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もず・ふるいちこふんぐん こどもQ&A

古墳時代の人たちはどんな服そうをしていたの?

[画像:答え] 上着は、着物のように体の前で重ね、男の人は、ズボンのような「はかま」を、女の人はスカートのような「も」をはいていました。
かみ形にも特ちょうがあって、男の人は耳のあたりでかみをくくった「みずら」、女の人は頭の上で一つにまとめた、「しまだまげ(着物のときのかみ形の1つ)」に似たかみ形をしていたようです。
古墳時代の服そうは、古墳からでてきた埴輪(はにわ)や出土品をもとに研究されていて、当時の人がアクセサリーや冠(かんむり)などを着けていたこともわかっています。
[画像:古墳時代の人も今と同じようにおしゃれに気をつかっていたんだね!]
写真中:ネックレスをしている巫女の埴輪
(京丹波町塩谷5号墳出土)京都府埋蔵文化財調査研究センター提供
写真右:冠をかぶった王の埴輪
(伝群馬県高崎市)天理大学附属天理参考館蔵
[画像:古墳時代のファッション]

服そうにも流行があったの?

[画像:答え]古墳時代は弥生時代よりも海外との交流が盛んになったと考えられていて、そのえいきょうが服そうにもあらわれています。
たとえば、金メッキの耳かざりやベルト、冠などは、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝わり、大変流行(はや)りました。
もちろん、当時の人がみんなふだんからこういうものを身につけていたとは考えにくく、こうした新しいファッションは、おもに、自分の古墳を造れるようなえらい人のものだったと考えられています。
当時めずらしかった金のアクセサリーをもつことは、その人の力を見せつけるのに役に立ったことでしょう。
[画像:古墳時代のアクセサリー]

百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議
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