2014年04月29日
美里フットパス協会 平成26年度総会
フットパスネットワーク九州設立総会から始まったマスコミ取材
昨夜のRKK熊本放送で 一連のめどがついた
幾度か続き それなりに慣れたとはいえ マイクを付けての 行動は疲れる
シナリオがあればあったで 言い回しが難しい 無ければないで 言いたいことが多すぎて 気が重い
想っていること 考えていること 伝えたいこと どう伝わるのか
たくさん たくさん 話した中で どこが使われるのか どの言葉が流れるのか
テレビもラジオも 事前にどのように 放送されるか チェックできない
5分や10分あればいいほうで 2分3分では 表現も限られる
終わった 見て欲しいのか 調子が悪かった日は 見てもらいたくない のか
「私」ではなく「美里フットパス」だから 「フットパス」だから 断れない
美里町で声をかけられるのは 別に珍しいことじゃない
吉無田高原で 次郎丸岳で 思いがけない所で 言葉をかけられる
「フットパスのイザワさんですね」「参加しました」「頑張ってください」
だから いつも元気な「井澤さん」「るり子さん」 そうありたい 今は 言うことを聞かない 調子が悪い身体がじれったい
4月26日(土)16:00〜
平成26年度美里フットパス協会の通常総会を開いた
3月31日で会計を締めたのに、補助金の一つがはいらず苦慮
どうにか監査を受けて(なぜ、私が監査を受けるのだろうか?)
4月24日に総会前の役員会を終えて 総会開催
やはり 円卓の形に机を並べる このスタイルが定着してきた
フットパスや地域の方との交流は得意でも
重箱の隅をつつく 外野の声には 弱い というより 面倒くさい 本質は 違うだろうと叫びたい
1フットパスは儲からない、だけど 波及効果は∞無限大
フットパスは 地域が 地域自体を使った 観光事業の一つ だが 「サービス業」では決して無い
「ようこそ」「おじゃまします」が対等な立場で 心が伴った対価のやりとり
だからこそ 「美里フットパス協会も自立」できるようになりたい
2「地域の方の生活の場を歩かせていただく。」「コースの日常的な管理は、地域の方が今までと同じことを続けていただくこと」
美里方式の維持は 基本中の基本 だからこそ「お返しをしたい」。
この二つのことを実現しようと 総会に提案し 説明した
規約を改正(追加)して、美里フットパス未来基金を創設し 自立を目指す
まず 初年度で出すことのできた繰越金を 26年度予算に基金繰入れとして計上した
急がなくてもいい 確実な一歩 一歩が
地域にお返ししたいとは コースを作り始めた 当初から言ってきたこと
まずは コースのある地区に距離に応じて支出することに
1地区のコースもあれば 5地区にまたがるコースもある その算定には時間はかかるだろうが
地域にカタチとして示すこと 実現できる喜びが大きい
この画期的な提案を 満場一致(挙手)で 可決成立
総会後には 参加者の自己紹介の時間を持った
一方的に伝えるばかりでなく 参加者にも発言してもらう
同じ志を持つ人 同じことを愉しむ人 それぞれの思いが溢れる言葉がつづく
このスタイルも定着してきた
「井澤さんに命じられて進行を担当します美里町商工会の對田です フットパスの司会をするのは今日で3回目です。」
そう言いながら 楽しそう もう次も 次も 決まりだね そして もっと打ち合わせをしっかりしようね
「気管支炎ですから・・・」
この言葉以外 ほとんど何も言わなかった 言わずによかった 総会
さてさて この喉の痛みは いつ 取れるのだろうか
そして 懇親会 大人のコミュニケーションは呑みにケーション
夢を語る 誰もが語る 同じ場所で語る 夢が志にかわっている場所にいる 楽しい 嬉しい 心地よい
昨夜のRKK熊本放送で 一連のめどがついた
幾度か続き それなりに慣れたとはいえ マイクを付けての 行動は疲れる
シナリオがあればあったで 言い回しが難しい 無ければないで 言いたいことが多すぎて 気が重い
想っていること 考えていること 伝えたいこと どう伝わるのか
たくさん たくさん 話した中で どこが使われるのか どの言葉が流れるのか
テレビもラジオも 事前にどのように 放送されるか チェックできない
5分や10分あればいいほうで 2分3分では 表現も限られる
終わった 見て欲しいのか 調子が悪かった日は 見てもらいたくない のか
「私」ではなく「美里フットパス」だから 「フットパス」だから 断れない
美里町で声をかけられるのは 別に珍しいことじゃない
吉無田高原で 次郎丸岳で 思いがけない所で 言葉をかけられる
「フットパスのイザワさんですね」「参加しました」「頑張ってください」
だから いつも元気な「井澤さん」「るり子さん」 そうありたい 今は 言うことを聞かない 調子が悪い身体がじれったい
4月26日(土)16:00〜
平成26年度美里フットパス協会の通常総会を開いた
3月31日で会計を締めたのに、補助金の一つがはいらず苦慮
どうにか監査を受けて(なぜ、私が監査を受けるのだろうか?)
4月24日に総会前の役員会を終えて 総会開催
やはり 円卓の形に机を並べる このスタイルが定着してきた
フットパスや地域の方との交流は得意でも
重箱の隅をつつく 外野の声には 弱い というより 面倒くさい 本質は 違うだろうと叫びたい
1フットパスは儲からない、だけど 波及効果は∞無限大
フットパスは 地域が 地域自体を使った 観光事業の一つ だが 「サービス業」では決して無い
「ようこそ」「おじゃまします」が対等な立場で 心が伴った対価のやりとり
だからこそ 「美里フットパス協会も自立」できるようになりたい
2「地域の方の生活の場を歩かせていただく。」「コースの日常的な管理は、地域の方が今までと同じことを続けていただくこと」
美里方式の維持は 基本中の基本 だからこそ「お返しをしたい」。
この二つのことを実現しようと 総会に提案し 説明した
規約を改正(追加)して、美里フットパス未来基金を創設し 自立を目指す
まず 初年度で出すことのできた繰越金を 26年度予算に基金繰入れとして計上した
急がなくてもいい 確実な一歩 一歩が
地域にお返ししたいとは コースを作り始めた 当初から言ってきたこと
まずは コースのある地区に距離に応じて支出することに
1地区のコースもあれば 5地区にまたがるコースもある その算定には時間はかかるだろうが
地域にカタチとして示すこと 実現できる喜びが大きい
この画期的な提案を 満場一致(挙手)で 可決成立
総会後には 参加者の自己紹介の時間を持った
一方的に伝えるばかりでなく 参加者にも発言してもらう
同じ志を持つ人 同じことを愉しむ人 それぞれの思いが溢れる言葉がつづく
このスタイルも定着してきた
「井澤さんに命じられて進行を担当します美里町商工会の對田です フットパスの司会をするのは今日で3回目です。」
そう言いながら 楽しそう もう次も 次も 決まりだね そして もっと打ち合わせをしっかりしようね
「気管支炎ですから・・・」
この言葉以外 ほとんど何も言わなかった 言わずによかった 総会
さてさて この喉の痛みは いつ 取れるのだろうか
そして 懇親会 大人のコミュニケーションは呑みにケーション
夢を語る 誰もが語る 同じ場所で語る 夢が志にかわっている場所にいる 楽しい 嬉しい 心地よい
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(追記) (追記ここまで)
2014年04月27日
九州の熱い日の続き
「九州が熱い日」はもっと早くにここに書くはずだったのに
2ヶ月に1回の通院が この4月はもう3回も やがて4回になるかもしれない
それもはるばる 東バイパスから健軍神社の参道を走る
かかりつけのお医者様は山本太郎先生
熱っぽい身体は だるい 動作が緩慢になる
勝手知ったるではないが すぐに奥の部屋に隔離 前回経験済
ベッドに寝てもいいと言われて それに甘える 熱に侵された弱ってしまった心
トロトロと心地よくなる頃 血圧だのもろもろ
のどが痛い せきが出る 鼻がつまる タンが出る のどが痛い 咳が出る を強調する
それが つらい 切ないほどつらい
4月の半ばを過ぎたのに クリニックの医師の第一声は 「インフルエンザかも?」
もちろん そう言われるのは覚悟の上「だれか近くにいませんでしたか?」「いません」きっぱり
「検査しますよ」もしも だったら、いつまで隔離か? 迷惑をかける相手を指折り数える
おいおい 大変なことになるぞ 居なければならない日が 幾日も有るぞ
「インフルエンザなら、もう出る頃・・・」「じゃないみたいだけど、10分後に」
いつもだったら 医者と患者らしくなく「10分待っても 出ないものは出ませんよ」
今日はこの切り返しが出ない 38.1°Cの熱は 強情で頑固で 私を容赦なく傷めつける
10分後も 陰性のまま 隔離はなしか 肺炎かも レントゲンを撮って 異常なし
血液検査 まあまあ 正常値 この辺りでとどまっている 気管支炎
いつも冗談を交わすのに 今日はその気力がない
「必ず来なさいよ!」釘を差された 4月21日のこと 長引くこと 長引くこと
刺された釘を抜きに 健軍神社参道を走る 4月26日の朝
投薬で済むけれど 「悪ければ、連休前に来なさいよ!」釘は刺さったまま
で 遅くなってしまった 熱い日は続き やがて夜から朝へ
設立総会 記念講演 時間がやはり足りなかった意見交換会
続きは 大交流会でやろう!
さあ 移動だ 元気の森かじかへ
無理は承知で 相部屋+相部屋+相部屋
どうしても 同じ場所で 大交流会はやる!
せっかく集いに集まった意味が無い 美里式の本領発揮
相部屋もこれ程だと壮観だ
どの部屋も 修学旅行状態
小野さんの荷物が私の車なので 一緒に先に行きたい
行けるわけない 中島さんに同乗を願いする もちろん快諾
が、いろいろあって 小野副知事も かじか泊
「るり子さんの家でも!」嬉しいが 残念ながら るり子さんも今夜はかじか泊
どうにか早く着いて 部屋割り表を書き換える
「この部屋 18人のはずなのに 19人いるよ」
そんなミステリアスなことが 有るはずがない
のぞくと まさに修学旅行
どうにかなるよ としか言えないよなあ
狭い食堂に ダゴヒャゴ 押し合いへし合いしながら
マイクは? 忘れた! これもアリだなあ
うまい具合に 階段スペースをお立ち台にしてしまう
挨拶 そして 乾杯 かんぱい カンパイ kanpai
料理も美里式が並んでいる ダゴヒャゴで移動に手間取る
朝のちょい食い 弁当など食う暇なかった 口はいつもおしゃべりしていたから
昼抜き 空きっ腹 これは 間違いなく酔っ払うなー
酔ってられない 多分酔えない でも何かたべよう
二品三品皿に入れて こっそり 部屋を抜け出して食べる
ゆっくりしてはいられない
飲む 食べる それより それより話したい人の集まり
あの人 彼の人 言葉を交わしたい
次回が何時になるか分からない人もいる
言葉をかわし始めたら止まらない あれもこれもそれも
やはり 酔う心配などいらない 飲む隙がない
言葉に詰まる時だけ 滑らかにするためにのみ 呑む
宿泊希望があまりに多いから 美里町の人には宿泊をお断りしている
早朝からスタッフで動き通しの人もいる
一度 仕切り直しをしないと帰れない
ナカジメを やる またたたく間に楽しい時は過ぎ そして しめを やる
そんな間に 非常事態発生で小野副知事は翌日歩けなくなる
酔が一度に覚めた小野さんは 副知事に戻る
それが今日でなくてよかった
翌朝の 車も決まり ほっとする
眠れない輩が かじかの中を徘徊する
眠ればいいのに 寝れないから 何でも聞こえてくる
朝だ みんな早い 雨だ みんな上がることを期待している
「雨でも楽しいフットパス」かな サスガの魔法使いもなりをひそめるしかない
19人いたはずの部屋は 18人でちょうどよかったの返事
なぜか だれなのか どうでもいいよなあ
「長靴かあ?」「雨には長靴が一番!」
いまは 大人カワイイ長靴が店頭に並んでいるよ!
山ひだの霧が上がらない 雨が上がらないこと
木々の新しい緑の色が 優しく 鮮やかで しなやかで
雨の粒がとどまった 花も 葉も 新芽も 目を引きつける
縁側カフェも 昼食交流会も 楽しかった
楽しかった時間は 瞬く間に過ぎる 次回は 延岡で秋に会おう
幾つものテレビ局が 雨のフットパスを 素敵なフットパスの笑顔を 届けてくれた
2ヶ月に1回の通院が この4月はもう3回も やがて4回になるかもしれない
それもはるばる 東バイパスから健軍神社の参道を走る
かかりつけのお医者様は山本太郎先生
熱っぽい身体は だるい 動作が緩慢になる
勝手知ったるではないが すぐに奥の部屋に隔離 前回経験済
ベッドに寝てもいいと言われて それに甘える 熱に侵された弱ってしまった心
トロトロと心地よくなる頃 血圧だのもろもろ
のどが痛い せきが出る 鼻がつまる タンが出る のどが痛い 咳が出る を強調する
それが つらい 切ないほどつらい
4月の半ばを過ぎたのに クリニックの医師の第一声は 「インフルエンザかも?」
もちろん そう言われるのは覚悟の上「だれか近くにいませんでしたか?」「いません」きっぱり
「検査しますよ」もしも だったら、いつまで隔離か? 迷惑をかける相手を指折り数える
おいおい 大変なことになるぞ 居なければならない日が 幾日も有るぞ
「インフルエンザなら、もう出る頃・・・」「じゃないみたいだけど、10分後に」
いつもだったら 医者と患者らしくなく「10分待っても 出ないものは出ませんよ」
今日はこの切り返しが出ない 38.1°Cの熱は 強情で頑固で 私を容赦なく傷めつける
10分後も 陰性のまま 隔離はなしか 肺炎かも レントゲンを撮って 異常なし
血液検査 まあまあ 正常値 この辺りでとどまっている 気管支炎
いつも冗談を交わすのに 今日はその気力がない
「必ず来なさいよ!」釘を差された 4月21日のこと 長引くこと 長引くこと
刺された釘を抜きに 健軍神社参道を走る 4月26日の朝
投薬で済むけれど 「悪ければ、連休前に来なさいよ!」釘は刺さったまま
で 遅くなってしまった 熱い日は続き やがて夜から朝へ
設立総会 記念講演 時間がやはり足りなかった意見交換会
続きは 大交流会でやろう!
さあ 移動だ 元気の森かじかへ
無理は承知で 相部屋+相部屋+相部屋
どうしても 同じ場所で 大交流会はやる!
せっかく集いに集まった意味が無い 美里式の本領発揮
相部屋もこれ程だと壮観だ
どの部屋も 修学旅行状態
小野さんの荷物が私の車なので 一緒に先に行きたい
行けるわけない 中島さんに同乗を願いする もちろん快諾
が、いろいろあって 小野副知事も かじか泊
「るり子さんの家でも!」嬉しいが 残念ながら るり子さんも今夜はかじか泊
どうにか早く着いて 部屋割り表を書き換える
「この部屋 18人のはずなのに 19人いるよ」
そんなミステリアスなことが 有るはずがない
のぞくと まさに修学旅行
どうにかなるよ としか言えないよなあ
狭い食堂に ダゴヒャゴ 押し合いへし合いしながら
マイクは? 忘れた! これもアリだなあ
うまい具合に 階段スペースをお立ち台にしてしまう
挨拶 そして 乾杯 かんぱい カンパイ kanpai
料理も美里式が並んでいる ダゴヒャゴで移動に手間取る
朝のちょい食い 弁当など食う暇なかった 口はいつもおしゃべりしていたから
昼抜き 空きっ腹 これは 間違いなく酔っ払うなー
酔ってられない 多分酔えない でも何かたべよう
二品三品皿に入れて こっそり 部屋を抜け出して食べる
ゆっくりしてはいられない
飲む 食べる それより それより話したい人の集まり
あの人 彼の人 言葉を交わしたい
次回が何時になるか分からない人もいる
言葉をかわし始めたら止まらない あれもこれもそれも
やはり 酔う心配などいらない 飲む隙がない
言葉に詰まる時だけ 滑らかにするためにのみ 呑む
宿泊希望があまりに多いから 美里町の人には宿泊をお断りしている
早朝からスタッフで動き通しの人もいる
一度 仕切り直しをしないと帰れない
ナカジメを やる またたたく間に楽しい時は過ぎ そして しめを やる
そんな間に 非常事態発生で小野副知事は翌日歩けなくなる
酔が一度に覚めた小野さんは 副知事に戻る
それが今日でなくてよかった
翌朝の 車も決まり ほっとする
眠れない輩が かじかの中を徘徊する
眠ればいいのに 寝れないから 何でも聞こえてくる
朝だ みんな早い 雨だ みんな上がることを期待している
「雨でも楽しいフットパス」かな サスガの魔法使いもなりをひそめるしかない
19人いたはずの部屋は 18人でちょうどよかったの返事
なぜか だれなのか どうでもいいよなあ
「長靴かあ?」「雨には長靴が一番!」
いまは 大人カワイイ長靴が店頭に並んでいるよ!
山ひだの霧が上がらない 雨が上がらないこと
木々の新しい緑の色が 優しく 鮮やかで しなやかで
雨の粒がとどまった 花も 葉も 新芽も 目を引きつける
縁側カフェも 昼食交流会も 楽しかった
楽しかった時間は 瞬く間に過ぎる 次回は 延岡で秋に会おう
幾つものテレビ局が 雨のフットパスを 素敵なフットパスの笑顔を 届けてくれた
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(追記) (追記ここまで)
2014年04月19日
「九州が熱い」日が美里町で続く
始まってしまった 大丈夫かなは ありえない
打ち合わせは 十分か みんなは揃って座っているのか
人でごった返している なかなか 開き直れない
DSC_0500
小野さんの 小野副知事の 口角が上がる笑顔でほっとする
上田さんの 上田町長の えくぼのたつ笑顔が 豪快でほっとする
始まった 議長としての挨拶ではじまる
昨夜書いたものを読めばいい 簡単なはずだった
バインダーを手にしていても 見れない
壇上で 見ると あ あの人も この人も
いつも歩きに来てくれる人達の顔が 見えた
総会は報告と交流の場と位置づけている
DSC_0419
今日は フットパスを歩きたい人ではなく
フットパスに取り組みたい人のはず 嬉しい
こんなに沢山の人が この場所に詰めかけてくれた
DSC_0409
いつものことを いつもの様に話した
議長制度も ランドテーブル大事な要素
歩く文化を創りたい 自然歩道も オルレも 共に
緊張しているはずなのに 愉しんでいる
おばちゃんたちの笑顔が 次々に浮かんでくる
私を支えてくれるもの 私を後押ししてくれるもの
上田町町の歓迎の挨拶
フットパスによって人が来る町になった
トップダウンではなく ボトムアップ
DSC_0400
小野副知事の挨拶
「るりこさん」はないでしょう!
「井澤さん」は経信さん だから「るりこさん」
いつもこうだけど びっくりした人が無きにしもあらず かな
設立趣意は 私がやるはずだったような
全部 事務局長に振ってしまった
優しく 丁寧な口ぶりで 好感が持てる
DSC_0422
鈴木龍也先生の 記念講演
鈴木さんも 内輪の人になっている
FNQの準備会のメンバー
参加費なし 講演料なし でお願いしてしまった
だから ここに集っている人たちは みんな仲間
DSC_0475
各地のフットパスの取り組みの紹介
時間厳守なのに 一生懸命さが痛いほど伝わってくる
話上手より 志を心に託した言葉が響く
聞くばかりより 発言したいはず
だから 意見交換会を設けた
尋ねることは知ること 一人が尋ねれば みんなが知ることになる
同じ志の人が集うと 愉しく 熱くなる
この熱さ 楽しさをわかる人たちが 集っていることの 愉しさ
DSC_0632
取材が多く みんなと話す時間がない
それだけ フットパスが いま注目されているということ
時間が足りない 時間がたりない
大人のコミュニケーションは ノミニケーション 大交流会に期待しよう
打ち合わせは 十分か みんなは揃って座っているのか
人でごった返している なかなか 開き直れない
DSC_0500
小野さんの 小野副知事の 口角が上がる笑顔でほっとする
上田さんの 上田町長の えくぼのたつ笑顔が 豪快でほっとする
始まった 議長としての挨拶ではじまる
昨夜書いたものを読めばいい 簡単なはずだった
バインダーを手にしていても 見れない
壇上で 見ると あ あの人も この人も
いつも歩きに来てくれる人達の顔が 見えた
総会は報告と交流の場と位置づけている
DSC_0419
今日は フットパスを歩きたい人ではなく
フットパスに取り組みたい人のはず 嬉しい
こんなに沢山の人が この場所に詰めかけてくれた
DSC_0409
いつものことを いつもの様に話した
議長制度も ランドテーブル大事な要素
歩く文化を創りたい 自然歩道も オルレも 共に
緊張しているはずなのに 愉しんでいる
おばちゃんたちの笑顔が 次々に浮かんでくる
私を支えてくれるもの 私を後押ししてくれるもの
上田町町の歓迎の挨拶
フットパスによって人が来る町になった
トップダウンではなく ボトムアップ
DSC_0400
小野副知事の挨拶
「るりこさん」はないでしょう!
「井澤さん」は経信さん だから「るりこさん」
いつもこうだけど びっくりした人が無きにしもあらず かな
設立趣意は 私がやるはずだったような
全部 事務局長に振ってしまった
優しく 丁寧な口ぶりで 好感が持てる
DSC_0422
鈴木龍也先生の 記念講演
鈴木さんも 内輪の人になっている
FNQの準備会のメンバー
参加費なし 講演料なし でお願いしてしまった
だから ここに集っている人たちは みんな仲間
DSC_0475
各地のフットパスの取り組みの紹介
時間厳守なのに 一生懸命さが痛いほど伝わってくる
話上手より 志を心に託した言葉が響く
聞くばかりより 発言したいはず
だから 意見交換会を設けた
尋ねることは知ること 一人が尋ねれば みんなが知ることになる
同じ志の人が集うと 愉しく 熱くなる
この熱さ 楽しさをわかる人たちが 集っていることの 愉しさ
DSC_0632
取材が多く みんなと話す時間がない
それだけ フットパスが いま注目されているということ
時間が足りない 時間がたりない
大人のコミュニケーションは ノミニケーション 大交流会に期待しよう
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(追記) (追記ここまで)
2014年04月18日
「九州が熱い」日が美里町で始まった
幸せなとき
やらなければならないことがあるのにボーっと過ごす時
思わず書き留めたい言葉を見つけた時
素敵な人と会えると分かって待つ時
美味しいものをゆっくり食べるとき
ポツリポツリと会話を楽しみながら呑む時
幸せな時って案外多いもの
DSC_0618
楽しいことを 怖がらない
知らないこと 分からないことを 怖がらない
分からないから教えを乞うことを 怖がらない
教えてもらったことを 理解できなくても 怖がらない
一番怖いのは 知ったつもり 分かったつもり
自分だけで納めているうちは それもいい
相手がいる 関わる人が多いほど それは怖い
地域づくりのツールとしてのフットパス
これが一過性のブームになってしまうのが一番怖い
DSC_0287
地域に残るありのままの風景を楽しみながら歩くこと
「違うなー 歩かせていただくんだよなー」
第1回九州フットパスのつどい
昨年の全国大会の熱気が蘇る
大研修室で60名ぐらいの計画
DSC_0289
その60名が中々集まらない
来ます、行きます、は次から次へ
嬉しい悲鳴が、申込書に反映されないもどかしさ
年度替りで、誰もが忙しい時期なのだ
北九州市立大学、熊本大学から学生がスタッフとして参加
嬉しい 申し出に安堵する
DSC_0377
4月になって、日に日に参加申し込みが舞い込む
会場が手狭、ホールでは広すぎる
コミュニティホールに急遽変更
DSC_0409
仕切りを動かし 舞台を作り イスを並べる
形ができていく 音響を準備してもらう
花瓶の花は度胆を抜くほどのものを準備しよう
裏庭の牡丹桜 花蘇芳 紅花常盤万作 を大枝ごと運んでもらって
大胆に 無造作に 太枝を次から次に 活けた
ピンク 桃色 華やかな色が 2箇所にすえられた
こんなは大好き 流派も 決まり事も 無視無視無視
大きいことはいいことだ 誰でもがその大きさに驚けばいい
DSC_0288
掲示用の横幕 演題 立看板の依頼を忘れていた
慌てているのを見かねて 毛筆で書いてくれた
全国大会でも書いいていただいた 今回はほんとうの好意
これが美里フットパスの真髄 誰かが得意なことで 繋がってくれる
挨拶文は? そうか 大事なことを忘れていた
書き出すと止まらない A4に7枚も書きなぐってしまった
DSC_0290
誰もいないひびきを 振り返り振り返り家路に着く
言葉が次々に出てきて、ますます長くなりそう
読んでいたら 収拾がつかない 止まらない つめる 端折る
2枚にはなったが 果たしてこの文章を読めるかとなると自信がない
「シナリオ読み」はくまモン取材の時に 出来なかった前科がある
一応 プリントアウトして手元には置いておこう
眠れない 全国大会さえ眠れたのに
枕元の本を呼んでみる 眠り薬の本が 目を冴えさせる
諦めて ただ じーっと動かずに居る
時計を見ても 時計を見ても なかなか進まない
朝が来た 泊まる準備 翌日のフットパスの準備
忘れ物はないか いつも何かしら忘れるから
DSC_0321
続々とスタッフが集まってきてくれる
北九州市大は思ったより早く来てくれた
全国大会で経験済の彼ら彼女らは 大きな戦力
晃典君は いつもどおり パソコンね!
受付と物販 前回と同じ箇所を担当してもらう
やがて熊大生も到着 学生スタッフ10名 最強の布陣だ
スタッフが輪になって それぞれができることを担当してもらう
DSC_0304
あれよあれよという間に時間は過ぎていく
幹事会を終えて 弁当の時間
食べる時間など無い ホワイエに行くと 人がごった返していた
DSC_0355
初めての顔 見知った顔 嬉しくて嬉しくて 顔が崩れていく
挨拶を交わし 名刺を交換し 一人ひとりと話したいのに
かえって気を使ってくれる これがさり気なくて 大声で
個性あふれる 気配りが見えて嬉しい
DSC_0390
来賓の町長 小野副知事も到着された
きっかりに予定通り始めよう
司会担当の 對田くんと確認する
DSC_0363
さあ始まった もう後戻りはできないぞ
DSC_0383
やらなければならないことがあるのにボーっと過ごす時
思わず書き留めたい言葉を見つけた時
素敵な人と会えると分かって待つ時
美味しいものをゆっくり食べるとき
ポツリポツリと会話を楽しみながら呑む時
幸せな時って案外多いもの
DSC_0618
楽しいことを 怖がらない
知らないこと 分からないことを 怖がらない
分からないから教えを乞うことを 怖がらない
教えてもらったことを 理解できなくても 怖がらない
一番怖いのは 知ったつもり 分かったつもり
自分だけで納めているうちは それもいい
相手がいる 関わる人が多いほど それは怖い
地域づくりのツールとしてのフットパス
これが一過性のブームになってしまうのが一番怖い
DSC_0287
地域に残るありのままの風景を楽しみながら歩くこと
「違うなー 歩かせていただくんだよなー」
第1回九州フットパスのつどい
昨年の全国大会の熱気が蘇る
大研修室で60名ぐらいの計画
DSC_0289
その60名が中々集まらない
来ます、行きます、は次から次へ
嬉しい悲鳴が、申込書に反映されないもどかしさ
年度替りで、誰もが忙しい時期なのだ
北九州市立大学、熊本大学から学生がスタッフとして参加
嬉しい 申し出に安堵する
DSC_0377
4月になって、日に日に参加申し込みが舞い込む
会場が手狭、ホールでは広すぎる
コミュニティホールに急遽変更
DSC_0409
仕切りを動かし 舞台を作り イスを並べる
形ができていく 音響を準備してもらう
花瓶の花は度胆を抜くほどのものを準備しよう
裏庭の牡丹桜 花蘇芳 紅花常盤万作 を大枝ごと運んでもらって
大胆に 無造作に 太枝を次から次に 活けた
ピンク 桃色 華やかな色が 2箇所にすえられた
こんなは大好き 流派も 決まり事も 無視無視無視
大きいことはいいことだ 誰でもがその大きさに驚けばいい
DSC_0288
掲示用の横幕 演題 立看板の依頼を忘れていた
慌てているのを見かねて 毛筆で書いてくれた
全国大会でも書いいていただいた 今回はほんとうの好意
これが美里フットパスの真髄 誰かが得意なことで 繋がってくれる
挨拶文は? そうか 大事なことを忘れていた
書き出すと止まらない A4に7枚も書きなぐってしまった
DSC_0290
誰もいないひびきを 振り返り振り返り家路に着く
言葉が次々に出てきて、ますます長くなりそう
読んでいたら 収拾がつかない 止まらない つめる 端折る
2枚にはなったが 果たしてこの文章を読めるかとなると自信がない
「シナリオ読み」はくまモン取材の時に 出来なかった前科がある
一応 プリントアウトして手元には置いておこう
眠れない 全国大会さえ眠れたのに
枕元の本を呼んでみる 眠り薬の本が 目を冴えさせる
諦めて ただ じーっと動かずに居る
時計を見ても 時計を見ても なかなか進まない
朝が来た 泊まる準備 翌日のフットパスの準備
忘れ物はないか いつも何かしら忘れるから
DSC_0321
続々とスタッフが集まってきてくれる
北九州市大は思ったより早く来てくれた
全国大会で経験済の彼ら彼女らは 大きな戦力
晃典君は いつもどおり パソコンね!
受付と物販 前回と同じ箇所を担当してもらう
やがて熊大生も到着 学生スタッフ10名 最強の布陣だ
スタッフが輪になって それぞれができることを担当してもらう
DSC_0304
あれよあれよという間に時間は過ぎていく
幹事会を終えて 弁当の時間
食べる時間など無い ホワイエに行くと 人がごった返していた
DSC_0355
初めての顔 見知った顔 嬉しくて嬉しくて 顔が崩れていく
挨拶を交わし 名刺を交換し 一人ひとりと話したいのに
かえって気を使ってくれる これがさり気なくて 大声で
個性あふれる 気配りが見えて嬉しい
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来賓の町長 小野副知事も到着された
きっかりに予定通り始めよう
司会担当の 對田くんと確認する
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さあ始まった もう後戻りはできないぞ
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2014年04月14日
フットパスネットワーク九州
4月12日〜13日に美里町で「第1回 九州フットパスのつどい」が開催され、同時にフットパスネットワーク九州が設立されました。
その時の挨拶で述べようと、徹夜で書いたのですが、やはり、シナリオ(書いた文)を読むことはできませんでした。
次から次に言葉が溢れて、支離滅裂になってしまいました。
IMG_8708
「フットパスネットワーク九州の議長を務めることになりました美里フットパス協会の井澤です。
今日の第1回九州フットパスのつどいならびに設立総会に、小野熊本県副知事はじめご来賓のみなさまご臨席ありがとうございます。
また、百名を越える皆さんにお集りいただき、九州のフットパスの確かな一歩を踏み出すことができることに、深く感謝申し上げます。
IMG_8733
美里町のフットパスは、日本でも成功している例だとよく言われます。嬉しい、ありがたい言葉です。
何がそう評価されるのかというと、「地域が主役・地域が輝く」ことが実証されていることです。
熊大の坂本政隆君は卒論の中で、丁寧な聞き取り作業を行い「美里フットパスが成功しているのは、地域の方々がフットパスを知っており、参加している事実を突き止めた。」と書いています。
私たちが考えるフットパスの成功とは、イベントではなく、いつでもマップを手にフリーで歩かれることです。
フットパスコースを作る時、地域の方に、楽しく歩ける道を教えていただきました。
その、何気ないことが、コースができた時、それぞれの地域の方が関わり一緒に作り上げたことになりました。
歩くと気づく、歩くと見えてくる、春夏秋冬、季節の変化による感動ものの風景がありました。
何もない、「過疎で、不便で、田舎」こそが、人々が生業の中で長い年月をかけて築き上げた、棚田や水路やため池や里山の風景が残っていました。
そして何より、歩くと人に逢えます。理解者、協力者が見えてきました。
なかでも、地域のお年寄りたちが、私たちのフットパスの取り組みを理解して、応援してくれました。
これが成功の秘訣の一番です。
IMG_8741
日本フットパス協会は、森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【Foot】ができる小径(こみち)【Path】"のことと定義ずけています。
このありのままの風景を、維持管理してきたのは誰かと考えると、そこに住んでいる人たちです。
私たちは、フットパスコースを作り、地域の人たちの生活空間を歩かせていただくのです。
平成22年、濱田孝正さんが紹介したことによって始まった、美里フットパスが、たった二年足らずのうちに定着し、熊本県内はおろか九州各地にフットパスに取り組む地域や団体、行政が増えてきました。
美里町のような、元気な地域が増えるのは、喜ばしいことであり、フットパスが定着していく証でもあります。
IMG_8717
美里フットパスの推進に夢中であった時は気づかなかったことが、今では見えるようになりました。
北海道では、
一時的な予算や助成金でコースを作り上げ、事業期間が終わると手を引き、維持管理されず荒れたフットパスだけが残ってしまっているところがあります。
フットパスの概念を理解せず、単なる街歩きや遊歩道をフットパスと称し、フットパスブームの恩恵にあやかろうとする動きは、フットパス自身の価値を低下させる恐れがあります。
また、フットパス設置者と土地所有者が争いマスコミに大きく取り上げられることもありました。
これらから、北九州市立大学の坂本裕基くんは卒業論文に、フットパスに期待し、その地域を訪れたウォーカーにとっては、フットパスとはこのようなものかという落胆を生むこととなり、精力的にフットパスの活動している他の地域に対して、フットパス自身の価値を低下させる恐れがある。と書いています。
IMG_8723
このような問題を聞いていたので、先日北海道まで出向き、いろいろと話を聞かせていただきました。
平成15年に「第一回全道フットパスのつどい」を開催し、同時に「全道フットパスネットワーク準備会」をたち上げながら、9年間準備会のままでした。
そして、平成24年にやっと準備会からフットパスネットワーク北海道となりましたが、問題は山積してると聞きました。
「量的拡大より質的充実が必要だ。ネットワーク構築は、早いに越したことはない。」と教えていただきました。
IMG_8690
九州でのフットパスの広がりは驚異的でもあります。
北海道のような足踏みはしたくない、フットパスの持つ地域活性化をブームで終わらせてはいけないと強く思いました。
それは私たちの先駆者としての責任だと思いました。
そのためには、九州でのネットワーク作りは急ぐ必要があります。
フットパスに取り組み始めた皆さんに声をかけ、1月8日に第一回準備会議、3月4日に第二回準備会議を開きました。
この時には、プレフットパス大学も同時に開きましたが、60名以上の方に集まっていただきました。
それほど、フットパスに期待されているものが多いと気を引き締めました。
IMG_8697
フットパスネットワーク九州では、コース認定を行っていきますが、決してハードルを高く設けようとしているわけではありません。
地域の方が、外部からのウォーカーを快く受け入れ、何時でも快適に歩ける魅力的なコースを作り上げるだけでいいのです。
また、フットパスは地域の社会資本を使う新しい地域観光でもあります。
けれども、けして、サービス業ではありません。
一見矛盾しているように見える、この新しいことが無限の可能性を秘めています。
何度も、何度も言いますが、地域が主役です。
フットパスに取り組もうとする皆さんは、あくまでも仕組みを作る人です。
IMG_8701
昨年11月、美里町で開催した「全国フットパスサミットin美里」地域を元気にする魔法には、400人以上の方が、この々会場につめかけました。
美里町はフットパスを始めたことによって、町全体が活気づいて来ました。
「地域を元気にした魔法」は各地に広まっていいはずです。
そして、九州自然歩道 九州オルレ とも連携をはかり 九州に歩く文化の創造と推進を図っていく、歩くなら、九州へとなって欲しい、その一歩が今日始まると思っています。
IMG_8742
フットパスネットワーク九州は、ランドテーブルが基本です。
美里フットパス協会は、作り上げたノウハウを、囲い込むことは決してありません。
ここに集っていただいた皆さん、今日ここに来たくても来れなかった皆さん、それぞれが地域の特性を活かし魅力的なコースを作り、地域が主役、地域が輝く、フットパスの取り組みを共に進めていきましょう。」
IMG_8722
読むはずでしたが、性に合わないですね\(^o^)/
その時の挨拶で述べようと、徹夜で書いたのですが、やはり、シナリオ(書いた文)を読むことはできませんでした。
次から次に言葉が溢れて、支離滅裂になってしまいました。
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「フットパスネットワーク九州の議長を務めることになりました美里フットパス協会の井澤です。
今日の第1回九州フットパスのつどいならびに設立総会に、小野熊本県副知事はじめご来賓のみなさまご臨席ありがとうございます。
また、百名を越える皆さんにお集りいただき、九州のフットパスの確かな一歩を踏み出すことができることに、深く感謝申し上げます。
IMG_8733
美里町のフットパスは、日本でも成功している例だとよく言われます。嬉しい、ありがたい言葉です。
何がそう評価されるのかというと、「地域が主役・地域が輝く」ことが実証されていることです。
熊大の坂本政隆君は卒論の中で、丁寧な聞き取り作業を行い「美里フットパスが成功しているのは、地域の方々がフットパスを知っており、参加している事実を突き止めた。」と書いています。
私たちが考えるフットパスの成功とは、イベントではなく、いつでもマップを手にフリーで歩かれることです。
フットパスコースを作る時、地域の方に、楽しく歩ける道を教えていただきました。
その、何気ないことが、コースができた時、それぞれの地域の方が関わり一緒に作り上げたことになりました。
歩くと気づく、歩くと見えてくる、春夏秋冬、季節の変化による感動ものの風景がありました。
何もない、「過疎で、不便で、田舎」こそが、人々が生業の中で長い年月をかけて築き上げた、棚田や水路やため池や里山の風景が残っていました。
そして何より、歩くと人に逢えます。理解者、協力者が見えてきました。
なかでも、地域のお年寄りたちが、私たちのフットパスの取り組みを理解して、応援してくれました。
これが成功の秘訣の一番です。
IMG_8741
日本フットパス協会は、森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【Foot】ができる小径(こみち)【Path】"のことと定義ずけています。
このありのままの風景を、維持管理してきたのは誰かと考えると、そこに住んでいる人たちです。
私たちは、フットパスコースを作り、地域の人たちの生活空間を歩かせていただくのです。
平成22年、濱田孝正さんが紹介したことによって始まった、美里フットパスが、たった二年足らずのうちに定着し、熊本県内はおろか九州各地にフットパスに取り組む地域や団体、行政が増えてきました。
美里町のような、元気な地域が増えるのは、喜ばしいことであり、フットパスが定着していく証でもあります。
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美里フットパスの推進に夢中であった時は気づかなかったことが、今では見えるようになりました。
北海道では、
一時的な予算や助成金でコースを作り上げ、事業期間が終わると手を引き、維持管理されず荒れたフットパスだけが残ってしまっているところがあります。
フットパスの概念を理解せず、単なる街歩きや遊歩道をフットパスと称し、フットパスブームの恩恵にあやかろうとする動きは、フットパス自身の価値を低下させる恐れがあります。
また、フットパス設置者と土地所有者が争いマスコミに大きく取り上げられることもありました。
これらから、北九州市立大学の坂本裕基くんは卒業論文に、フットパスに期待し、その地域を訪れたウォーカーにとっては、フットパスとはこのようなものかという落胆を生むこととなり、精力的にフットパスの活動している他の地域に対して、フットパス自身の価値を低下させる恐れがある。と書いています。
IMG_8723
このような問題を聞いていたので、先日北海道まで出向き、いろいろと話を聞かせていただきました。
平成15年に「第一回全道フットパスのつどい」を開催し、同時に「全道フットパスネットワーク準備会」をたち上げながら、9年間準備会のままでした。
そして、平成24年にやっと準備会からフットパスネットワーク北海道となりましたが、問題は山積してると聞きました。
「量的拡大より質的充実が必要だ。ネットワーク構築は、早いに越したことはない。」と教えていただきました。
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九州でのフットパスの広がりは驚異的でもあります。
北海道のような足踏みはしたくない、フットパスの持つ地域活性化をブームで終わらせてはいけないと強く思いました。
それは私たちの先駆者としての責任だと思いました。
そのためには、九州でのネットワーク作りは急ぐ必要があります。
フットパスに取り組み始めた皆さんに声をかけ、1月8日に第一回準備会議、3月4日に第二回準備会議を開きました。
この時には、プレフットパス大学も同時に開きましたが、60名以上の方に集まっていただきました。
それほど、フットパスに期待されているものが多いと気を引き締めました。
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フットパスネットワーク九州では、コース認定を行っていきますが、決してハードルを高く設けようとしているわけではありません。
地域の方が、外部からのウォーカーを快く受け入れ、何時でも快適に歩ける魅力的なコースを作り上げるだけでいいのです。
また、フットパスは地域の社会資本を使う新しい地域観光でもあります。
けれども、けして、サービス業ではありません。
一見矛盾しているように見える、この新しいことが無限の可能性を秘めています。
何度も、何度も言いますが、地域が主役です。
フットパスに取り組もうとする皆さんは、あくまでも仕組みを作る人です。
IMG_8701
昨年11月、美里町で開催した「全国フットパスサミットin美里」地域を元気にする魔法には、400人以上の方が、この々会場につめかけました。
美里町はフットパスを始めたことによって、町全体が活気づいて来ました。
「地域を元気にした魔法」は各地に広まっていいはずです。
そして、九州自然歩道 九州オルレ とも連携をはかり 九州に歩く文化の創造と推進を図っていく、歩くなら、九州へとなって欲しい、その一歩が今日始まると思っています。
IMG_8742
フットパスネットワーク九州は、ランドテーブルが基本です。
美里フットパス協会は、作り上げたノウハウを、囲い込むことは決してありません。
ここに集っていただいた皆さん、今日ここに来たくても来れなかった皆さん、それぞれが地域の特性を活かし魅力的なコースを作り、地域が主役、地域が輝く、フットパスの取り組みを共に進めていきましょう。」
IMG_8722
読むはずでしたが、性に合わないですね\(^o^)/
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2014年04月08日
春は賑やか?
春は目からやってくる
賑やかにやってくる
つくし
つくし
山桜は賑やかに
ソメイヨシノは華やかに
枝垂れ桜は哀しげに
一度に咲く山里
キラキラと春の陽光を振り撒く
花の里は色を重ねている
桜花の陰に 哀しさが 置き去りに
賑やかにやってくる
つくし
つくし
山桜は賑やかに
ソメイヨシノは華やかに
枝垂れ桜は哀しげに
一度に咲く山里
キラキラと春の陽光を振り撒く
花の里は色を重ねている
桜花の陰に 哀しさが 置き去りに
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2014年04月03日
椎葉村で峠を越えた いくつも いくつも越えた
椎葉村によく行った、というほど、よく行った(^^♪
今思えば よく道に迷わなかったと思う
DSC_0125
国見峠を越えたのも懐かしい
スコップとナタは必需品と言われていた
幸い 一度も使わずに済んだ
前の車が 土砂崩れを片付けてくれたから
軍手を忘れて 落石を素手で動かしたことはあった
国道は 酷道というべきだと思ったほど
一度は 道路が完全に消えていた
Uターンなど思いもよらず 恐る恐るバック
車をジムニーに変えるきっかけのできごと
DSC_0129
途中の村人は 乗り合わせの車で 一気に上り
遥か下に見える村まで 細い道を歩いて帰ると話してくれた
買い物を背負っていると 登るより 下りが楽 合理的
国見トンネルで一気に越えてしまうのが惜しいような
DSC_0183
椎矢峠も越えた
門割林道を通って 国見岳の山開きに参加した
神事で 玉串奉奠をさせていただいた
みんな脚が速いこと どんなに大きなブナも 神秘的な樹林の中も
いつものことと 通り過ぎて行ってしまう
「後から来ます」と休憩と 樹神を堪能させていただいた
小さな流れの脇の 大きなブナは 青々とした苔に覆われて 手を触れずにいられない
あの時 色々と話してくれた老人は 今どうしているだろうか
尾前の清流は 昔も今も変わらない
川幅が広くなったような気がしたのは いくども災害をくぐり抜けたから
DSC_0188
馬口岳に登った夜は 矢立キャンプ場のコテージに宿泊した
温泉は 湯山峠を越えて 湯山温泉 近くて結構遠い いいお湯
そして夜 自動販売機の灯りのみ 真っ暗 どこにも灯りがない
真夏なのに 肌寒く感じるほど 山の夜は 真っ暗
翌日は 湯山峠を越えて 白髪岳に登った
DSC_0156
民宿焼き畑に泊まった まだ秀行さんが元気だった
どぶろくを呑ませてくれた くに子さんが秘蔵のどぶろくを出してくれた
夏でも 網戸もない 静かな夜
前夜食べきれなかった夕食のおかずが 温められて朝食の膳に加わった
ワクド汁 天ぷらを酢味噌で食べることも教わった
そして 念願の不土野峠を超えて 白水の滝へ
市房ダムから 不土野峠を越えた時には 遠いなあと思った
不土野の庄屋屋敷をのぞかせてもらった
ここの神楽を見にこれるなど その時は思いもしなかった
DSC_0165
飯干峠は 伐採されたすぐ後で 見晴らしが良かった
中山峠は トンネルが出来てから通った
山が幾襞も越えて 伐採が進み 広々とした視界の広さに驚いた
大雨が来ると 被害がひどいだろうなあ そう危惧するほどの広さが伐られていた
DSC_0192
峰越峠は 五家荘に抜ける道
通れるか通れないかは 運頼みのようなもの
白鳥山の登山口を横目に見て通ったのが最初
幾度白鳥山に登っただろう 御御池 あすなろ ドリーネ
道に迷ったグループにも出会った
鈍頂に 幾本もの登山道が交わっている
「私たち、どちらに降りればいいでしょうか?」には笑ったけど
同じ登山道を登ってきていた
DSC_0168
大河内峠は 道が違うのではないかと思うほど 細い道
国見峠の道に似ていると思った
一気に高度は上がるけれど ヒヤヒヤドキドキの崖沿いの道だった
もう通りたくないと思った
DSC_0167
笹の峠は 林道だけど 道幅だけは広かった
最後に通ったのは 災害のあった後
松尾の庄屋屋敷から 登って行くと 谷の向こうの村の崩落は凄まじかった
工事の機械や車両が 小さく見えるほどだった
DSC_0218
西米良から越えたこともあったような
これほど 峠を越えた村は他にはない
IMG_5655
椎葉村は 見せる 魅せる だから 魅入られる
今思えば よく道に迷わなかったと思う
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国見峠を越えたのも懐かしい
スコップとナタは必需品と言われていた
幸い 一度も使わずに済んだ
前の車が 土砂崩れを片付けてくれたから
軍手を忘れて 落石を素手で動かしたことはあった
国道は 酷道というべきだと思ったほど
一度は 道路が完全に消えていた
Uターンなど思いもよらず 恐る恐るバック
車をジムニーに変えるきっかけのできごと
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途中の村人は 乗り合わせの車で 一気に上り
遥か下に見える村まで 細い道を歩いて帰ると話してくれた
買い物を背負っていると 登るより 下りが楽 合理的
国見トンネルで一気に越えてしまうのが惜しいような
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椎矢峠も越えた
門割林道を通って 国見岳の山開きに参加した
神事で 玉串奉奠をさせていただいた
みんな脚が速いこと どんなに大きなブナも 神秘的な樹林の中も
いつものことと 通り過ぎて行ってしまう
「後から来ます」と休憩と 樹神を堪能させていただいた
小さな流れの脇の 大きなブナは 青々とした苔に覆われて 手を触れずにいられない
あの時 色々と話してくれた老人は 今どうしているだろうか
尾前の清流は 昔も今も変わらない
川幅が広くなったような気がしたのは いくども災害をくぐり抜けたから
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馬口岳に登った夜は 矢立キャンプ場のコテージに宿泊した
温泉は 湯山峠を越えて 湯山温泉 近くて結構遠い いいお湯
そして夜 自動販売機の灯りのみ 真っ暗 どこにも灯りがない
真夏なのに 肌寒く感じるほど 山の夜は 真っ暗
翌日は 湯山峠を越えて 白髪岳に登った
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民宿焼き畑に泊まった まだ秀行さんが元気だった
どぶろくを呑ませてくれた くに子さんが秘蔵のどぶろくを出してくれた
夏でも 網戸もない 静かな夜
前夜食べきれなかった夕食のおかずが 温められて朝食の膳に加わった
ワクド汁 天ぷらを酢味噌で食べることも教わった
そして 念願の不土野峠を超えて 白水の滝へ
市房ダムから 不土野峠を越えた時には 遠いなあと思った
不土野の庄屋屋敷をのぞかせてもらった
ここの神楽を見にこれるなど その時は思いもしなかった
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飯干峠は 伐採されたすぐ後で 見晴らしが良かった
中山峠は トンネルが出来てから通った
山が幾襞も越えて 伐採が進み 広々とした視界の広さに驚いた
大雨が来ると 被害がひどいだろうなあ そう危惧するほどの広さが伐られていた
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峰越峠は 五家荘に抜ける道
通れるか通れないかは 運頼みのようなもの
白鳥山の登山口を横目に見て通ったのが最初
幾度白鳥山に登っただろう 御御池 あすなろ ドリーネ
道に迷ったグループにも出会った
鈍頂に 幾本もの登山道が交わっている
「私たち、どちらに降りればいいでしょうか?」には笑ったけど
同じ登山道を登ってきていた
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大河内峠は 道が違うのではないかと思うほど 細い道
国見峠の道に似ていると思った
一気に高度は上がるけれど ヒヤヒヤドキドキの崖沿いの道だった
もう通りたくないと思った
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笹の峠は 林道だけど 道幅だけは広かった
最後に通ったのは 災害のあった後
松尾の庄屋屋敷から 登って行くと 谷の向こうの村の崩落は凄まじかった
工事の機械や車両が 小さく見えるほどだった
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西米良から越えたこともあったような
これほど 峠を越えた村は他にはない
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椎葉村は 見せる 魅せる だから 魅入られる
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