題目: 戦後日本におけるラディカル・デモクラシーの可能性―一九六〇年代における吉本隆明の革命幻想と新左翼
発表者: 神戸大学人文学研究科 王小梅
日時: 2020年12月22日(火)18時〜
場所: Zoomでオンライン開催(参加希望者は前日までにshisoshiken@gmail.comにご連絡ください。)
〇要旨
本報告では、一九六〇年代において、初期新左翼思想形成に大きく関わっていた批評家・吉本隆明(1924-2012)の革命幻想と大衆思想を、「市民と大衆」との交錯の中で、戦後日本におけるラディカル・デモクラシーの可能性として、新たに考察したい。ラディカリズムを中心的特徴とする新左翼と吉本の革命思想との関連性(影響と対立との双方をも含めて)を探り、その政治思想の位置づけを検討する。
新左翼の政治運動をめぐって、「若者の過剰なエネルギーの発現」、「世代間の対立」、「青年期のアイデンティティ・クライシス」などとして捉えられ、社会学、心理学的解釈が数多くなされている(大嶽、2007)。例えば、小熊英二の考察によれば、吉本が日本戦後民主主義を激しく批判したのは、戦時中に兵役忌避者としてのトラウマによるものだと考える。こうした論考に関して、新左翼運動の「政治的意味を極少化する」おそれも指摘されている。また安保闘争は敗北として総括され、その思想史的意義は後景に退けられている。学術研究の場合、六〇年代の「市民」の論理は新左翼のラディカリズムを凌駕したようにも見える。それは、吉本のようなイデオローグを含めた当事者たちが、革命組織内部における権力闘争や暴力行動の行き過ぎなどに関して、責任倫理の次元での応答を十分になしえなかったため、時間の経過とともに、運動自体が遠い過去の出来事となりつつあるところに起因する。
しかし吉本は安保闘争において、「擬制の終焉」(1960)、『丸山真男論』(1963)、「情況とはなにか」(1966)など一連の批評文で、進歩性批判の標的になった丸山眞男に代表される正統的な市民主義知識人を敵視することによって、アカデミズムに抵抗する「在野知識人」としての確立していったことは事実である。思想的は、「革命幻想」から生まれ、のちに強い喚起力をもつ造語「大衆の原像」にいたる「大衆の生活思想」を根本としたことが、吉本が大衆社会に訴求力を持ちえた理由であろう。
以上のような問題点を踏まえて、吉本による市民の論理への異議申し立てや戦後民主主義批判と革命幻想から、戦後民主主義理論の射程を見定めたい。
〇主要参考文献
大嶽秀夫『新左翼の遺産 ニューレフトからポストモダンへ』東京大学出版社、2007
絓秀実『吉本隆明の時代』作品社、2008
千葉真『ラディカル・デモクラシーの地平 ――自由・差異・共通善――』新評論、1995
『吉本隆明全著作集』全15巻 勁草書房、1968-1975
絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫、2018
安藤丈将『ニューレフト運動と市民社会』世界思想社、2013
小熊英二『<民主>と<愛国>戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、2002
発表者: 神戸大学人文学研究科 王小梅
日時: 2020年12月22日(火)18時〜
場所: Zoomでオンライン開催(参加希望者は前日までにshisoshiken@gmail.comにご連絡ください。)
〇要旨
本報告では、一九六〇年代において、初期新左翼思想形成に大きく関わっていた批評家・吉本隆明(1924-2012)の革命幻想と大衆思想を、「市民と大衆」との交錯の中で、戦後日本におけるラディカル・デモクラシーの可能性として、新たに考察したい。ラディカリズムを中心的特徴とする新左翼と吉本の革命思想との関連性(影響と対立との双方をも含めて)を探り、その政治思想の位置づけを検討する。
新左翼の政治運動をめぐって、「若者の過剰なエネルギーの発現」、「世代間の対立」、「青年期のアイデンティティ・クライシス」などとして捉えられ、社会学、心理学的解釈が数多くなされている(大嶽、2007)。例えば、小熊英二の考察によれば、吉本が日本戦後民主主義を激しく批判したのは、戦時中に兵役忌避者としてのトラウマによるものだと考える。こうした論考に関して、新左翼運動の「政治的意味を極少化する」おそれも指摘されている。また安保闘争は敗北として総括され、その思想史的意義は後景に退けられている。学術研究の場合、六〇年代の「市民」の論理は新左翼のラディカリズムを凌駕したようにも見える。それは、吉本のようなイデオローグを含めた当事者たちが、革命組織内部における権力闘争や暴力行動の行き過ぎなどに関して、責任倫理の次元での応答を十分になしえなかったため、時間の経過とともに、運動自体が遠い過去の出来事となりつつあるところに起因する。
しかし吉本は安保闘争において、「擬制の終焉」(1960)、『丸山真男論』(1963)、「情況とはなにか」(1966)など一連の批評文で、進歩性批判の標的になった丸山眞男に代表される正統的な市民主義知識人を敵視することによって、アカデミズムに抵抗する「在野知識人」としての確立していったことは事実である。思想的は、「革命幻想」から生まれ、のちに強い喚起力をもつ造語「大衆の原像」にいたる「大衆の生活思想」を根本としたことが、吉本が大衆社会に訴求力を持ちえた理由であろう。
以上のような問題点を踏まえて、吉本による市民の論理への異議申し立てや戦後民主主義批判と革命幻想から、戦後民主主義理論の射程を見定めたい。
〇主要参考文献
大嶽秀夫『新左翼の遺産 ニューレフトからポストモダンへ』東京大学出版社、2007
絓秀実『吉本隆明の時代』作品社、2008
千葉真『ラディカル・デモクラシーの地平 ――自由・差異・共通善――』新評論、1995
『吉本隆明全著作集』全15巻 勁草書房、1968-1975
絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫、2018
安藤丈将『ニューレフト運動と市民社会』世界思想社、2013
小熊英二『<民主>と<愛国>戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、2002
題目: 佐藤信淵における国学の「脱呪術化」
発表者: 立命館大学文学部 松原直輝
日時: 2020年12月8日(火)18時〜
場所: Zoomでオンライン開催(参加希望者は前日までにshisoshiken@gmail.comにご連絡ください。)
●くろまる要旨
佐藤信淵は「国学者」「経世論者」「農学者」として、近世において多岐に渡る言論を展開した思想家であるが、同時に自ら称する来歴やその論の剽窃ぶりについて、従来から指摘が加えられてきた人物である。近年、テクスト一般における主体の問題が相対化されるのと時を同じくして、佐藤信淵は近世思想史研究の素材として再度「活用」されるようになってきている。
佐藤は文化文政期に国学者平田篤胤のもとで学んでおり、その影響下で国学を奉じることとなった。宇宙論を論じた『天柱記』や日本の対外進出を論じた『混同秘策』は、国学的世界観で諸学を論じた典型であるが、しかしその国学理論の運用については牽強付会ぶりや恣意性が指摘されている。先行研究ではその原因を佐藤の科学的関心や経世論的志向に求めることが通説となっているが、本発表ではむしろ、そのような恣意的運用を国学自体の内在的要因に求めることによって、佐藤の近世思想史における位置を明らかにしたい。
●くろまる主要参考文献
・桂島宣弘『幕末国学の転回と佐藤信淵の思想. ――『天柱記』と『鎔造化育論』を中心に――』(衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』 1995年)
・斎藤尚志「佐藤信淵における〈知〉の創造」(『千里山文学論集』68号 2002年)
・斎藤尚志「佐藤信淵の思想——「産霊」の原理と「術」の模索を中心として」(『千里山文学論集』63号 2000年)
・松本三之介『国学政治思想の研究』(未来社 1972年)
発表者: 立命館大学文学部 松原直輝
日時: 2020年12月8日(火)18時〜
場所: Zoomでオンライン開催(参加希望者は前日までにshisoshiken@gmail.comにご連絡ください。)
●くろまる要旨
佐藤信淵は「国学者」「経世論者」「農学者」として、近世において多岐に渡る言論を展開した思想家であるが、同時に自ら称する来歴やその論の剽窃ぶりについて、従来から指摘が加えられてきた人物である。近年、テクスト一般における主体の問題が相対化されるのと時を同じくして、佐藤信淵は近世思想史研究の素材として再度「活用」されるようになってきている。
佐藤は文化文政期に国学者平田篤胤のもとで学んでおり、その影響下で国学を奉じることとなった。宇宙論を論じた『天柱記』や日本の対外進出を論じた『混同秘策』は、国学的世界観で諸学を論じた典型であるが、しかしその国学理論の運用については牽強付会ぶりや恣意性が指摘されている。先行研究ではその原因を佐藤の科学的関心や経世論的志向に求めることが通説となっているが、本発表ではむしろ、そのような恣意的運用を国学自体の内在的要因に求めることによって、佐藤の近世思想史における位置を明らかにしたい。
●くろまる主要参考文献
・桂島宣弘『幕末国学の転回と佐藤信淵の思想. ――『天柱記』と『鎔造化育論』を中心に――』(衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』 1995年)
・斎藤尚志「佐藤信淵における〈知〉の創造」(『千里山文学論集』68号 2002年)
・斎藤尚志「佐藤信淵の思想——「産霊」の原理と「術」の模索を中心として」(『千里山文学論集』63号 2000年)
・松本三之介『国学政治思想の研究』(未来社 1972年)
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