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立命館大学硬式野球部

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立命館大学硬式野球部
立命館大学硬式野球部在籍時の金子侑司内野手
加盟団体 関西学生野球連盟
本拠地 京都府 京都市 北区 上賀茂柊谷町23
創部 1923年
監督 片山正之
公式サイト 立命館大学体育会硬式野球部
リーグ戦成績
リーグ成績 優勝40回
全日本大学野球選手権大会
出場回数 18回
最高成績 準優勝3回
明治神宮野球大会
出場回数 5回
最高成績 準優勝 1回
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立命館大学硬式野球部(りつめいかんだいがくやきゅうぶ)は、関西学生野球連盟に所属する大学野球チーム。立命館大学の学生によって構成されている。ユニフォームの表記は「RITSUMEI」、野球帽には「R」の一文字が記されている。同志社大との立同戦が看板カードとなっている。

歴史

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1923年(大正12年)、井村信正、小山恭二、長村甚一ら10名の学生により創部。現在の関西学生野球連盟所属6大学のうちで、近畿大に次いで新しい。初代野球部部長は高畑彦次郎。1925年(大正14年)、京都大学専門学校野球連盟[注釈 1] に加入し、翌年の春季リーグ戦で初優勝。この年25年11月には、日本巡業に来日し、先に日本大とも対戦していたアメリカ女子野球チームのフィラデルフィア・ボビーズと試合をし、8-7(7回終了)という結果だった[注釈 2] 1927年(昭和2年)、外地台湾遠征を実施し、2勝2敗という結果だった[2]

1931年(昭和6年)、旧関西六大学野球連盟発足時より参加。京都帝大野球部出身の名倉周雄を初代監督に迎え、同年の秋季リーグ戦で優勝し初代王者となった。青柴憲一(のち中退)と村川幸信のバッテリーや後藤正らを擁して、関西大西村幸生投手らと対峙した。1937年(昭和12年)からはリーグ戦3連覇を果たし、全国から優秀な選手が集まるようになった。西村進一(中退)などがこの時期に在籍した。1931年秋のリーグ戦開始から1940年(昭和15年)まで、関大との2強対決(立関戦)を演じ、京都帝大の2回以外は全てこの2校のどちらかが優勝していた(関大12回、立命5回)。しかし1941年(昭和16年)から戦後の1946年(昭和21年)までは同志社大が6連覇を果たしている。

戦後の1947年(昭和22年)から5回実施された、東京六大学東都大学、そして旧関西六大学の3連盟間で王座を決する全国大学野球王座決定戦の第2回大会(1948年)に出場したが、法政大の優勝という結果に終わった。同1948年(昭和23年)には専用グラウンドとして立命館衣笠球場が完成。このグラウンドはプロ野球チーム 松竹ロビンスの本拠地球場としても使用された。同48年、エース米川泰夫投手(のち中退)、中尾卓一(のち立命大監督)らを擁して秋季リーグ戦で優勝。

1952年(昭和27年)、太田嘉兵衛監督が中心となり、合宿所「白雲寮」が完成[2]

1954年(昭和29年)春季リーグ戦で優勝し、初出場となる第3回全日本大学野球選手権大会では、立命館は3回生エース西尾慈高擁するも、決勝で秋山登土井淳のバッテリー擁する明治大に敗れ準優勝となった。大学選手権の活躍後、西尾は同期で先に入団していた吉田義男と同じく中退し大阪タイガースに入団した。このとき優勝した明大島岡吉郎監督と太田監督の気性が合ったことから、「明立(立明)定期戦」が始まり現在まで続いている[2] 。 同54年秋、当時の投の二本柱である西尾慈高と1年上の紀藤広光両投手がプロ入りしたため、西尾の1年下西田稔がエースとして活躍。この時期、他に平岩嗣朗捕手、岡嶋博治らが在籍していたがいずれも中退しプロ入りした。1950年代関関が強い時代であったが、一方の立命は戦力をその都度プロ野球界に奪われるなか、1950年秋から4季連続で神戸大より下位の5位になるなど後塵を拝する時期が続いた。西田稔以降、通算31勝を挙げた内橋貞雄(1956 - 59)、同12勝を挙げた岩上江笠(1957 - 60)、同30勝を挙げた渡辺博文(1959 - 62)、山本重政(62年入学後同年に中退し近鉄入団)らが投手陣を支えた。

1962年(昭和37年)、入れ替え制を採用する関西大学野球連合の結成に旧関西六大学連盟が参加。翌1963年(昭和38年)、2度目の出場となる第22回全日本大学選手権初戦2回戦で新興中京大に0-10(5回コールド)で大敗を喫する。翌翌1965年(昭和40年)、3度目の出場となる全日本大学選手権(第14回大会)では、野球部初のドラフト指名選手となる阪本敏三を擁し、準決勝で松山商科大に4-2(延長10回)で辛勝、決勝で1回生芝池博明投手擁する専修大に4-7で敗れ11年ぶり2回目の準優勝に留まった。1967年(昭和42年)、衣笠球場が閉鎖され柊野グラウンドへと拠点を移した。

1960年代半ばから1970年代にかけて、大学側が1956年(昭和31年)からスポーツ推薦を全面廃止していた影響を受け、大阪商業大関西学院などとの間の入れ替え戦でたびたび下部(京滋大学リーグ)へ転落したり旧関六に昇格したりを繰り返す低迷期に陥り、伝統の立同戦が行えないことなど不満が高まった。その間、立命も平田英之投手(通算12勝19敗、77年卒)や打撃陣では徳山文宗(77年卒)らの活躍で1974年(昭和49年)秋季リーグ戦から1部に復帰したが、平田の1年上の同志社田尾安志投手や近大森口益光投手、同期の大商大斉藤明雄投手らに阻まれ優勝に手が届かなかった。平田らが卒業した後の1977年(昭和52年)・1978年(昭和53年)の春季に松岡憲次(のち立命大監督、79年卒)や通算20勝を挙げた田井弘志(80年卒)らの投手陣、小山正彦(79年卒)らの野手陣を擁して優勝。大学選手権(第26回・第27回)ではそれぞれ2回戦で1回生原辰徳らの東海大に7-10、1回戦で近大呉工学部に1-2で敗退した。同78年秋には同志社も3回生中本茂樹投手(通算31勝9敗、80年卒)を擁してリーグ戦と明治神宮大会で優勝した。

1981年(昭和56年)、旧関六で秋季リーグ戦最下位になった立命館は入れ替え戦で京都産業大に敗れ京滋大学リーグに降格。しかし、同年に連合が解体され、翌1982年(昭和57年)に立命館も加わった関西学生野球連盟発足に至る。

上述の通りスポーツ推薦をとっていなかった立命館においては、一般入試で合格した逸材をどうにかして囲い込むしか強化の手段がなかった。その中の一人が、中尾卓一監督が声をかけて1984年(昭和59年)に川西明峰高から入学した古田敦也である。通算27勝を挙げた4回生岩本利仁投手、3回生古田らの活躍もあって1986年(昭和61年)に8年ぶり(関西学生野球連盟発足後としては初)のリーグ戦優勝を飾り、さらに1938年秋・39年春以来47年ぶりとなる春秋連覇、秋の明治神宮野球大会初出場を遂げた。続く春の全日本大学選手権は1回戦で東北福祉大に4-5(延長11回)で敗退。秋の明治神宮大会は初戦2回戦で神奈川大に2-3で敗れた。なお、この実績によりその翌年1987年(昭和62年)からスポーツ推薦制度が復活し、その1期生として入学したのが長谷川滋利投手(通算40勝〈リーグ歴代2位〉18敗、91年卒)であった。

1980年代は新興近畿大に押され、80年代後半には酒井光次郎投手擁する近大がリーグ戦6連覇を遂げた。その間、共に同級生同士となる長谷川投手擁する立命館と杉浦正則投手(通算23勝14敗、91年卒)擁する同志社がほぼ交互にリーグ戦2位を占めた。

酒井らが卒業した1990年代前半から半ばにかけてリーグ戦の行方は近大1強から混迷した展開となる。1990年(平成2年)、長谷川杉浦共に最上級生となり、まず立命館が同年春に86年のリーグ戦春秋連覇以来4年ぶりのリーグ優勝を果たす。しかし秋の明治神宮大会の関西地区代表戦と同様、当時の春の全日本大学選手権にも設けられていた関西地区代表戦に敗れ本大会には出場できなかった。次いで同年秋、同志社が杉浦や3回生片岡篤史らを擁して83年秋以来7年ぶりのリーグ優勝を果たす。同志社は続く第21回明治神宮大会で12年ぶり2度目の優勝を遂げた。この時代は、長谷川と共に彼の1年下の加藤貴己が通算19勝(9敗、92年卒)、3年下の近岡慶和が同12勝(4敗、94年卒)をそれぞれ挙げ、投手陣を支えた。

1992年(平成4年)、6年ぶりの春秋連覇を果たし、第41回全日本大学選手権では準々決勝で国際武道大を7-6、準決勝で3回生渡辺秀一投手擁する神奈川大を7-3で下し決勝戦に進出。鶴田泰河原純一両投手擁する駒澤大に4回生安部誠二や大西敏文らの投手陣、今田康博や小田裕剛、3回生田頭欣士ら強打の立命館打線[注釈 3] が臨み、川端隆史の本塁打のほか9回に今田の満塁弾が飛び出す打撃戦の末に7-11で敗れ3回目の準優勝に留まる。以降も、立命金森隆浩(通算12勝15敗、95年卒) と1年下の水田章雄(通算5勝2敗、96年卒)、金森の1年上の関学本荘雅章(のち関学監督)や水田と同期の木原栄一郎、同大細見和史、関大岡本晃、近大大塔正明や1年下の今井圭吾らが投げ合い、各校が優勝する展開となる。しかし90年代後半になると、立命も中井雅章(通算11勝6敗、97年卒)、谷村和也(通算11勝3敗、98年卒)[注釈 4] 大久保勝信(通算22勝7敗、99年卒)らの投手陣、下山真二(98年卒、1シーズン最多記録の5本塁打[注釈 5] )や葛城育郎(00年卒)らの打撃陣が活躍したが、二岡智宏宇高伸次清水章夫両投手らを擁する近大の連覇が続いた。

1999年(平成11年)、室内練習場が完成。田中総司(通算15勝8敗、00年卒)と3回生山田秋親(通算17勝6敗、01年卒)・平本学(通算5勝3敗、01年卒)らの投手陣を擁して、近大の6連覇を阻み7年ぶりの春秋連覇を果たす。第48回全日本大学選手権2回戦で東北福祉を6-2、準々決勝で準優勝した4回生藤井秀悟と3回生鎌田祐哉両投手擁する早稲田大に2-4(延長11回)で惜敗しベスト8。翌2000年(平成12年)、山田秋親と平本学両4回生投手を擁して春季リーグ戦で優勝し3連覇。続く第49回全日本大学選手権準々決勝で東海大を4-0で破り、準決勝で吉見祐治洗平竜也らの投手陣と石原慶幸捕手擁する東北福祉大に2-6で敗れベスト4。翌2001年(平成13年)、小川裕介(通算9勝3敗、02年卒)や村田智徳(通算11勝9敗、03年卒)らの投手陣を擁して第50回全日本大学選手権準々決勝で木谷寿巳投手と石原捕手らを擁する東北福祉を2-1、準決勝で主軸に村田修一がいた日本大に2-4で敗れベスト4。同選手権で4回生藤原通が首位打者賞を受賞。この後、同01年秋から2003年(平成15年)秋に渡辺亮と3回生染田賢作両投手擁する同志社が阻むまで糸井嘉男投手ら近大が4連覇を遂げる。立命も松村豊司投手らが卒業した翌2004年(平成16年)、2回生金刃憲人(通算24勝15敗、07年卒)や1回生黒田巌域(通算18勝14敗、08年卒)らの投手陣、主将赤松真人や3回生中村真崇らの打撃陣を擁して春秋リーグ戦を連覇。しかし、続く第53回全日本大学選手権準々決勝で日本大に0-9(7回コールド)で敗退。同年秋は代表決定戦で敗れ第35回明治神宮大会に出場ならず。

2007年(平成19年)春、近大の5連覇を阻みリーグ戦で優勝。続く第56回全日本大学選手権初戦2回戦で黒田巌域と大橋勝幸の4回生投手リレーも東日本国際大 ×ばつ5(延長10回)で敗退。

2008年(平成20年)秋、3回生エース藤原正典(通算16勝4敗)や1回生徳山武陽(通算11勝3敗)らの投手陣を擁しリーグ優勝。代表決定戦も勝ち抜き、続く第39回明治神宮大会準々決勝で常磐大を1安打完封で下し、準決勝で優勝した4回生上野大樹投手ら厚い投手陣擁する東洋大に1-3で敗れベスト4。翌2009年(平成21年)秋、4回生エース藤原を擁してリーグ優勝するも、代表決定戦で敗れ第40回明治神宮大会に出場ならず。

2011年(平成23年)秋、エースの4回生徳山投手や3回生金子侑司らを要するも、4回生小林誠司捕手らの同志社に4連覇を許す。翌2012年(平成24年)春、リーグ戦優勝。続く第61回全日本大学選手権初戦2回戦で龍谷大に1-4で敗退。

2014年(平成26年)春、リーグ戦優勝。続く第63回全日本大学選手権2回戦の大阪体大戦では、3回生西川大地が先発するも序盤の1回でソロホームランを連続で浴び、続く救援の1回生東克樹も崩れ、その後も3回生桜井俊貴らの継投も1-4で敗れた。

2015年(平成27年)、4回生桜井や西川、2回生東らの投手陣、4回生古川昂樹、小林真人や山足達也、1回生辰己涼介(通算122安打〈リーグ歴代2位〉[注釈 6] )らの打撃陣を擁し、関大や近大などを退け春秋リーグ戦を連覇。春季リーグでは西川がMVP、古川が三冠王。秋季リーグでは桜井がMVP、小林が首位打者となった。続く第64回全日本大学選手権1回戦の東海大北海道戦では西川先発・9回から桜井が救援も被弾し1-3で敗れた[4] 。同年秋、第46回明治神宮大会1回戦の東北福祉大戦では桜井が3安打18奪三振完封で1-0、2回戦で優勝した亜細亜大戦では同じく桜井が完投したものの1-2で敗れた。翌2016年(平成28年) 春、 リーグ戦3連覇を達成。続く第65回全日本大学選手権2回戦で前年と同じ東海大北海道戦では、1回戦の東日本国際大戦で先発完投した3回生の小柄な左腕エース東克樹は登板せず0-4で敗退した。

2018年(平成30年)春、リーグ戦で優勝。続く第67回全日本大学選手権2回戦の準優勝した国際武道大戦では3回生坂本裕哉が先発するも4回生辰己らの打線が散発2安打に抑えられ0-2で敗退。翌2019年(令和元年)春、リーグ戦で優勝。続く第68回全日本大学選手権1回戦の3回生山﨑伊織投手らを擁する東海大戦では先発した4回生坂本の交代後、登板した3回生有村大誠が再逆転され3-4で敗れた[5]

以降、関大・近大・関学に抑えられ、3季連続2位(20秋・21春秋)となるなど惜しくも優勝に手が届かないなか、2022年(令和4年)春に1982年のリーグ発足以来初の最下位を記録する。2023年(令和5年)秋、4回生谷脇弘起(通算8勝8敗)が同大1回戦で96年春の谷村和也以来立同戦2人目となるノーヒットノーランを達成[注釈 4] [6] 2024年(令和6年)春、関大・立命に連勝した京大が4位と躍進するなか0勝10敗の全敗で2度目の最下位を記録した。

2025年(令和7年)秋、立同戦で連勝し近大を突き放し、19年春以来6年半ぶり40回目(旧関六含む。通算2位の関大と並ぶ)となるリーグ戦優勝を果たした。現リーグの1シーズン最多本塁打記録に並ぶ5本[注釈 5] を放った4回生角井翔一朗がMVPとなった[7] 。続く関西地区代表戦で強力投手陣擁する京都産大に敗れたものの、敗者復活の第2代表戦で大産大・京産大両試合で1安打完投勝利した同秋リーグ最優秀投手の4回生遠藤翔海投手らの活躍で、第56回明治神宮大会に10年ぶり5度目の出場を果たす[8] 。神宮大会では1回戦の東京農大北海道オホーツク戦で遠藤から継投した3回生有馬伽久が6回から9回1死まで、関大4回生当時の山口高志の大会記録[注釈 7] を更新する10者連続奪三振をマーク[10] 。続く2回戦で10回表に明大4回生大川慈英から一挙に5得点し明治大を7-2(10回タイブレーク)、準決勝で名城大に1-0で辛勝、決勝の青山学院大戦では遠藤 - 有馬の継投も打線が青学4回生中西聖輝投手に7回2死まで無安打・17奪三振を喫し、0-4で敗れ初の準優勝に留まる[11]

本拠地

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→「衣笠球場」も参照

京都府 京都市 北区 上賀茂柊谷町23 立命館大学硬式野球部合宿所

記録

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(注記) 2025年秋季リーグ戦終了現在

主な出身者

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Category:立命館大学硬式野球部の選手も参照。

プロ野球

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アマチュア野球

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脚注

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注釈

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  1. ^ のちに京都五大学野球連盟、京都六大学野球連盟を経て、現在の京滋大学野球連盟
  2. ^ 共に創部間もない両チームだったが、ボビーズは元メジャーリーグ選手のエディ・エインスミス捕手とアール・ハミルトン投手ら2名の「男性選手」も参加した、15名から編成された女子プロ野球団。当試合ではこの元メジャー両選手がボビーズの投打の要として活躍した[1]
  3. ^ 同第41回大学選手権大会で、小田裕剛が1大会最多安打12本・最多二塁打5本それぞれの単独大会記録を樹立したほか、今田康博が1試合最多四死球4個の記録をマークし、いずれも2025年現在の大会記録である[3]
  4. ^ a b 1996年春の同大1回戦で、3回生谷村和也が立同戦初となるノーヒットノーランを達成。2023年秋の同大1回戦で、4回生谷脇弘起が立同戦2人目となるノーヒットノーランを達成し、立命では東克樹が2016年春の京大1回戦と2017年春の関大1回戦で達成して以来6年ぶり、リーグ(旧関六含む)32回目31人目のノーヒットノーランとなる。
  5. ^ a b 現リーグの歴代1シーズン最多本塁打記録は、1987年春の京大4回生沢田誠の4本。続いて更新したのが1997年秋の立命4回生下山真二、2001年秋の関学4回生前川真也らの各5本。旧関六リーグを合わせた連盟公式記録では1976年秋の近大3回生平井一男の7本となる。
  6. ^ a b 1991年、関学4回生田口壮が、リーグ通算最多安打の123安打を記録(1952年に同志社4回生小俣滋が記録した118安打を更新)。2018年、立命4回生辰己涼介が田口にあと1本に迫る122安打を記録した。
  7. ^ 1972年の第3回大会で、関大4回生山口高志投手は2回戦の慶応大戦で、(前日に中央大1回生田村政雄投手が東海大戦で記録したのに次ぐ)大会2度目のノーヒットノーランと共に、立命3回生有馬伽久投手が2025年に更新するまで大会記録だった8者連続奪三振をマークした[9]

出典

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  1. ^ 立命館あの日あの時 <懐かしの立命館> 93年前 立命館大学硬式野球部は米国女子プロ野球団と試合をした。-1925(大正14)年11月8日 フィラデルフィア・ボビーズ交流戦- 立命館 史資料センター、2018年5月9日更新
  2. ^ a b c 野球部の歴史 立命館大学体育会硬式野球部
  3. ^ 全日本大学野球選手権大会 大会記録(個人成績) 全日本大学野球連盟
  4. ^ Ritsumeikan Channel(2015年6月10日)立命館大学硬式野球部 全日本大学野球選手権大会1回戦ハイライト - YouTube
  5. ^ 1回戦屈指の好カード、東海大学が立命館大学に逆転勝ち。全日本大学野球選手権 野球好きコラム by 大島和人 J SPORTS、2019年6月11日
  6. ^ 立命館大学放送局(2023年10月26日)【報道】立同戦では2人目の快挙 谷脇弘起選手 ノーヒットノーラン達成 2023年10月20日 - YouTube
  7. ^ 硬式野球部 サヨナラ勝ちで立同戦に勝利!6年半ぶりのリーグ優勝を飾る 立命館大学、2025年10月21日
  8. ^ 【大学野球】立命大が10年ぶりの明治神宮大会へ! 遠藤が京産大を1安打完封し第2代表勝ち取る - ウェイバックマシン(2025年11月14日アーカイブ分) スポーツ報知、2025年11月4日(火)16:27配信(Yahoo!ニュース)、
    大産大に快勝 遠藤完全試合まで一歩届かず 立命館大学新聞社、2025年11月2日
  9. ^ 明治神宮野球大会 大会記録(大学) 明治神宮野球場。2025年11月24日閲覧。
  10. ^ 神宮大会初戦突破 有馬が10連続奪三振で大会新 立命館大学新聞社、2025年11月14日
  11. ^ 立命館、神宮大会優勝ならず 青学・中西に17三振喫する 立命館大学新聞社、2025年11月19日

外部リンク

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