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大谷翔平に「ONE OF ONE(比類なき、唯一無二)」の称号...ドジャース公式SNSで賛辞

スポーツ報知
7回2死三塁、50号2ランを放ち雄たけびを上げて塁を回る大谷(AP)

だいやまーく米大リーグ マーリンズ4―20ドジャース(19日、米フロリダ州マイアミ=ローンデポパーク)

ドジャース・大谷翔平投手(30)が19日(日本時間20日)、メジャーリーグ史上初の「50発&50盗塁」を達成しただけでなく「51―51」まで上乗せし、新たな伝説を作った。敵地でのマーリンズ戦で3打席連続本塁打を放つなど、6打数6安打10打点2盗塁。1試合の安打、本塁打、打点は自己新の大爆発だった。ド軍は12年連続でプレーオフ進出決定。大谷は米7年目にして初めて頂点を目指す舞台に立つ。

さすがの大谷も興奮を抑えられない。メジャーリーグの新たな歴史の扉を開く「50―50」。一塁ベンチの同僚を見て、叫んだ。横にステップを踏みながら、ほえた。歓喜の「カモーン!」3連発。両拳を強く握りしめた。試合中に個人記録で表情を変えることのない男が、感情をむき出しにした。

「早く決めたいというのがあった。一生忘れられない日になる」

その瞬間は、「49―51」で迎えた7回2死三塁の第5打席。右腕バウマンのナックルカーブを、力と技で左越えにぶち込む50号2ラン。敵も味方もない。1万5548人のファンは、総立ちで拍手を送った。ロバーツ監督、ナインと次々にハグ。喜びを分かち合い、満面の笑みを見せた。大きく息をついて一度はベンチに腰掛けたが、鳴りやまない声援に応え、グラウンドに一度戻った。カーテンコールで、誇らしそうに両手を掲げた。

大谷劇場が始まったのはプレーボール直後の初回だ。球場外で鳴り響く雷もBGMに、右中間フェンス直撃の二塁打を放つと、三盗を決めて50盗塁。日本選手では01年のイチロー(56個)以来の大台に乗せた。2回には右前適時打から、二盗で51盗塁。3回には左中間へ2点適時二塁打を放つも、それすら序章に過ぎなかった。

敵地ながらMVPコールが湧き起こった6回1死二塁で右翼に49号2ランで王手。余韻も残る7回に一気に決めた。トドメは9回2死一、二塁。本職は内野手のブルーハンから、右翼へ特大の51号3ランを運んだ。1試合3本塁打、6安打、10打点はいずれも自己新の大暴れだ。

「これだけ打てたことは多分人生でもない。自分が一番ビックリしてるという感じですかね」

最高の舞台は、またもマイアミだった。ローンデポパークは、23年WBCで準決勝・メキシコ戦、決勝・米国戦を戦って、世界一に立った球場だ。今季当地ではわずか3試合。運命に導かれるように、WBC以来の凱旋で偉業を成し遂げた。試合後にはWBC決勝の際と同じ部屋で会見。「一生忘れない」と、もう一度、感慨を込めて口にした。

ちょうど1年前の9月19日には右肘を手術。打者専念は19年に続いて2度目だが、当時は思うように成績が伸びなかった。原因のひとつは「考えすぎ」。投手調整がなくなり、秒単位のスケジュールをこなしていた二刀流男に時間が生まれた。だが、考えただけで打てるほど甘くはなかった。

今季はあえて球場にいる時間を短くした。本拠地でも、遅ければ試合開始前3時間を切ってから球場入りすることもあった。試合後10分もすると、髪をぬらしたままクラブハウスを出るシーンもしばしば。「球場にいる時はなるべく集中して、やることだけしっかりやりたい」。打撃練習を始めるのは試合開始の約1時間前から。他の選手がひと通りのアップを終えた時間だ。球場外でも真美子夫人との結婚、愛犬・デコピンと、心身を支える存在ができたことも、野球一筋だった男に新たな成長を与えた。

重圧がなかったわけではない。10年総額7億ドル(約1022億円=契約発表時のレート)でドジャースに加入。3月の開幕直後には、違法賭博に絡んだ思わぬ形で、二人三脚で歩んできた水原一平通訳との別れを迎えた。睡眠を削られた日もあった。「たくさん声援ももらえましたし、それはプレッシャーより励みの方につながっている」。ファンの声に救われ、7億ドルの価値を証明してきた。

負ければ地区優勝へのマジックが消滅する一戦で、メジャー7年目にして悲願のプレーオフ進出が決まった。グラスに注いだシャンパンを口にして、静かにナインと喜びを分かち合った。レギュラーシーズン866試合に出場しながら、プレーオフ経験がないのは現役最多だった。「アメリカに来てからずっと夢に見てた舞台」という頂点への挑戦権をようやく手にした。

51本塁打、120打点。2冠王、MVPは確定的だ。球団の公式SNSでは「ONE OF ONE(比類なき、唯一無二)」との称号を与えた。17年11月にメジャー挑戦を正式に表明。「野球をやる以上は一番の選手になりたい」と世界一の選手になると宣言した。メジャーリーグが誕生した1876年から148年がたち、世界一との評に、疑問を挟む余地はないだろう。決して平たんな道ではなかった。すべてが報われた伝説の一日になった。(安藤 宏太)

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(追記) (追記ここまで)
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