パンジャンドラム

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パンジャンドラム(Panjandrum)とは、洗濯機の構造方式の一つである。現在各社から発売されている、ドラム式洗濯機の原型。

開発[編集 ]

電気式洗濯機は1907年、当時エジソングラハム・ベルがいてノリノリであったアメリカで発明されたというのが一般的に伝わる話である。しかし、それと同時期にヨーロッパでも電気式洗濯機が開発されていたのはあまり知られていない。

当時、かの有名なカエサルネロもひっくり返って玉座から転げ落ちる勢いの大帝国を築き上げたイギリスという紳士(ただし腹黒)の国があり、その中でも特に偏屈のきついジョークを飛ばすらしいイギリス軍という素晴らしい連中がいた。そんなユーモア精神溢れる彼らのうち、日々の兵士の生活をすこやかに支える洗濯チームの連中が「大量の軍服を洗うのが面倒くさい」という理由で、1905年兵士の中でも特に電気工学に詳しかったジョセフ・パンジャンドラム軍曹(Joseph Panjandrum、1878-1960)以下五名のチームに電気式洗濯機の開発を依頼。その1年後に試作器が完成した。

動作方式[編集 ]

アメリカで開発された洗濯機には「かくはん式」が採用されていた。これは洗濯槽と同じぐらいの高さがある、でっかい羽根をゆっくり反転させて水流を発生させるというもので、要するに風力発電の羽がちっちゃくなって洗濯機に格納されて、それが回転して水流をブァーを発生させる方式が採用されていた。大型向きであり、現在の日本ではあまり採用されてはいないが、アメリカなどでは今でも主流の大変優秀な方式である。

これに対してパンジャンドラム軍曹のチームが開発した洗濯機は時代の先端とも言える、非常に革新的な方式が採用された。あまりにも革新的であったので、チームの長であったパンジャンドラム軍曹の名が取られ、今日では「パンジャンドラム式」と呼ばれる。

この方式は、軍服をまとめて洗う事を考慮している。使用方法は非常に簡単で、

  • まず軍服が山のように入る超巨大なドラム(コインランドリーの洗濯機の巨大版と考えるとよろしい)に軍服を入れる。
  • それが終わったら、これまた巨大で頑丈な蓋を閉める。
  • 次に、内部に水を注入し、洗剤(合成洗剤が望ましいとされた)を大量に入れる。
  • 次にドラムの裏側に回り、直径3mで車輪のような形をした装置に当時最新鋭であったロケットモーターを車輪のリムにバランス良く16基設置する。
  • このままだと危険なので、洗濯チームのメンバーは少なくても200mは洗濯機から離れ、そこからロケットモーターに着火。
  • すると、初めから強力であるロケットモーターの推進力のおかげで、車輪に凄まじい回転力が生まれる。これにより、車輪と連動している巨大なドラムがとんでもない勢い(1秒に5回転ぐらい)で回転して洗浄が開始されるので、サンドイッチでも食べながらチェスをプレイしつつ、のんびりと待つ。なお、回転する力を分かりやすく速度に直すと、だいたい100km/hぐらいになる。
  • 回転が完全に止まった後にドラムを開いてみるとあらびっくり、あんなに泥汚れや汗のシミがいっぱいだった軍服が綺麗さっぱり、まるで柔軟剤を使ったかのようにふんわりしており、兵士はおろか主婦もびっくり!

というような感じで、大変軍人らしく豪快かつユーモラスで合理主義的な発想が見られる。なお、ドラムとそのドアは衝撃に耐えられるよう、それぞれの基礎を200mmの圧延鋼板で製造している。製造費には120万ポンドの費用がかけられた。

実験[編集 ]

開発直後、早速イギリスのデヴォン州で実験が行われた。「超」がつくほど面倒な洗濯を一気に合理化出来るということで、マスコミ各社は勿論のこと軍のお偉いさんから国会議員まで見物しに来たりと、イギリス中の期待を集めた実験であった。なおアメリカで洗濯機を開発した発明者は、アメリカが孤立主義(モンロー主義)政策を採っていた為、見物に参加しなかった。

上記のようにロケットを設置し、安全圏である200m地点に開発チームと洗濯チーム、見物者を避難させたのちに点火。爆音と共に、凄まじい勢いでロケットモーターが火を吹き始めた。だが、点火直後にロケットの取り付け部分が強度不足で吹っ飛んでいってしまい、中途半端に回転したドラムは直ぐに回転力を失い、洗濯機背後からもうもうと煙を上げて止まってしまった。その姿は大変情けなかったため、見物者は誰もが口をあんぐりと開けて呆然と立ちつくしていた。

開発チームの連中は予想していなかった結果に思わず「ガッデム!」「ジーザス!」「シット!」と叫び、青ざめた表情を浮かべ急いで洗濯機を改修。今度はロケットモーターを倍の32基に増やし、2日後に再度実験を行うものの今度はロケットが不発で失敗。実験前はマスコミの取材に意気揚々と答えていた陽気なパンジャンドラム軍曹もこの結果には大変心を痛めてしまった。

それから1ヶ月後、推進力が足りないと確信した開発チームは当初の約4倍に当たる70基のロケットモーターを設置。軍司令部から「成功しなかったら開発チームは解散」という条件の下、最後の実験が行われた。点火直後は取り付け部分が吹っ飛ぶこともなく、順調に回転を始める。だが、次の瞬間ロケットモーターが次々と車輪から脱落。回転したドラムの勢いも相まってどんどん周囲に吹っ飛んでいき、ロケットの一部は街の中心部に到達。民家や商店を全焼させたりと、けっこうな被害をもたらした。見学者曰く、端から見るとさながらロケットを四方八方に発射しているかのような光景になっていたという。ちなみにドラムの中に入っていた軍服を取り出したところ、ふんわりとした仕上がりになっていたものの、内部に叩きつけられすぎてボロボロになっており、仮にロケットが吹っ飛んでいなくても実験は失敗に終わっていた事が発覚した。

なおこの最終実験の映像はイギリスのロンドン帝国戦争博物館に保存されており、見学者は自由に閲覧することが出来る。

パンジャンドラムのその後[編集 ]

実験が見事に失敗したこともあり、パンジャンドラムに期待を寄せていたイギリス中が悲しみに包まれた。そして洗濯機の主流は暫くアメリカで開発されたかくはん式になり、イギリスでもかくはん式洗濯機が多数使用されるようになった。さすがにパンジャンドラム軍曹も「これは大変便利だと認めざるを得ない」と言って、喜んで使用していたと伝えられている。

なお現在増えてきたドラム式洗濯機はこのパンジャンドラム方式の影響を受けたドラムの形状をしているものが多い。そういう点では、このパンジャンドラムも決して無駄では無く、洗濯機の発達に貢献できたといえよう。

関連項目[編集 ]

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