「思い」の「カケラ」を見つけよう次に黒部ダム(富山県)の話があった。建設当時、資材を運搬した道路やトンネルが今どうなっているかを調べたものだが、長くなるので省略。
まず、下筌ダムの話。建設時に、室原氏が蜂の巣城と呼ばれる砦を造って反対運動を繰り広げたことはよく知られている。現地には、展示館だろうか、その関係の資料も展示されている。
ところがダム自体は、見てもそのような過去を思わせるものは何もない。物語はダムによって隔絶されている。
それでは、ダムができると何もなくなってしまうのだろうか。
祖山ダム(富山県)には、堤体から少し離れたところに、副堤体というのだろうか、もう一つ堤体のようなものがある。そこに行くと、湖面に何かがびっしり浮かんでいる。近寄ってみると、それはゴミ。
調べてみると、以前はここで、上流から流して運んだ木材を荷揚げしたらしい。庄川では、木材を川に流して運ぶことが盛んに行われていた。その痕跡が、今も残っている。まさにその場所に、今ゴミがたまっている。
そう思うと、ただのゴミがなんだか愛おしくなってきませんか?
真名川ダム(福井県)は、大きなアーチダムで、下流から見ると姿がいい。ダム湖を見ると、写真にあるように、山と水の間に茶色の裸地が目につく。そんなことで、takaneさんの講演は終了。
これは有馬ダム。ロックフィルダムだが堤体の下流面に筋が入っている。
これらは、「美しい景観を創る会」が選定する「悪い景観30選」に選ばれた景色だ。
しかし、よく考えてみよう。裸地ができたり、筋が入ったりするのは、夏期制限水位といって、夏場は台風などの大雨に備えて通常より水位を下げているためだ。
それは、この場所に起こりうる大雨が一体どれだけの規模のものなのか、ということを体現した景色なのだ。ちょっとしたことで、単なる風景から意味を、意味から思いを読みとることができるのではないか。
「コンクリートから人へ」と言われるが、ちょっと付け加えて、「コンクリートから人へ 伝わる思い」ということで今回の話のまとめとしたい。