詩を読むことは、詩を書くことだ。詩を読むことは、詩にあるまなざしを受け継いで、ぼく自身の眼で目の前のできごとを見つめることだ。ぼくたちは自分の物語を生きながら、他人の物語と交わりながら、詩を書きつづけている。誰かの詩を受け取り、誰かへ詩を渡しつづけている。日記を書いたっていい。誰かへ送るわけでもなく手紙を書いたっていい。そんなふうに、自分が自分のために書く言葉があっていい。ひとりよがりな詩を書くことだって、ぼくのまなざしを手に入れるためにはじゅうぶんに役に立つからだ。日記を書くことは、手に入れたまなざしを、詩としてぼくの分身にして、ぼくたちの物語にさすらわせるためのひとつの方法だからだ。 詩はささやかなものだから、道ばたに落ちているようなものだから、ぼくたちの物語に溶けていて気がつかないこともある。気がつかないことのほうが多いのかもしれない。そこで、ぼくが最近これは詩なのではないか、誰かが