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取り巻く人々 歌舞伎俳優 南北劇と関わりのあった、おもな歌舞伎俳優をご紹介します。

3代目 尾上菊五郎 天明4年(1784年)〜嘉永2年(1849年)

屋号:音羽屋(おとわや)
『浮世柄比翼稲妻』
初代歌川国貞画
文政6年(1823年)3月市村座
名古屋山三を演じる
3代目尾上菊五郎

経歴と芸の特色

江戸の小伝馬町に建具屋の子として生まれ、初代尾上松助(おのえまつすけ)の養子となり、尾上栄三郎(おのええいざぶろう)の名前で5歳のときに初舞台を踏みました。文化12年(1815年)に3代目菊五郎を襲名。容姿に優れ、さまざまな役柄を見事に演じ分けた文化・文政期の名優です。江戸の粋な生世話物(きぜわもの)で、お祭左七(おまつりさしち)、大工の六三(だいくのろくさ)などの江戸っ子を演じて、抜群の人気を博しました。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の桜丸(さくらまる)、『仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)』の勘平(かんぺい)など二枚目の立役(たちやく)、仁木弾正(にっきだんじょう)・いがみの権太(いがみのごんた)などの敵役(かたきやく)などで「音羽屋型(おとわがた)」と呼ばれる型を残しました。

南北作品との関わり

南北は狂言作者としての地位を、菊五郎の養父・初代松助との共同作業で作り上げた夏芝居の怪談狂言によって確立しました。文政年間(1818年〜1830年)に入ると、南北は『玉藻前御園公服(たまものまえくもいのはれぎぬ)』(文政4年[1821年])『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』(文政8年[1825年])『独道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』(文政10年[1827年])といった夏狂言を書き、菊五郎とともに成功させていきました。菊五郎は『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』(文化元年[1804年])の水中の早替り(はやがわり)を一子相伝(いっしそうでん)で受け継ぎ、尾上家のお家芸として大成させました。


菊五郎の美貌
菊五郎には、楽屋の鏡台に向かい自分の顔を見て、「おれはどうしてこう好い男だろう」とつぶやいたと言います。この逸話(いつわ)は、名作者・河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)が修行時代に実際に見た話として伝えられてきたものです。

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