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福井勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、政治家について説明しています。画家については「福井勇 (画家)」をご覧ください。
1953年

福井 勇(ふくい いさむ、1903年 5月20日 - 2006年 8月14日)は、日本の昭和期の政治家自由民主党所属の衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。

経歴

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愛知県 蒲郡市出身。浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)を卒業後、商工省に入省。官僚生活を経て1947年第23回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から日本自由党公認で出馬したが落選。1949年第24回衆議院議員総選挙民主自由党公認で出馬し初当選した[1] 保守合同後は自民党に所属し、通算当選6回。文部運輸 政務次官などを歴任した。1973年秋の叙勲で勲二等 旭日重光章受章[2] 1975年からは参議院議員を1期務めた。政界引退後、1978年3月に「蒲郡市名誉市民第1号」に選ばれた[3]

2006年8月14日、肺炎のため神奈川県 鎌倉市の病院で死去、103歳。死没日をもって正六位から正四位に昇叙された。

原子力行政

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2011年9月、山崎正勝の調査により、1954年2月に駒形作次工業技術院院長と共同で「日本に於ける原子核及び原子力研究の施設及び研究者について」なる秘密文書を作成し在日アメリカ大使館を通じてアメリカ合衆国国務省に送付していたことが判明(アメリカ国立公文書記録管理局の機密指定解除書類から発見された)。同文書で素粒子学者の坂田昌一武谷三男、中村誠太郎、公明党国会議員でもあった伏見康治民主主義科学者協会を「保守政府の下での原子力研究に反対する極左」と名指ししている[4]

脚注

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議会
先代
砂原格
日本の旗 衆議院運輸委員長
1970年 - 1971年
次代
小峰柳多
定数3
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
第1回
(定数6)
3年議員
偶数回
定数3
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
第22回
定数4
第24回
第26回
奇数回
定数3
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
第21回
第23回
定数4
第25回
第27回
†:当選無効、↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。

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