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坊つちやん (映画)

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(2025年10月)
坊つちやん > 坊つちやん (映画)

坊つちやん』(ぼっちゃん)は、夏目漱石の中編小説『坊つちやん』を原作とした映画化作品。これまでに5度映画化され、1935年版、1953年版、1958年版、1966年版、1977年版がある。

1935年版

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P.C.L.映画製作所(現在の東宝)制作。1935年 3月14日公開。82分。白黒。

キャスト

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スタッフ

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1953年版

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東京映画製作。1953年 8月12日公開。111分。白黒。

キャスト

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スタッフ

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製作

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池部良佐藤一郎 東宝 プロデューサーに「藤本(真澄)プロデューサーも、悪くない人だと思うけど、何か、便所へ入ったときの思いつきで(映画を)製作しているようだし(池部)良ちゃんのためにという作品を作る情熱はまるでないみたい。そんなものばかりに出演されている没個性な良ちゃんが、僕、悲しいのよ、僕も良ちゃんも、文学青年。僕、良ちゃんをバックアップして、良ちゃんに、ばっちりハマった文芸映画を作ってみたいと思ってるんだ」などと口説かれ[1] 、同じ江戸っ子の心意気に池部は感激し、佐藤は「良ちゃんは三船君みたいに、ただ怒鳴りまくってればいいという俳優さんじゃないです。知性と理性に包まれた馨しい人で、言うなれば、ジェラール・フィリップみたいな役者だと思うよ」「差し当たって、どんな作家のものを演ってみたい?」と聞かれたが、何も頭に浮かばなかった池部は、薄暗い畳の毳立つその部屋から『坊つちやん』の一場面を思い浮かび、「夏目漱石の『坊つちやん』はどう?」と思い付きで言ったら佐藤が「『坊つちやん』、いいんじゃない。僕達、江戸っ子だからピンと来るよね。広島だか岡山出身の藤本(藤本真澄)の抵抗に遭うかも知れないけど、森さん(森岩雄製作本部長)を拝み倒して、何とかいい文芸作品にしてみせましょう」と言った[1] 。ところがその後一向に佐藤から連絡もなく、忘れかけていたころ、佐藤から電話があり、「八田尚之に書いてもらって、丸山誠治監督、マドンナに岡田茉莉子さん、清が浦辺粂子さん、小沢栄の山嵐、赤シャツは森繁久弥さん、東京映画で撮ります」と言った。池部は「東京映画って何ですか?」「僕は東宝専属ですから、そんな、訳の解らないところで撮影するのは、勘弁して頂きたい」と言ったら、佐藤は「東宝も年間の製作本数、全部丸抱えで作ると、客の入りが悪くて損しちまうと、穴埋めが上手くいかないから、外注の形式の会社を作ったんだよ。興行成績が良ければ東宝が載く。悪けりゃ東京映画や新東宝が、足出し分背負わされちまう、てなことにしたわけよ。ケチな商法で、映画会社を経営しようって、これの推進役が、森本部長で、その尻馬に乗っているのが藤本よ。経営から言えば、それでいいんだろうけど、映画が好きだからという、熱き血潮が失くなっちまってるというのは困るよね。森先生も森先生だ。藤本と、どう関係しているのか、どう利用しているかは知らないけど、冷たいよ、映画人じゃないね」などと上司と同僚をボロカスに批判し、「東京映画って、どこにあるんですか?」と池部が聞いたら「国電目黒駅を降りて、白金の方へ4、5分歩いたとこ。戦争中、海軍大学の机上作戦演習室の大きな格納庫みたいな建物を使ってんだ」と言った[1]

1958年版

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松竹製作。1958年 6月15日公開。93分。

キャスト

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スタッフ

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1966年版

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松竹製作。1966年 8月13日公開。90分

キャスト

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スタッフ

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同時上映

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スチャラカ社員

1977年版

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坊っちゃん
監督 前田陽一
脚本 前田陽一
南部英夫
原作 夏目漱石『坊つちやん』
製作 大谷信義
出演者 中村雅俊
松坂慶子
荒木道子
地井武男
米倉斉加年
岡本信人
湯原昌幸
大滝秀治
荒木道子
五十嵐めぐみ
宇津宮雅代
音楽 佐藤勝
撮影 竹村博
編集 杉原よ志
製作会社 松竹=文学座
配給 松竹
公開 日本の旗 1977年 8月6日
上映時間 92分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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松竹、文学座製作[2] [3] [4] [5] 中村雅俊主演・前田陽一監督。

キャスト

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スタッフ

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製作

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『坊っちゃん』5回目の映画化で[2] 、2024年まででは最後の映画化作品[5] 。古典的青春文学を前田陽一監督は、中村雅俊の現代的な明るい個性を活かして、文学臭を感じさせない青春映画に仕立てた[3] [5] 。1977年頭に発表された松竹の年間ラインアップでは発表されず[6] 。正式に『男はつらいよ 寅次郎と殿様』との併映で夏休み興行が決定したのは1977年春先[7] 。本作のマドンナとして出演している松坂慶子はテレビで人気を得た人で[8] 、映画にもコンスタントに出てはいたが[8] 、当時は映画女優という印象は薄い人だった[8] 大映時代のイメージを払拭するためか、映画では清純派イメージの役柄が多かった[3] [4] 松山城を中心に愛媛県 松山市 ロケが多く行われている。ただエンディングの三津浜港は海岸に建物を建てた簡素なもので、1906年設定でもあっているのか分からない[独自研究? ]

同時上映

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男はつらいよ 寅次郎と殿様

脚注

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  1. ^ a b c 池部良『そして夢にはじまった』 4巻、毎日新聞社、1996年、287–291頁。ISBN 4620311421 
  2. ^ a b 【作品データベース】坊っちゃん - 松竹
  3. ^ a b c 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2004-2005』ぴあ、2004年、622頁。ISBN 978-4835606170 
  4. ^ a b c 壬生智裕 (2023年10月24日). "中村雅俊と言えば教師役!文豪・夏目漱石原作の映画「坊っちゃん」". HOMINIS. スカパーJSAT. 2025年11月1日閲覧。
  5. ^ a b c 起きて転んでまた起きて 前田陽一の反マジメ精神喜劇ぱらだいすラピュタ阿佐ヶ谷
  6. ^ 高橋英一(『情報通信』代表取締役)、鳥畑圭作(『文化通信』編集責任者)、西沢正史(『読売新聞』文化部記者)、黒井和男、坂東護(本誌編集部)「決算号特集II 『映画・トピック・ジャーナル』ワイド座談会 76年映画界総括と77年の展望を語る 77年度邦・洋各社主なラインアップ」『キネマ旬報』1977年2月下旬号、キネマ旬報社、208–209頁。 
  7. ^ 「映画界東西南北談議 夏場の興行依期待の映画界 稼ぎ時の興行・宣伝にスポットをあてる」『月刊ビデオ&ミュージック』1977年4月号、東京映音、38頁。 
  8. ^ a b c 「映画界東西南北談議 昨年以上に多難な年になりそう 大作ムードの荒波を乗りきる各社」『月刊ビデオ&ミュージック』1977年2月号、東京映音、36頁。 

外部リンク

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1935年版
1953年版
1958年版
1966年版
1977年版

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