October 20, 2005
小泉首相の靖国参拝をゆるさない
今週月曜日、小泉首相が靖国神社に参拝した。
賽銭を投げ、平和を祈ったのだと彼は語る。
彼は、過去の戦争を賛美するつもりはないとも言い放った。
このニュース映像を見て以来、ぼくは深く暗い気持ちのままでいる。
彼の政権が支持し、軍事的貢献までしたイラクの戦争で、どれだけの人びとが死に、傷つき、不安のうちに生きているのだろう。60年前に終わった戦争で、日本の侵略によってどれだけの人びとが生死を分かつあわいのなかに放り込まれたのだろうか。
平和に生きることが、人びとの切実な「祈り」でなくなる日は、まだ遠い。その切実な願いのために、いまもなお、この世界のいたるところで続けられている人びとのたたかいに、終わりが来る日は、みえない。
だが、ブッシュや小泉の始めた戦争が、その終わりをはるか遠くに追いやったことだけは確かだ。靖国に参拝する小泉の、その「祈り」のなかに、戦争のなかでなお生きつづけるものたちの、願いや怒りが込められることは決してないだろう。イラクの人びとの怒りに「テロリスト」というレッテルを貼り付け、台湾の原住民族たちの声にそ知らぬ振りを決め込んだのは、彼自身だからだ。
いくつもの「祈り」を、いくつもの戦争によって踏みにじる世界は、いらない。
小泉の「祈り」が、顔を見ることさえない無数の人びとの「祈り」を世界や歴史の淵へと追い落とし続けることに、ぼくは怒りをおぼえる。
そして何度でも言おう。
靖国参拝をした小泉を、決してゆるさない。
(by zappatista)
賽銭を投げ、平和を祈ったのだと彼は語る。
彼は、過去の戦争を賛美するつもりはないとも言い放った。
このニュース映像を見て以来、ぼくは深く暗い気持ちのままでいる。
彼の政権が支持し、軍事的貢献までしたイラクの戦争で、どれだけの人びとが死に、傷つき、不安のうちに生きているのだろう。60年前に終わった戦争で、日本の侵略によってどれだけの人びとが生死を分かつあわいのなかに放り込まれたのだろうか。
平和に生きることが、人びとの切実な「祈り」でなくなる日は、まだ遠い。その切実な願いのために、いまもなお、この世界のいたるところで続けられている人びとのたたかいに、終わりが来る日は、みえない。
だが、ブッシュや小泉の始めた戦争が、その終わりをはるか遠くに追いやったことだけは確かだ。靖国に参拝する小泉の、その「祈り」のなかに、戦争のなかでなお生きつづけるものたちの、願いや怒りが込められることは決してないだろう。イラクの人びとの怒りに「テロリスト」というレッテルを貼り付け、台湾の原住民族たちの声にそ知らぬ振りを決め込んだのは、彼自身だからだ。
いくつもの「祈り」を、いくつもの戦争によって踏みにじる世界は、いらない。
小泉の「祈り」が、顔を見ることさえない無数の人びとの「祈り」を世界や歴史の淵へと追い落とし続けることに、ぼくは怒りをおぼえる。
そして何度でも言おう。
靖国参拝をした小泉を、決してゆるさない。
(by zappatista)