【働かないのは「自分に合った仕事を探しているから」という理由を挙げる人が一番多いという。これがおかしい。二十歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。......仕事は自分に合っていなくて当たり前です。......合うとか合わないとかいうよりも大切なのは、いったん引き受けたら半端仕事をしてはいけないということです。一から十までやらなくてはいけない。それをやっていくうちに自分の考えが変わっていく。自分自身が育っていく。そういう仕事をやりなさい。】養老孟司氏は医学部卒業後「解剖」の仕事であった。「そのようなことに合っている人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません」という。世の中には誰かがやらなければならない仕事があり、それは社会貢献につながっており、そして給料は社会からもらうものだと養老氏は結論づける。
【 昭和四十六年に一人で決心をした。自分のことは勿論なれど、土地のため、子孫のため、今は身を賭して後世に生きることです。......昭和五十七年三月三十一までに全財産を処分し移転を完了しました。】さらに中林さんの話は続く。
【 個人にしても親が家を新築すれば子供もまた孫までが家のことには安心です。新田の方にも私なりに時にふれ、期を見ては、我の人生は既に半ばを過ぎ自分のことよりも子供のこと、子孫のことを考えなさい。子孫は必ず喜びますよ。今ですぞ。この時を逃したら近い将来できませんよ】
【 己の不業績にて破産したのではなくて、世のため社会のために貢献したのです。先祖に対しても申し訳が立ち、霊に対して堂々と合掌して香を捧げられます。】と、言い切っている。
【 おそらく「自分に合った仕事」「自分探し」というようなことをいう人は、どこかで西洋近代哲学的な「私」の概念を取り入れているのでしょう。しかし日本の世間自体はそれとは別の成り立ちをしているから困るのです。まず「自分」ありきで、その「自分」にあった仕事を探すのか。それとも世間、社会に仕事があって、そこに自分をはめこんでいくのか。日本は後者のシステムで来たはずなのです。】この養老説をとると補償業務という仕事は後者のようである。「社会に仕事があって、そこに自分をはめこんでいく」ことだと指摘する。