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肩書多数のLiLiCo 演歌歌手時代も...当時のギャラ額明かす「そこにぶち込んでくれた」

[ 2024年11月2日 18:29 ]

LiLiCo
Photo By スポニチ

タレントで映画コメンテーターのLiLiCo(53)が、2日放送のTOKYO FM「川島明 そもそもの話」(土曜後5・00)にゲスト出演し、自身の芸能人生を振り返った。

パーソナリティーの「麒麟」川島明が「肩書が多すぎて、何をされているのか」と疑問を口にすると、LiLiCoは「"スラッシャー(肩書に/が付く人)"なのよね、私」と返答。さらに川島が「言うても、映画コメンテーター、ラジオナビゲーター、俳優でもあり、シンガーでもありますよ。その他ジュエリーデザイナー、翻訳家、声優、ナレーター、プロレスラーなど10を超える肩書を持つという」と列挙すると、LiLiCoは「あと、ライターというのも忘れている」と付け加えた。

そんなLiLiCoの最初の挑戦は、モデルだった。しかし当時は現在と違い、モデルに個性は求められなかった時代。「ちょっと顔が、うざかったの」と笑いながら明かし、あきらめたことを明かした。

その後、多くの演歌歌手を教える先生に弟子入り。スウェーデンで生まれ育ったLiLiCoは当時、まだ日本語も満足に話せず、「毎回落ち込んで、やっぱり日本は難しい。日本語も難しいし、日本も難しい」と失意に暮れていたという。

そんなある日、先生から思ってもみない提案が。「突然、"浜松にビアガーデンがあるから行ってみたらどう?"と」。静岡には大企業も多く、当時は夏祭りなどイベント数も豊富。"習うより慣れろ"で、ステージに立って歌う営業を始めたという。「1989年にデビュー。2ステージやって、ギャラ3000円で。先生の知り合いの浜松の事務所が、そこに歌手をみんな入れていたので、そこにぶち込んでくれた」と振り返った。

当時の自身を語る際、「おもしろおかしく"私、浜松に売り飛ばされたのよ"と言っていた」と、ジョークもまじえていたという。しかし後日、番組を通じて先生と再会し、その真意を聞いたという。「"理由を知りたい"って言ったら、"この子はレッスンじゃない。場数だというのがすぐ分かった"って」。実戦経験を積ませることで伸びるタイプだと察し、あえてステージへ送り込んでくれたという。

すると、当時のマネジャーは「この子、絶対売れるよ」と才能を見いだしてくれたといい、「私、それを待っていたの。私を信じてくれる人を待ってたのよ。やった!と思って」と笑っていた。

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