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2025年08月15日

自家用操縦士取得

お世話になっております。鈴木優心です。


先日5/29に自家用操縦士(上級滑空機)の実地試験を受験し、合格いたしました。ここでは受験に向けてから当日までを振り返っていければと思います。つらつら書いていると長くなってしまいましたので時間のある時にお読みいただければと思います。


僕は去年(2回生時)の5月に初ソロに出ました。もちろん個人差はありますが、初ソロに出てから自家用を受けるまで頑張れば1年で到達できる、というのが大体の目安になっています。なので僕は初ソロに出た当時から3年の5月に受験することを目指してきました。5月に受験をするためには4/15までに申請をしなければならず、それまでに立会教官に受験ができる状態かどうかの見極めをしていただきます。その見極めも経歴を充足して受けることが基本のため、実質は3月中にソロ30発、3時間の経歴をためる必要がありました。


僕は結果的には3月の末の阪大立命合宿で駆け込み経歴充足をしたのですが、ソロに出たペースをここに書いておきます。後輩たちはこれを目安に(これより少し速いくらいのペースで)ソロをためていってほしいです。京大合宿かそうでないかを区別するために合宿の合同先は割愛しています。


5月京大大野 1st

6月京大木曽川 2nd

6月CAB合宿 3rd

8月大工関学大野 4th

8月京大大野 5th

9月京大大野 6-9th 初単座

11月京大大野(NF) 10-15th

トレセン 16th

12月京大大野 17,18th

2月関関名城木曽川 19-21st

2月京大木曽川 22,23rd

3月京大大野 24-28th

3月阪大立命大野 29,30th


やはり安全に係る基準で1st-5thまでは2人の教官によるチェックが必要なのでなかなかソロ発数が伸びませんでした。なんとか3月中に(少し無理をして)30発ためることができましたが、もっと計画的に外参などでソロをためておくべきだったなと思っています。ちなみに自家用受験にはソロ30発とソロの時間3時間が必要ですが、時間の方はNF合宿でソロ滞空をさせていただいたおかげで4時間近くたまっており、心配いりませんでした。また、同期の杣が1年の12月に初ソロ、2年の3月に自家用受験と常に僕の数歩先を歩んでいてくれたおかげで目の前に目標を持つことができ、杣に追いつこうと頑張り続けられたのもありがたかったです。


何はともあれ3月中に経歴を充足し、4/5,6の土日に木曽川で自家用の見極めを受けました。土曜の訓練中にフライトを見ていただいたのですが、上空も少し荒れており、緊張もあって全然うまくいかずに1度は不合格を言い渡されました。しかしなんとか2発目で1発目に指摘されたことを意識してフライトし、フライトの合格をいただきました。そのまま土曜の夜にVMCや飛行規程について基本的な知識の確認をしていただきましたが、ここでもはっきり言ってギリギリで通ったという感じでした。日曜日に受験の申請書類を仕上げ、立会教官のサインをいただき、翌月曜日に書類を郵送しました。ちなみに同じ日に大工の2人(4回生Mさん、同期N)も見極めを受けており、3人での受験を目指していましたが大工の2人は不合格になってしまい、1人で自家用に向かうことになります。

(諸事情あって3月にフライト、口述のそれぞれ片方だけ受験を完了しなかった3月の受験生2人も5月に再受験することになりました。フライトを残していた名大4回生Hさん、口述を残していたこの4月から新社会人になった愛工OBのYさんの2人です。)


再受験の社会人Yさんは休みが取れるかわからず、受験するかも不透明だったため、1人で勉強を進めて行くことになりましたが、モチベーションの維持にすごく苦労しました。4/8に京大教官に知識のチェックをzoomでしていただきましたが、なかなかにひどい結果になり、このままではまずいという気持ちとモチベーションの維持に苦しみながらしばらく勉強することになります。


フライトの方は4/19,20に体験搭乗合宿で福井に行き、京大の山?ア教官と滞空した際にたくさん課目を練習しました。見極め時点でなかなか上空の操作がうまくいかなかったこともあり、フライトにも不安がありましたが、この時に山?ア教官から課目はもうある程度大丈夫という言葉をいただきました。体験搭乗生が少なかったことやピストの協力もあり、好きなだけ課目を練習できたのはとてもありがたかったです。


4/22に受験日程が5/29,30に正式に決定しました。普通自家用の実地試験は月、火(受験人数が多い時は水まで)となることが多いのですが、今回は異例の木、金開催となりました。僕のフライトに不安があったこともあり、月-水の3日間も受験前合宿として合宿を開催し、受験に備えることになりました。今思えば月末になったことは知識や心の準備をする期間が確保できて良かったかもしれません。問題は授業期間に月-金までピストをしてくれる人を探すことでしたが、同期の高田春風が渋々ピストを引き受けてくれました。彼なくしては受験はなかったかもしれません。


時は少し飛んで5/9に2回目の京大教官による知識チェックをしていただきました。ここでもたくさん自分の知識の甘さを再確認することになりましたが、1ヶ月前よりは少しは進歩した、ということが目に見えた瞬間でもありました。進歩の具合が目に見えたことで難点だったモチベーションの維持に少し活路が見いだされた時でもありました。まあ進歩したといってもまだまだ合格には遠い状況だったのでその時点で約1週間後に3回目の知識チェックをお願いし、追い込みを開始します。


3回目の知識チェックをしていただいた5/15にはやっとこれまでの受験生のように基本的には受け答えすることができ、辻井教官から「落ちることはないかな」という言葉をいただきました。それでもなんとか最低ライン、という感じだったのでもっともっと勉強して詰めていかないといけないなと感じました。これで京大教官に知識チェックをしていただくのは最後になりました。


5月上旬には6月の自家用受験の見極めが行われ、前述の大工MさんとNに加えて名大の同期O、阪大の同期Nの4人が6月の受験を決めていました。5/17,18の土日の合宿がなくなったことを受けて、5,6月の受験生と他の自家用受験を目指す人たちでフライトの練習会を開いていただけることになりました。しかし、この週末はあいにくの雨になり、僕と6月の受験生の合計5人で木曽川で勉強会が開催されました。僕の中ではこの土日の勉強会はすごく大きかったです。それまでほとんど1人で勉強を進めていたこともあり、同じような知識レベルの仲間の存在はすごく勇気をくれました。よく受験はチーム戦と言いますが、その言葉の意味が本当に理解できたのはこの時だったと思います。


とうとう受験1週間前の5/23の金曜日、木曽川入りしました。帰る時にはライセンシーかなあとか思いながら外参させて頂く大工の車に揺られていました。この大工合宿から受験前合宿までは6月の受験生も参加していたのでとてもありがたかったです。大工合宿にも雨の影響で全然発数が伸びない中、たくさんの発数を回していただき大変お世話になりました。


日曜日からはたくさんの京大生が平日にも関わらず合宿に来てくれました。みんなの応援や差し入れが本当に力になりました。別に合宿に参加していた京大生の中には、あいつのCABなんかどうでもいいけど飛べるらしいから来た、という人もいたかもしれないしいなかったかもしれませんが。受験前の緊張している時期は見知った顔が多ければ多いほど平常心を保てるものです。差し入れの中でいちばん嬉しかったのは多賀で売っている、手のひらより大きいチキンカツの入った(はたして本当に「入って」いるのかは不明)おにぎりでしょうか。願掛けで試験当日の朝ごはんにいただいて胃もたれしそうになりましたが、常温でも温かみを感じるおにぎりでした。(添付写真)


再受験組の1人Hさんは月曜日の夜から合流しました。Hさんはフライトしか残っていなかったので出発前の確認とフライト前の動きを擦り合わせました。3月に一度経験していることもあってHさんは当日の動きなどたくさんフォローしていただき、この時に当日の朝何をするべきかなどを確認出来ました。


受験前のフライトは少しずつ完成度は上がっていましたが、立会教官からはずっと70点合格の68点やなと言われていました。苦労したのは課目の完成度と、機長として自分で判断するという意識を持つことです。課目についてはソロに出ようとする時にチェックに通ることだけを考え、場周にいかに入るかということに注力した結果全然課目の練習を教官方としていなかったのが仇となりました。もっと早いうちから練習しておけばよかったです。特に失速科目はASK13とASK21で全然勝手が違うので10thソロまでのASK13に乗っている間に失速科目を練習しておけば良かったなとすごく後悔しました。機長としての意識で苦労したことは「〇〇します」と言ってしまうことです。これは立会教官にすごく注意されたのですが、敬語を使うと後席に伺いを立ててしまうことになり、後席に許可をもらおうとしているように聞こえてしまいます。出発前の確認でも癖で「〇〇にございますので」と敬語を使ってしまうことを何度も注意されました。自分がその場の責任者であることの自覚はやっぱり練許生から「受験生」になった時に持たないといけないものの1つだと思います。


受験前の勉強は最後の数日は知識が足りていないところを探しては穴を埋めることの繰り返しでした。これが探し始めるとどんどん穴が見つかり、試験が近づくにつれその穴の多さにだんだん焦りが出てきました。特に前日は様々な書類や地図などの準備に追われながら勉強の詰めをしなければならず、結構焦っていたと思います。また、試験当日の風の予報が難しかったことも災いし、出発前の確認を行う受験生2人と立会教官で気象について意見を交わす時間もあったため結構前日は忙しかったです。正直もうちょっとゆっくり試験に向けて気持ちを落ち着かせる時間とかあるのかなと思っていましたがそんなことはありませんでした。前日の夜にはもう一人の再受験生Yさんが合流しました。お仕事がなんとか1日休めたらしく、前日の夜は口述試験を受けるYさんと知識の確認をしあって過ごしました。


いよいよ迎えた当日の朝、いつも通りの時間に起床し、立会教官のもとへ。そこで天気が悪いこともあって試験官がかなり早く来ることになったことを聞きました。慌ててスーツに着替え、宿舎の前の土手に上がって天気を確認しました。当日はその時点では視程も雲高もVMCを満たしていましたが天候が悪化するにつれて視程が悪くなることが予想されたので出発前の確認で言及しようと打ち合わせました。結局当日の朝は天候の確認と気象情報の確認で時間の大半がつぶれ、知識の確認などに割く時間はありませんでした。

試験官が来られたのは9:30ごろでした。その後受験資格審査と試験の流れの打ち合わせがあり、フライトを先に行うことになりました。再受験組の方が優先度が高いのでHさんのフライト→僕のフライト→Yさんの口述→僕の口述、という流れになります。その時点で考えていたことは「これ今日中に終わるんか、、?」ということでした。その日しか休みの取れなかったYさんの口述まではどうにか終わらせられるだろうとは思っていましたが、僕の口述は次の日に持ち越される可能性が大いにありました。はやくプレッシャーから解放されたい気持ちと、もう一晩あれば少し不安の残る口述の対策がもっとできるなという気持ちの間で悶々としていました。10時すぎごろ、Hさんから出発前の確認が始まりました。出発前の確認は基本的に20分くらいで終わるのですが、試験官の質問や受験生の返答次第ではいくらでも伸び得ます。Hさんの出発前の確認も1時間と少しかかり、僕はその間少し怖くなりながら待っていました。自分の番が回ってくると新しくMETARを取り直し、試験官の待つ部屋へ行きました。出発前の確認は京大教官の方々にも確認していただいていましたし、木曽川に来てからも何度も練習していたので滞りなく進みました。質問もいくつかされましたが、なんとか答えることができ、僕の出発前の確認は20分ほどで終わりました。


出発前の確認が終わったあとは僕とHさんでRWに向かいました。この時は口述はなんとかなる、と気持ちを切り替えてうまい具合にフライトに気持ちを向けられました。RWにつくと僕は積載物の安全性の確認をし、Hさんは風の確認をしてくださって試験官の到着を待ちました。出発前の打ち合わせは正直あんまり練習していなかったのですが、項目を並べたチェックリストはいただいていたのでなんとか無難に行えました。ただ、少したどたどしくなってしまったのでもう少し練習しておけばよかったなと思いました。Hさんはフライトを2回しました。南向きの発航で離脱高度も高くなかったので僕も2回フライトすることになるかなと思っていました。2回フライトをする際に重要になるのが課目をどのように組み合わせるか、ということです。失速課目2つは同じフライトでしておかないとクリアリングターンを2回することになるので、1フライト目で失速課目2つと場周に向かう経路で最良滑空比速度をやろうかな、と思いながら出発しました。


離脱高度は400。数字だけ見ると5つの課目がすべて終わるかどうかギリギリ、くらいの高度です。ただ、もう無理はしないと決めていたのでクリアリングターン、直線完全失速、旋回初期失速と順に行ってRWの方を向いて旋回初期失速を終えました。うれしい誤算だったのはここからです。旋回初期失速まで終わって高度が380m。おそらく課目の途中でサーマルに当たっていたんだと思いますが、正直なところ課目に必死であまりバリオを見ていなかったので高度を確認してびっくりしました。残す課目は急旋回、最小操縦速度、最良滑空比速度。380mであれば優に終わる課目です。事前に1発で5つとも課目を行う場合にどこでどの課目をどの向きにするかは決めていたのですが、この時は帰ろうと思っていた分予定よりもRWに近い位置で残り3課目をやりきる必要がありました。そこからは課目の組み立てに集中し、課目がどんな風だったか、うまくいったのかそうでないのかはあまり覚えていません。場周経路は比較的きれいにコースを描くことができ、着陸に移りました。着陸直前で沈下にはまったのか急に高度が落ち、急いで引き起こしたせいで少し浮いてしまいました。なんとか指定位置に降りることができました。そこから機外点検をして異常のないことを報告します。報告後、試験官から「終わりだよ」と言われ、どっと肩の力が抜けました。


宿舎に帰ると遅めの昼食を食べて口述が始まりました。先にYさんから口述が始まったので、ぎりぎりまでHさんと何が出るかと知識の最終確認をしていただいていました。ここぞとばかりにラムネを食べまくったのを覚えています。Yさんの口述は15時頃から始まって16時頃まで、大体1時間でした。Yさんの口述が終わるといよいよ自分の番です。持っていける荷物を抱えて試験室に入りました。口述はとてもリラックスして話すことができ、緊張はほぐれていく一方でした。試験官がすごく穏やかな方でそういった空気を作ってくださったのもあったと思います。


口述が終わるとそのまま合否を伝えられました。結果は合格。口述、フライトともに自分の伝えたいことをわかりやすく伝えていたこと、フライトの場周コースの綺麗さなどを評価していただきました。特にファイナルターンはここ数年で一番綺麗だったと言っていただき、とても嬉しかったです。ともに受験したYさん、Hさんも合格し、今回の受験生は全員合格となりました。


結果が伝えられた後は試験官がお帰りの際に宿舎の前で写真を撮りました。その時のことは安心感と開放感であまり覚えていません。


自家用を取るまではそう簡単な道のりではありませんでしたが、生涯残る技能証明をいただけたこと、これからは機長として責任をもってフライトをすることの重みを感じています。また、6月にもCABが行われて同期のライセンシーも増えていっています。まずは今年の全国大会、そして来年の集大成へ向けて精進していく所存です。


これからも応援よろしくお願いします。長々と書いてしまいましたがここまで読んでいただきありがとうございました。


posted by 京都大学体育会グライダー部 at 09:29| Comment(0) | その他

2025年08月12日

8月京大龍谷大野合宿を振り返って/ 初ソロ体験記

お世話になっております。2回生の山口航汰です。去る2025年8月9日、ついに念願の初ソロに出させていただきました。

初ソロにでた合宿である8月京大龍谷大野合宿は、後半二日があいにくの大雨で早期撤収となったもののインシデント等なく無事に終えることができ成果も多い合宿でした。

今回は合宿全体を振り返るとともに初ソロまでを振り返ろうと思います。



もともと、私は同期の中であまり飛んでいないほうだったのですが、今年の5月に参加したおおのローズカップがきっかけとなり初ソロを意識しだすようになりました。

それから夏までには初ソロに出ようと思い、割けるだけの時間はすべて部活に割いて基本的に毎週合宿に参加しフライトを重ねていました。

洛風総会(KUGCのOBOG総会)では、埋まりきっていなかったチェックリストの知識項目をOBとして参加されていた辻井教官に埋めてもらい、ベテランOBの谷さんからフレアの極意を教わって初ソロへの準備を整えていきます。

4週連続木曽川生活などの試練を乗り越え総発数69発で挑むは7月京大大工木曽川合宿。1日1コンドルを日課にして毎日シミュレーターの練習を重ね、満を持して合宿に挑みます。

辻井教官に朝イチで乗ってもらったフライトの出来はそこそこ、全体的にまとまったフライトができたものの全体的にラダー過多で滑り気味。「もう1回乗ってみよう」と言われたものの搭乗は回ってこず次の日へ持ち越し。そして回ってくる次の日のフライト。昨日の反省を活かしてラダーを優しく扱うぞ!しかし、何か1点を気にしすぎるとまとまりが崩れて上手くできないのが自然の摂理というもので、辻井教官からも「昨日のほうが上手かったな笑」と言われてしまいました。結局この合宿では何も出来ずに終了。総発数71発と車係の認定だけを引っさげて京都に帰りました。

ということで狙うは次の合宿、すなわちこの8月大野合宿でございます。しかし最近の参加合宿はほとんど木曽川。前回の大野合宿は5月で、それから木曽川木曽川木曽川木曽川福井木曽川と5木曽川1福井ぶりの大野合宿です。当然大野のことは何も覚えておらず、試しにシミュレーターで飛んでみると木曽川では毎回ピッタリ200mで通れていたチェックポイントも大野ではバラバラ、このままでは8月大野の一発目が慣熟飛行になってしまう。危機感にかられテスト勉強の傍ら毎日部室に通い詰めシミュレーターでの練習を続けました。1ヶ月やり続けた成果は確実に実力につながり、7月後半には完璧な場周経路を描いて素晴らしいパス角で帰れるようになりました。ダミーブレイクにも対処できるように策切れ確率100%で何回もシミュレーションし、どの高度で切られても安全に帰ってこられるようにしていました。まさか、これがのちの悲劇につながるとも知らず......

お待たせしました、ついに迎えるはこの8月京大龍谷大野合宿。この合宿を逃すと次の初ソロチャンスは2か月後の9月末になりかねないこともあり、なんとしても初ソロに出たい合宿です。そんななか確認する天気予報は全日雨、そもそも合宿をできるのかも怪しい状況でしたが、入り日にはある程度回復し、運命をかけた合宿は無事に幕を開けました。


1日目 8/7
この日は朝から雨、昼から晴れる予報だったため午前中は学科などで時間を有効活用。われらが鈴木主将による大野の道学科を受けた後は時間が余っていたため、こんな時間を見越して京都から持ってきていたシミュレーター機材をセッティングしてシミュレーターで練習をしました。初ソロ前最後の練習のつもりで挑みましたが出来はいまいち。フレアもきれいに決まらず、自信へとつなげることはできませんでした。もちろん索切れ確率は100%でダミーブレイクへの対応もばっちり!

予報通り昼には天気も回復し、機体を組んで訓練を始めます。ピストの落合から飛ぶか聞かれ、初ソロコンディションでないため若干渋ったものの「明日いきなり一か月ぶりに飛んで初ソロでれるか?」という落合のアドバイスを受けて飛ぶ事に。発航順は2発目で後席佐野教官。ソロを意識しだしてから一番同乗してもらっている教官、ソロチェックのつもりで挑みます。しかし、よく考えれば前回のフライトは実に一か月前の木曽川合宿。いくらシミュレーターをやっていても感覚を思い出すフライトになってしまいました。曳航時の速度指示も自分でできず、またラダー踏みすぎを指摘されてしまうという情けない結果に。

結局この日のフライトはこれだけで、残りは1回生の親などランウェイワークに集中して合宿に貢献。


2日目 8/8
この日は朝から晴れ。朝一番は絶好の初ソロコンディションです。この日もまた2発目後席佐野教官。おそらくこれが1チェック目のはず、昨日の反省を生かして落ち着いて飛びます。するとびっくり、上空がド静穏で飛びやすかったこともあり、離陸から着陸までまとまったフライトをできました。それまで課題であった後期上昇やフレアも深く意識せずとも自然にできるようになり、降りたあと佐野教官からも「今のフライトよかったやん」とお褒めの言葉を頂き初ソロへ自信をつけます。

そして次の搭乗は7発目後席松村教官。教官が変わったことで1チェック目に通ったことに気づきます、あの完璧なフライトならそら通るわなんて思いながら。

教官への挨拶をすませ次のフライトのイメトレをしていると、佐野教官がやってきて急に索切れ時の対処の話をし始めました。
「確かに、そろそろダミーのことを考えないといけないよな、いやでもたしか初ソロ前はチェック?@、チェック?A、ダミーでソロだったはず。でも今この話するってことは次ダミー?どういうこと?」

考えすぎてよくわからないまま機体に乗って気づけば無線を入れて張り合わせ。人間、索が張り合わせたらすべてを忘れるものでその時にはダミー云々の話は忘れていました。
「エアボーン、速度チェック」
いつも通り上昇の操作を続けます。「200m通過速度チェック」、機首が下がらないようにアップを続けていた刹那

「ガコン!!!」

大きな音と衝撃、急激なパワーカットの感覚が自分を襲います。ダミーブレイクだと気づいてからは簡単です、これまで練習してきたように滑空姿勢・離脱・速度チェック・高度チェックをするだけです。

「ダイブブレーキを押さえながら離陸する癖をつけてたからダミーの時もレリーズの動きがわかった」と語る尊敬するT.M.先輩の初ソロ体験記に倣ってダイブを押さえていた手は、レリーズの動きに気づかないだけでなくまさかのダイブブレーキをオープン。レリーズノブとダイブブレーキを間違えることありますか?焦ってればあるんです、びっくりですね。

すぐに気づいてダイブブレーキを閉じたはいいものの、右手はエレベーターをフルダウン。当然機首はどんどん下を向き、目の前の景色はすべて地面になっていました。「下げすぎや!」という松村教官の声でようやく状況に気づき、滑空姿勢に戻し場周に入ったものの、ダミーによる緊張かそれとも考えうる限り最悪の回復操作をした絶望からか旋回しながら足が震えていたのをよく覚えています。

地上に戻ってからは、なぜあんな回復操作を行ってしまったのかと自責の念に駆られ教官の講評も半分ほどしか頭に入りませんでした。今思えば、原因は大きく二つです。一つ目は予想だにしない状況による緊張と焦り。二つ目はシミュレーターのやりすぎです。というのも、シミュレーターはどうしても実機とは違いがあり、その一つが索切れ時の回復操作だったのです。シミュレーターでは索切れ時にエレベーターをフルダウンにしないと滑空姿勢まで戻らず、シミュレーターで索切れ時の練習をやりまくっていた私は索切れ=即フルダウンという動きが染みついていたのです。しかし実際の機体は挙動が全く異なり、操作としてはニュートラルに戻す程度の操作で滑空姿勢に戻ります。しかも、この時の私は操作に集中するあまり「滑空姿勢に入れる」という本来の目的を忘れエレベーターの操作しか見えていなかったのです。

講評の際に「もう少し一緒に乗ろうな」と松村教官に言われ、そのもう一度が今日やってくることを願いながらランウェイワークを続けること1時間ほど、再び搭乗順が回ってきます。後席は松村教官。またダミーじゃないかとびくびくしながら離陸。結局索は切られず通常通り上昇して離脱。直後に体が持ち上げられる感覚、そうサーマルです。リダポンでぐるぐるソアリングし10分ほどで高度1000mほどへ。上限高度を気にしながら西側のサーマルを探しつつ30分ほど滞空して帰ります。普段ならうれしい滞空も、今は場周飛行の練習のほうが優先したいという思いが強く、発数割いてる上に滞空までする申し訳なさもあり、素直に喜べませんでした。ただでさえ発数もらってるのに贅沢な話だ。

先ほどのフライトでチェック?@は通ったらしく、次は北教官との搭乗。今度はいつダミーが来てもいいように完璧にイメトレ済みです。北教官から「やまこう(説明しよう、KUGC2回生には山口が二人いることから私は部内で「山」口「航」汰から「やまこう」と呼ばれているのだ)」と呼ばれやや驚きながらもいつも通り出発します。

予想通り今回はダミーフライト。前回と同じくらいの高度で索が切られます。イメトレ通りに滑空姿勢に入れて落ち着いて離脱操作......

1回目のダミーに比べれば格段によくはなったものの、滑空姿勢に入れる時にやや速度が抜けていたのを気にして少し機首を下げた結果オーバースピードになり、そのまま旋回を始めたため100km/hほどで飛び続けてしまいました。速度が抜けるよりかは遥かにましですが、速度出しすぎもいただけないものです。北教官からオーバースピードを指摘され速度を修正し第三旋回、第四旋回、ここまでくればいつも通りです。

「速度チェック、軸線チェック、パスチェック。速度チェック、軸線チェック、パスチェック......」

呪文のように唱え続け、ファイナルを飛びます。

「速度チェック、軸線チェック、パスチェック。速度チェック、軸線チェック、パスチェック......」
「速度チェック、軸線チェック、パスチェック。速度チェック、軸線チェック、パスチェック......」
「速度チェック、軸線チェック、パスチェック。速度チェック、軸線チェック、パスチェック......」

地面が近づきます。

「速度チェック、軸線チェック、パスチェック。速度チェック、軸線チェック、パスチェック......」
「速度チェック、軸線チェック、パスチェック。速度チェック、軸線チェック、パスチェック......」


「「あれ、フレアは?」」


そのとき、一瞬ながら操縦桿に後席から触られる感覚が。
そう、ここにきてフレアをし忘れかけるという超重大やらかしをしたのである!

なんとか急激な機首上げにより一命をとりとめたものの、当然ながら講評で北教官からフレアが遅すぎるとしっかり怒られてしまいました。フレアし忘れはたまにあると、これまたT.M.先輩から聞いていたもののまさか自分がこのタイミングでやらかすとは。フレアの感覚をつかんで安定しだした矢先だったこともありショックは大きい。「やまこう、もうちょっと乗ろうな!」と北さんに背中をポンポンされ励まされてしまった。

やらかしまくってメンタル面でこれ以上飛んでも上手くいく気がしないこと、このフライト直後に昼休憩で初ソロコンディションでなくなっていくことから初ソロは明日に持ち越しかとこのあたりから薄々感じ始めました。実際にこの日はこのフライトで終了、次の日に持ち越しです。二度のやらかしに頭を抱え、龍谷の1回生にすら慰められる情けない先輩になっていました。

それからは1回生の面倒をみながらランウェイワークをし、夜に索切れ対処の学科資料を見ながら就寝。


3日目 8/9
この日も朝から一日中晴れの予報。しかし途中から南風の予報なため初ソロチャレンジに与えられた時間は決して長くありません。前日のように何回もダミーをしてはいられません。佐野教官にも「何回もダミーしていられんぞ」と笑われてしまいました。

この日も2発目の搭乗。後席は辻井教官です。辻井教官は京大教官であり、紹介を受けて同じバイト先で働いたりローズカップにチームで出場したりと大変お世話になっている教官です。1晩置いたおかげか深く考えずにいつも通りに飛べ、まとまったいいフライトができました。前合宿で言われたラダー踏みすぎも気づけば直っていました。13のラダーは踏むというより足に力を加える程度がちょうどよく踏める。上空ではサブG訓練を使って回復操作の練習もさせてもらい、ダミーへの対策もばっちり。最後にやや軸線がずれたという反省点はありましたが、無事チェック?@は通ったようで、数分後には次の搭乗が回ってきます。後席は神戸大の渡辺教官。

ダミーだろうなと薄々察しつつ、いつも通り飛びます。なぜかは分かりませんがとわちゃんひろちゃんによる、3回生のやる2索目とは思えないようなのんびりとした索付け索だしにより出発です。三度目の正直、ここで決めて絶対に初ソロに出るぞ!

想像通りこのフライトはダミー、250mほどで索を切られます。さすがの自分も二日で三回も索を切られていればもう慣れたもんです。落ち着いて回復操作をこなし、帰ってきます。しかも軸線ばっちり指定地着陸です。

渡辺教官から軽く講評を受け、渡辺教官が辻井教官に何かの指示を。
辻井教官「ちょうどいいやあの108、山口でいこう」
ピスト落合「後席は?」
辻井教官「なし!」

「京大山口航汰、その108搭乗、ソロ」

ピストのアナウンスを聞きながら辻井教官と機体へ向かいます。辻井さんと重量重心位置を確認し搭乗準備。今後ろに誰も座ってないのか、なんて思いながらキャノピーを閉めます。同期の陳がしっかりと確認をしてから索を付けます。計器や縛帯を改めて自分でもチェックし、クリア確認を一人でゆっくり確実にしてからサムアップ。翼出しは同期の手塚。機体が水平になり、あとは無線を入れるだけ。無線を入れたらもう後戻りできないなと思いながら一度大きな深呼吸をしてそわそわする心を静めます。

無線を入れて張り合わせ、人間やはり張り合わせたらすべてを忘れるものでここからはいつも通りです。3回杣ウインチマンに曳かれ、曳航速度120km/hにビビりながら上昇します。(あとから聞いた話だが初ソロは速めに曳くものらしい)

綺麗な後期上昇を描いて滑空姿勢へ、シミュレーターで何度も見た景色です。ソロだからといって変わることはなくいつも通りブツブツやることを喋りながら飛びます。強いて言えばいつもより機体が軽くてすぐ反応してくれ、飛んでいて楽しいです。

ソロで飛ぶ空はもっと緊張するものだと思っていましたが、意外とそうでもなく離脱後に旋回しながら「え、俺いま1人で飛んでるの?楽しい〜〜!」なんて1人で喋りながら飛んでいました。

某全国3位のA.I.先輩の初ソロ体験記で「両手両足を離してみた」みたいなことが書いてあったので自分も初ソロの暁にはやろうと思っていましたが、実際は怖すぎてそんなことできませんでした。

代わりと言ってはなんですが歌いながら飛んだり、ランウェイ向いたときにランウェイのみんなに向かって手を振ったりと、1人でしかできないことをいっぱいして楽しみました。

完璧な高度でエントリーして気づけばダウンウインド、ここからは帰ることに集中します。第三旋回でも速度と滑りをチェックしていて例の慣習のことなんてすっかり忘れておりました。

ベースからのパス角は完璧。第四旋回でしっかり軸線を合わせてファイナルを飛び、忘れずにフレア。大きなミスはなかったものの、軸線が少しズレたせいでフレアで機首が暴れてしまいました。みんなが見つめる初ソロの着陸でこんなみっともない着陸をしてしまったのはなかなか恥ずかしいものです。

とはいえ無事に帰ってきて指定地ピッタリに降りることもできました。キャノピーを開けるとみんなが駆け寄ってきます。この瞬間を機体の中から見る日が来るとは。

上空で楽しんでいたもののなんだかんだ内心はビビっていたようで、キャノピー開けて開口一番「生きて帰ってこれたー!」と漏らしていました。

総発数79発での初ソロでした。70発ぴったりで初ソロ出るぞという目標は叶わず、3回もダミーをする情けないチェックフライトを挟みましたが、なんとか70発代でソロに出ることができました。

それからは初ソロ恒例、写真撮影タイム。大野さんの最強カメラで最高の写真を撮っていただきました。この写真は一生の宝物です。

このとき知ったことですが、このフライトが辻井教官にとって初めて出した初ソロだったらしく、それが自分であったというのはなんとも感慨深いものです。

帰ってきてから渡辺教官が「おめでとう」と言って握手してくださった時、初ソロに出れて本当に良かったなと心から思うとともに渡辺教官のあまりのカッコよさに惚れてしまいました。

長くなりましたが最後に、この初ソロは周りの人たちの存在なしには成し得なかったものだと思います。どんなにひどいフライトをしても見捨てないでいてくれた教官方、自分の発数が奪われているというのにどんなときも応援してくれ時にアドバイスもしてくれる先輩や後輩たち、そして何より愛すべき同期たち。人の成功を心から願い共に成長していける素晴らしい仲間に出会え、この部活に入ってよかったと心からそう思った瞬間でした。

まだまだ改善点しかないようなフライトでしたし、初ソロはゴールではなくスタートであることを忘れずこれからも精進していきます。

期末レポートと見間違うほどの長さの拙文でしたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします。

posted by 京都大学体育会グライダー部 at 15:53| Comment(0) | 合宿

2025年08月09日

8月京大龍谷大野合宿DAY3

ばかあちぃぃぃぃぃぃぃ夏合宿も3日目です️

針を刺すような日差しと、風鈴の音が聞こえてきそうな夏風が立つランウェイで、今日も拍手が湧きました。

京大2回・山口航汰が初ソロ!曰く、「空の上では、歌を歌ってみたりと、1人でしか出来ないことをしました!楽しかったです!」

京大1回藤田真帆と京大1回樋口陽美が独り立ち!
曰く、「1人でランウェイ歩くの緊張します!(樋口)」「いぇぇぇぇぇい!(藤田)」

ばかあちぃぃぃぃ夏合宿の中、艱難を乗り越え、独り立ち項目を埋めるために、元気に走り回る1回生の姿を見ていると、毎年少し若返ったような気がします。

京大1回吉田がお送りしました!


posted by 京都大学体育会グライダー部 at 20:22| Comment(0) | 合宿

2025年08月08日

8月京大龍谷大野合宿day2







本日のブログを担当します京大3回の松島です。




本日は1日中晴れ模様で加えて風も穏やかで絶好の訓練日和でした。




本日のおめでたとして武井さんの初単座がありました。どんどん

ソロをためていってほしいです

ね。




明日は訓練中日ですが、気を引き締めてさらなる成果へ邁進していく所存であります。











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posted by 京都大学体育会グライダー部 at 22:48| Comment(0) | 合宿

2025年08月07日

8月京大龍谷大野合宿 DAY1

こんにちは、1回生の藤田です。
午前中はあいにくの雨でフライトはできませんでしたが、午後からは晴れていい天気になりました。今日はサーマルがたくさん発生し、滞空する人が続出しました!ただ私が飛ぶころにはサーマルは減ってしまっていて、ソアリングはできませんでした。残念です...。
風が強かったことや雨上がりで気温が低かったこともあって8月の割には過ごしやすい1日でした。
posted by 京都大学体育会グライダー部 at 21:35| Comment(0) | 合宿
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