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January 31, 2006

『サルトル 「人間」の思想と可能性』

サルトル―「人間」の思想の可能性

海老原武、岩波新書

以下、引用。
「<五月>は一知識人の発言をはるかに越える運動であって、サルトルの声もこのとき発せられた無数の声のひとつに過ぎなかった。むしろ、若者たちの運動が彼を追い越し、サルトルは辛うじて彼らの後を追っていた、と考えた方が正しいだろう。」(p136)

「1980年4月15日、サルトルは74歳でこの世を去った。「いま、希望とは」という長いインタビュー記事を雑誌に発表した直後のことである。葬儀の日、病院からモンパルナスの墓地まで、遺体が運ばれる沿道には5万人という群集がつめかけ、サルトルに別れを告げていたという。(中略)
新聞記事の中で私の心を強くとらえた一つのエピソードがある。病院から出棺の際に、葬儀屋が「御家族の方は前に出て下さい」とつめかけていた人々に声をかけた。すると、一人の女性の声が聞こえた。「私たちみんなが家族です!」。この一つの声、そこにいた多くの人間の声を代弁していたかもしれないこの声をどう考えるべきだろう。その声はいかなるサルトルに向けられていたのだろうか。」(p149-9)

「この対談(「いま、希望とは」)の最後に彼は<希望>を語っている。1970年代末は、フランス社会において、古典的左翼が体制化しただけでなく、彼が期待をかけていた毛沢東派の運動も消滅した。世界中で保守化、反動化が進行していた。そんな時代だったのだが...。彼の言葉に耳を傾けよう。
「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さなければならぬ。」」(p176)


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