2025年07月07日
4時起き老人たちが捨てるもの
7月に入り、日本は毎年恒例の高温多湿季節に入ってきた。
周りの人たちが続々と朝型になっている。
「暑くなってきたので少しは涼しい時間帯に......」
という発想ではない。朝の4時には目を覚ます。彼らは冬の間も4時起きだった。
僕は相変わらず、夜型に近い生活習慣のなかにいる。原稿を書いていると、どうしても寝るのが遅くなってしまう。締め切りもあるが、調子よく原稿が進むとき、途中でやめることなどできない。頭のなかが混乱してしまっているときは、1時間悩んでも1行も書けないわけだから、進むときはできる限り字数を稼ごうと思う。
午前2時には寝ようとは思うのだが、午前3時をすぎてしまうことも珍しくない。気がつくと4時になっていることもある。いまの季節は日照時間が長い。4時の東の空は薄い青空が広がっている。
この時刻に知人たちは目を覚ます。完全にずれてしまっているわけだ。僕の知人はマスコミ関係で働いていた人が多い。昔は皆、夜型だった。朝刊の場合、デスクや整理部とのゲラのやりとりは夜になる。終わると「一杯やりますか」と誘われ、店を出るのは午前3時、4時になることも珍しくなかった。週刊誌や月刊誌の担当になると、徹夜に近い日が何日かある。テレビも編集のときは泊まり込み態勢になることが多い。
そんな知人たちが午前4時起きになっていく。
「退職するとなぜかそうなっちゃうんだよ。テレビはつまらない。徹夜で本に没入するようなこともない。ウォーキングしたほうがいいとか周りからいわれる。そんな環境に漬かっていると、いつの間にか4時起きになってるんだよ。下川も仕事をやめればそうなると思うよ」
しかし知人たちと生活の時間がずれてくると、これがなかなか面倒なのだ。先日、知人と一緒に昼食という話になった。知人は11時がいいといってきた。4時に起き、朝食は6時頃。12時の昼食までとても待てないのだという。僕は8時から9時頃に起きることが多い。朝食を食べるのは10時頃。午前11時といわれても腹などすいていない。できれば午後2時ぐらいの昼食だとありがたい。
だいたい昼食時間が12時から午後1時というのは、いつ頃定着したのだろうか。
タイ人の農家の人たちも午前4時頃に起きる。暗いうちに動き出し、ちょっと菓子などを食べて畑や田に出る。暑くなる10時頃に家に戻り、朝食をとる。それから昼寝。目覚めて昼食。気温がさがる夕方に再び畑や田に向かう。暗くなるころ帰宅して夕食になる。
バンコクの会社で働く人たちも、早起き習慣と渋滞が重なって4時、5時に目覚める人が多い。簡単な朝食という人が多いから、昼の12時にはかなりの空腹状態。急ぎ足で食堂に向かう。バンコクの昼食は11時ぐらいに設定したほうがいいと昔から思っていた。
教育の義務化が進み、子供たちは学校に通うようになった。大人たちの働く場所は畑や田からオフィスに移り、人々の食事時間は周りの人々や社会に合わせなくてはいけなくなった。食堂も営業時間を合わせていく。食事時間は勉強や労働環境とリンクしている気がする。
リタイアということは、学校に通いはじめたときからはじまった食事時間の習慣から解放されることらしい。
しかし食事時間が人それぞれになると、一緒に食事を......ということが難しくなる。食事はひとりということになっていく。老後は孤独だというが、その一因は食事かもしれない。もっとも「その孤独をいかに楽しめるかが老後を生きる知恵」といった内容の本が老人によく読まれているという。学校に入ったときから染みついてしまった一緒に食事をとる習慣。いろいろを捨てていくのが老後というものだとしたら、そのひとつが食事の時間ということだろうか。
■しかくYouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■しかくツイッターは@Shimokawa_Yuji
周りの人たちが続々と朝型になっている。
「暑くなってきたので少しは涼しい時間帯に......」
という発想ではない。朝の4時には目を覚ます。彼らは冬の間も4時起きだった。
僕は相変わらず、夜型に近い生活習慣のなかにいる。原稿を書いていると、どうしても寝るのが遅くなってしまう。締め切りもあるが、調子よく原稿が進むとき、途中でやめることなどできない。頭のなかが混乱してしまっているときは、1時間悩んでも1行も書けないわけだから、進むときはできる限り字数を稼ごうと思う。
午前2時には寝ようとは思うのだが、午前3時をすぎてしまうことも珍しくない。気がつくと4時になっていることもある。いまの季節は日照時間が長い。4時の東の空は薄い青空が広がっている。
この時刻に知人たちは目を覚ます。完全にずれてしまっているわけだ。僕の知人はマスコミ関係で働いていた人が多い。昔は皆、夜型だった。朝刊の場合、デスクや整理部とのゲラのやりとりは夜になる。終わると「一杯やりますか」と誘われ、店を出るのは午前3時、4時になることも珍しくなかった。週刊誌や月刊誌の担当になると、徹夜に近い日が何日かある。テレビも編集のときは泊まり込み態勢になることが多い。
そんな知人たちが午前4時起きになっていく。
「退職するとなぜかそうなっちゃうんだよ。テレビはつまらない。徹夜で本に没入するようなこともない。ウォーキングしたほうがいいとか周りからいわれる。そんな環境に漬かっていると、いつの間にか4時起きになってるんだよ。下川も仕事をやめればそうなると思うよ」
しかし知人たちと生活の時間がずれてくると、これがなかなか面倒なのだ。先日、知人と一緒に昼食という話になった。知人は11時がいいといってきた。4時に起き、朝食は6時頃。12時の昼食までとても待てないのだという。僕は8時から9時頃に起きることが多い。朝食を食べるのは10時頃。午前11時といわれても腹などすいていない。できれば午後2時ぐらいの昼食だとありがたい。
だいたい昼食時間が12時から午後1時というのは、いつ頃定着したのだろうか。
タイ人の農家の人たちも午前4時頃に起きる。暗いうちに動き出し、ちょっと菓子などを食べて畑や田に出る。暑くなる10時頃に家に戻り、朝食をとる。それから昼寝。目覚めて昼食。気温がさがる夕方に再び畑や田に向かう。暗くなるころ帰宅して夕食になる。
バンコクの会社で働く人たちも、早起き習慣と渋滞が重なって4時、5時に目覚める人が多い。簡単な朝食という人が多いから、昼の12時にはかなりの空腹状態。急ぎ足で食堂に向かう。バンコクの昼食は11時ぐらいに設定したほうがいいと昔から思っていた。
教育の義務化が進み、子供たちは学校に通うようになった。大人たちの働く場所は畑や田からオフィスに移り、人々の食事時間は周りの人々や社会に合わせなくてはいけなくなった。食堂も営業時間を合わせていく。食事時間は勉強や労働環境とリンクしている気がする。
リタイアということは、学校に通いはじめたときからはじまった食事時間の習慣から解放されることらしい。
しかし食事時間が人それぞれになると、一緒に食事を......ということが難しくなる。食事はひとりということになっていく。老後は孤独だというが、その一因は食事かもしれない。もっとも「その孤独をいかに楽しめるかが老後を生きる知恵」といった内容の本が老人によく読まれているという。学校に入ったときから染みついてしまった一緒に食事をとる習慣。いろいろを捨てていくのが老後というものだとしたら、そのひとつが食事の時間ということだろうか。
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Posted by 下川裕治 at 13:03│Comments(0)
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