀流に加え、野球の神様は盗塁というギフトまでも与えた。6月まで16盗塁が、7月以降に35盗塁。進化を続けているのが、恐ろしい。(大谷担当・安藤 宏太)

野球

(追記) (追記ここまで)
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