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蛮書和解御用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蛮書和解御用の後身にあたる蕃書調所跡

蛮書和解御用(蕃書和解御用、ばんしょわげごよう)は、1811年(文化8年)に江戸幕府によって設置された蘭書を中心とした翻訳機関。幕府の編暦・測量を司る天文方内に置かれた。()書和解御用(かかり)とも。

天文方高橋景保の提唱により設置され、大槻玄沢宇田川榕菴青地林宗など優秀な蘭学者が翻訳官に任命された。シーボルト事件後は、同じ天文方の山路諧孝彰常父子が引き継いだ。その後も、洋学所、蕃書調所、洋書調所と名を変えて存続し、現在の東京大学の起源の一つとなった。

関連項目

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東京大学の源流・前身諸機関
江戸時代・
幕末維新期
旧「東京大学」期
(1877年 - 1886年)
「帝国大学」期
(1886年 - 1897年)
「東京帝国大学」期
(1897年 - 1947年)
  • (1897年設置)東京帝国大学法科大学・理科大学・文科大学・医科大学・工科大学・農科大学
    【経済学】法科大学経済学科・商業学科⇒(1919年新設)経済学部
    (1919年設置)東京帝国大学法学部・医学部・工学部・文学部・理学部・農学部・経済学部
    【教養課程】(1921年設立)東京高等学校
    【農学】農学部実科⇒(1935年独立)東京高等農林学校⇒(1949年に設立)東京農工大学
    【工学】(1942年新設)第二工学部(従来の工学部は第一工学部に改称)
旧制「東京大学」期
(1947年 - 1949年)
新制「東京大学」
(1949年 - )
  • (1949年設置)東京大学法学部・医学部・工学部・文学部・理学部・農学部・経済学部・教養学部・教育学部
    【薬学】医学部薬学科⇒(1958年に新設)薬学部
現在の学部


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