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VOL.206 AUGUST 2025
THE APPEAL OF YOSHOKU: JAPANESE-STYLE WESTERN CUISINE (PART 1) 現代日本の食卓を変えた「洋食」の誕生


日本が発祥の「洋食」の一例。

「洋食」は日本の食文化を語る上で欠かせない存在だ。カレーライス、とんかつ、オムライス、スパゲッティ ナポリタン——これらの料理は、現代の日本人にはなじみの深い「洋食」のメニューだが、実は全て日本が発祥の料理である。西洋料理をベースにしながらも、日本人の味覚や食習慣に合わせて独自にアレンジされてきたこれらの料理について、郷土料理研究家の青木あおき ゆり子さんに話を伺った。


青木 ゆり子さん
株式会社イーフード 代表取締役。郷土料理研究家。世界の料理総合情報サイトe-food.jp代表。コラムニスト、NHK「ちきゅうラジオ」料理ナビゲーター、内閣官房「東京2020ホストタウン事業」食文化アドバイザーなど。世界70ヵ国250都市以上を取材。著書に「日本の洋食:洋食から紐解く日本の歴史と文化」など多数。

西洋料理を日本風にアレンジし、独自の発展を遂げてきた日本の「洋食」ですが、その起源や発展の過程を教えてください。

「洋食」の歴史は、19世紀後半に始まった日本の近代化、明治時代(1868年から1912年)の文明開化ぶんめいかいか1と深い関わりがあります。それまでほとんど知らなかった西洋文化に触れ、人々はその進歩ぶりに大変驚きました。「西洋に追いつけ追い越せ」という時代の風潮の中で、軍事制度や郵便システムと同様に、食文化も西洋から学ぶべきものとして位置づけられました。こうした中、文化施設の集まる上野公園周辺(東京都台東区)や、銀座(東京都中央区)の商業地では、文明開化の雰囲気に合わせ「精養軒せいようけん2や「煉瓦れんがてい3といったレストランが、いち早く西洋料理の提供を始めました。しかし、西洋料理と呼ばれていた欧米の料理は、当時は政府高官や軍人といった一部の人々だけがたしなむことのできる、高価で一般庶民には手の届かない存在でした。また牛肉や豚肉といった、西洋料理に使用している食材も、これまで肉を食べる習慣がなかった日本人にとってはなじみのないものでした。そこで、庶民でも食べやすいようにと改良されて登場したのが「洋食」だったのです。


1876年11月に発行された錦絵にしきえ東京とうきょう名所内めいしょのうち上野公園うえのこうえん不忍しのばず見晴図みはらしのず」に描かれる精養軒の様子。
Photo: 上野精養軒

いち早く西洋料理を提供した「上野精養軒」の「ハヤシライス」
Photo: 上野精養軒

西洋料理を改良することで、庶民の間で洋食を食べる習慣が生まれたのですね。

日本の洋食文化の発展は、庶民によってもたらされました。中でも東京都台東区にある浅草あさくさは当時にぎやかな商業地で、職人や商人が多く暮らし、新しい文化や食がいち早く広まる地域でした。彼らは上野や銀座で提供されている西洋料理の存在を知り、それに強く憧れ、何とかして自分たちも食べてみたいと考えました。

しかし、本格的な西洋料理を再現するには技術も食材も不足していました。そこで知恵を絞り、手に入る食材と調理法で西洋料理らしきものを作り出しました。これが「洋食」の始まりです。西洋料理を実際に食べて再現したものではなく、見よう見まねで作られたこれらの料理は、結果的に日本独自の食文化を生み出すことにつながりました。

具体的にはどのような料理が誕生したのでしょうか。

カレーライスやオムライス、スパゲッティ ナポリタンなど、西洋料理をアレンジした洋食は色々ありますが、代表例の一つとして挙げられるのが「とんかつ」です。その原型となったのは、銀座の煉瓦亭で提供されていたカツレツでした。本来のカツレツは少量の油で揚げ焼きにするヨーロッパの料理(コートレット)ですが、日本人には非常に油っぽく感じられたことや、高価な牛肉を使用していたことなどから普及しませんでした。これを改良したのが日本の料理人たちです。まず肉を安価な豚肉に変更し、更に日本古来の天ぷら4の技術を応用し、たっぷりの油で全体を揚げるディープフライ(油に全体を沈めて揚げる方法)で調理する方法を編み出しました。この調理法により、外はサクサク、中はジューシーな食感が生まれ、現在のとんかつが完成したのです。更に重要なポイントがその食べ方にあります。西洋料理はナイフとフォークを使い、主食のパンと一緒に食べますが、日本人は箸を使い、またパンではなくご飯と一緒に、味噌汁と漬物を添えて食べる、日本の米文化に合ったスタイルを確立しました。これにより、とんかつは完全に日本の食文化に溶け込んでいったのです。


お米に合う食事として改良された「とんかつ」

洋食は今では日本の家庭料理としても日常的に作られるようになりましたが、定着したのはいつ頃でしょうか。

洋食が家庭料理として定着したのは、20世紀前半、大正時代(1912年から1926年)から昭和初期(1926年から1940年代)にかけてのことです。この頃、日本家屋に電気やガスが普及し、西洋式キッチンが導入されるようになったことで、家庭でも本格的な洋食が作られるようになりました。近代以前の日本家屋では、台所は土間どま5に置かれたかまど6で調理を行っており、そのような台所では、揚げ物や炒め物などの洋食の調理は困難でした。ちょうどこの時期にカレー粉の国産化が進み、日本で香辛料製造を手がける食品会社が発売したカレー粉の普及で、カレーライスが家庭でもふるまわれるようになりました。興味深いことに、このカレー粉は30種以上ものスパイスを調合したり、臼と杵で製粉し、香りを引き出すために粉をじっくり焙煎したりするなど、日本独自の製法が採用されました。このひと手間によって、他国のカレー粉とは一味違う風味豊かな味わいが実現されたのです。まさに日本人らしい味覚への探究心が生み出した逸品でした。


戦後、家庭料理として広まったカレーライス

また第二次世界大戦後の食生活の変化も、洋食の普及に大きな影響を与えました。

例えば、アメリカからの小麦の流入をきっかけにパン食が広がり、学校給食でもパンが提供されるようになりました。また、ケチャップを使った「スパゲッティ ナポリタン」や「ピザトースト」など、日本独自の洋食メニューが次々と生まれ、洋食文化が広がりを見せていきました。

これらの洋食の普及は、日本の食文化にどのような影響を与えてきたのでしょうか。

洋食が広まったことで、日本人の食生活は大きく多様化したのではないでしょうか。朝食一つを取っても、従来の和食スタイルに加えて、パンとコーヒー、シリアルとミルクといった洋食スタイルも選択できるようになりました。また現在の日本では、米、パン、麺という複数の主食が並存していますが、中華風なども加わってそれぞれ種類が豊富で、これほど多様な主食文化を持つ国は珍しいのではないでしょうか。このような多様性は、日本人の食に対する柔軟性と探究心を示していると思います。新しいものを受け入れながらも、伝統的な食文化を損なうことなく、両者を共存させる力は、日本文化の特徴の一つと言えるでしょう。

洋食は全国に広がる過程で、各地域の特色を取り入れた独自の発展を遂げている点も興味深いです。福井県福井市の「ヨーロッパ軒」が大正時代に開発したといわれる「ソースカツ丼」7、愛知県名古屋市の「味処あじどころ かのう」が発祥といわれる「味噌カツ」8など、地域の食材や調味料と組み合わせることで生まれたご当地洋食が、地域に根付き、その土地の食文化を豊かにしています。洋食は日本各地で独自の進化を続けているのです。


福井県の名物となっているソースカツ丼
Photo: ヨーロッパ軒

海外の方に向けて、改めて洋食の魅力について教えてください。

近年、日本発祥の洋食が海外で注目を集めています。「カツカレー」9はイギリスや東南アジア諸国で人気を博していますし、オムライスの卵をナイフで切って開く演出は世界中のSNSでも話題となっています。洋食が、単なる西洋料理の模倣ではなく、日本独自の食文化として海外に紹介され始めているのです。特に興味深いのは、日本のカレーライスがインドに逆輸入されていることです。インド発祥のカレー料理が日本で独自の発展を遂げ、それが再び新しい料理としてインドで受け入れられるという、食文化交流の国際的な循環を示す象徴的な事例といえるでしょう。

日本の洋食文化は、異文化を受け入れながらも独自性を失わない日本人の特性を象徴していると思います。19世紀後半から始まったこの食文化の冒険は今もなお続いており、新たな料理や食べ方が生まれ続けています。これからも日本の洋食は、伝統を大切にしながら革新を続け、世界の食文化に貢献していくでしょう。

2025年大阪・関西万博(参照:2025年大阪・関西万博 | JULY 2025 | HIGHLIGHTING Japan)では、日本の洋食をテーマにした展示「世界にはばたけ!Tasty Japan!」に携わり、日本の洋食の変遷や精巧なフードサンプルの展示、カレーライスの試食などを行い、大変好評をいただきました。このような取組を通じて、ぜひ今後も世界に向けて洋食の魅力を発信していけたらと思います。


2025年大阪・関西万博での洋食展示の様子。
Photo: 青木ゆり子

最後に、日本を訪れた際のおすすめの洋食の楽しみ方を教えてください。

日本独自の文化であるファミリーレストラン(参照:洋食の普及を支えた「ファミリーレストラン」)では、気軽に色々な洋食メニューを楽しむことができますが、おすすめはそれぞれの洋食の発祥のお店で、オリジナルの味を体験していただくことです。銀座や上野、横浜には100年の歴史を持つクラシックな洋食店がありますので、是非訪ねて、洋食の歴史を感じていただきたいですね。

  • 1. 世の中が開けて生活が便利になること。特に明治初期、西洋文明を積極的に模倣し、急速に西洋化・近代化した現象。
  • 2. 1872年に東京・築地に創業した西洋料理店「精養軒」を起源とする飲食店。現在の本店は上野公園内にあり、洋食、フランス料理、カフェなどを展開している。
  • 3. 1895年創業の洋食屋。銀座3丁目に店舗があり、二代目料理長の木田きだ 元次郎もとじろうが考案した洋食メニューを、現在でも食べられることができる。
  • 4. 魚介類、野菜などの食材を、小麦粉を水で溶いた衣をつけて、油で揚げた料理。
  • 5. 家の中で、床が張られていない地面のままの所。
  • 6. なべかまをかけて食物など物を煮炊きする設備。ヘッツイ、クドなどともいう。
  • 7. 福井県福井市の郷土料理でどんぶり飯の上にウスターソースにくぐらせた薄めのカツをのせた料理。
  • 8. 愛知県名古屋市の郷土料理で、豆味噌に砂糖・だし汁などを加えて調味したタレをかけたとんかつ。
  • 9. カレーライスの上にとんかつを乗せた日本独自のカレー料理。

By MOROHASHI Kumiko
Photo: Ueno Seiyoken; Europe-ken; AOKI Yuriko; PIXTA

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