ペルー
ペルー(Peru)は南米にある国。フジモリとかインカコーラが有名。この写真はペルーとその周辺の簡単な地図。誰かの写真の上に落書きしているようだが、誰も気にしない。
地理[編集 ]
国土はコスタ(沿岸部)、シエラ(アンデス山脈)、セルバ(河川流域)に別れる。 15%を占める白人はシエラ、45%のメスティソはコスタ、30%の先住民はセルバと棲み分けがなされている。その他10%はアジア系など。カリブ海に面していないので黒人が少ない。
気候はコスタ(英語のcoastに当たる)でも夏(2月)に23°Cと東京より過ごしやすい。シエラは標高が高いので冬(8月)は寒い。
経済[編集 ]
一人当たりGDPは1万3千ドル。豊かでも貧乏でもなく中南米では中位の国である。
反LGBT[編集 ]
かつては同性婚は犯罪とされた。現在は無罪だが、同性婚は法律で禁止。性転換手術者は病気扱い(2024年に精神疾患と法定)。
異性装は容認されている。該当者は国民の4%で大半が白人。ただ、グアテマラのマヤ系先住民・メキシコのサポテカ先史の風習と異なり、インカには女装の巫女(生涯未婚)などの文化は余り発達しなかった。
ペリーとの関わりについて[編集 ]
何ら関係ないが、歴史の授業のときに凡ミスをして「ペリー」を「ペルー」と書いてしまったり、ペリーの出身国を間違えたり色々な間違いが出ていることにはペリーもたじたじである。間違えないように生徒に暗示をかけているにも関わらず間違えているということは、恐らく寒いギャグでキメている確信犯が多いということをモンブシヤウやらに告げているのだろうか。単にわざと間違えているだけというのが尤もらしい意見だ。
インカコーラ[編集 ]
ペリッ・・・ペルーのコーラの事だ。けっして引火してしまうジョーク的代物ではない。日本人が軽食屋に来たりすると、「IKKINOMI(一気呑み)」というエクストリーム・スポーツへの参加を勧めて来る。日本語訳が「一気呑み」なのを見ると、インカコーラのスケールの大きさが分かる。子供・観光客向けの350mlから標準レベルの1.5L、これでも足りない人はペルーのドリンクバーで呑める所がある。
日本との関わり[編集 ]
長らく飛行機の直行便は飛ばない、というか飛べない距離にあったため、日本との関わりはほとんどなかった上に、日本とペルーの出会いは「裁判」での争いであった。1872年にペルー船籍のマリア留守号が日本を訪ねた際に、乗船していた中国人「奴隷」が脱出し、イギリスから「マリア留守号にいる中国人「奴隷」を救出すれば、日本は人道主義を理解した一流のジェントルマンに認められるよ」と、ちょっと前までアヘンを中国に売り付けていた国が言う言葉とは思えない提案に明治政府が乗せられて、船長を拘束してマリア留守号にいる中国人200人全員を解放させたのである。ペルーの海軍大臣が激怒して来日し、日本に「謝罪と賠償」を要求したので、第三国のロシアにどっちが正しいか裁いてもらうことで両国が合意した。ロシア皇帝からすれば面倒この上なかったが、日本かペルーかの花占いの末に日本の勝訴となった。ペルーは太平洋戦争
の敗北国なので、負けた者同士仲良くやればよかったのに。
かつては日系ペルー人という人も多かったと言われているが、都市伝説の域を出ない。というのも、ブラジルへの移植についてはぶらじる丸の存在やアントニオ猪木の体験談が残っているものの、ペルーに関してはそのような証拠はほとんどないからである。外国航路の船で国外移住に出かける者に「どこへ行くのですか?」と聞くと「ペルーじゃ」と答える人もいたと言うが、それはイタリアのペルージャのことでありペルーを指しているのではない。さらに言うと彼らは中田英寿の追っかけである。
そんなペルーだが、日系人のアルベルト・フジモリというペルー大統領が生まれた時は日本は驚喜し、現在は全力でペルーは古くからの大の親日国であると歴史の修正に努力中である。
ペルー人気[編集 ]
しかし最近ではペルーへの感心が高まっている。長年アスカちゃんと樟子ちゃんが人気を競ってきたが、最近人気があるのは樟子ちゃんのほうである。彼女はよくまちゅ、ぴちゅと赤ちゃん言葉を使うため、一部のファンに喜ばれている。
一方、ペルーの女の子も世界中から注目されているが、すでに相手の男の子がいるため、総じて不人気である。
ペルーの温泉[編集 ]
クスコからマチュ・ピチュへ行く途中に、温泉の村がある。その名は、アグア(水)スカリエンテス(温かい)、という工夫もなにもない温泉村があるが、気の利いた温泉旅館などあろうはずもなく、子供の温水フールになっている。