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歌舞伎舞踊の作品と表現

お染久松道行(おそめひさまつみちゆき)

通称 お染久松道行
(おそめひさまつみちゆき)
本名題(ほんなだい) 道行浮塒鴎
(みちゆきうきねのともどり)
初演年度 文政8年(1825年)
音楽 清元
題材による分類 道行物

江戸時代初期に大坂で起こった、油屋(あぶらや)の娘・お染と丁稚(でっち)・久松の心中事件を元にしています。この事件は短い歌謡に仕立てられて、広く知られるようになり、人形浄瑠璃や歌舞伎、舞踊に取り入れられました。
この作品は、舞台を江戸に移しています。お染は浅草にある油屋という大店(おおだな)のお嬢様、久松はその店の丁稚です。封建的な時代にお嬢様と丁稚とい

う身分違いの恋は許されないものでしたが、2人は深い関係になっていました。久松には故郷に許嫁もいます。お染の両親がお染を別の男に嫁がせようとするので、2人は駆け落ちをし、隅田川沿いにある三囲神社(みめぐりじんじゃ)の近くまで逃げてきました。久松は子供の頃から油屋に奉公しており、ご恩を受けた旦那様に対して申し訳ない気持ちで沈んでいます。お染は2人の恋の始まりの頃を思い出し、切ない娘心を訴えかけます。そこへ猿回しが通りかかり、2人の様子を見て「心中などをしてはいけない」と言い聞かせて立ち去ります。しかし思い詰めた2人の決意は変わらず、死の旅に向かっていくのでした。
少女と少年の切ない恋の舞踊です。

「お染久松道行」舞台写真
『お染久松道行』
6代目中村福助の油屋娘お染
3代目坂東志うかの丁稚久松
1934年[昭和9年] 8月 (BM004539)

落人(おちうど)

通称 落人(おちうど)
本名題(ほんなだい) 道行旅路の花聟
(みちゆきたびじのはなむこ)
初演年度 天保4年(1833年)
音楽 清元
題材による分類 道行物

歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の1コマです。
『仮名手本忠臣蔵』は、江戸時代初期に、赤穂藩[現在の兵庫県赤穂市周辺]の浪士47人が主君の敵討ちをした事件を脚色しています。初めは人形浄瑠璃の作品として作られ、歌舞伎でも上演するようになりました。『落人』は原作にはない舞踊で、元は芝居だった場面を舞踊に作り替えた作品です。今日では独立して上演されることもあります。

舞台は戸塚付近、菜の花が咲く明るい春の景色が広がっています。勘平は塩冶判官(えんやはんがん)の家臣、お軽は判官の家の腰元です。勘平は判官のお供をする役割でありながら、お軽と人目を忍んで逢っていました。その間に判官が、松の廊下で高師直(こうのもろのお)に斬りつける刃傷(にんじょう)事件を起こします。この一大事に居合わせなかったために、勘平は戻るに戻れなくなり、お軽と駆け落ちをして戸塚まで来ました。勘平は失敗を思い悩み、やはりお詫びに切腹をしようとします。お軽は、勘平を止め、一旦自分の実家に落ち延びて、時期を待ってお詫びをしようと説得します。そこへお軽に横恋慕する侍・鷺坂伴内(さぎさかばんない)が追ってきて、勘平にお軽を渡せと迫りますが、勘平は所作ダテで軽くあしらい、旅を急ぎます。
恋人の逃避行が、甘く切ない舞踊です。

「落人」舞台写真
『落人』
12代目市川團十郎の早野勘平
5代目中村勘九郎(18代目中村勘三郎)の腰元お軽
1986年[昭和61年] 10月 (Y_E0100138000123)

かさね(かさね)

通称 かさね(かさね)
本名題(ほんなだい) 色彩間苅豆
(いろもようちょっとかりまめ)
初演年度 文政6年(1823年)
音楽 清元
題材による分類 -

江戸時代に有名だった怨霊・累(かさね)の伝説を元にしています。その伝説は、累が夫の与右衛門に殺されて怨霊となり、凄まじい(すさまじい)執念で祟りをなしたというものです。累はとても醜く、片眼と片足も不自由な女でしたが、それは累の母が連れ子の助(すけ)を殺した因果のためだと伝えられています。この話は、江戸時代初期に下総国岡田郡羽生村[現在の茨城県水海道市羽生町付近]で実際に起こった事件とされ、宗教話と結びついて世に広められ、浄瑠璃や歌舞

伎に取り入れられました。ここで累は美女として造型され、何らかの因果で死霊に取りつかれて、片眼と片足が不自由な醜い女になり、嫉妬心を起こして与右衛門に殺されるというパターンが作られました。この作品では、男と女の心のすれ違いに因果が重ねられています。
腰元のかさねは同じ家中の与右衛門と深い関係でしたが、男は出世のために逃げてしまいました。かさねは後を追い、木下川[鬼怒川]堤(きねがわづつみ)で男に巡り会います。かさねがその思いを切々と訴えると、男はようやく心中を承諾します。そこへ髑髏(どくろ)と卒塔婆(そとば)が流れつきます。それはかさねの父・助(すけ)のもので、与右衛門は過去にかさねの母と密通し、助を殺していたのです。助の怨念はかさねに取りつき、かさねは顔が醜く変わり片足も不自由になります。かさねが与右衛門に鏡を差し付けられ、自

分の顔の変化に気づかされる場面が見どころの1つです。与右衛門は、かさねをだまして後ろから斬りつけ、自分が親の敵(かたき)であること、そんな男と深い仲になったかさねの因果を語り、壮絶な立廻り(たちまわり)の末、土橋の上でかさねを殺します。与右衛門は立ち去ろうとしますが、かさねの怨念によって引き戻されて幕になります。
恋模様から一転して、殺人劇となるドラマ性の高い舞踊です。

「かさね」舞台写真
『かさね』
7代目尾上菊五郎のかさね
12代目市川團十郎の与右衛門
1995年[平成7年] 4月 (Y_E0100193000139)

京人形(きょうにんぎょう)

通称 京人形(きょうにんぎょう)
本名題(ほんなだい) 銘作左小刀
(めいさくひだりこがたな)
初演年度 弘化4年(1847年)
音楽 長唄常磐津
題材による分類 -

左甚五郎(ひだりじんごろう)は、江戸時代の彫刻の名人で、日光東照宮の眠り猫や東京上野東照宮の竜で有名です。この竜の彫刻には、毎夜動き出して不忍池の水を飲んだという伝説もあります。この作品はこうした伝説を背景に、左甚五郎が作った人形に魂が入って動き出すという内容になっています。
舞台は甚五郎の家です。甚五郎は、ある傾城(けいせい)[位の高い遊女]に恋い焦がれ、その傾城に生き写しの等身大の人形を作りました。すると甚五郎の一途

な思いが人形に乗り移り、人形が動き出します。けれども人形は作り主である甚五郎を真似て、男の無骨な動きをしてしまいます。そこで女の魂ともいわれる鏡を人形の懐に入れると、たちまち優しい女の動作になります。そして鏡が落ちるとまた男の動きに戻り、甚五郎と2人で同じ振りを早いテンポで踊っていきます。人形が見せる男と女の動きの変化が見どころです。その後、甚五郎がかくまっている姫を敵が捕まえに来ます。甚五郎はその敵の1人に右腕を切られ、左腕だけで大工道具を使った所作ダテをします。元は長いお話の1コマでしたが、今ではこの舞踊の部分だけが残っているため、後半の展開が急なものになっています。
美しい人形が動き出し、男の身振りをする楽しい舞踊です。

「京人形」舞台写真
『京人形』
7代目松本幸四郎の左甚五郎
2代目市川松蔦の京人形小車太夫
1938年[昭和13年] 5月 (BM001798)

廓文章(くるわぶんしょう)

通称 廓文章(くるわぶんしょう)
本名題(ほんなだい) 廓文章(くるわぶんしょう)
初演年度 文化5年(1808年)
音楽 義太夫常磐津/義太夫清元
題材による分類 -

身分や家柄の高い人物が落ちぶれた様子を描いた作品です。和事という柔らかく優美な演技と共に展開されます。
藤屋(ふじや)の若旦那(わかだんな)・伊左衛門(いざえもん)は、大坂新町の遊女・夕霧(ゆうぎり)になじみ、高額の借金を作って勘当されてしまいました。伊左衛門は夕霧に会うのに必要なお金もなくなってしまいましたが、年末のある日、みすぼらしい姿で、以前よく訪れた吉田屋へやって来ます。吉田屋の主人・喜左衛門(きざえもん)は前と変わらない態度で伊左衛門

を温かく迎え、座敷へ通します。喜左衛門の取り計らいで夕霧を伊左衛門の座敷に呼ぶことになりますが、なかなか自分の所へ現れないので、伊左衛門はすねてしまいます。夕霧が他のお客の座敷にいるのを知って怒ったり、落ち着かない行動をくりかえす様にユーモアがあり、そこが見どころでもあります。やがてやって来た夕霧が再会を喜んでも取り合わず、逆に夕霧をののしります。けれども夕霧が、伊左衛門からの音信が1年以上も途絶えていたために、その哀しみから病になってしまったことを訴えると、ようやく仲直りとなります。そこへ藤屋から「勘当を解く」知らせと夕霧を身請けするお金が届けられ、2人はめでたく結ばれます。
伊左衛門の和事の演技と、夕霧との痴話喧嘩の様を描いた劇的要素の強い作品です。

「廓文章」舞台写真
『廓文章』
5代目中村富十郎の藤屋伊左衛門
5代目中村松江(2代目中村魁春)の扇屋夕霧
1992年[平成4年] 12月 (Y_E0100176000365)

(注記)音楽は「義太夫・常磐津」「義太夫・清元」のどちらでも上演されることがあります。

関の扉(せきのと)

通称 関の扉(せきのと)
本名題(ほんなだい) 積恋雪関扉
(つもるこいゆきのせきのと)
初演年度 天明4年(1784年)
音楽 常磐津
題材による分類 -

大伴黒主(おおとものくろぬし)の野望を阻止するために桜の精が傾城(けいせい)[位の高い遊女]姿になって現れる舞踊です。
逢坂山(おうさかやま)[現在の滋賀県大津市あたり]の関所で、小町姫の恋人の宗貞(むねさだ)が世を避けて住んでいます。そこへ小町姫が来て、再会を果たします。関の番人・関兵衛(せきべえ)が2人の仲を取り持つうちに、宗貞は関兵衛に不審を抱き、小町姫に朝廷方へ知らせに行かせます。実は関兵衛は大伴黒

主という大悪人で、天下を乗っ取ろうとしていたのです。関兵衛が祈りのために桜の木を切ろうとすると、墨染(すみぞめ)という傾城が現れて関兵衛を誘惑します。彼女は実は桜の精で、宗貞の弟・安貞(やすさだ)と恋仲だったために、関兵衛の野望を妨げようとしているのです。しかし安貞の形見の袖を見るとつい涙を見せてしまうので関兵衛に怪しまれ、お互いに本性をあらわして、立廻りとなります。
色仕掛けから一転、立廻りとなる劇性の高い舞踊です。

「関の扉」舞台写真
『関の扉』
12代目市川團十郎の関守関兵衛実は大伴黒主
5代目坂東玉三郎の墨染実は小町桜の精
1991年[平成3年] 1月 (Y_E0100164000275)

蝶の道行(ちょうのみちゆき)

通称 蝶の道行(ちょうのみちゆき)
本名題(ほんなだい) 蝶の道行(ちょうのみちゆき)
初演年度 天明4年(1784年)
音楽 義太夫
題材による分類 道行物

この作品は生前結ばれなかった2人が、死後、番(つがい)の蝶になって冥土(めいど)への旅をする道行です。江戸時代中期の書物にある「敵の家の息子と恋をしたために、兄に斬られた娘の話」と、「花を好んだのが縁で夫婦になった2人が、死後番の蝶となって息子の前に現れる話」とが組み合わされた物語の1コマです。
助国(すけくに)と小槙(こまき)は恋仲でしたが、主君(しゅくん)とその許婚の身替わりに首を切られ、この世では夫婦になることができませんでした。舞台にはお揃いの着物を着た2人が登場し、四季の花が咲き乱れる風景の中で、2人の馴れ初めや、恋心を描写します。やがて蝶の姿になると地獄の責めを受けるシーンになります。2人はお互いをかばい合いながら、必死に苦しみに耐えようとしますが、小槙が先に力つき、そこに折り重なるようにして助国も息絶えます。
蝶になった恋人同士の悲しくもロマンチックな舞踊です。

釣女(つりおんな)

通称 釣女(つりおんな)
本名題(ほんなだい) 釣女(つりおんな)
初演年度 明治34年(1901年)
音楽 常磐津
題材による分類 松羽目物

狂言の『釣針(つりばり)』を元にしています。霊夢によって授かった釣針で、妻だけではなく、太刀(たち)など、何でも好きなものが釣れるという設定でした。舞踊では釣るものを美女と醜女(しこめ)の2人に絞り、対照を際立たせています。
大名と召使いの太郎冠者(たろうかじゃ)は共に独身で、良い妻を授かりたいと願をかけに、西宮[現在の兵庫県西宮市]の戎神社(えびすじんじゃ)に参詣します。2人がお祈りしてまどろむと、夢のお告げがあり、釣針を与えられます。大名はその釣針で美しい女

性を釣り上げましたが、太郎冠者は不細工な女・醜女を釣り上げてしまいます。太郎冠者は嫌がりますが、醜女は太郎冠者を気に入り、あれこれと迫っていくのでした。醜女の太郎冠者への降り注ぐような愛情が、いじらしく感じられる場面もあります。
どこまでも嫌がる太郎冠者と、一途な醜女の対比がユーモラスな舞踊です。

「釣女」舞台写真
『釣女』
初代澤村宗之助の醜女
7代目澤村宗十郎の太郎冠者
助高屋高丸の大名 (BM003724)

二人椀久(ににんわんきゅう)

通称 二人椀久(ににんわんきゅう)
本名題(ほんなだい) 其面影二人椀久(そのおもかげににんわんきゅう)
初演年度 安永3年(1774年)
音楽 長唄
題材による分類 狂乱物

椀久とは、江戸時代初期に実在した大坂の豪商・椀屋久右衛門(わんやきゅうえもん)の略称です。椀久は、新町の傾城(けいせい)[位の高い遊女]・松山と深い関係になり豪遊を続けたために座敷牢に閉じこめられ、松山恋しさに発狂しました。この実説を元に様々な物語や浄瑠璃、歌舞伎が作られ、椀久は椀屋久兵衛という名前になりました。この作品では、椀久がつかの間に見る夢を描いています。
ある夜、椀久は座敷牢を抜け出し、あてもなくさまよい歩いています。松山との恋をふり返り、松山に逢いたいと願ううちに、いつの間にかうとうとと眠りに落ちます。するとどこからともなく松山の幻が現れ、椀久への思いを静かに訴えかけます。椀久は目を覚まし、2人のしっとりとした踊りやテンポのよい振りなどを繰り広げますが、やがて松山の姿はかき消えて、1人残された椀久は深い悲しみに襲われるのでした。
大人のムードある恋の模様を描いた舞踊です。

乗合船(のりあいぶね)

通称 乗合船(のりあいぶね)
本名題(ほんなだい) 乗合船恵方万歳
(のりあいぶねえほうまんざい)
初演年度 天保14年(1843年)
音楽 常磐津
題材による分類 風俗舞踊

乗合船とは何人かが乗り合う船のことです。この作品は乗合船を七福神の乗った宝船に見立てて作られています。
舞台は初春の隅田川です。渡し場の乗合船に、女船頭、白酒売、大工、芸者、俳諧師(はいかいし)の5人が乗り込んでいます。そこへ芸人の万歳(まんざい)と才蔵(さいぞう)のコンビが急いでやってきます。同じ船に乗り合わせる7人は、何か面白い話をしようということになり、まず白酒売が白酒の由来を踊ります。

大工は「大工の道具づくし」を見せ、俳諧師は吉原通いのキザな話をし、そこに女船頭がからみます。続いて万歳と才蔵が祝福の芸を披露し、黄金(こがね)が湧き出てくる様子を楽しく踊ります。最後は7人が船に乗り込んで七福神の宝船の絵面を真似て幕になります。
江戸時代の様々な風俗を写した軽妙な舞踊です。

「乗合船」舞台写真
『乗合船』
7代目坂東三津五郎の才蔵亀松
6代目尾上菊五郎の万歳鶴太夫 他
1929年[昭和4年] 1月 (BM003934)

将門(まさかど)

通称 将門(まさかど)
本名題(ほんなだい) 忍夜恋曲者
(しのびよるこいはくせもの)
初演年度 天保7年(1836年)
音楽 常磐津
題材による分類 -

平将門(たいらのまさかど)の娘・滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が主人公の舞踊です。江戸時代後期に山東京伝(さんとうきょうでん)が書いた読本(よみほん)『善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)』を元にしています。
将門は天下を狙って滅ぼされ、かつてきらびやかだった御所は今ではすっかり荒れ果てています。そこに、怪異の噂を聞きつけた勇者・大宅光圀(おおやのみつくに)が乗り込んできています。傾城(けいせい)[位

の高い遊女]姿の滝夜叉姫がどこからともなくやってきて、光圀への思いを訴えます。光圀を色仕掛けで味方にし、天下を乗っ取ろうとしているのです。しかし、光圀が「将門戦死の物語」をすると彼女は涙を見せ、将門の娘である証拠の旗を落としてしまいます。見どころは、滝夜叉姫が本性を明かし[「見あらわし」になり]、「がまの妖術」を使う立廻り(たちまわり)です。
古御所(ふるごしょ)で展開する男と女の駆け引きが面白い舞踊です。

「将門」舞台写真
『将門』
9代目中村福助の傾城如月実は滝夜叉姫
4代目中村梅玉の大宅太郎光圀
2000年[平成12年] 1月 (Y_E0100218000144)

身替座禅(みがわりざぜん)

通称 身替座禅(みがわりざぜん)
本名題(ほんなだい) 身替座禅(みがわりざぜん)
初演年度 明治43年(1910年)
音楽 常磐津長唄
題材による分類 松羽目物

狂言『花子(はなご)』を元にしています。夫の浮気と妻の嫉妬が描かれています。
京の近郊に住む山蔭右京(やまかげうきょう)は、愛人の花子から「京に来ているので会いたい」と手紙を貰います。右京はすぐにでも飛んで行きたいのですが、右京を愛する奥方・玉の井がいつもそばにいて片時も離れません。そこで家の持仏堂(じぶつどう)で座禅(ざぜん)を組むと嘘をつき、身替わりに家来の太郎冠者に衾(ふすま)[小袖(こそで)]を被せて(かぶせて)出かけて行きます。しかし数時間後、奥方が見舞い

に来たのでばれてしまい、今度は奥方が衾を被り太郎冠者になりすまして夫の帰りを待ちます。そうとも知らずに帰ってきた右京は、花子と会った嬉しさにのろけ話をはじめ、花子がいかに可愛らしいかをつぶさに語ります。そしてふと衾をとると、中には奥方が怒りにふるえておりました。右京は驚き慌てて逃げるのを、奥方が追っていきます。
男の浮気がばれる騒動を明るく描いた舞踊です。

「身替座禅」舞台写真
『身替座禅』
12代目市川團十郎の山蔭右京
9代目澤村宗十郎の奥方玉の井
1995年[平成7年] 3月 (Y_E0100192000254)

吉野山(よしのやま)

通称 吉野山(よしのやま)
本名題(ほんなだい) 道行初音旅
(みちゆきはつねのたび)
初演年度 文化5年(1808年)
音楽 清元義太夫
題材による分類 道行物

源義経(みなもとのよしつね)の愛妾・静御前と、義経の家来・佐藤忠信(さとうただのぶ)の主従の旅を描いています。
何千本もの桜が満開の吉野山に、静御前が旅姿で現れます。愛する義経を訪ねて行く旅路です。静が義経の形見の「初音鼓(はつねのつづみ)」と名付けられた鼓を打つと、義経の家来で静のお供をする忠信がどこからともなく現れます。実は忠信は狐で、父母の皮が張られた初音鼓に付き従っているのでした。静と忠信

は、旅の憂さを晴らすために、辺りの景色を眺めながら踊りはじめ、男雛女雛の真似などをし、「屋島の合戦の物語」になります。ここが見どころで、忠信の兄・継信(つぎのぶ)が討死した部分では、静も加わり共に涙にくれます。この後、追手の早見藤太(はやみのとうだ)が静を捕まえに来て所作ダテになることもあります。
桜が満開の吉野山の風景に、主従のやりとりが美しく展開する舞踊です。

「吉野山」舞台写真
『吉野山』
4代目中村雀右衛門の静御前
12代目市川團十郎の佐藤四郎兵衛忠信実は源九郎狐
2001年[平成13年] 11月 (Y_E0100226049006)

吉原雀(よしわらすずめ)

通称 吉原雀(よしわらすずめ)
本名題(ほんなだい) 教草吉原雀
(おしえぐさよしわらすずめ)
初演年度 明和5年(1768年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊

やかましく鳴く雀のことを吉原雀といいます。ここから転じて吉原に来る冷やかし客のことを吉原雀ともいいました。この作品では、吉原に来る鳥売りの夫婦の風俗を取り入れています。
鳥売りの夫婦が雀を入れた鳥籠(とりかご)を持って、吉原にやって来ます。そしてつかまえた生き物を放す「放生会(ほうじょうえ)」の由来や、廓(くるわ)の風俗、客が座敷にあがる様など吉原の情緒を踊ります。見どころは演者が曲に乗ったセリフを言いながら

踊る拍子舞の部分です。初演では背景となる物語がありましたが、現在は単なる鳥売りの夫婦という設定で上演されています。
吉原の粋な情緒のある舞踊です。

「吉原雀」舞台写真
『吉原雀』
5代目中村富十郎の鳥売りの男実は雀の精
5代目中村児太郎(9代目中村福助)の鳥売りの女実は雀の精
1984年[昭和59年] 12月 (Y_E0100129000118)

男女の舞踊

2人の男女が主人公の舞踊は、大きく分けると"恋人同士の舞踊"と"男女が対立する舞踊"があります。男女のどちらも主人公です。

"恋人同士の舞踊"は『落人(おちうど)』、『お染久松道行(おそめひさまつみちゆき)』、『蝶の道行(ちょうのみちゆき)』など道行物が多く、恋する2人の死への旅の風景を描いています。他に恋人同士の痴話喧嘩を描いた『廓文章(くるわぶんしょう)』や、間をひき裂かれた恋人をつかの間の夢に見る『二人椀久(ににんわんきゅう)』のようなものもあります。

"男女が対立する舞踊"は劇的要素が強く、『関の扉(せきのと)』や『将門(まさかど)』など、天下を手に入れようとする人物とそれを阻む人物の闘いが多く描かれていますが、武力の闘いだけではなく、偽りの恋をしかけるという恋の要素も盛り込まれています。他には夫婦のちょっとした愛憎劇の『身替座禅(みがわりざぜん)』や、恋人同士のやりとりから急転して殺人劇となる『かさね』のような作品もあります。

『乗合船(のりあいぶね)』のように年齢・職業・境遇がさまざまな男女が登場するものもあります。

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