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漁業の町から「化石のまち」へ 宮城・南三陸町歌津地区の漁師が夢見る復興「夢があると思いませんか?」

[ 2025年3月11日 05:00 ]

東日本大震災から14年「3・11の記憶 未来へ(上)」

化石展示スペースを整える高橋直哉さん (撮影・小田切 葉月)
Photo By スポニチ

東日本大震災はきょう11日、発生から14年を迎えた。宮城県南三陸町歌津地区(旧歌津町)の漁師・高橋直哉さん(44)は、津波で行方不明の祖母も愛した町の復興を「化石のまち」で成し遂げようと前を向く。太古の生物化石に自らの名前がつくというロマンに、国内外から関心が高まっている。(小田切 葉月)

「化石は歌津の希望の光です」。高橋さんが目を輝かせる。震災で620人が亡くなり、211人が行方不明となった南三陸町の空気と自身の気持ちを変えたのは、復旧作業で確認された2億5000万年前の地層で見つかった「嚢頭(のうとう)類」の化石。大きな複眼と長い脚を何本も持つエビやカニの仲間で、その姿はエイリアンのよう。国内での発見は初めてだった。

14年前のあの日、高台に避難した高橋さんは自分の船や作業場が流されていく光景を見た。当時80代後半の祖母とよ子さんが震災の数カ月前から入院していた公立志津川病院(現・南三陸病院)も津波にのまれた。祖母の行方不明を知ったのは翌日。「病院近くの高台にいた人から"人の乗ったベッドが病院から流されていくのを見た"と聞いた。恐らく、その中にいたんだと思う」。

津波は町の中心部を襲い、主力産業の漁業も壊滅状態。何もかもをのみ込んだ。震災前に約1万7000人だった人口は、1万2000人台まで減少。喪失感漂う町にとって、化石は明るい話題となった。見つかった嚢頭類の化石は2015年に新種と判明。学名は「キタカミカリス・ウタツエンシス」と歌津の名が入る"歌津オリジナル化石"となった。その後もアンモナイトや植物の化石が次々に見つかり、注目を集めた。町の新たな魅力に気づいた高橋さんは「化石で町を発信したい」と決意し、18年から発掘体験ツアーを実施。これまで計5000人が歌津に足を運ぶ盛況ぶりだ。

高橋さんが発見し、その名が入る化石もある。22年に見つけた嚢頭類は昨年春、新種と判明した。学名は「パリシカリス・ナオヤイ」。学名には発見者の名が入ることが普通だが、発見者の多くは学者や研究者。「その中に地元の漁師が名を連ねている。自分が見つけた化石がもしかしたら新種で、名前が入るかもしれない。とても夢があると思いませんか?」とほほ笑む。

漁業の町として栄えてきた旧歌津町は、古くから魚竜化石などが見つかる町でもあった。いつか、展示も体験もできる化石の博物館を造ることが高橋さんの目標。「震災があったからこそ見つかった新たな道」と力を込める。祖母との思い出が詰まった故郷を、これからも守っていく。

≪夏に記念イベント≫ 歌津地区では1970年、約2億4700万〜4800万年前の地層から世界最古級の魚竜「ウタツギョリュウ」の化石が発掘。75年に国の天然記念物として文化財に登録された。90年には「魚竜館」がオープンしたが、震災の津波で貴重な資料も流され、閉館した。文化財登録から今年で50年。"化石熱"が高まる中で迎える節目で、今夏には記念イベントを計画。高橋さんは「化石の町として浸透しつつある手応えを感じています」と充実の表情を見せた。

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