武蔵坊弁慶
武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)とは、源義経が連れ歩いていたペットである。
概要[編集 ]
義経のいる所弁慶あり、弁慶のいる所義経あり。常に源義経と一緒に行動した人物である。坊主で、巨漢で、ナギナタを振り回して戦った。義経を主役にしたお話はいくつもつくられているが、必ずと言っていいほど弁慶は一番の部下として出てくる。主君の義経はチビで有名であり、巨漢の弁慶と一緒に並ぶと、そのコントラストは鮮やかな芸術となって際立つ。そして、弁慶という巨漢を従えていることは、義経のチビという外見的デメリットを希釈させている。こんなチビだけど、あの巨漢を従えているのだから強いのだろう、人々は、義経に従えられた弁慶を見て、そう認識する。
このように、義経のヒーローとしての色に彩りを添えている弁慶、しかしながら、その正体は、ただのならずものである。武器マニアで、人から武器を奪って集めていたという盗人である。坊主であったが、戒律なんて糞喰らえという破戒僧で、モラルも何もあったもんじゃない。こんな人物を一番の側近に据えていたのだから、源義経の器も底が知れる。義経は常陸坊海尊という坊主も部下として従えていたが、こいつもこいつで破戒僧である。ただし、弁慶ほどのDQNではないので、後世にその悪名はさほど伝わっていない。
当然のことながら政治のセンスは微塵もない。
伝説[編集 ]
弁慶には様々な伝説がある。一番有名なのが、主君義経が兄源頼朝に追い詰められて自害する際に、自害をする時間を稼ぐために彼の籠る御堂の前に立ちふさがって、全身に矢を受けてなお立ち往生し、仁王立ちのまま息絶えたという伝説である。これは義経が主役の物語でも概ね再現され、このシーンによって弁慶は主君であるはずの義経の存在感を完全に食ってしまい、最期の最期で主君から主人公の座を強奪するとんだ不忠者になってしまった。
また、弁慶が立ち往生して義経を逃がしたという伝説もある。これが事実なら弁慶は我が身を犠牲にして主君を生かした忠臣の鑑ということになるが、合戦でのスタンドプレーが上手なだけで、政治音痴の甚だしい義経がそこまでして生かすに値する人間だったのかは疑わしい。
弁慶は義経と不仲だったというエピソードもある。ある関所を、義経と弁慶と、その他の部下が通過する際に、弁慶が突如義経に暴行を加えはじめた。それを見た関所の番人富樫泰家は慌てて弁慶の暴行を止めさせた。義経の忠臣のように見える弁慶だが、この話では忠義を尽くす主君に暴力を振るっており、案外義経への忠誠心は希薄だったのではないかと疑惑を抱かれている。そもそも何故突然主君に暴行を振るい始めたのか。義経も義経で大概素行の悪いチンピラなので、弁慶に向って小便をひっかけたり、もしくはこの関所を無理矢理通る方法を考えろボケと無理難題を押し付け、主の理不尽な要求に弁慶が激昂したのかもしれない。
弁慶が義経に暴行を振るったというこのエピソードは、どういうわけか後世には美談として伝わっている(勧進帳)。
五条大橋の邂逅[編集 ]
弁慶は武器マニアであり、人々から武器を奪って自分のコレクションとしていた。彼は五条大橋を根城としており、そこを通りかかった義経に「武器を寄越せ」と襲い掛かるが、義経に返り討ちにされ、感服してその家来となった、という伝説がある。この伝説は義経と弁慶の邂逅の契機として有名なのだが、額面通りに信じ込む奴は馬鹿である。
真相はこうだ。実は義経と弁慶は最初からグルで、一緒になって追いはぎをしていた。義経は金と女を、弁慶は武器を追いはぎしていた。ところが、これが平清盛にばれそうになったので、二人は京都にいられなくなって奥州の藤原秀衡の元へ逃げていったのである。その途中の村山で、弁慶は日枝の銘薙「瀬見王丸」で岩を突いたところ、温泉が噴出し今に残る瀬見温泉が誕生した。
そして、逃げていった先の秀衡のところで、義経は「武器を強奪する盗賊の弁慶をこらしめて家来にしたんですよ」というエピソードを捏造して吹聴した。その後義経は鎌倉に赴き兄頼朝の軍勢に加わるが、そこでもこの嘘を吹聴した。人々はすっかりこの嘘に騙され、それが現在に至っている。
賢い頼朝は騙されなかった。後に頼朝が義経を粛清したのも、過去にそのような夜盗の仕事をしていた義経を不信に思ったからである。弁慶のようなならずものを側近に据えているチンピラの弟を、どうして信用できようか(反語)。
草薙剣盗難事件[編集 ]
弁慶については三種の神器の一つである草薙剣を盗難した疑いをもたれている。通説では草薙剣は壇ノ浦の戦いで平時子が安徳天皇と共に抱えて入水自殺する際に、共に海中に沈んだと言われているが、いくつかの史料は、武器マニアの弁慶がどさくさに紛れて盗んで隠し持っていたと記述している。その後、頼朝がこれに気づき、返すよう要求してきたが、弁慶はこれを突っぱね、主の義経も部下の盗みを擁護したため、頼朝は怒って義経を粛清したという。これが事実なら弁慶は忠臣どころか主人の破滅の原因を成したとんでもない不忠者ということになるし、神聖な三種の神器の内の一つをこっそり盗んだことは、国賊の所行と言える。一部右翼は国家反逆罪で弁慶の墓を掘り起しその遺骸を晒し首にするべきだとまで主張している。
では草薙剣はその後どこへ行ったのか。一説によれば、弁慶の死後、ギルガメッシュとかいう武器マニアの手に渡ったそうだが、草薙剣の価値が分からない彼はこれを次元の狭間に放り捨ててしまったらしい。そして、今でも草薙剣は次元の狭間を漂っているそうだ。日本政府は次元の狭間の住人であるエクスデスに捜索を依頼しているが、エクスデス側は「なんでこちらがお前らの都合に合わせて行動せにゃあならんのだ」と拒んでいる。