329, 「出羽三山歩き」と「鉄道の旅」 ( 深浦→弘前→嶽温泉へ )

’10/10/27 (水) 曇
きょうの予定は「深浦駅」から列車で「弘前」へ行き、バスに乗り替えて「嶽温泉」を目指します。

昨夜の風の轟音?は部屋には届かず、グッスリ(といっても自分の家のようにはいきませんが)

Dscn6476_2 部屋から海を見ると、だいぶ荒れているようす

〜〜〜〜〜〜〜

「車で深浦駅までお送りしますよ」
とのご親切でしたが、約4kmという話しなので歩くことにしました。

Dscn6492_2 深浦の荒れる海
左は多分「弁天島」と呼ばれる所だと思います。

Dscn6495_2 「弁天島」
弁財天を奉る弁天宮があり、古くから海上の安全航海と豊漁を祈願する神聖な場所として知られています。
北前船交易が盛んだった頃に建立されたと言われています。

Dscn6498_2 「円覚寺山門」

Dscn6499_2 「円覚寺本堂」
坂上田村麻呂が陣中で使ったかけ仏と、聖徳太子の作と云われる十一面観音が安置されたのが起源と伝えられる。
国の重要文化財に指定されている「薬師堂内厨子」や、日本最古といわれる「北国船の船絵馬」等が奉納されているそうです。

Dscn6503_2 「太宰の宿 ふかうら文学館」
太宰治の小説「津軽」にも登場した旅館を改装して文学館としてオープン。
太宰宿泊の間を当時のままに再現したほか、太宰治の間や大町桂月の間、成田千空の間にはそれぞれ独特の作品を展示してあるそうです。

Dscn6505_2 駅へ向かう途中でのスナップで、いかにもサム〜イという感じです。

Photo_11 「猿神鼻岩洞門」
猿神鼻岩は猿の横顔(右上の岩で、見る角度で猿の横顔ソックリ)に似ていることから名づけられた大岩で、北前船の風待湊である深浦湊の象徴的な存在で古くから信仰の対象となってきました。
洞門は明治25年から明治39年に行われた能代道改修工事の際開けられたもので、深浦湊への物資が容易になったそうです。

Dscn6510_2 「深浦駅前通り」
垂れ込めた厚い雲のせいでしょうか、車も人も通っていません。
静かと云えば静かですが・・・

Dscn6518_2 「深浦駅」
1934/4 開業だそうで、私よりも1年後輩 老朽化も仕方ないナ(苦笑)

Dscn6557_2 五能線車窓からの「岩木山」
「鰺ヶ沢を過ぎると右手に「岩木山(1625m)が見えてきました。
今夜はこの右裾の裏側にある「嶽温泉」の泊まるが、雪が降ったようで「岩木山登山」はダメかも知れないなぁ

この乗った五能線の列車も、途中で車輪スリップのため約2時間遅れで「弘前駅」に到着。
乗務員の話では、「強風による塩害のために登り坂でスリップするもので、これからの季節はこのような遅れが多くなる」 のだそうです。

Dscn6565_2 弘前駅に停車していた「特急津軽」
最近の列車は格好がいいですねぇ (鉄チャンでない私でも撮りたくなってしまいます)

Dscn6567_3 嶽温泉には雪が(その1)

Dscn6570_2 嶽温泉には雪が(その2)

Dscn6574_2 津軽らしい宿の装飾
「岩木山詣(重要無形民俗文化財)」の彫像とのことです。

【 続く 】

2010年11月 6日 (土) ★ 出羽三山と列車の旅 | 固定リンク
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