2025年06月07日
直参門徒法要
450年以上に亘る行事・直参門徒法要を執り行いました。
4.jpg
我々は真宗大谷派・真宗本廟(京都の東本願寺)の直参(直轄)で、地方のどの寺院にも檀家として属しておらず、直参門徒仲間で六ケ八ケ同行(講)と称する同行(講)を組織しています。
因みに同行(講)とは寺院に相当するもので、建前上、我々は寺院を構成する僧侶と同じ立場ということになります。
6.jpg
主な行事は法要、及び、かつて本山から下附された御仏様(御絵像)の交換です。
御絵像の交換は、福井県大野市川合の川合道場(旧和泉村)へ出向いて行います。誠に質素な行事ですが、案外それが長く続く秘訣なのかもしれません.。
今回の御仏様(御絵像)は聖徳太子でした。
3.jpg
直参という立場は、織田信長と石山・本願寺が戦った石山戦争(1570年〜1580年)において、本願寺に加勢した功労といわれています。
但し、あくまでも本山である石山戦争が主であり、当時周辺で起きた「越前一向一揆」や「加賀一向一揆」とは距離を置いていました。つまり「一向一揆」と一口に言っても各地域によって内容はそれぞれ違うということであり、この辺りが微妙な距離感と言えるでしょう。
後に「豊臣秀吉の庇護」浄土真宗本願寺派(京都の西本願寺)の直参は「九ケ講」という集団に、
「徳川家康の庇護」真宗大谷派・真宗本廟(京都の東本願寺)の直参は「六ケ講・八ケ講」という集団に(当家はこれに属します)それぞれ分かれています。
こういった形態は、中世、真宗教団開創期における様相を、比較的忠実に伝存しているとのことです。
お寺ではなく、道場を中心として信仰と世俗が密接に結合した村落共同体は、近代ではこの地域が残るのみとなっています。
注:石山・本願寺の石山とは?現在の大阪城址のことです。
織田信長がどうしても欲しかった石山の地。信長の死後、秀吉がこの石山の地に大阪城を建てた、ということですね。
5.jpg
4.jpg
我々は真宗大谷派・真宗本廟(京都の東本願寺)の直参(直轄)で、地方のどの寺院にも檀家として属しておらず、直参門徒仲間で六ケ八ケ同行(講)と称する同行(講)を組織しています。
因みに同行(講)とは寺院に相当するもので、建前上、我々は寺院を構成する僧侶と同じ立場ということになります。
6.jpg
主な行事は法要、及び、かつて本山から下附された御仏様(御絵像)の交換です。
御絵像の交換は、福井県大野市川合の川合道場(旧和泉村)へ出向いて行います。誠に質素な行事ですが、案外それが長く続く秘訣なのかもしれません.。
今回の御仏様(御絵像)は聖徳太子でした。
3.jpg
直参という立場は、織田信長と石山・本願寺が戦った石山戦争(1570年〜1580年)において、本願寺に加勢した功労といわれています。
但し、あくまでも本山である石山戦争が主であり、当時周辺で起きた「越前一向一揆」や「加賀一向一揆」とは距離を置いていました。つまり「一向一揆」と一口に言っても各地域によって内容はそれぞれ違うということであり、この辺りが微妙な距離感と言えるでしょう。
後に「豊臣秀吉の庇護」浄土真宗本願寺派(京都の西本願寺)の直参は「九ケ講」という集団に、
「徳川家康の庇護」真宗大谷派・真宗本廟(京都の東本願寺)の直参は「六ケ講・八ケ講」という集団に(当家はこれに属します)それぞれ分かれています。
こういった形態は、中世、真宗教団開創期における様相を、比較的忠実に伝存しているとのことです。
お寺ではなく、道場を中心として信仰と世俗が密接に結合した村落共同体は、近代ではこの地域が残るのみとなっています。
注:石山・本願寺の石山とは?現在の大阪城址のことです。
織田信長がどうしても欲しかった石山の地。信長の死後、秀吉がこの石山の地に大阪城を建てた、ということですね。
5.jpg
posted by ゲンブン at 21:07| 日記・エッセイ・コラム
2025年06月06日
早期中干し
posted by ゲンブン at 00:00| 日記・エッセイ・コラム
2025年06月05日
2025年05月27日
2025年05月22日
「世間知らず」とは
世間知らずとは
失言が更迭の要因となった某大臣の件で思い出したことがある(もっとも、失言がなくても相当ズレまくっていたが)
私が若いころ、祖父の代からお世話になっていた近所のおばさんが私を見つけると「あんたは世間知らずや!」と、ことあるごとに、しかも、ところ構わず叱ってきた。
いつもの事なので「はい、わかりました、ありがとうございます」と返事しておくのが常だった。自分でも世間を知ろうと結構努力したつもりだったが、いつまでたっても叱られてばかりだった。
なぜ叱られ続けなければならなかったのか?
その理由が、10年ほど経ったある日、ようやく判明した。
「あんた!喫茶店行かんやろ!私なんか毎日いろんな喫茶店行っとるよ!そんでな、そこでみんなと話をして情報を仕入れとるんよ! どこの家の誰が結婚した。あそこは離婚して娘が帰ってきた。そこの家は嫁と姑の仲が悪い。あの子は不倫して揉めとる。あの家に二人目の子供が産まれた。その家のペットの種類や数、そのペットに子供が産まれて、どこそこにもらわれて行った!私なんか何でも知っとるよ!あんた何にも知らんやろ! この世間知らずが!」
ようやく「世間知らず」の意味を知ることとなったが、同時に、果たしてこれが「世間知らず」に該当するのだろうか? ?マークが頭の中を渦巻くことしきり・・・
私が思う「世間知らず」と、おばさんが言うところの「世間知らず」が大きく乖離していることにようやく気が付いたのである。
これではいつまでたっても私は「世間知らず」から脱却できないだろうと思う瞬間でもあった。
ただ、理由が分かれば私も余裕が出てきて、笑いながらうまく話しを合わすことが出来るようになり、むしろ「世間知らず!」と叱られるのが面白くで、楽しみにもなってくるから不思議であった。もうおばさんの言う「世間知らず」のままで良いとさえ思うようにもなった。
つい最近失言を連発して更迭となった某大臣、あれも酷かったが、実際ああいうのを世間一般的に「世間知らず」というのではないだろうか? と 思う、、、
ついでに言うと、石破さん、ちょっと判断が遅かった
小泉さん(父)や安倍さんだったら即クビ切ってただろう
政権のど真ん中で気を遣わなければならない人を気にするあまり、まわりが見えづらくなってしまったのかもしれない
総理になる前の理路整然としたキレが影を潜めてしまったのは残念に思う
つい先日、90歳近い知人が「わしも最近喫茶店へ行かんようになってしまってな。すっかり世間知らずになってしまった!」と嘆いて話してきたが、ことによると、田舎のそのくらいの年代の人はそういう感覚が普通なのかもしれないと思うようになった。
話しは戻り、いつも私を叱っていたそのおばさんだが、残念ながら数年前に亡くなった。今では「この世間知らずが!」と叱られることもなくなり、ちょっと寂しい気がしている今日この頃なのである。
失言が更迭の要因となった某大臣の件で思い出したことがある(もっとも、失言がなくても相当ズレまくっていたが)
私が若いころ、祖父の代からお世話になっていた近所のおばさんが私を見つけると「あんたは世間知らずや!」と、ことあるごとに、しかも、ところ構わず叱ってきた。
いつもの事なので「はい、わかりました、ありがとうございます」と返事しておくのが常だった。自分でも世間を知ろうと結構努力したつもりだったが、いつまでたっても叱られてばかりだった。
なぜ叱られ続けなければならなかったのか?
その理由が、10年ほど経ったある日、ようやく判明した。
「あんた!喫茶店行かんやろ!私なんか毎日いろんな喫茶店行っとるよ!そんでな、そこでみんなと話をして情報を仕入れとるんよ! どこの家の誰が結婚した。あそこは離婚して娘が帰ってきた。そこの家は嫁と姑の仲が悪い。あの子は不倫して揉めとる。あの家に二人目の子供が産まれた。その家のペットの種類や数、そのペットに子供が産まれて、どこそこにもらわれて行った!私なんか何でも知っとるよ!あんた何にも知らんやろ! この世間知らずが!」
ようやく「世間知らず」の意味を知ることとなったが、同時に、果たしてこれが「世間知らず」に該当するのだろうか? ?マークが頭の中を渦巻くことしきり・・・
私が思う「世間知らず」と、おばさんが言うところの「世間知らず」が大きく乖離していることにようやく気が付いたのである。
これではいつまでたっても私は「世間知らず」から脱却できないだろうと思う瞬間でもあった。
ただ、理由が分かれば私も余裕が出てきて、笑いながらうまく話しを合わすことが出来るようになり、むしろ「世間知らず!」と叱られるのが面白くで、楽しみにもなってくるから不思議であった。もうおばさんの言う「世間知らず」のままで良いとさえ思うようにもなった。
つい最近失言を連発して更迭となった某大臣、あれも酷かったが、実際ああいうのを世間一般的に「世間知らず」というのではないだろうか? と 思う、、、
ついでに言うと、石破さん、ちょっと判断が遅かった
小泉さん(父)や安倍さんだったら即クビ切ってただろう
政権のど真ん中で気を遣わなければならない人を気にするあまり、まわりが見えづらくなってしまったのかもしれない
総理になる前の理路整然としたキレが影を潜めてしまったのは残念に思う
つい先日、90歳近い知人が「わしも最近喫茶店へ行かんようになってしまってな。すっかり世間知らずになってしまった!」と嘆いて話してきたが、ことによると、田舎のそのくらいの年代の人はそういう感覚が普通なのかもしれないと思うようになった。
話しは戻り、いつも私を叱っていたそのおばさんだが、残念ながら数年前に亡くなった。今では「この世間知らずが!」と叱られることもなくなり、ちょっと寂しい気がしている今日この頃なのである。
posted by ゲンブン at 12:59| 日記・エッセイ・コラム