上原裕
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| 上原 裕 | |
|---|---|
| 別名 | ユカリ |
| 生誕 | (1953年12月14日) 1953年 12月14日(71歳) |
| 出身地 | 日本の旗 日本・京都府 京都市 |
| ジャンル | ロック |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | ドラムス |
| 活動期間 |
1970年 (1970) - 1986年 (1986) 1996年 (1996) - |
| 共同作業者 |
グラス・ブレイン(1970年 (1970) - 1971年 (1971)) 村八分(1971年 (1971)) ごまのはえ(1972年 (1972) - 1973年 (1973)) ココナツ・バンク(1973年 (1973)) シュガー・ベイブ(1975年 (1975) - 1976年 (1976)) バイバイ・セッション・バンド(1976年 (1976) - 1977年 (1977)) EXOTICS(1981年 (1981) - 1984年 (1984)) |
上原 裕(うえはら ゆたか、1953年 12月14日 - )は、日本のミュージシャン(ドラマー)。
来歴
[編集 ]16歳の頃、既にバンド"ハウス・グラス・ホッパー"でドラマーとして活動していた時に伊藤銀次と知り合い、1970年夏に伊藤らと"グラス・ブレイン"を結成。1971年には"村八分"、1972年には"ごまのはえ"に参加し、そのまま"ココナツ・バンク"のメンバーとなる。解散後の1975年にはシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』のレコーディングに参加する一方、ハイ・ファイ・セットのバック・バンドに加入。同年3月には同バンドのメンバーだった伊藤、寺尾次郎とともにシュガー・ベイブのメンバーになり、以後1976年4月の解散まで活動。解散後は大瀧詠一主宰のナイアガラ・レーベルのセッションや、りりィのバック・バンド"バイバイ・セッション・バンド"、伊藤のアルバム『DEADLY DRIVE』など、レコーディングでも活動。その後、1981年から1984年まで沢田研二のバック・バンド"EXOTICS"に加入。1986年10月 (1986-10)、TBSテレビで放送された伊藤出演のスタジオ・ライヴ番組収録をもって一時ドラマーを引退。
1996年 (1996)復帰、大滝のシングル「幸せな結末」のレコーディングや、忌野清志郎のバンド"ラフィータフィー"のメンバーとしての活動のほか、2002年には伊藤とココナツ・バンクを再始動させた。
愛称の"ユカリ"というミドル・ネームは、明治「マーブルチョコレート」のCMに出演していた上原ゆかりに因んで付けられたもの[1] 。
レコーディング参加作品
[編集 ]ごまのはえ(1972年 - 1973年)
[編集 ]- 「留子ちゃんたら」 (1972年9月25日 (1972年09月25日))- 7":OF-6
- 『春一番コンサート・ライブ』 (1972年8月5日 (1972年08月05日))- 2LP:OFW-1/2
- とめ子ちゃん ※(注記)クレジット・ミス
- 『春一番』 (1973年3月 (1973-03))- 10LP:UGD3001~10 ※(注記)1972年5月6日 (1972年05月06日),7日、大阪天王寺野外音楽堂で開催された『第2回春一番ライヴ』を収録した風都市自主制作による非売品10枚組LP。
- お早う眠り猫君
- まにあっています
- 語呂合せ
- しゃべりたいなあ
- 留子ちゃんたら
ココナツ・バンク(1973年)
[編集 ]- 布谷文夫「台風13号」 (1973年9月21日 (1973年09月21日))- 7":DR-1799 ※(注記)布谷文夫&ココナツ・バンク
- 布谷文夫『悲しき夏バテ / 布谷文夫I』 (1973年11月21日 (1973年11月21日))- LP:DR-1799 ※(注記)布谷文夫 & ココナツ・バンク
- はっぴいえんど『ライブ!! はっぴいえんど 』 (1974年1月10日 (1974年01月10日))- LP:OFL-20 ※(注記)1973年9月21日 (1973年09月21日)に文京公会堂で行われたはっぴいえんどのラスト・ライヴ"CITY-Last Time Around"での演奏を収録したライヴ・アルバム。大瀧詠一とココナツ・バンク名義。
- ココナツ・ホリデイ
- 空飛ぶウララカサイダー
- 『1973年9月21日 SHOW BOAT 素晴しき船出』 (1974年1月15日 (1974年01月15日))- LP:3A-1014 ※(注記)三部構成のライヴ"CITY-Last Time Around"より、第一部の吉田美奈子、南佳孝、ココナツ・バンク。第二部のムーンライダースの4組の演奏を収録[注 1] 。
- 日射病
- 無頼横町
- 『1974 HOBO'S CONCERTS V(ありがとう ありがとう ありがとう)』 (1976年6月21日 (1976年06月21日))- LP:OFM-16 ※(注記)1974年に池袋シアター・グリーンで行われた"ホーボーズ・コンサート"のライヴ・アルバム。布谷文夫 & ココナツ・バンク名義。
- 冷たい女
- 深南部牛追歌〜大阪へやって来た
シュガー・ベイブ(1975年 - 1976年)
[編集 ]- 『SONGS』 (1975年4月25日 (1975年04月25日))-LP:NAL-0001
- 蜃気楼の街
- 風の世界
- ためいきばかり
- いつも通り
- すてきなメロディー
- 今日はなんだか
- 雨は手のひらにいっぱい
- 過ぎ去りし日々 "60's Dream"
バイバイ・セッション・バンド(1976年 - 1977年)
[編集 ]- りりィ『AUROILA』(1976年5月20日 (1976年05月20日))- LP:ETP72168
EXOTICS(1981年 - 1984年)
[編集 ]- 『Library』(1983年10月 (1983-10))
主なアルバム・ライブ参加アーティスト
[編集 ]- 忌野清志郎
- 矢野顕子
- 『長月 神無月』 (1976年12月5日) - LP:S-7001
- 伊藤銀次
- 『DEADLY DRIVE』(1977年5月25日 (1977年05月25日))- LP:L-4037Y
- 大瀧詠一
- 『NIAGARA MOON』(1975年5月30日)
- 『GO! GO! NIAGARA』(1976年10月25日)
- 『NIAGARA CALENDAR』(1977年12月25日)
- 『A LONG VACATION』(1981年3月21日)
- 『EACH TIME』(1984年3月21日)
- 甲斐バンド
- 吉川晃司
- 『パラシュートが落ちた夏』(1984年3月 (1984-03)1日)
- 沢田研二
- 『S/T/R/I/P/P/E/R』(1981年6月10日 (1981年06月10日))
- 『A WONDERFUL TIME』(1982年6月1日 (1982年06月01日))
- 『MIS CAST』(1982年12月10日 (1982年12月10日))
- 『JULIE SONG CALENDAR』(1983年3月5日)
- 『女たちよ』(1983年10月1日 (1983年10月01日))
- 『NON POLICY』(1984年6月5日 (1984年06月05日))
- 山下達郎
- 吉田拓郎
- 井上陽水
- 『スニーカーダンサー』(1979年9月21日)
- 『EVERY NIGHT』(1980年12月5日)
- 『9.5カラット』(1984年12月21日)
- 高中正義
- 『JOLLY JIVE』(1979年12月1日)
- 『SUPER TAKANAKA LIVE!』(1980年3月1日)
- 『T-WAVE』(1980年6月1日)
- 間宮貴子
- 『LOVE TRIP』(1982年11月25日)
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ 小川真一「大滝詠一を頂点とした複合的な人脈のトライアングル」『レコード・コレクターズ』第25巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2006年4月1日、78-81頁。 , JAN 4910196370466
外部リンク
[編集 ]- 12月14日は上原"ユカリ"裕の誕生日 - 大人のMusic Calendar