障害を持つ学生に開かれた大学と科学を実現する 東大の専門家が「サイエンスアゴラ2020」で必要な方策を議論
東京大学本郷キャンパスの赤門から教育学部まで敷設された誘導ブロック
大学へ進学するすべての学生に対して、進路選択の機会は平等に提供されるべきです。しかし現状では、障害のある学生が多くの困難に対面し、大学への進学をあきらめることは少なくありません。特に、STEMと呼ばれる科学・技術・工学・数学分野に関しては多くのハードルがあり、不本意なかたちで他分野に進む学生の例も後を絶たないと言われています。
東京大学の障害やバリアフリーの専門家は、2020年11月21日、オンラインで開催された「サイエンスアゴラ2020」内の「障害を持つ学生にひらかれた科学」セッションで、障害のある学生がSTEM分野に進み、充実した学生生活を送るために必要な支援について議論しました。90分のウェビナーには30人近くが参加しました。また、セッションでは音声認識ソフトを使った文字通訳(字幕)が提供されました。
ウェビナーを企画し、司会を務めたのは熊谷晋一郎准教授。自身も脳性麻痺という身体障害を持ちながら東大に進学し、現在は先端技術研究センターで、障害や病気を持った人が自分の困りごとについて研究する「当事者研究」という学問分野を牽引しています。2004年に設置されたバリアフリー支援室の室長も務めています。
ウェビナーではまず、工学部建築学専攻の松田雄二准教授が、大学環境のユニバーサルデザインについて話題提供。松田先生は、バリアフリー支援室のメンバーとして大学内の物理的環境の改善を行ってきました。
大学環境でポイントとなるのは規模、道路、そして建物。小中学校や高校に比べて、建物が多く敷地も広いのが大学の特徴です。歩車分離がされておらず、非常に幅の広い歩道で建物が繋がれ、そこに自転車や車が通行することもあります。東大には特に古い建物が多く、階段のある入口、机や椅子が固定された教室、車いすでは使えないトイレが多く存在します。
本郷キャンパスの工学部2号館の正面。入口に階段がある
2号館の脇に車いす用のスロープを設置し、別の入口を確保した
バリアフリー法上、一定の条件に該当する建物は、出入り口や廊下、エレベーター、トイレにいたるまで車いすで円滑に移動できるよう細かな基準が定められていますが、特別支援学校や保健所、老人ホームと違って大学への適合義務はそれほど厳しくなく、「努力義務」のみ求められます。
大学はさまざまな形でこれらの困難に対応してきました。入口の段差を解消するのが難しい施設にはスロープを設置したり、キャンパスに誘導ブロックを敷設したり、利用者の要望を聞いて、トイレに教科書等の入ったカバンを置く場所を決めたりします。
「大学の対応がどうしても後付けになってしまっていることは否定できません」と松田先生。「東大のように古い建物が多い場合、あらかじめすべての利用者のニーズに合うように改修をするのは、コスト的にも時間的にも極めて難しい。一方、困っているユーザーはすでに具体的に存在するので、こうしたユーザーのニーズを素早く、かつ丁寧に把握して、適宜改修工事を行うことが重要だと思います」
物理的アクセスの改善だけではなく、ソフト面の支援も重要です。中津真美特任助教は、バリアフリー支援室で、障害のある学生・教職員の支援のコーディネートに15年間携わってきました。支援室には専任教員2名を含む9名のスタッフがおり、加えてバリアフリー支援室員には障害当事者が複数在籍していることが大きな特徴だと話します。
具体的には、東大に障害のある学生が入学した場合、学生から支援を申し込んでもらい、面談や対話を重ねて支援内容を検討します。今回は、特に「情報保障」と呼ばれる、障害のある学生が他の学生と同等・同質の情報を得て授業に参加するための支援について説明しました。
例えば視覚障害学生への情報保障では、教科書や資料の文字の拡大、点字への点訳、教科書等の電子データ化を行っています。グラフも文字化して、音声読み上げソフトで読み上げして読めるようにします。学生サポートスタッフを授業に配置し、板書の内容を小さな声で伝える、という支援も行ってきました。
聴覚障害学生の場合、教室で学生サポートスタッフが横に座って、先生の話す言葉をパソコンに入力し、文字にして伝える方法や、ノートに書いて伝える方法があります。
今年度から始まったオンライン授業では、教室で横に座って支援できないので、音声認識アプリで文字化された講義内容を、学生サポートスタッフが遠隔で修正する、という形で対応しました。
「支援の検討では、障害のある学生と大学が対話を重ねて合意形成していくプロセスを重視しています」と中津先生。「大学側が、あなたは聞こえないから、音声認識アプリの支援です、と決めるものではなく、学生と大学が一緒に対話しながら、支援内容を決定していく、それが障害者差別解消法のコンセプトです。ですから例えば同じ障害のあるAさんとBさんの支援が違うこともあるし、一人の学生さんの支援でも、場面ごとに支援内容が違うこともあります」
熊谷先生は、コロナ禍で大学の情報保障の提供方法も一から見直さなければならなかった、とコメントし、真のボトルネックはテクノロジーではなく、教員の理解だとわかってきたと話します。
「私が学生だった頃は、バリアフリー支援室がなかったので不便だったけれども、一方で教員が一生懸命対応してくれたことを懐かしく思い出します。今は制度は整って、昔よりすごく進んできた半面、どこかバリアフリー支援室に任せておけばいいというふうなスタンスに偏りがちだと感じることがあります。お任せではなく、どうすれば平等に情報にアクセスできるようになるのか、キャンパスの全員が考える必要があると思います」
熊谷先生と同じく車いすユーザーで、同じく先端研に在籍する並木重宏准教授は、障害を持ちながらSTEM分野で活躍した偉大な研究者を紹介。ヘリウムを発見したフランスの天文学者ピエール・ヤンセン(1824-1907)、キルヒホフの法則という電気回路の法則を発明したプロイセン(現ロシア)生まれの物理学者グスタフ・キルヒホフ(1824-1887)、イギリスの物理学者スティーブン・ホーキング(1942-2018)は皆、歩行に困難を抱えていました。聴覚障害、片手の欠損、統合失調症、ディスレクシアなどの障害を持ちつつノーベル賞を受賞した人たちもいます。
障害ある学生が科学の道に進む際に重要な役割を持つ「合理的配慮」というコンセプトは、実は医学教育の分野での過去の事例から発展してきたと並木先生は説明。障害を理由に入学を拒否されたことをめぐる裁判の判例などを通じて、この分野の仕組みが洗練されてきたのです。
アメリカの多くのメディカルスクールでは、入学希望者は「観察力」、「コミュニケーション」、「運動技能」、「定量的スキル」、「態度と社会性」の5つの能力基準を満たしていることを求められます。触診や聴診、カテーテルの挿入や心肺蘇生といった医療行為を行うため、感覚や運動に障害のある人は長らく入学を認められませんでした。
ところが現在は、テクノロジーを使って、そして「合理的配慮」に基づいて他の人の支援を受けながら、障害のある人でもこうした行為を行えるようになりました。例えば、心拍を波形に替えて視覚的に表示する電子聴診器を使えば、耳が聞こえなくても診察ができます。頚髄損傷で手をうまく動かせなくても、助手や看護師が患者の胸に聴診器を当ててくれれば問題なく診断できます。
大事なのは、業務の中で代替できないことは何かを考えること。代替できることは合理的配慮の対象になり、逆に言うと合理的配慮が可能であることは本質的ではない、ということになります。
「今の時代は、テクノロジーの発展で、この合理的配慮でカバーできる部分が大きくなってきています」
将来、科学分野に進みたい学生のために、先端研の「インクルーシブ・アカデミア・プロジェクト」では、現役で活躍している世界の研究者の情報を集めています。近々リストを一般公開し、実際に活躍する大人の「ロールモデル」を示す予定です。
質疑応答では、「言語障害を持っているが、テキストを音声に変換するソフトはありますか」(回答:スクリーンリーダー呼ばれるソフトがある。発話困難があるため読み上げソフトを使って講義を行い、人気を博している教員もいる)、「東大のサポートスタッフは何人いて、必要数を満たしているのか」(回答:約180人、必要に応じて募集をかける)、「ゼミのコミュニケーションで聴覚障害のある学生を支援する手法は」(回答:レイアウトを工夫して全員の顔が見えるようにする、発言者は順番に名前を名乗ってから、口形を聴覚障害学生に見せ、目が合ってから話し始めるなどのルールを作っておく)など、多様な質問が寄せられました。
熊谷先生は、「科学という人類の営みも、一部の人しか参加できないものではなく、もっと多様な人々が参加することで、より豊かな知識や技術が生み出せるものへと変わっていくのではないか、また科学が産出する知識や技術が置き去りにされがちな障害を持つ人々にとって本当に役立つものに近づいていくと思う」と述べ、セッションを締めくくりました。
文/小竹朝子
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