これは生涯にわたり無名であった学者の物語だ。彼の名はロミスジラディー・オールベルト、ここではオールベルトと呼ぼう。
一人の学者の一代記として、この章では彼の生涯の紹介に焦点を当てている。しかしながら、本書が科学的専門書でないことを鑑み、その研究成果については概要のみに留める。興味を持った者は恒星図書館公式ネットに登録すれば読むことが可能だ。筆者が集めてきた資料はここに全てアップロードしている。
オールベルトは地球暦A.D.2701年におおぐま座ニューアテネで生まれ、2883年頃にこの世を去った。
学者には当然ながら得意な科学分野がある。オールベルトは分類学専攻の外星域生物学者であり、A.D.2733年にベテルギウス大学で外星域生物学の博士号を取得した。彼の師は『新自然史』主編者でラザロ賞受賞者のマディオ・ジペーニーである。残念なことに、筆者はジペーニー博士とオールベルトの交流が記載された資料の発見に至らず、2人の師弟関係はベテルギウス大学の記録保管庫にあるもののみであった。
大学を出た後、オールベルトは宇宙の深淵へと身を乗り出し、彼の生涯の事業が始まった。
ここで、「生涯の事業」とは何かを読者へ説明するために、オールベルトの日記の原文から引用する。
......宇宙旅行者や賞金稼ぎが各惑星の在来生物を"六つ足犬"だの"ひづめ鶏"だのと雑な呼び方をすることが私には全く以て受け入れられない。ましてや"大口牛"なる的外れな呼び方をして、あいつらはイヌ科動物を牛と呼んでいるのか?生命に対する尊重を欠いているのは当然のこと、基本的な学術の観念までも欠けているではないか("ディスコ孔雀"という呼び方が言い得て妙である点は認めてはいるが)。
確かに、この一世紀で外星域生物学界は各惑星における生態系の系統整理と分類を重視するようになった。だが研究者の大半は経済的利益の高い惑星や人口密度の高い惑星に目を向け、訪れる者の少ない星の広大な生態系や真新しい知識などまるで気にかけていない。
学者にあるまじき態度ではあるが、これが人情の常というやつだ。彼らに無理強いすることも、彼らの考えを変えることもできない。だが、未来永劫誰も訪れないかもしれない星に科学的生態系記録を刻むこと、これは私にも可能だ。
結局、誰かがそれをやらなければならない。
筆者の考証では、オールベルトが最初に取りかかったのはメシエ48星団の惑星ML0172B、すなわち属する恒星系の中で唯一生命の存在が確認されていた地球型惑星である。
オールベルトはこの惑星に8年の時間を費やし、最終的には彼一人 でML0172Bの惑星生態系全体の構造とおおよその分類を完了した。その研究によれば、当該惑星は生命の進化の初期段階にあり、2ドメイン、3界、合計で約23門、約320網と700-800目が存在した。
この惑星での研究が完了すると、オールベルトは論文の形式で自身の研究成果を発表したが、その反響はなかった。だがオールベルトはそれを意に介さず、一息つく間もなく同じ星団のDP927338へ向かう。ここでの研究は彼の生涯の研究対象で最も時間を費やしたものであり、たった一人で21年に及ぶ独自研究を行った。
ここでの研究も一番目と同じく明確に記述されるような注目を浴びることはなかったが、やはりオールベルトがこれに影響されることはなく、M64星系のJA7832D4で三番目の研究を行った。ここでの研究期間は15年であった。
ここで着目すべきことだが、この研究を終えたオールベルトは自身がもう若くないことに気づき、大学の同級生で良き友人であるロレーナ・アンダーソンの提案と資金援助の下で、ニューシドニーで若返り手術を受けた。ニューシドニーでロレーナと結婚すると、事業の継続を決心して宇宙へ戻るまで、3年間の家庭生活を過ごした。
この頃は地球暦A.D.2780年であり、若返り手術後のオールベルトの肉体年齢は32歳であった。本人の日記の記述によれば、この頃のオールベルトは生涯を費やせば5〜7個の惑星の分類研究が行えると見積もっていた。
しかし、彼はこの研究の危険性を低く見積もっていた。この後の惑星HT2301 、SE342N4、OB2315が人類と自然科学への彼の最後の貢献となった。ロミスジラディー・オールベルト博士は惑星KN3687の原生の肉食動物に殺された。正確な死亡時間は現在も確定していない。
最後まで、この無名の学者が心血を注いだ研究は学術の大洋の中で波風を立てず、誰からの反響も呼ぶことがなかった。
以上の学術関連の一次資料は全て筆者がオールベルト博士の宇宙船の資料庫(この宇宙船はKN3687の崖近くに停泊していた)から得られたものである。他のタイムラインと歴史関連の資料は筆者がML0172B、ベテルギウス大学、及びニューシドニーにある数ヶ所を訪れて確認がとれたものである。
この無名の40人の足跡を記すことは、ある意味では筆者である自分への慰めであった。
ともすれば永遠に誰からも知られることのない事業(ここでいう「永遠」は統計学の面からみても過言ではない)にオールベルトが己を顧みず身を投じたように、筆者は50年の歳月を費やして宇宙の隅々を訪れた。名を残されるべき人が忘れ去られぬように、その世に知られざる偉業が散逸せぬように、故人の偉業と出来事を捜し、この本も同然の名鑑を編纂した。
しかしながら、この世にある人類の著作数と質量を考えれば、読者諸君が今読んでいるこの小冊子も満天の星空に浮かぶ取るに足らない小惑星にすぎない。この本が誰の目にも留まることなく、書架の底で埃と共に永遠を過ごしても構わないと、私の覚悟は済んでいる。
だが、そんなことは重要ではない。本書は読者を喜ばせるために書いたものではない(無論、読者諸君が喜んでいるのなら、私は作者として至極恐悦だ)。これの存在意義は名を残さなかった星間貢献者を刻みこみ、誰に読まれずとも彼らの物語が本と共に永久に保存され世に残り続けることにある。
そうはいっても、もし誰かが読んでいるのなら良いことであり、彼らの功績が世に知られるのならそれも良いことだ。
そうなることを、私は心より願う。
地球暦A.D.2961ジョエル、無名無為の宇宙旅行者
マカ・ロード
「この本が誰の目にも留まることなく、書架の底で埃と共に永遠を過ごしても構わないと、私の覚悟は済んでいる。」
ジョエル、我らが友にしてこの宇宙全てで最も謙虚な人間よ。彼の不朽の名著『無名なる星間貢献者の不完全なる記録』(『無名不完全』と呼ぶことをどうか許してほしい。この略称が私は好きなのだ。)の最後はこう締めくくられている。彼が今日まで生きていたなら必ずや自著の影響力の大きさで驚愕のあまりひっくり返ることだろう。『無名不完全』は現在までに全宇宙で30億部余りが出版され、しかも今なお再編集されて出版され続けている。両親にジョエルと名付けられた3020年代から3050年代に生まれた男性は数多いだろう。今や人が住む惑星であれば、まず一冊は『無名不完全』があることだろう。
たとえ最後の1章、オールベルトについて話すだけでも、
今なおオールベルトの敷いた道を歩む学者がどれほどいようか。
これからオールベルトの肩に乗り先を見渡す者がどれほどいようか。
ここで言うのも恐ろしいことだが、もしあのとき宇宙旅行者のジョエルがローム星(KN3687)に足を踏み入れなかったら、オールベルトとの出会いを逃していたら、私たちはオールベルトとその功績を永遠に知らなかったのだろうか?
確率論でいえば、これは奇跡だ。
何故『無名不完全』が偉大な名著となれたか、あなたは考えたことがあるだろうか?当然だが、ジョエル、オールベルト、そして書中の全員の貢献は切っても切れない。だが、それ以上の原因がある。『無名なる星間貢献者の不完全なる記録』は身の回りの「無名なる星間貢献者」に全人類の目を向けさせたのだ。宇宙ステーションの宇宙船技師、宇宙の疫病と闘った医者、誰に知られずとも日夜無く探求を続ける学者、星辰に身を投じた子供、その誰もが無名なる星間貢献者である。
時代と人類文明を前に進め続けるのは一人の人間ではない。全ての無名なる星間貢献者である。そのことをジョエルは私たちに思い出させた。
「結局、誰かがそれをやらなければならない。」
————ロミスジラディー・オールベルト
ニューロンドンより、敬意を込めて。
以上はオールベルトの分類名鑑のいずれにも記されている前書きである。——原注
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