(1) ダムの高さ155.5mは、それまで日本一であった木曽川における丸山ダム(昭和29年完成)の88.5mをはるかに越えた。現在の日本一は黒部ダムの186mである。この短期間の工期は、逆に用地担当者にとっては、佐久間ダム建設工事請負契約(昭和28年4月)締結以降、種々の工事に追われるという一面も生じ、また一方では地権者が長野、愛知、静岡の3県にまたがるという日本一困難な補償交渉が続く。主なる用地補償は家屋移転296世帯、用地取得面積145万7,000坪、国鉄飯田線一部付替工事、豊根発電所水没補償、筏業者等の補償である。なお、代替農地として豊橋市郊外の開拓地を斡旋し、41戸が移転した。
(2) 発電力の最大量35万kw(常時9万7,000kw)は、東京電力の信濃川発電所最大17万7,000kwの約2倍にあたる。現在の日本一は新高瀬川発電所の128万kwである。
(3) コンクリート打設5,180m3は世界記録を樹立した。
(4) ダム工事は、大型の土木機械をアメリカから中古品を輸入し、この機械を駆使して、10年かかるところを3ケ年で完成させた。
工事は穴を掘ればいい、コンクリートを打てばいい、いわば自然を相手の仕事なのだ。だがもう一つ、佐久間には人間を相手の仕事があった。これは水没する人や物、及び工事に必要な土地などの補償問題だ。岩が固ければ爆薬を多くつめればいいが、人間相手ではそうはいかない。土木工事に劣らない苦心があった。人によっては「とても工事より苦しいもんだった」とある。
「佐久間は他地点に比べて高すぎる」等々の非難が鋭かった。
「あんなべらぼうな値段なら誰だって交渉できる」
「佐久間があんな高く決めるから他に影響して困る」
「生きている人間を相手に、一片のペーパープランの通りに行くか」と、開発会社はこの批判を強引に押し切った。