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"国立の星"...名古屋大152キロ剛腕の現在 『ドラフト上位候補』だったあの時から10年、もしも大学生のとき、プロを志望していたら―。

2025年1月10日 07時00分

七原優介さん

七原優介さん

◇尾関雄一朗コラム「アマチュア野球取材ノート」
トヨタ自動車の七原優介さんは、名古屋大4年のとき、「国立の星」としてプロ野球のドラフト上位候補と騒がれた。32歳となり、社会人として10年が過ぎた。現役時代に比べ、ややふっくらした顔になった七原さんの"今"を訪ねた。
難関国立大の最速152キロ右腕はあのとき、プロを志望せずに社会人野球へ進む決断をした。
「ピッチャーとしての総合力が足りないと感じていました。大学日本代表候補合宿で山崎(康晃・現DeNA)や有原(航平・現ソフトバンク)を見ると、彼らは変化球もいい。僕はちょっと状態が悪いと、普通に打たれていましたから」
トヨタ自動車の野球部では、3年間で目立った成績を残せなかった。
「最大の後悔はけがです。1年目に思い通りの投球ができなかった中、痛めた腰が治らないまま投げているうち、右肘も痛めてしまった。何もできなくなりました」
学業中心だった大学までの歩みは、野球界では異質。名門社会人チームの練習は、大学時代の比ではなかったという。
「全体練習でミスが出ないように、先輩たちは個々で細部まで突き詰めていました。僕の大学時代は、全体練習が全てで時間も短い。守備練習では主将の僕がノッカーをしていたので、自分のアバウトなフィールディングの改善まではなかなか手が回りませんでした」
もしも大学生のとき、プロを志望していたら――。正解のない問いに、本人なりの答えはある。
「チャレンジとしてはありだったかな、とは思います。ただ、やっぱり自分は物事をコンサバ(保守的)に考えるタイプ。できていないことに目が向くので、あの時点でプロを志望することはないんです」
ユニホームを脱いでからは社業に専念。生産管理部で部品の需給管理に携わり、海外工場とやりとりする。社内で人生の伴侶も得て、長女はもうすぐ2歳になる。
「最初は英語にも苦労しました(笑)。僕たちの立てた生産計画がトヨタの車両生産につながり、やりがいを感じます。トヨタに入ったからこそ、今の家庭や生活もあるのかもしれませんしね」
高校時代から彼を追ってきた記者個人の本音を言えば、大卒でプロに進んでほしかった気持ちはある。しかし今の七原さんの表情には、野球だけにとどまらぬ充実感があふれている。
▼尾関雄一朗 1984年生まれ、岐阜県出身の野球ライター。東海地区を中心にアマチュア野球(高校/大学/社会人)を取材し、野球雑誌やウェブサイト、書籍などで記事を発表している。取材歴は15年を超え、プロ球団スカウトとも親交が深い。
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