2025年10月06日
バインミーをコンビニで買う時代
年老いたバックパッカーだから、昔といまの旅の違いを訊かれることは多い。大きな違いはインターネットとコンビニだと思う。僕が旅をはじめた頃、ネットというツールがなかった。飛行機の予約は旅行代理店に出向いた。ホテルは安宿街で一軒、一軒値段を訊いた。コンビニもなかったから、雑貨屋で水やビールを買った。
日本でもコンビニはよく使うが、海外に出てもコンビニは便利な存在だ。僕はひとつの街を何回も訪ねることが多い旅人である。訪ねる街のコンビニの進化を目の当たりにすることになる。
バンコクにコンビニができはじめた頃、それはただ便利な存在だった。しかしコンビニは急速に店舗数を増やし、やがてコンビニ間の競合の時代にはいっていく。先日、若い旅行者とバンコクでの朝食の話をした。彼は毎朝、セブン-イレブンのホットサンドを食べているという。
「あれは優れものですよ。店でちゃんと焼いてくれる。30バーツぐらいで安いでしょ。日本のコンビニでもやってほしいですよ。いまは円安、バーツ高だから、もうコンビニが頼り。カフェで朝食となると、100バーツは簡単に超えますからね」
「タイ料理は食べないんだ」
そう水を向けてみた。
「そう、それが気になって、今日はお粥を買ってみたんです。ちゃんと電子レンジで温めてくれました。タイでジョークって呼ばれるお粥でした。これもかなりのレベル。その辺のお粥屋よりおいしいかもしれない」
タイのコンビニはそういう世界に入っていた。便利さだけでは競争に勝てない。食べ物の味で客を集める時代......。日本のコンビニもスイーツや弁当、高齢者向けのおかずなどで競いあっている。
しばらくベトナムに滞在した。『歩くベトナム』の製作がはじまったからだ。外国人が集まるホーチミンシティのデタム界隈は、在住者にはあまり縁がない社会で、僕が手伝うことになった。
朝食の話になった。
「朝はやっぱりバインミーでしょ。屋台でベトナム風フランスパンにいろいろ挟んでもらって、ベトナムコーヒーを飲みながら......」
するとこんな声が聞こえてきた。
「セブン-イレブンのバインミーがいけるんですよ。屋台はハムだけど、セブン-イレブンは保温機で豚肉のつくねのような物を温めていて、それを野菜と一緒にパンに挟んでくれる。それを焼くから香ばしい。値段も屋台と変わらないですから」
ベトナムのバインミーもコンビニがとり込みはじめていた。店によってはブンという麺料理もはじめたという。ベトナムもコンビニ間の競争が激しい時代に入っていた。
僕も食べてみた。店内で若いスタッフがマニュアルを横目で見ながらつくってくれた。たしかに香ばしい。値段は2万7000ドン、日本円で150円ほど。屋台のバインミーが2万5000ドン前後だから高くはない。
ホーチミンシティのセブン-イレブンには豆から挽くコーヒーマシンも置かれていた。コンデンスミルク入りやアイスコーヒーなど選択肢も多い。アルミ製の容器で淹れるコーヒー屋台の客をとり込もうとしているかのようだった。
近くの公園のベンチに座り、バインミーを頬張り、コーヒーを啜る。
「ベトナムの朝もコンビニの時代か......」
そうこうしていると、台北から連絡がはいった。そろそろ『歩く台北』の企画を考える時期だった。その内容案を見ると、特集案のなかにコンビニの文字が躍っていた。なんでも航空会社や車メーカーとのコラボコンビニが面白いという。飛行機と車とコンビニはどうコラボするのだろうか。
コンビニの進化は止まりそうもない。
■しかくYouTube「下川裕治のアジアチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCgFhlkMPLhuTJHjpgudQphg
面白そうだったらチャンネル登録を。
■しかくツイッターは@Shimokawa_Yuji
日本でもコンビニはよく使うが、海外に出てもコンビニは便利な存在だ。僕はひとつの街を何回も訪ねることが多い旅人である。訪ねる街のコンビニの進化を目の当たりにすることになる。
バンコクにコンビニができはじめた頃、それはただ便利な存在だった。しかしコンビニは急速に店舗数を増やし、やがてコンビニ間の競合の時代にはいっていく。先日、若い旅行者とバンコクでの朝食の話をした。彼は毎朝、セブン-イレブンのホットサンドを食べているという。
「あれは優れものですよ。店でちゃんと焼いてくれる。30バーツぐらいで安いでしょ。日本のコンビニでもやってほしいですよ。いまは円安、バーツ高だから、もうコンビニが頼り。カフェで朝食となると、100バーツは簡単に超えますからね」
「タイ料理は食べないんだ」
そう水を向けてみた。
「そう、それが気になって、今日はお粥を買ってみたんです。ちゃんと電子レンジで温めてくれました。タイでジョークって呼ばれるお粥でした。これもかなりのレベル。その辺のお粥屋よりおいしいかもしれない」
タイのコンビニはそういう世界に入っていた。便利さだけでは競争に勝てない。食べ物の味で客を集める時代......。日本のコンビニもスイーツや弁当、高齢者向けのおかずなどで競いあっている。
しばらくベトナムに滞在した。『歩くベトナム』の製作がはじまったからだ。外国人が集まるホーチミンシティのデタム界隈は、在住者にはあまり縁がない社会で、僕が手伝うことになった。
朝食の話になった。
「朝はやっぱりバインミーでしょ。屋台でベトナム風フランスパンにいろいろ挟んでもらって、ベトナムコーヒーを飲みながら......」
するとこんな声が聞こえてきた。
「セブン-イレブンのバインミーがいけるんですよ。屋台はハムだけど、セブン-イレブンは保温機で豚肉のつくねのような物を温めていて、それを野菜と一緒にパンに挟んでくれる。それを焼くから香ばしい。値段も屋台と変わらないですから」
ベトナムのバインミーもコンビニがとり込みはじめていた。店によってはブンという麺料理もはじめたという。ベトナムもコンビニ間の競争が激しい時代に入っていた。
僕も食べてみた。店内で若いスタッフがマニュアルを横目で見ながらつくってくれた。たしかに香ばしい。値段は2万7000ドン、日本円で150円ほど。屋台のバインミーが2万5000ドン前後だから高くはない。
ホーチミンシティのセブン-イレブンには豆から挽くコーヒーマシンも置かれていた。コンデンスミルク入りやアイスコーヒーなど選択肢も多い。アルミ製の容器で淹れるコーヒー屋台の客をとり込もうとしているかのようだった。
近くの公園のベンチに座り、バインミーを頬張り、コーヒーを啜る。
「ベトナムの朝もコンビニの時代か......」
そうこうしていると、台北から連絡がはいった。そろそろ『歩く台北』の企画を考える時期だった。その内容案を見ると、特集案のなかにコンビニの文字が躍っていた。なんでも航空会社や車メーカーとのコラボコンビニが面白いという。飛行機と車とコンビニはどうコラボするのだろうか。
コンビニの進化は止まりそうもない。
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2025年09月29日
やってはいけない31時間フライト
木曜日から今日(日曜日)まで乗った飛行機を記す。
木曜日 夕方のロサンゼルス行きの飛行機に10時間15分。
ロサンゼルス空港で7時間50分滞在。
木曜日の夜の飛行機でサンフランシスコへ向かう。飛行機に乗っていたのは1時間25分。
金曜日の早朝の飛行機に乗ってロサンゼルスへ。飛行時間は1時間30分。
ロサンゼルス空港で約3時間待機。
金曜日の午後の飛行機に乗って東京へ。飛行機に乗っていたのは11時間半。
到着したのは土曜日の成田空港。午後に着き、そこから電車で羽田空港に移動し、日が変わった日曜日の零時5分発の飛行機に乗ってバンコクへ。飛行機に乗っていたのは6時間半。
日曜日の早朝にバンコクに着いた。
4日間で飛行機に乗っていたのは、31時間10分。
いったいなにをやっているんだろう......と我ながら思う。
僕はアメリカのユナイテッド航空のマイルを貯めている。いまのステイタスを維持するためには、ユナイテッド航空に4区間乗らなくてはならない。しかしユナイテッド航空はアメリカの航空会社だから、僕のフィールドであるアジア圏には飛んでいない。アメリカに住んでいれば、4区間乗ることはそれほど難しいことではないだろうが、日本に住み、アジアを行き来する僕は簡単ではない。4日間で31時間以上も乗ることになってしまった。
以前はグアムやサイパンに行った時期もあった。しかし貯まるマイル数と運賃を考えると、アメリカの西海岸まで行ったほうが効率がいい。しかしアメリカはホテル代が高い。安い宿でも1万円は超える。結局、アメリカには1泊もしない日程になってしまう。
今年からユナイテッド航空は、東京から台湾の高雄とウランバートルに飛ぶようになった。これでアメリカまで行かなくてもよくなるかと思ったが、その運賃が高い。結局、アメリカ西海岸往復になってしまった。
仕事もなく、漫然と飛行機に乗るのならまだ楽だが、今回はさまざまな仕事が溜まってしまっていた。空港での待ち時間はずっと原稿を書いていた。
サンフランシスコの空港は寝る場所を知っている。国際線ターミナルの隅にあるレストランが、夜明かし組に開放される。しかし今回はそこで眠ることができなかった。
こういう4日間をすごすと、いま、僕は1日のなかのどこにいるのかまったくわからなくなる。時差の関係もあるが、本来は寝ている時間に原稿を書き、飛行機のなかでうとうとする4日間だから、体と頭が完全に乖離してしまう。成田空港から羽田空港に向かう電車のなかで、ただぼんやりしていた。同じことが何回も脳裡に浮かぶ。しかし前には進まない。繰り返されているだけだ。土曜日の午後の東京は妙に蒸し暑かったが、なぜか眠くはない。僕はいま、どこにいるのかも曖昧になってきていた。
バンコクに着き、乗ったエアポートレイルリンクの車内から日の出を眺めた。今回、飛行機から2回、朝日を目にしていた。あれは飛行機がどこを飛んでいたときだっただろうか。脳細胞は時差ぼけにもならず、ただ呆けていた。
バンコクで脳細胞の働きを正常に戻そうとした。しかし肌寒いサンフランシスコの夜が蘇り、脳は白濁する。
こういうことをしてはいけないと思う。ホテル代の高さが、脳と体に麻酔をかけてしまうようなものだ。
明日、ベトナムのホーチミンシティ行きの飛行機に乗らなくてはならない。
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ロサンゼルス空港で約3時間待機。
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到着したのは土曜日の成田空港。午後に着き、そこから電車で羽田空港に移動し、日が変わった日曜日の零時5分発の飛行機に乗ってバンコクへ。飛行機に乗っていたのは6時間半。
日曜日の早朝にバンコクに着いた。
4日間で飛行機に乗っていたのは、31時間10分。
いったいなにをやっているんだろう......と我ながら思う。
僕はアメリカのユナイテッド航空のマイルを貯めている。いまのステイタスを維持するためには、ユナイテッド航空に4区間乗らなくてはならない。しかしユナイテッド航空はアメリカの航空会社だから、僕のフィールドであるアジア圏には飛んでいない。アメリカに住んでいれば、4区間乗ることはそれほど難しいことではないだろうが、日本に住み、アジアを行き来する僕は簡単ではない。4日間で31時間以上も乗ることになってしまった。
以前はグアムやサイパンに行った時期もあった。しかし貯まるマイル数と運賃を考えると、アメリカの西海岸まで行ったほうが効率がいい。しかしアメリカはホテル代が高い。安い宿でも1万円は超える。結局、アメリカには1泊もしない日程になってしまう。
今年からユナイテッド航空は、東京から台湾の高雄とウランバートルに飛ぶようになった。これでアメリカまで行かなくてもよくなるかと思ったが、その運賃が高い。結局、アメリカ西海岸往復になってしまった。
仕事もなく、漫然と飛行機に乗るのならまだ楽だが、今回はさまざまな仕事が溜まってしまっていた。空港での待ち時間はずっと原稿を書いていた。
サンフランシスコの空港は寝る場所を知っている。国際線ターミナルの隅にあるレストランが、夜明かし組に開放される。しかし今回はそこで眠ることができなかった。
こういう4日間をすごすと、いま、僕は1日のなかのどこにいるのかまったくわからなくなる。時差の関係もあるが、本来は寝ている時間に原稿を書き、飛行機のなかでうとうとする4日間だから、体と頭が完全に乖離してしまう。成田空港から羽田空港に向かう電車のなかで、ただぼんやりしていた。同じことが何回も脳裡に浮かぶ。しかし前には進まない。繰り返されているだけだ。土曜日の午後の東京は妙に蒸し暑かったが、なぜか眠くはない。僕はいま、どこにいるのかも曖昧になってきていた。
バンコクに着き、乗ったエアポートレイルリンクの車内から日の出を眺めた。今回、飛行機から2回、朝日を目にしていた。あれは飛行機がどこを飛んでいたときだっただろうか。脳細胞は時差ぼけにもならず、ただ呆けていた。
バンコクで脳細胞の働きを正常に戻そうとした。しかし肌寒いサンフランシスコの夜が蘇り、脳は白濁する。
こういうことをしてはいけないと思う。ホテル代の高さが、脳と体に麻酔をかけてしまうようなものだ。
明日、ベトナムのホーチミンシティ行きの飛行機に乗らなくてはならない。
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2025年09月22日
捨て身の移民たち
最近、日本での外国人問題を巡る議論がにぎやかだ。「移民受け入れ」という言葉も飛び交っている。移民受け入れに反対する人々は、JICAのホームタウン事業の抗議の声をあげる。その矛先は東京都にも向けられる。総裁選を前に、政治家たちも、日本にいる外国人問題に触れた内容を公約に盛り込もうとする。
きっかけは、日本人ファーストを掲げた参政党が選挙で躍進したことだ。しかし僕自身は、移民をめぐる論争にいまひとつ興味が湧かない。移民受け入れ派、反対派のどちらにも、その背後にある意識に首を傾げてしまうからだ。
移民の受け入れや排除を、国家が決めるルールでコントロールできると思っている節があるからだ。
毎週日曜日、「ミャンマー速報」をまとめている。それを月曜日に「下川裕治のアジアチャンネル」にアップするためだ。
その情報を集めるために、ミャンマーに住む人たちに連絡をとる。
今日はこんな話が入ってきた。
<ミャンマーではいま、強制徴兵という事態が起きていた。民主派の武装組織や少数民族軍と戦うミャンマーの国軍は兵士不足に陥っている。そこで国軍は若者を拉致し、強制的に国軍の兵士にしてしまうのだ。そして新兵は戦闘の前線に送られる。それを避けるために、多くの若者が逃亡していた。ヤンゴン周辺では、約6割の若者が逃亡している。若者たちは山中に隠れ、隣国のタイへの密入国を画策していた。タイに入国できても、密入国だから正式に働くことは難しい。違法滞在で摘発される可能性もあった>
その内容をまとめながら、違法移民に抗議する日本人の意識とのずれを感じてしまうのだ。日本がどんなに移民の流入を防ごうとしても、彼らはやってくる。彼らはミャンマーにいれば、強制徴兵され、前線に送られる。死亡する可能性はかなり高い。だから彼らは逃げる。少しでも生きのびるために、国外脱出を図る。捨て身の移民なのだ。
その前では、国が決めたルールなどさして効力をもたない。いま、日本に暮らすミャンマー人のなかには、日本に密入国した人が少なくない。船員になり、日本の港に船が着いたときに逃走してしまうのだ。その後、彼らは日本での生活に苦労する。しかし死んではいない。
いまのバンコクに行くと、工事現場でよくミャンマー人を目にする。そのうちの何人かは密入国組である。彼らはタイで息を潜めて生きているが、死ぬことを免れている。
僕はさまざまな国を歩いてきた。いろんな国で、そんな移民を目にしてきた。イランで一緒にバスに乗ったのは、アフガニスタン人たちだった。彼らはパスポートをもっていなかった。僕に誇らしげに見せてくれたのは難民証だった。それが本物なのかもわからない。しかし彼らはその証明書だけで命をつないでいた。生きようとする移民たちにとって違法か合法かは意味のないことだ。
海外に出ると、そんな光景を目にする。特別な場所というわけではない。普通の街で違法移民と出会う。それが世界の現実である。
移民に対する風当りは、世界規模で強くなってきている。しかしその主張は、どれだけ移民への壁を高くしても、決して移民はなくならないという前提に立ったものと、ルールを厳しくすれば移民はなくなると思っている発想とは大きな違いがある。
海外に出る日本人は減りつつある。しかし移民の現実は海外に出ないとわからない面がある。海外に渡航するとき、誰もイミグレーションの審査を受けなくてはならない。イミグレーションとは、偽パスポートや偽装ビザを見抜く前線である。そこに日本人も晒される。そこは移民の現実を知る場でもある。海外に出ない人はその感覚が希薄だ。日本で交わされる移民論争から、僕はその甘さのようなものを感じとってしまう。捨て身の移住はそれほど強い。
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きっかけは、日本人ファーストを掲げた参政党が選挙で躍進したことだ。しかし僕自身は、移民をめぐる論争にいまひとつ興味が湧かない。移民受け入れ派、反対派のどちらにも、その背後にある意識に首を傾げてしまうからだ。
移民の受け入れや排除を、国家が決めるルールでコントロールできると思っている節があるからだ。
毎週日曜日、「ミャンマー速報」をまとめている。それを月曜日に「下川裕治のアジアチャンネル」にアップするためだ。
その情報を集めるために、ミャンマーに住む人たちに連絡をとる。
今日はこんな話が入ってきた。
<ミャンマーではいま、強制徴兵という事態が起きていた。民主派の武装組織や少数民族軍と戦うミャンマーの国軍は兵士不足に陥っている。そこで国軍は若者を拉致し、強制的に国軍の兵士にしてしまうのだ。そして新兵は戦闘の前線に送られる。それを避けるために、多くの若者が逃亡していた。ヤンゴン周辺では、約6割の若者が逃亡している。若者たちは山中に隠れ、隣国のタイへの密入国を画策していた。タイに入国できても、密入国だから正式に働くことは難しい。違法滞在で摘発される可能性もあった>
その内容をまとめながら、違法移民に抗議する日本人の意識とのずれを感じてしまうのだ。日本がどんなに移民の流入を防ごうとしても、彼らはやってくる。彼らはミャンマーにいれば、強制徴兵され、前線に送られる。死亡する可能性はかなり高い。だから彼らは逃げる。少しでも生きのびるために、国外脱出を図る。捨て身の移民なのだ。
その前では、国が決めたルールなどさして効力をもたない。いま、日本に暮らすミャンマー人のなかには、日本に密入国した人が少なくない。船員になり、日本の港に船が着いたときに逃走してしまうのだ。その後、彼らは日本での生活に苦労する。しかし死んではいない。
いまのバンコクに行くと、工事現場でよくミャンマー人を目にする。そのうちの何人かは密入国組である。彼らはタイで息を潜めて生きているが、死ぬことを免れている。
僕はさまざまな国を歩いてきた。いろんな国で、そんな移民を目にしてきた。イランで一緒にバスに乗ったのは、アフガニスタン人たちだった。彼らはパスポートをもっていなかった。僕に誇らしげに見せてくれたのは難民証だった。それが本物なのかもわからない。しかし彼らはその証明書だけで命をつないでいた。生きようとする移民たちにとって違法か合法かは意味のないことだ。
海外に出ると、そんな光景を目にする。特別な場所というわけではない。普通の街で違法移民と出会う。それが世界の現実である。
移民に対する風当りは、世界規模で強くなってきている。しかしその主張は、どれだけ移民への壁を高くしても、決して移民はなくならないという前提に立ったものと、ルールを厳しくすれば移民はなくなると思っている発想とは大きな違いがある。
海外に出る日本人は減りつつある。しかし移民の現実は海外に出ないとわからない面がある。海外に渡航するとき、誰もイミグレーションの審査を受けなくてはならない。イミグレーションとは、偽パスポートや偽装ビザを見抜く前線である。そこに日本人も晒される。そこは移民の現実を知る場でもある。海外に出ない人はその感覚が希薄だ。日本で交わされる移民論争から、僕はその甘さのようなものを感じとってしまう。捨て身の移住はそれほど強い。
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2025年09月15日
おじいちゃんになったフリーランス
娘が男の子を出産した。僕も「おじいちゃん」という立場になった。だからといって、仕事がかたづくわけでもなく、「歩くバンコク」というガイドブックの編集や自分の本の原稿で追い詰められている。
娘の夫は、出産を機に、3ヵ月の育児休暇をとるという。出産からしばらく、夫が家事を受けもつことは珍しくない。夫の産休の話は前から耳にしていたが、身近なところで実際に夫が休む話になると、社会は着実に進んでいることを実感してしまう。
妻が娘を生んだのは30数年前である。あの頃、夫の産休という話はほとんどなかった気がする。僕はすでにフリーランスになっていた。週刊誌や月刊誌など雑多な仕事に追われていた。仮に夫の産休という話になっても、フリーランスの身では難しかった気がする。
いま、男性が産休をとるようになったひとつの理由は給付金だという。仕事は休むことになるが、公的な給付金を補填していけば、それほど月給が減らないようだ。会社によっては、積極的に男性の産休を推進するところもある。改めて、サラリーマンとフリーランスの違いを考えてしまった。
フリーランスという存在が、かっこいいイメージで受け入れられはじめたのはいつ頃なのだろうか。高度経済成長がつくった会社社会の鬼っ子のような存在として生まれてきたようにも思う。会社というものに縛られず、好きな仕事をして稼いでいく......。成功譚はマスコミにもとり上げられていった。
僕が会社を辞めた頃は、そんな熱も冷めていた。経費も自腹になってしまうことが多いフリーランスは、サラリーマンの3倍は稼がないと普通の生活はできないといわれたものだった。
僕はすすんでフリーランスになったわけではなかった。1年近く、アフリカやアジアを歩いて帰国した僕は、どこか日本の会社社会からスピンアウトしてしまったような心境になっていた。このままいったらホームレスだぞ......と、旅に出る前に勤めていた会社の友人たちが仕事をまわしてくれるようになり、気がつくとフリーランスになっていた。当時の日本はバブル経済が終わりかけていたが、まだ実入りのいい仕事も残っていた。
それからは長いフリーランス人生である。旅の本が売れ、旅行作家という肩書きをいただいたが、月給をもらう環境ではない。
フリーランスというのは、貪欲に企画を探さなくては生きていけない。企画を原稿にする決定権は出版社や新聞社にある。自分では決められないから、いつも新しい企画を探しつづけることになる。それはサラリーマンも同じかもしれないが、フリーランスは企画が通らなければ収入にならない。企画は命綱でもあった。
フリーランスになってから、僕には休みというものがなくなった。週末も仕事をしていないと不安だった。来月の収入すらわからない生活なのだ。たまにゆっくりできる時間がとれても、頭のなかでは次の企画を考えていた。それが仕事でもあった。
こういうスタイルで、産休といわれても困ったはずである。子供を育てる前に、家族を養う金を得なくてはならなかった。つまりは旅行作家といっても、収入を考えれば下請けなのだ。
これでは社会を動かすような行動はとれない。社会に大きなうねりや変化をつくっていくのは、多数派であるサラリーマンや、行政なのだ。フリーランスは目の前の収入に右往左往してしまい、長い時間の流れのなかでの仕事ができない。
明日は敬老の日......。しかし僕は1日中、原稿を書いているはずだ。
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娘の夫は、出産を機に、3ヵ月の育児休暇をとるという。出産からしばらく、夫が家事を受けもつことは珍しくない。夫の産休の話は前から耳にしていたが、身近なところで実際に夫が休む話になると、社会は着実に進んでいることを実感してしまう。
妻が娘を生んだのは30数年前である。あの頃、夫の産休という話はほとんどなかった気がする。僕はすでにフリーランスになっていた。週刊誌や月刊誌など雑多な仕事に追われていた。仮に夫の産休という話になっても、フリーランスの身では難しかった気がする。
いま、男性が産休をとるようになったひとつの理由は給付金だという。仕事は休むことになるが、公的な給付金を補填していけば、それほど月給が減らないようだ。会社によっては、積極的に男性の産休を推進するところもある。改めて、サラリーマンとフリーランスの違いを考えてしまった。
フリーランスという存在が、かっこいいイメージで受け入れられはじめたのはいつ頃なのだろうか。高度経済成長がつくった会社社会の鬼っ子のような存在として生まれてきたようにも思う。会社というものに縛られず、好きな仕事をして稼いでいく......。成功譚はマスコミにもとり上げられていった。
僕が会社を辞めた頃は、そんな熱も冷めていた。経費も自腹になってしまうことが多いフリーランスは、サラリーマンの3倍は稼がないと普通の生活はできないといわれたものだった。
僕はすすんでフリーランスになったわけではなかった。1年近く、アフリカやアジアを歩いて帰国した僕は、どこか日本の会社社会からスピンアウトしてしまったような心境になっていた。このままいったらホームレスだぞ......と、旅に出る前に勤めていた会社の友人たちが仕事をまわしてくれるようになり、気がつくとフリーランスになっていた。当時の日本はバブル経済が終わりかけていたが、まだ実入りのいい仕事も残っていた。
それからは長いフリーランス人生である。旅の本が売れ、旅行作家という肩書きをいただいたが、月給をもらう環境ではない。
フリーランスというのは、貪欲に企画を探さなくては生きていけない。企画を原稿にする決定権は出版社や新聞社にある。自分では決められないから、いつも新しい企画を探しつづけることになる。それはサラリーマンも同じかもしれないが、フリーランスは企画が通らなければ収入にならない。企画は命綱でもあった。
フリーランスになってから、僕には休みというものがなくなった。週末も仕事をしていないと不安だった。来月の収入すらわからない生活なのだ。たまにゆっくりできる時間がとれても、頭のなかでは次の企画を考えていた。それが仕事でもあった。
こういうスタイルで、産休といわれても困ったはずである。子供を育てる前に、家族を養う金を得なくてはならなかった。つまりは旅行作家といっても、収入を考えれば下請けなのだ。
これでは社会を動かすような行動はとれない。社会に大きなうねりや変化をつくっていくのは、多数派であるサラリーマンや、行政なのだ。フリーランスは目の前の収入に右往左往してしまい、長い時間の流れのなかでの仕事ができない。
明日は敬老の日......。しかし僕は1日中、原稿を書いているはずだ。
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2025年09月08日
最寄り駅を巡る迷走
「歩くバンコク」と「歩くベトナム」の製作が進んでいる。今後、「歩く台北」や「歩くソウル」もはじまる。本というものは、原稿を入稿した後、初校ゲラが出る。そこから校正作業がはじまるのだが、そこでいつも悩むことがある。店名の表記とアクセスの内容だ。
店名の表記は原則、カタカナになる。しかしそれを日本人が発音したところでなにも通じない。現地の人たちが発する音にはカタカナで表記できないものがかなりある。原音主義に徹するという発想もあるが、それでは日本人は読みにくい。
いろいろ悩み、「歩く台北」では漢字店名のカタカナ表記をやめた。意味がないのだ。幸い、日本人は発音が違っても、漢字を理解することができる。台湾で使われている漢字は、9割ぐらい目で識別できる。それを頼りに店を探すスタイルにした。しかし非漢字圏はそうもいかない。しかしカタカナ表記は難しい。
「このカタカナ表記は合っている?」
校正段階で悩む。たとえばスクムビットとスクンビット。多数派に合わせることになるが、正しくても、間違っていても、それを口にしたところで相手は理解できないことが多い。むなしい作業なのだ。
アクセスは、その土地の暮らす人々との感覚の違いが露わになる。
日本人は地図を解読する能力ではトップレベルだと思う。最近はGoogleマップが登場したことで、その能力をここぞとばかりに発揮できる。なかにはオタクの域まで進んでしまう日本人もいて、それはそれで大変になるのだが。
たとえば最寄り駅という発想がある。日本人の多くは、目的地を訪ねるとき、「最寄り駅はどこかなぁ」とGoogleマップで検索をはじめる。なかにはデータを入れて、歩く距離を正確にはじき出す人もいる。
そういうことをすぐにはじめるのは地図を読み解くというか、地図の見方がわかっているからだ。そこで調べた最寄り駅から、目的地までのルートを調べていく。
しかしアジアの人々と話をすると、それがきわめて日本人的な目的地までのルート検索法だと教えられる。
あるタイ人とトンブリーにあるワット・パークナムという寺院への行き方を調べたことがあった。僕はGoogleマップでトンブリーを開き、そこに寺の名前を打ち込んだ。場所がわかったので、地図のなかの最寄り駅を探した。もっとうまい検索法があるのかもしれないが、僕はこんな方法で探すことが多い。
ところがタイ人はGoogleマップを開かなかった。いきなりTikTokを開いた。そしてX......。彼が探したアクセスルートは、別の路線の駅から、ソンテオに乗るというものだった。ソンテオというのは乗り合いトラックである。駅を見てみた。僕のみつけた駅よりもかなり遠い。これは日本人的にいえば最寄り駅ではなかった。
「どうしてGoogleマップを見ないの?」
「みてもよくわからないから。皆がどんな方法で行っているのか見たほうが早いでしょ」
ガイドブックではこれが起きる。おそらく現地の多くの人が使っているルートが、最も合理的なのだ。しかしそのルートを紹介しても日本人は納得しないだろう。
「最寄り駅から行かないんですか」
きっとそんな問い合わせがくる。「このルートがいちばんいい」と伝えると、
「僕は最寄駅から歩きます」
なんていう言葉が返ってくる。
目的地には最寄駅から行く......という固定概念に縛られているということだろうか。経験的にも、日本は最寄り駅から行くのがいちばん便利という場所が多い。
かくしてガイドブックは日本の色に染められていく。これはこれで、むなしい作業なのだ。
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店名の表記は原則、カタカナになる。しかしそれを日本人が発音したところでなにも通じない。現地の人たちが発する音にはカタカナで表記できないものがかなりある。原音主義に徹するという発想もあるが、それでは日本人は読みにくい。
いろいろ悩み、「歩く台北」では漢字店名のカタカナ表記をやめた。意味がないのだ。幸い、日本人は発音が違っても、漢字を理解することができる。台湾で使われている漢字は、9割ぐらい目で識別できる。それを頼りに店を探すスタイルにした。しかし非漢字圏はそうもいかない。しかしカタカナ表記は難しい。
「このカタカナ表記は合っている?」
校正段階で悩む。たとえばスクムビットとスクンビット。多数派に合わせることになるが、正しくても、間違っていても、それを口にしたところで相手は理解できないことが多い。むなしい作業なのだ。
アクセスは、その土地の暮らす人々との感覚の違いが露わになる。
日本人は地図を解読する能力ではトップレベルだと思う。最近はGoogleマップが登場したことで、その能力をここぞとばかりに発揮できる。なかにはオタクの域まで進んでしまう日本人もいて、それはそれで大変になるのだが。
たとえば最寄り駅という発想がある。日本人の多くは、目的地を訪ねるとき、「最寄り駅はどこかなぁ」とGoogleマップで検索をはじめる。なかにはデータを入れて、歩く距離を正確にはじき出す人もいる。
そういうことをすぐにはじめるのは地図を読み解くというか、地図の見方がわかっているからだ。そこで調べた最寄り駅から、目的地までのルートを調べていく。
しかしアジアの人々と話をすると、それがきわめて日本人的な目的地までのルート検索法だと教えられる。
あるタイ人とトンブリーにあるワット・パークナムという寺院への行き方を調べたことがあった。僕はGoogleマップでトンブリーを開き、そこに寺の名前を打ち込んだ。場所がわかったので、地図のなかの最寄り駅を探した。もっとうまい検索法があるのかもしれないが、僕はこんな方法で探すことが多い。
ところがタイ人はGoogleマップを開かなかった。いきなりTikTokを開いた。そしてX......。彼が探したアクセスルートは、別の路線の駅から、ソンテオに乗るというものだった。ソンテオというのは乗り合いトラックである。駅を見てみた。僕のみつけた駅よりもかなり遠い。これは日本人的にいえば最寄り駅ではなかった。
「どうしてGoogleマップを見ないの?」
「みてもよくわからないから。皆がどんな方法で行っているのか見たほうが早いでしょ」
ガイドブックではこれが起きる。おそらく現地の多くの人が使っているルートが、最も合理的なのだ。しかしそのルートを紹介しても日本人は納得しないだろう。
「最寄り駅から行かないんですか」
きっとそんな問い合わせがくる。「このルートがいちばんいい」と伝えると、
「僕は最寄駅から歩きます」
なんていう言葉が返ってくる。
目的地には最寄駅から行く......という固定概念に縛られているということだろうか。経験的にも、日本は最寄り駅から行くのがいちばん便利という場所が多い。
かくしてガイドブックは日本の色に染められていく。これはこれで、むなしい作業なのだ。
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Posted by 下川裕治 at
12:09
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