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2021年3月26日(金)ZOOMを使用して、班研究「往来型フィールドワークがつくる社会生活(主任:青山和佳教授)」による東文研セミナーが開催された。赤嶺淳氏(一橋大学大学院社会学研究科・地球共生論(<グローバル地域研究・地球環境学>)により、下記のようなタイトル・要旨での発表がなされ、清水展、中西徹、菅豊、受田宏之、韓載香、藤岡洋、ほか院生などゲスト8名の合計15名で活発な議論がなされた。
「鯨が語るアジアの近代:フロンティア、マーガリン、マルチサイテッド」
本報告は、捕鯨に着目してアジアの近代史を語ろうとする、現在進行中の研究プロジェクトの旗あげである。荒削りではあることは承知のうえで、1その構想と展望、2点と点をつないで「アジア近代史」という大きな歴史を叙述しようとする方法論的課題を論じてみたい。いわゆる捕鯨問題はシングル・イシューではなく、環境や文化、倫理などが複雑に絡まりあった問題群を構成している。発表者は、2010年より野生動物の利用と保全という視点から鯨類について研究してきたとはいえ、鯨肉利用の可否という論点に矮小化させてきたことを反省している。捕鯨問題群を拓くためには、捕鯨のもうひとつの生産物であった鯨油に着目し、そのグローバルな需要の一部始終を追い、そのことのアジア史における意味をあきらかにする作業が必要だと考えるにいたっている。それは江戸時代末期の米国による開国要求はいうまでもなく、日本における近代捕鯨の拡張は日露戦争を契機としているばかりか、1934年にイギリスとノルウェーが複占していた南極海へ進出したのが鮎川義介を総裁とする日産コンツェルン下の日本捕鯨(のちの日本水産)であったように、「フロンティアたる南極海」の開拓が、「生命線」たる満州開発とも無関係ではなかったと考えるからである。こうした見取り図のもと、本発表では日本水産株式会社を中心に、日本に近代捕鯨が定着し、南極海に進出するにいたった経緯を整理するとともに、満州における大豆開発をはじめ、フィリピンのヤシ油、蘭印と英領マラヤにおけるパーム油など、関連するアジア史上の課題との接合可能性を論じたい。
※(注記)本研究会は東京大学東洋文化研究所班研究S-5「往来するフィールドワークがつくる社会生活」(主任:青山)の研究の研究成果の一部である。
担当:青山