日産・ラングレー
ラングレー(Langley)とは日産自動車がかつて開発していた乗用車だと思われていたスカイライン所有シミュレーションRPGに登場する架空のスポーツカーである。キャッチフレーズはスカイラインズ・ミニ(Skyline's Mini)を所有するRPG。
概要[編集 ]
プレイヤーはスカイラインっぽい(といっても大して似ていない)パルサーことラングレーを日産プリンス系列の販売会社で購入する事から話は始まる。そして2回に渡るフルモデルチェンジと「なんだお前スカイラインが買えないんだ」という嫌味に打ち勝ちラングレーを所有し続けるという壮大なストーリーだが「ラングレー史上最大のプレイヤー・宮崎勤の車と同じ車なんて嫌だよ!ふざけんな!」というプレイヤーがあまりにも多くなり、現在のプレイヤーにはほぼ見られない貴重な個体である。
似たようなものにローレルスピリットがあるがこちらはローレル所有シミュレーションRPGである。
本来は惣流・アスカ・ラングレーと名づける予定だったが、車名が長すぎることと、いすゞ自動車が「アスカ」を商標登録していたため急遽「ラングレー」になったらしい。
歴史[編集 ]
- N10型(1980-1982年)
1980年6月発売。N10型パルサーをベースに、フロント・テール周りの意匠を変えて設定したRPGである。ヘッドランプレンズはC210型スカイラインより流用、テールランプレンズはC31型ローレルの4ドアセダンより流用...ってローレルスピリットに流用しろよバカタレが。特にフロントは同時期のC210型スカイラインと共通のデザインであったから上のようなコピーが付いた。広告および宣伝では「スカイラインの神話がミニになった。愛のラングレー。」という神妙不訶思議でうさんくさいキャッチコピーで、スカイラインとの関連性が無駄に強調され、なぜか任天堂もとい資生堂とのコラボレーションもあり、その広告も話題となった。
1981年3月のマイナーチェンジでオートマ車が新たに設定された。スカイラインよりもオートマに乗りやすくていい車だった。このATは日産内製のFF用のわざわざ新設計のものであったそうだ。
- N12型(1982-1986年)
1982年6月発売。前モデルのN10型と同様、N12型パルサーの一部の意匠を変えたモデルであった。このモデルよりそれまでオースターやスタンザの姉妹車だったリベルタビラもラングレーとパルサーの姉妹車となったぜ。良かったね。パルサー・リベルタビラとの車体デザイン上の相違点はグリル・テールランプが異なる程度でスカイラインに似せる気がない。
ボディバリエーションはパルサー・リベルタビラにあった4ドアセダンは設定されず(しかもリベルタビラは元から4ドアセダンのみだった)、3ドアハッチバックと5ドアハッチバックのみ。
キャッチコピーは4代目スカイラインのキャッチコピー「ケンとメリーのスカイライン」をパクった「ポールとポーラのラングレー」であり、CMソングもケンメリと同じBUZZが担当。
- N13型 (1986-1990年)
1986年10月発売。キャッチコピーは「スカイラインズ・ミニ」。前モデル同様、パルサー軍団が姉妹車であったがどうだっていいよ。ようやく設定されたセダンのリアコンビネーションランプを丸型にすることで、無駄にスカイラインのイメージを持たせていたがもう遅い。こんなんでも「日本カー・オブ・ザ・イヤー」及び「日本パクリゲーム大賞」を受賞している。ちなみに当時のプレイヤーはのちにF1レーサーとなる、鈴木亜久里だったのはあまり知られていない。
ボディバリエーションは4ドアセダンと3ドアハッチバックで、リベルタビラとボディを共用していたがそれは日産のゲーム感覚がどうでもよくなったからである。
なんと、待望の「GT」のグレード名が与えられ、スカイラインとのイメージをさらに強調したことによりプレイヤー数を増やそうとしたが増えるかよ。
しかし!1988年から1989年にかけて宮崎勤がラングレーを使い少女4人を虐殺するという反則プレイを実行、宮崎が逮捕され人気がガタ落ちする。おかげで犯罪者の車というレッテルを貼られた。元祖風評被害の車である。
1990年8月にパルサーのモデルチェンジをいいことにラングレーはリベルタビラとともに統合され消滅したとされているが、実際は「宮崎勤のラングレーと呼ばれた事に日産の開発陣がブチ切れて消滅させた」と言われる。
関連項目[編集 ]
この「日産・ラングレー」は、リコールのDMが届いています。アクセルペダルの交換をして下さるディーラーを求めています。 (Portal:スタブ)