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2025年11月19日 (水)

だいやまーく11月15日「東京2025デフリンピック開会式」

だいやまーく11月15日「東京2025デフリンピック開会式」

11月15日(土)、1630分から19時まで東京体育館で、東京2025デフリンピックの開会式に参加してきました。

JR千駄ヶ谷駅を降りると目の前に東京体育館があり、駅前で朝日新聞の記念号外が配られていたのでもらいました。

招待客と一般客の受付が分かれていて、入場する際には危険物などを調べるボディーチェックを受けました。

1_20251119170001 東京体育館

受付を済まし、大会身分証の名札(アクレディテイション・カード:通称アクレ)を受け取ると、2階席に案内されました。私の席はEブロックで、すでに都道府県の聴覚障害者団体の代表者が座っていました。

1階は選手団、2階は招待客、3階は抽選で選ばれた一般客と各報道機関となっていて、会場は満員でした。

会場では、電光掲示板に英語と日本語が表示され、手話通訳は国際手話と日本手話の2人が大画面に映し出されていました。

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満員の会場 国際手話(左)と日本手話(右)

16時30分の開会時間の1分前からカウントダウンが画面に表示され、会場の雰囲気も一気に盛り上がりました。

4_20251119170001 カウントダウン

司会は、川俣郁美さん(東京2025デフリンピック応援アンバサダー)と清水愛香さん(全日本ろうあ連盟理事)が務めました。川俣さんは国際手話、清水さんは日本手話で表現しました。

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オープニング

白い衣装の一人が舞台中央に登場。光の花びらが舞い落ちてきました。

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2 選手団入場

阿波踊りのだいこん連が先頭を切って入場。だいこん連は、東京都練馬区を拠点に聞こえない人と聞こえる人と一緒になって活動しています。

各国選手団が両サイドで踊る阿波踊りの間を通り入場してきました。プラカーダーは、渋谷区立原宿外苑中学校と東京都立中央ろう学校生徒たちです。

最初は第1回開催国のフランスです。その後はアルファベット順に81か国の選手が入場しました。最後の日本選手団は旗手を務める空手の小倉涼選手、太田陽介選手団長を先頭に入場しました。今回、日本は21競技全てに選手が参加し、総勢268人になります。

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だいこん連 日本選手団

3 挨拶、開会宣言

挨拶 1 全日本ろうあ連盟理事長 石橋大吾氏

2 東京都知事 小池百合子氏

3 内閣総理大臣 高市早苗氏

4 秋篠宮皇嗣殿下

開会宣言

国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)会長 アダム・コーサ氏

(注記)挨拶と開会宣言はブログの最後に掲載しました。

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石橋大吾理事長

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小池百合子東京都知事

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高市早苗内閣総理大臣

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秋篠宮皇嗣殿下

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アダム・コーサ国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)会長

4 デフリンピック旗掲揚

国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)の旗を持つのは、渋谷消防少年団、ろう者、難聴者、聴者の子どもたちです。

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旗の入場 旗の引き継ぎ

5 光のリレー 〜想いを光に託して〜

オリンピック、パラリンピックの聖火リレーにあたる炬火(きょか)リレーを行いました。9人の人が持つ球体が光ります。その中に鈴木リヲ子さんが参加していました。鈴木さんは日本が初めて参加した1965年のワシントン大会で日本初のメダルを獲得したレジェンドです。

最終走者は卓球の亀澤理穂選手と競泳の茨隆太郎選手でした。光が一つになり日本で初めてのデフリンピックの光がともりました。

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9人の光 一つの光になって

6 選手・競技役員宣誓

選手宣誓は陸上の山田真樹選手とテコンドーの越野萌選手です。

同時に競技役員の宣誓もありました。

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選手宣誓 役員宣誓

7 国旗掲揚、国歌斉唱

一青窈さんが国歌を歌い、日本ろう者劇団代表の江副悟史さんが手話で表現しました。

(注記)この場面は、写真撮影禁止でした。

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国旗入場 デフリンピックの旗と国旗

8 アーティスティックプログラム

100年の1日」をテーマにしたきこえない人、きこえにくい人、障害のある人たち130人のパフォーマーによるプログラムでした。

演出は、きこえない大橋弘枝さんときこえる近藤良平さんの2人のプロデュースによるパフォーマンスが披露されました。2人もパフォーマーとして参加していました。

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19時に、全てのプログラムが終了しました。

33_20251119165901 会場で配布されたもの

日本で初めてのデフリンピックの開会式に参加して、会場の熱気を肌で感じることができました。この機会を得られたことをとても嬉しく思いました。

この会場の雰囲気をぜひ皆さんにお伝えしたいと思いました。

余談ですが、帰りのJR線で鈴木リヲ子さんと偶然同じ電車に乗り合わせました。そのときはデフリンピックの袋を持っていたので、関係者なのだろうくらいにしか思っておらず、鈴木さんと気がつきませんでした。

家に戻りNHKのEテレで生放送を見ていると、鈴木リヲ子さんが紹介されていました。そこで、やっと電車でいっしょだった人が鈴木さんだと分かったのです。レジェンドの鈴木さんに話しかけておけば良かったと残念に思いました。

(文・写真:全通研会長 渡辺正夫)

しかく挨拶と開会宣言

【石橋大吾理事長】

最初に登壇した石橋理事長は国際手話で挨拶をしました。

この大会は、日本で初めて開催される夏季デフリンピックです。1924年にパリで開催されてから100周年となる記念すべき大会をここ東京で開催することができた喜びを皆さまと分かち合いたいと思います。この開催に向けてICSD、日本政府、東京都、関係者の皆さま、誠にありがとうございます。デフリンピックは社会にきこえないことや手話言語の理解を広め、きこえない人の社会的地位の向上のため始まりました。私たちはデフリンピックの理念、スポーツを通した平等を引き継ぎ、東京2025デフリンピックを機に社会を変えたいと思います。日本の各地できこえないことや手話言語、デフスポーツ、コミュニケーションのバリアフリーについて取り組みました。国内では、障害者差別解消法、障害者情報アクセシビリティコミュニケーション施策推進法、手話施策推進法ができました。今、私たちを取り巻く社会は、大きく変わりつつあります。デフアスリートの皆さん、この大舞台にようこそ、心から歓迎します。世界の皆さま、日本の皆さま、今、世界中からデフアスリートがここ日本に集いました。デフアスリートたちが国際手話や身体・表情その全てで心を通わせ互いを認め、尊重し合いプレーするこの景色は共生社会の姿そのものです。これこそがデフスポーツの力であり、デフリンピックの意義が大きな光をはなっているのです。私たちは日本で初めとなるこのデフリンピックがデフアスリートの皆さま、そして応援する皆さまにとって心に深く刻まれ、後世に誇れる大会になるよう最後までこの舞台を全力で支えて参ります。

【小池百合子東京都知事】

皆さま、ようこそ東京へいらっしゃいました。心から歓迎を申し上げます。デフリンピック100周年の歴史の残る大会を開催できますことを心から光栄に思います。4年前世界で初めての2度目のパラリンピックを開催し、共生社会の実現に向けて大きな一歩を歩み出しました。そして今回のデフリンピックを契機にいたしまして、東京は更に前に向かって参ります。コミュニケーションの壁を打ち破り、手話言語やデジタル技術を活用して誰とでもスムーズにコミュニケーションができる社会を実現して参ります。この大会の開催に向けまして、多くの関係者の皆さまと力を合わせて準備を進めて参りました。コーサ会長をはじめ国際ろう者スポーツ委員会、スポンサー、競技委員、スタッフ、ボランティア、すべての皆さまに感謝致します。ボランティアとしてきこえない人、きこえる人が手を取り合い大会運営を支えてくれています。次の時代を担う子どもたちといっしょに創って参りました。さまざまな違いを超える多様性が大会の原動力となっています。すべての人の想い、観客の皆さまの心からの応援を受けまして、アスリートの皆さまが躍動されることを心から期待しています。誰もが暮らしやすい真の共生社会に向けまして、そのムーブメントを東京から世界へ、この大会が世界をよりよい方向へと導く力になることを確信しています。これからの100年へと繋がる素晴らしい大会となるよう関係者の皆さまとともに最後まで関係者の皆さまと全力で支えて参ります。

【高市早苗内閣総理大臣】

本日、開会式を迎えられましたこと、政府を代表しまして心よりお喜びを申し上げます。そしてここに世界各国から集まられた皆さまを日本国民と共に心から歓迎いたします。選手の皆さまは厳しい練習を重ねさまざまな困難を乗り越えてこの舞台に立たれました。お一人お一人のご努力と情熱、そして、不屈の精神に深い敬意を表します。この大会で存分に力を発揮し、日頃の成果を世界にお示しください。4年前に東京で開催されましたオリンピック、パラリンピックは感染症の影響のため多くの方々に会場で直接観覧いただくことができませんでした。しかし、私たちが目差した共生社会の理念は決して失われることはなく引き継がれております。本年10月にはパラリンピック競泳の金メダリストであり、全盲のアスリートである河合純一氏が政府のスポーツ庁長官に就任しました。障害を持つ全ての方々がスポーツに触れ親しめる環境整備を強力に進めて参ります。本年6月に手話に関する施策の推進に関する法律が成立・施行されました。国民の間に広く手話に関する理解と関心を深めるため、国連総会で決議され手話言語の国際デイと同じ9月23日を手話の日と定めました。また、手話の習得支援や学校、職場、地域において手話を円滑に使用することができる環境整備に取り組むこととしています。デフリンピックを契機として日本全国においてより多くの人が手話やさまざまなコミュニケーションの形に触れる機会になると信じております。障害の有無に関わらずお一人お一人が持てる力を存分に発揮し、自ら選んだ道で夢を叶えるそのような社会の実現に向けて日本はこれからも着実にその歩みを進めて参ります。政府としても誰もが活躍でき、その喜びを共に分かち合う、そうした共生社会の実現に向けて誠心誠意取り組んで参ります。大会の開催に当たりご尽力いただきました国際ろう者スポーツ委員会、全日本ろうあ連盟、開催都市である東京都を初めとして準備段階から献身的に努力を重ねてこられた全ての関係者の皆さまに深く感謝を申し上げます。選手の皆さまのご健闘を心から祈念いたすとともに、この大会が全て参加者にとって、そして世界中の人々にとって記憶に残る素晴らしいものとなることを願っております。

【秋篠宮皇嗣殿下】

25回夏季デフリンピック競技大会東京2025が日本において初めてここ東京で開催され、国内外から参加された多くの選手やスタッフ、ボランティアなどの支え手、そして今日ここに集っておられる皆さまとともに出席できましたことを大変嬉しく思います。デフリンピックはデフアスリートの世界最高峰の大会であり、1924年に第1回がフランスのパリで開催されて以来、4年ごとに開催されています。そして、100年を超える歴史ある大会です。この度のデフリンピックの開催に向け、力を尽くしてこられた方々や長期間にわたる練習を積み重ねて出場を果たされた選手、そしてさまざまな形で選手を支えてこられた関係者に深く敬意を表します。本大会に参加される皆さまには日頃の練習の成果を存分に発揮され、素晴らしいパフォーマンスを披露してくださることを期待しております。それとともに世界の約80の国と地域から集われた方々と多くのボランティアや地元の方々がお互いに交流することによって、世界の人々との友情と親交が更に深まることを期待します。そして、この度のデフリンピックが多くの人々の心に残る大会になると共に、これを契機としてデフスポーツへの関心が今以上に高まることを願っております。本大会がきこえない、きこえにくい人ときこえる人が互いの違いを認め尊重し合い、そして誰もが個性を活かし、力を発揮できるインクルーシブ社会の実現に寄与することを祈念し、開会式に寄せる言葉といたします。

開会宣言

【アダム・コーサ国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)会長】

スポーツは聴覚の有無に関わらずお互いを認め理解させ、すべての人々の平等を促すことができる分野です。デフリンピックはオリンピックについで世界で二番目に古いスポーツ大会です。1924年以来デフスポーツ界の最高峰の選手たちが24回も夏季デフスポーツに参加できたことを誇りに思います。スポーツは人々を繋ぎ、高めます。スポーツはアスリート間に差がないことを証明します。なぜならスポーツにおいて知識と結果、そして意志の力が重要だからです。2025年は、私たちにとってさまざまな意味で特別な年です。国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)にとって記念すべき年です。ICSDは昨年、設立100周年を迎えました。当時CISSと知られていたICSDは1924年にウジェーヌ・ルーベンスーアルケー氏によってパリで設立されました。2024年にはトルコのエルズルムで冬季デフリンピックを開催し、過去最高の参加者数を記録しました。デフスポーツ界における最も重要な夏季スポーツイベントにおいて私たちは間違いなく記録を更新しています。夏季デフリンピックの登録選手数は、これまでにないほど多く、合計3,070名に達しました。そして日本の皆さま、東京の皆さま、限りないおもてなしに感謝いたします。皆さまのご信頼に感謝いたします。温かいおもてなしに感謝いたします。日本の皆さま、ありがとう。アスリートの皆さん、世界が皆さんに注目しています。私たちは聴覚に障害があり、さまざまな困難に直面していますが、同時に社会の一員でもあります。スポーツはそのことを示す最良な手段の一つです。純粋なスポーツ精神とフェアプレーの精神の下、私たちはそれを証明することができます。皆さんを信頼しています。皆さんの力を発揮してください。あとは、第25回夏季デフリンピックの開会を宣言するだけです。ここに第25回夏季デフリンピックを開会します。デフスポーツ、万歳。

しかくプログラム

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