決壊というと、大雨によるアースダム(溜池)の決壊例がネット検索で引っかかる。溜池の決壊は、古くから報告されているが、コンクリートダムはどうだろうか。これで講演は終了、と思ったら、おまけ付きでした。そのおまけが実に大胆で、有益と思える提言を含み、印象的でした。
戦前のことだが、長野県の旧小諸第一調整池(バットレスダム)が1928年に決壊した例が知られている。
その跡は、現在は南城公園として整備されているが、よく見ると、バットレスダムの扶壁の跡が今でも残っている。
幌内ダムは、堤高13mでハイダムではないが、1941年に大雨により決壊。1953年に堤高21.1mの発電ダムとして再建。その後1973年に廃止となり、今は砂防ダムになっているようだ。
改修されて、現在は砂防ダム?
一部に古い堤体の跡が見える
土砂や岩石の流出の激しい所にあるダムは、どうしてもコンクリートの損傷が起る。表面に石を張って磨耗や損傷を防いでいる事例がある。たとえば、徳島県の明谷ダム。
黒部川の愛本堰堤(富山県)では、土砂によってエプロンのコンクリートが摩耗するのを防ぐため、ゴム板で覆っている。(取材協力「富山県、北陸電力株式会社」)
寒冷地では冬場に、コンクリートの隙間から水分が侵入し、凍結時に膨張してひび割れが大きくなり、コンクリートが傷んでしまう。
ということで、ダムは常に自然の猛威と戦っている。それに耐えうるダムを設計・建設した方々、そして、それを管理・補修・リニューアルする方々がいらっしゃる。「ダムの底力」とは、そういう方々の努力が形作るものではないかと、私は思います。
ただ、このデザインはないでしょう。ダムナイト5でもボロクソに言われたけど。全てをぶちこわしたこのデザイン。確かに、このダムのデザインについて、ダムマニアからいい評判を聞いたことがない。どういう経緯で、どういう意図で、このデザインができあがったのかは、興味のあるところだ。一見するところ、地域性の強いデザインのようで、その点で、ある種の美意識からは受け入れがたいものになってしまったのかもしれない。地域性も重要だとの認識もあり得ることだし、なぜこんなデザインになったのかの明確な情報がほしいように思う。