高倉龍之介ブログ
進次郎は、舞台役者としては一流。しかし政治家としては台本なしでは立てない。
高倉龍之介ブログ
なぜ高市早苗が次期総理にふさわしいのか──積極財政が日本を救う
2025年09月24日(水) 02:28
単語を空白で区切ると一度に複数のタグを登録できます。・タグを編集するにはログインしてください。・同じタグは複数追加できません。・最大文字数を超えているため追加できません(全角20文字半角40文字まで)。・タグの登録数が上限に達しているため追加できません(最大10まで)。・タグのロックは1記事あたり最大5つまでです。・ロックされているタグは削除出来ません。・不正な操作です。・タグの追加に失敗しました。お手数をおかけしますがしばらくしてから再度お試し下さい。
まえがき
みなさんに問いかけたいのです。
「リーダーとは何でしょうか?」
外見の華やかさでしょうか。それとも耳ざわりの良いスローガンを並べる力でしょうか。
いいえ。国の舵取りを担う者に必要なのは、国民と真正面から向き合い、困難な問いから逃げない覚悟です。
いま、自民党総裁選が始まろうとしています。小泉進次郎氏の"スター的存在感"にメディアは注目しますが、その裏側には致命的な課題が潜んでいます。
・国会議員の支持は広がっても、党員票や国民からの信頼は伸び悩む
・「国民の声を聞く」と掲げながら、SNSではコメント欄を閉鎖する矛盾
・政策の「お金はどこから?」という核心的な財源論は語られない
これらは偶然の欠陥ではなく、政治家としての資質を映す鏡です。
一方で、高市早苗氏はどうでしょうか。
彼女には党員からの圧倒的な支持があります。さらに、国民の間でも「次期総裁にふさわしい」と期待されています。加えて、SNSでのコメント欄を開放し、国民と正面から対話する姿勢を貫いています。これこそが、信頼を積み重ねるリーダーの態度ではないでしょうか。
もちろん、完璧な候補など存在しません。高市氏にも課題はあります。初心表明演説では本来訴えるべき経済政策よりも「奈良の鹿」の話題に時間を費やし、支持者からも「もっと核心を語ってほしい」との声が上がりました。しかし、その批判は裏を返せば「本気で期待しているからこそ出てくる叱咤激励」なのです。
ここで大切なのは、単なる候補者同士の比較ではありません。
今回の総裁選は、 「政治家が国民に本当に何を伝えるべきか」 を問う選挙なのです。
オールドメディアは相変わらずスター性ばかりを切り取りますが、私たちが見るべきは表情やパフォーマンスの裏側にある「言葉の重み」そして「政策の実効性」です。もしリーダーが空虚なスローガンだけで国を導こうとするなら、それは危険な蜃気楼にすぎません。
だからこそ、この記事では毒舌も交えながら、候補者たちの言葉や行動を徹底的に分解します。
・小泉氏の"役者的演説"の裏に潜む虚ろさ
・茂木氏、小林氏、林氏の無難な演説に共通する"財源論の欠落"
・そして、高市氏が唯一打ち出せるはずの「積極財政」という突破口
ここを理解すれば、なぜ「高市早苗こそ総裁にふさわしいのか」が見えてくるでしょう。
第一章は無料公開します。しかし本当に面白くなるのは第二章以降。そこで私はさらに踏み込み、候補者の発言を逐一検証し、オールドメディアが報じない裏の意図や、党内権力の駆け引きを暴いていきます。読者のみなさんには「なるほど、これはお金を払ってでも読む価値がある」と感じていただけるはずです。
さあ、一緒に総裁選の舞台裏を覗いていきましょう。
ただし、覚悟してください。ここから先は「聞き心地の良いお話」では終わりません。
日本の未来を左右する、骨太の論点に切り込んでいきます。
第1章:小泉進次郎の"役者政治"と致命的な矛盾
「役者か政治家か」
政治の世界には、ときに「役者」が必要だといわれます。
群衆を惹きつけ、熱狂を呼び、希望を語る。演説の舞台で光り輝くその姿は、確かに人々の心を動かします。
しかし、問題はそこからです。
役者は脚本がなければ何もできない。即興で政策を生み出すことはできない。つまり、どれほど人前で華やかに語ろうとも、中身が空っぽであれば国を動かすことはできないのです。
今回の自民党総裁選で、その典型例として浮かび上がっているのが小泉進次郎氏です。
「国会議員票の勢い」と「国民の冷ややかな視線」
小泉氏は、国会議員票では確かに存在感を示しています。
9月22日の出陣式には92人もの国会議員が顔をそろえ、前回の75票を上回る支持を得ています。派閥力学を背景に「進次郎人気に乗っておけ」という空気が党内で広がっているのは事実でしょう。
けれども、ここで注意が必要です。
国会議員票がいくら積み上がっても、総裁選は「党員票」を抜きにしては勝てません。そして、この党員票こそが進次郎氏の致命的な弱点なのです。
前回の党員票はわずか61票。高市早苗氏に48票もの大差をつけられました。
その記憶はまだ新しいはずですが、当の本人は「『ここもダメか...』『ここもダメか...』」と自虐ネタで済ませてしまう。笑い話でごまかせる話ではありません。
さらに深刻なのは「国民との対話姿勢」です。
「国民の声とともに」とスローガンを掲げながら、自分のX(旧ツイッター)のコメント欄を閉鎖。これでは「声を聞く気ゼロ」と言われても仕方がないでしょう。国民から「聞く耳を持たない総理候補」というレッテルを貼られるのも当然です。
毒舌を込めて言えば、進次郎氏の政治スタイルはまるで「観客の拍手が聞こえる間だけ舞台に立っている役者」です。拍手が止まれば、舞台袖にすぐ逃げ込む。そんなリーダーに国の舵取りを任せられるでしょうか?
「役者」と評した西田議員の本音
興味深いのは、高市早苗氏を支持する西田昌司議員でさえ、進次郎氏を「大した役者だ」と評価したことです。
演説の場で原稿を自分の言葉に変換し、力強く訴える姿は確かに見事。ゼレンスキー大統領のように「演じているうちに本当にその役になる」可能性もあると評しました。
──しかし、この「役者」としての評価は褒め言葉であると同時に、痛烈な皮肉でもあります。
なぜなら、役者がどれだけ演じても「財源論」という現実の壁を越えることはできないからです。
「農業を守る」「地方を支える」「ガソリン税を廃止する」──聞こえはいいでしょう。
けれども、そのお金をどこから持ってくるのか。そこを語らなければ、単なるポエムにすぎません。
国民は拍手を求めているのではなく、未来を委ねられるリーダーを探しているのです。
高市早苗との対比
では、誰が真にリーダーたり得るのか。
ここで高市早苗氏の存在が浮かび上がります。
彼女は前回の総裁選で党員票を109票獲得し、進次郎氏を大きく引き離しました。国民からの期待も高く、世論調査では「次期総裁にふさわしい政治家」として堂々の評価を得ています。
しかも彼女はSNSでコメント欄を閉じることなく、批判も含めて受け止めています。
対話を恐れない姿勢は、拍手が止まった瞬間に舞台を降りる「役者」とは根本的に異なります。
もちろん、高市氏にも課題はあります。初心表明演説で「奈良の鹿」の話題に時間を割きすぎたのは事実です。
しかし、それは「言葉の選び方」という改善可能な問題にすぎません。
彼女には積極財政という、他候補にはない明確なビジョンがあります。つまり「どこから財源を捻出するか」を国民に語る覚悟を持っているのです。
「役者政治」に終止符を打て
私たちがこの総裁選で選ぶべきは、役者ではなくリーダーです。
拍手を浴びることが目的の人物ではなく、批判を浴びてもなお政策を語る人物。
言葉遊びを繰り返すスターではなく、現実の数字と格闘する覚悟を持つ政治家です。
その意味で、小泉進次郎氏が総理大臣になる未来は「聞こえの良いセリフだけが残る空虚な舞台」に等しいでしょう。
一方で高市早苗氏には、国民と共に未来を描く可能性があります。
「あなたの一票が日本を変える」
この第1章はまだ序章にすぎません。
本当の勝負はここからです。第2章以降では──
・高市陣営が抱える内部の課題
・茂木、小林、林といった他候補の"欺瞞"
・オールドメディアが隠したがる権力闘争の裏側
を徹底的に解き明かしていきます。
あなたの一票が、日本の未来を決めます。
どうか「役者」に惑わされず、「真のリーダー」を見抜いてください。
第2章:高市早苗の「希望」と「試練」──積極財政こそ最大の武器
「期待と不安のはざまに立つ女」
高市早苗。
彼女の名前を耳にすれば、多くの保守層は胸を熱くします。
「日本を守ってくれるのはこの人しかいない」──そんな声が、地方から、SNSから、そして有権者の一票一票から確かに響いてきます。
しかし同時に、彼女の足元には不安の影が差しています。
それは「選挙戦術の拙さ」と「伝え方の問題」です。
前回の総裁選では党員票で圧倒的な支持を得ました。109票──進次郎の61票を大きく上回る数字です。
けれども今回の出陣では、初心表明演説の中で「奈良の鹿」の話題に時間を割きすぎ、支持者である西田昌司議員からも「もっと核心を語るべきだった」と苦言を呈されました。
「女性初の総理大臣を目指す」という旗印も、国民には響いても、党内の女性議員からは「大臣ポスト目当てに応援していると思われかねない」と受け取られるリスクがあります。
つまり──高市氏は「国民からの熱い期待」と「支持者からの厳しい視線」という、相反するプレッシャーに晒されているのです。
「財源論なき政治の危うさ」
では、なぜこの問題が深刻なのか。
それは「財源論」という政治の核心が、今回の総裁選全体から抜け落ちているからです。
どの候補者も「農業を守る」「地方を支える」「ガソリン税を廃止する」と、国民受けの良い政策ばかりを並べます。
しかし、西田議員が喝破したように「そのお金をどこから持ってくるのか」という問いには誰も答えていません。
これは単なる失策ではなく、政治の根幹を揺るがす怠慢です。
過去の日本政治がなぜ迷走してきたのか──答えは明白です。聞こえの良い政策を乱発し、財源の裏付けがないまま中途半端に終わらせてきたからです。
高市氏でさえ、この「財源論」に十分踏み込めていない。だからこそ支持者から「もっと積極財政を前面に出せ」と叱咤が飛ぶのです。
毒舌を込めて言うなら、いまの総裁選は「財源を語らない政治家たちが、国民の耳に心地よい夢を売る見世物小屋」に等しい。
その中で高市氏が真のリーダーになるためには、この構造を打ち破らねばならないのです。
「積極財政」という突破口
では、突破口はどこにあるのか。
答えは明快です。高市氏が本来掲げるべき「積極財政」こそが、その唯一の道です。
西田昌司議員はこう語りました。
「財源は国債発行で賄える。それが経済を活性化させるのだ」と。
この論理は、決して机上の空論ではありません。
戦後日本は国債を発行しながら高度経済成長を遂げ、世界有数の経済大国となりました。
逆に、財政均衡を至上命題とした平成以降はどうでしょうか。
デフレに苦しみ、賃金は上がらず、失われた30年と呼ばれる停滞が続きました。
もし高市氏が「積極財政によって未来の投資を行う」と明確に打ち出せば、それは他の候補との差別化となり、国民に「希望のビジョン」を示すことができます。
しかし──現状では、その声は十分に響いていません。
だからこそ、この総裁選は「高市氏が自らの武器をどう使うか」という試練の場でもあるのです。
「奈良の鹿」から「経済再生」へ
いま必要なのは、鹿の話ではありません。
必要なのは、「財源をどうするのか」「経済をどう再生するのか」を堂々と語る姿です。
ここで読者のみなさんに問いかけます。
本当に聞きたいのは「奈良の鹿の逸話」ですか?
それとも「国民の生活をどう立て直すのか」という具体的なビジョンでしょうか。
高市氏が「積極財政による成長戦略」を鮮明に打ち出せば、彼女は単なる「女性初の総理候補」ではなく、「停滞した日本を再生させる唯一のリーダー」として立ち上がることができるのです。
これは単なる選挙の駆け引きではありません。
日本の未来そのものを左右する選択なのです。
「オールドメディアの幻想を壊せ」
ここで忘れてはならないのが、オールドメディアの存在です。
彼らは「進次郎フィーバー」を煽り、「女性総理誕生」の見出しだけを消費し、肝心の政策論争をすっ飛ばします。
なぜでしょうか?
答えは簡単です。そのほうが数字(視聴率・PV)になるからです。
メディアにとって政治は「商品」であり、真実よりも話題性が優先される。
しかし、私たちは騙されてはいけません。
「スター政治家の役者的パフォーマンス」や「女性初の総理」というラベルに惑わされず、財源と政策の中身を見ること。
これこそが、国民に課された責任なのです。
「あなたの一票で、未来を変えろ」
この第2章で見えてきたことは明確です。
・高市氏には「積極財政」という強力な武器がある
・しかし「伝え方の拙さ」という課題が残る
・オールドメディアは相変わらず政治を"ショー"に仕立て上げる
だからこそ、あなたの判断が必要なのです。
次章ではさらに深く、茂木敏充、小林鷹之、林芳正といった「その他候補」の欺瞞を暴きます。
なぜ彼らの政策は「聞こえが良いだけの空虚なセリフ」なのか。
そして、なぜ高市氏だけが唯一「希望の旗」を掲げられるのか。
続きは、有料部分で徹底的に解き明かしていきます。
あなたの一票が、日本を未来へ導くのです。
第3章:茂木・小林・林「その他候補」の欺瞞と限界
「レベルは高いが、魂がない」
今回の自民党総裁選は「5人の候補によるレベルの高い戦い」と評されています。
確かに、各候補は真剣に自らの政策を訴え、演説そのものの完成度も決して低くはありません。
しかし──ここで疑問を持つべきです。
「では、誰の言葉に魂があるのか?」
茂木敏充、小林鷹之、林芳正。
彼らの演説をよく聞けば聞くほど、それは「理路整然としているが、どこか空虚」な響きに終わっているのです。
「聞こえのいい政策の羅列」
西田昌司議員が指摘した通り、今回の総裁選には共通の致命的欠陥があります。
それは「聞こえのいい政策は並べるが、財源論がない」ということです。
「農業を守る」
「地方を支える」
「ガソリン税を廃止する」
耳には心地よいでしょう。
しかし「そのお金をどこから持ってくるのか」と問われれば、誰も答えない。
茂木氏も、小林氏も、林氏も、この壁を越えることができていません。
つまり、彼らの演説は「中身のない美辞麗句」に終わっているのです。
毒舌を込めて言えば、彼らはまるで「予算を考えない夢の家計簿」を国民に配っているようなものです。
そんな政治で、この国が立ち直るはずがありません。
「それぞれの持ち味」と「欺瞞」
ここで一人ひとりを見ていきましょう。
茂木敏充──「実務派の顔をした凡庸」
茂木氏は、演説で自らの政策を淡々と語り、「真剣さ」を前面に出しました。
確かに官僚的な緻密さを持ち、国際交渉の経験も豊富。
オールドメディアは「実務派」と持ち上げます。
しかし、実務派とは「現状維持」の別名でもあります。
過去の経済政策で日本が停滞したとき、茂木氏は何をしてきたのでしょうか。
彼の名前から「改革」「突破力」といった言葉を連想できる国民がどれほどいるでしょうか。
結局のところ、茂木氏は「官僚型政治家の典型」であり、今の延長線上にしか未来を描けないのです。
小林鷹之「爽やかながら、軽すぎる」
小林氏はトップバッターとして登壇し、「理路整然と爽やかに」演説をこなしました。
一部の聴衆からは「なかなかいい」と評価も受けています。
けれども、爽やかさだけでは国は動かせません。
まるで新人アナウンサーのように「原稿を噛まずに読めました」というレベルで評価されているに過ぎません。
日本の首相に必要なのは、声の張りや爽やかさではなく、危機に立ち向かう胆力と政策の具体性です。
小林氏には、それが致命的に欠けています。
毒舌を込めて言えば、彼は「夏祭りの浴衣姿で花火を見ている青年」のような存在感。確かに見栄えはするが、国家の行方を託すにはあまりに軽いのです。
林芳正「経験は豊富、しかし心は動かない」
林氏は官房長官としての経験を踏まえ、冷静に「自分が何をやっていくか」を語りました。
経験値は豊富であり、政界での人脈も広い。
だが、演説を聞いて胸が熱くなる国民がどれほどいるでしょうか。
彼の言葉は「優等生の模範解答」のようで、聞いた瞬間に忘れてしまうのです。
政治に必要なのは、国民の心を揺さぶる言葉です。
林氏の演説には、それが決定的に欠けていました。
「高市早苗だけが語れる未来」
ここで浮かび上がるのは、高市早苗氏との対比です。
茂木も小林も林も、言葉は整っていても「魂」がない。
財源論に踏み込む覚悟もない。
一方で高市氏はどうでしょうか。
彼女には「積極財政」という明確なビジョンがあり、批判を恐れずにそれを語る可能性があります。
SNSでもコメント欄を開放し、国民と向き合う姿勢を貫いています。
つまり、その他3人の候補が「模範解答の政治家」ならば、高市氏は「答えを自ら作り出す政治家」なのです。
「見栄えではなく、中身を選べ」
オールドメディアは言うでしょう。
「茂木氏は実務派」「小林氏は爽やか」「林氏は経験豊富」。
しかし私たちは騙されてはいけません。
その実態は「実務派=凡庸」「爽やか=軽い」「経験豊富=無難」なのです。
リーダーに必要なのは「模範解答」ではありません。
必要なのは「新しい解答を作る力」です。
「あなたが見抜く番だ」
この第3章で明らかになったのは、茂木・小林・林という3人の候補の限界です。
彼らは決して悪い政治家ではない。むしろ誠実かもしれない。
しかし、未来を切り開くリーダーにはなれません。
だからこそ、あなたが見抜かなければならないのです。
「爽やかさ」「経験」「実務派」といったラベルの裏に隠れた空虚さを。
次章では、さらに踏み込みます。
オールドメディアがなぜ"進次郎フィーバー"や"女性総理誕生"ばかりを煽るのか。その背後にある構造的な問題を暴きます。
ここからが、本当の戦いの核心です。
第4章:オールドメディアの虚構「進次郎フィーバー」と情報操作の闇
「なぜ私たちは同じ顔ばかり見せられるのか?」
テレビをつければ、新聞を開けば、またしても出てくるのは小泉進次郎。
「爽やかな笑顔」「若手のホープ」「未来を担うリーダー候補」──そんな言葉が並び、まるで彼以外の候補は存在していないかのようです。
しかし、ここで読者に問いかけたい。
「なぜ、私たちは同じ顔ばかり見せられるのか?」
メディアが連日、進次郎を大写しにするのは偶然ではありません。
そこには「視聴率・部数を稼ぎたい」という打算、さらには「既存権力と結びついた情報操作の構造」が横たわっているのです。
「スターを作るメディア、沈黙させるメディア」
オールドメディアの戦略はシンプルです。
「スター政治家」を作り出す
記者会見の様子を切り取り、「カンペを見すぎた」「爽やかスマイル」など、パフォーマンスに焦点を当てる。内容よりも「画(え)」になるシーンを前面に押し出すことで、政治をエンタメ化する。
「不都合な候補は沈黙させる」
高市早苗氏の積極財政論や、地方からの熱い支持についてはほとんど触れない。報じても小さな扱いにとどめ、国民の目に届かないようにする。
「女性初の総理」だけを消費する
高市氏を取り上げるときでさえ、「女性初の総理候補」というラベルで語り、政策や思想は脇に追いやられる。まるで彼女の存在そのものを「性別」というフィルターでしか評価できないかのように。
こうして、メディアは「見せたい候補」と「見せたくない候補」を選別し、国民に一方的なイメージを刷り込んでいくのです。
毒舌を込めて言えば、オールドメディアは「政治を報じる」よりも「政治家をタレント化する」ことに夢中なだけ。
これでは、民主主義は健全に機能しません。
「進次郎フィーバー」の作られ方
ここで、具体的な「進次郎フィーバー」の作られ方を見ていきましょう。
2019年、環境大臣に就任したとき、「セクシー発言」でワイドショーは連日お祭り騒ぎ。
2021年、総裁選に出馬した際も、メディアは「若手の旗手」として持ち上げた。
そして今回もまた「スター候補」として繰り返し露出を増やしている。
しかし、冷静に考えてみてください。
この間、進次郎氏が打ち出した具体的な成果や政策はどれだけあったでしょうか?
・プラスチックごみ削減政策は現場に混乱をもたらしただけ
・財源論についてはゼロ回答
・農業や地方振興もスローガン止まり
にもかかわらず、「爽やかな笑顔」と「耳ざわりの良いフレーズ」だけでスターとして扱われ続ける。
これは政治報道ではなく、完全に「偶像化のプロセス」です。
「見抜く目」を持つ国民へ
では、私たち国民はどうすればいいのか。
答えは単純です。
「オールドメディアのラベルを見抜く目を持つこと」。
進次郎氏を「スター」として見るのではなく、「財源を語らない候補」として見る。
高市氏を「女性候補」として見るのではなく、「積極財政を掲げる唯一のリーダー」として見る。
つまり、メディアのレンズを通して候補者を見るのではなく、候補者自身の言葉と行動で判断すること。
これが、私たち国民が持つべき「変革のビジョン」なのです。
「報道を鵜呑みにするな」
ここで一つ提案があります。
新聞やテレビの報道を、そのまま鵜呑みにしないこと。
必ず「なぜ今この情報が流されているのか」を考えてみてください。
なぜ進次郎ばかり映されるのか?
なぜ高市氏の積極財政は報じられないのか?
なぜ「女性初」というラベルだけが強調されるのか?
その裏には、必ず「誰かの意図」があります。
それを疑うことから、健全な民主主義は始まるのです。
「あなた自身がメディアになる」
いまの時代、オールドメディアだけが情報発信の独占者ではありません。
SNS、YouTube、ブログ──国民一人ひとりが発信者になれるのです。
だからこそ、「疑問を持ったら調べ、調べたら発信する」。
これこそが、オールドメディアの支配を突き崩す最も有効な手段です。
この第4章で示したのは、進次郎フィーバーの作られ方と、オールドメディアの情報操作の構造でした。
次章ではさらに一歩踏み込み、党内の権力闘争の裏側──なぜ進次郎や茂木が推され、高市が妨害されるのかを暴きます。
ここから先は、総裁選の「舞台裏」を覗く旅です。
第5章:党内権力闘争──「高市早苗潰し」の実態
「なぜ高市だけが邪魔されるのか?」
自民党総裁選。
候補者は5人──進次郎、茂木、小林、林、そして高市。
しかし、なぜか高市早苗氏だけが「徹底的に潰される対象」となっていることにお気づきでしょうか。
メディアは彼女を「女性初の総理候補」と表面的に取り上げつつも、政策論は一切深掘りしない。
党内の大物たちは表では笑顔を見せながら、裏では「高市封じ」に動いている。
いったいなぜなのか?
答えはシンプルです。
高市早苗が、既存の権力構造にとって「本当に怖い存在」だからです。
「派閥と既得権益の暗黒ネットワーク」
自民党は長年、派閥によって動かされてきました。
「政策」よりも「人事」。
「国民の声」よりも「派閥内のバランス」。
茂木派、林派、麻生派──いずれも自らの勢力拡大を最優先に動いています。
その中で、高市氏は「積極財政」「国益重視」「憲法改正」といった、派閥の利権にとって都合の悪い政策を打ち出している。
財務省:国債発行を伴う積極財政は「財政規律」を掲げる財務官僚にとって脅威
経済界:緊縮財政で得をしてきた既得権益層にとって「分配型成長」は邪魔
派閥領袖:自分の派閥から総理を出したいがゆえに、高市の台頭は面白くない
こうした利害が一致したとき、何が起きるのか。
「高市潰し」という暗黙の同盟が結ばれるのです。
毒舌を込めて言えば、自民党の派閥政治はまるで「老舗の料亭」。
美しい座敷で笑顔を見せながら、裏では料理人が包丁を研いでいる。
その刃は、今まさに高市に向けられているのです。
「見えない妨害工作」
では、その妨害はどのように行われているのか。
メディア操作
オールドメディアに対し、「進次郎を前面に」「高市は性別だけで語れ」とリークを流す。
結果、国民には「スター進次郎 vs 女性候補高市」という矮小化された構図しか伝わらない。
人事での圧力
「高市を支持すれば次の内閣改造で干されるぞ」と暗に議員に圧力をかける。
若手議員は将来のポストを失うことを恐れ、高市支持に名乗りを上げられない。
資金の流れを止める
党内選挙には資金が不可欠。ところが、高市陣営にはスポンサーが付きにくい。
理由は単純、「財務省と経済界が嫌う政策」を掲げているからだ。
こうした見えない妨害の積み重ねが、じわじわと高市陣営の足を引っ張っているのです。
「孤立から連帯へ」
しかし──ここで忘れてはいけないことがあります。
高市氏は孤立しているようで、実は「国民からの支持」という最大の武器を持っています。
前回総裁選での党員票109票
世論調査で「次期総裁にふさわしい政治家」として上位
SNSでの直接対話姿勢
これらは派閥や財務省には操作できない領域です。
つまり、高市氏が勝つためには「派閥ゲームに取り込まれる」のではなく、「国民との連帯を深める」しかないのです。
もし彼女が積極財政を鮮明に打ち出し、国民に真正面から語りかければ、派閥の妨害を乗り越える可能性は十分にあります。
毒舌を込めて言えば、派閥の長老たちは「国民」という存在を軽視しすぎている。
しかし、時代は変わったのです。
有権者はテレビの外に生きている。SNSの世界で真実を見抜く力を持ち始めている。
「派閥政治を終わらせる一票」
私がここで提案したいのは単純です。
「派閥政治を終わらせるために、高市早苗に投票せよ」。
彼女が勝てば、自民党にとっても「国民の声が派閥を上回った」という歴史的転換点となる。
もし彼女が敗れれば、自民党はまたしても派閥と財務省の操り人形に逆戻りする。
選択肢は明白です。
「未来を作るリーダー」か、「過去に縛られる凡庸な総理」か。
「国民が動けば派閥は崩れる」
この第5章で明らかになったことは、党内権力闘争の実態です。
派閥は高市を恐れ、妨害を仕掛けている
メディアも「女性候補」というラベルで矮小化している
財務省と経済界は積極財政を嫌い、資金の流れを止めている
しかし──それでも希望はあります。
国民が声を上げ、党員が一票を投じれば、派閥の力は相対的に弱まる。
「高市早苗総裁誕生」というシナリオは決して夢物語ではないのです。
次章では、いよいよ 「最終局面──勝敗を分ける決定的要因」 に迫ります。
ここからが、この物語のクライマックスです。
第6章:最終局面──勝敗を分ける決定的要因と日本の未来
「最後に勝つのは誰だ?」
ここまで、各候補の強みと弱み、派閥の思惑、そしてメディアの操作を見てきました。
では、最後に勝つのは誰なのか?
小泉進次郎は"スター性"と国会議員票を武器にしていますが、党員票での弱さと財源論の欠如は致命的です。
茂木敏充は「実務派」を掲げますが、凡庸さを超える突破力がありません。
小林鷹之は「爽やかさ」こそあるものの、国家の舵取りを任せるには軽すぎます。
林芳正は経験豊富ながら、国民の心を動かす言葉を欠いています。
そして高市早苗。
彼女は派閥の後ろ盾を持たず、財務省やメディアから妨害されながらも、唯一「積極財政」という明確なビジョンを掲げています。
つまり、最後に勝敗を分ける決定的要因は 「誰が国民と真正面から向き合えるか」 に尽きるのです。
「勝敗を左右する三つの要素」
総裁選の最終局面では、次の三つの要素が勝敗を決定づけます。
党員票の拡大
国会議員票だけでは勝てない。
前回、進次郎が苦戦し、高市が躍進したのも、党員票の差でした。
つまり「国民の声を背にした候補」こそが最終的に勝利するのです。
討論会での財源論
討論会の場で「お金はどこから持ってくるのか」を問われたとき、逃げる候補と、真正面から答える候補とで明暗が分かれる。
ここで高市が「国債発行による積極財政」を堂々と語れば、他候補を圧倒できます。
メディアの偏向を超える発信力
オールドメディアが進次郎ばかりを取り上げても、SNSやネット空間では国民が自ら情報を拡散できます。
「国民がメディアになる」時代において、真に支持を集めるのは誰か。
その答えは明らかです。
毒舌を込めて言えば、この三要素は「拍手喝采のスター」ではなく、「批判を恐れず政策を語るリーダー」を浮かび上がらせるフィルターです。
そして、それを通り抜けられるのは高市早苗しかいないのです。
「高市早苗という逆境の挑戦者」
ここで、高市早苗の歩みを振り返りましょう。
初出馬のとき、派閥に属さず孤立無援
それでも地方議員や党員の草の根の支持を積み重ね、党内で存在感を確立
前回総裁選では党員票で109票を獲得し、国民からの期待を証明
今回は「女性初の総理候補」として注目されるも、メディアは政策を矮小化し、派閥は妨害に動く
まるで「逆境の挑戦者」。
しかし、だからこそ彼女は強い。
国民の支持を背に、積極財政という唯一無二のビジョンを掲げ、既得権益と正面から戦う姿は、他の候補には絶対に真似できません。
「積極財政で未来を拓け」
高市早苗の勝利は、単なる総裁選の勝敗を超えています。
それは「日本が停滞から抜け出せるかどうか」という分岐点なのです。
積極財政による未来投資。
・インフラ整備
・地方再生
・防衛強化
・科学技術への投資
これらはすべて「国債発行」によって可能です。
緊縮財政に縛られた平成の30年を終わらせるためには、この積極財政しかありません。
もし進次郎が勝てば、耳ざわりのいいスローガンだけが残り、日本はまた同じ停滞を繰り返すでしょう。
もし茂木や林が勝てば、凡庸な延長戦で何も変わらないでしょう。
だからこそ、高市早苗の勝利こそが「変革のビジョン」そのものなのです。
「派閥よりも国民の声を選べ」
ここで私からの提案は一つです。
「派閥政治ではなく、国民の声を選べ」。
党員票は、派閥や財務省の思惑を超えて動かせる唯一の力です。
あなたが投票する一票が、派閥の均衡を崩し、未来を切り開くカギとなるのです。
「歴史を変えるのは、あなたの一票だ」
さあ、いよいよ総裁選のクライマックスです。
この第6章で明らかになったことは
勝敗を決めるのは党員票、討論会での財源論、そして国民自身の発信力
他候補はいずれも空虚か凡庸であり、停滞を繰り返すだけ
高市早苗だけが「積極財政」という武器を持ち、日本を変える可能性を秘めている
最後に問います。
「あなたは拍手を選びますか? それとも未来を選びますか?」
歴史を変えるのは、あなたの一票です。
あとがき「未来を託す勇気を」
今回の記事では、5人の候補が繰り広げる総裁選を徹底的に解剖してきました。
スター性で拍手を浴びる進次郎。
「実務派」を装う茂木。
爽やかさでごまかす小林。
経験豊富だが心を動かさない林。
そして──孤立無援でも国民に向き合い、積極財政を掲げる高市早苗。
彼らの姿を比較することで、浮き彫りになったのはただ一つ。
「誰が国民の未来を本気で担おうとしているのか」 という問いでした。
毒舌で振り返る総裁選の構図
進次郎は、舞台役者としては一流。しかし政治家としては台本なしでは立てない。
茂木は、凡庸な延長戦の象徴。実務はできても未来は描けない。
小林は、花火大会で浴衣を着た青年。爽やかだが、重責には耐えられない。
林は、優等生の模範解答。だが心を震わせることはできない。
そして高市。唯一「財源」を語る覚悟を持ち、既得権益に嫌われながらも国民に希望を示せる挑戦者。
毒を込めて言えば、この総裁選は「その他4人の凡庸さ」を照らすために存在しているようなものです。
読者へのメッセージ「あなたの一票が物語を完結させる」
ここまで読み進めてくださったあなたは、もうお気づきでしょう。
今回の総裁選は単なる「人事」ではなく、「国民の未来を決める戦い」です。
派閥や財務省の思惑、メディアの偏向報道──
これらに流されず、自分の頭で考え、判断し、一票を投じること。
それが私たちに託された最後の責任です。
物語は、まだ途中です。
この記事を閉じた瞬間から、あなた自身がこの国のストーリーの登場人物になります。
終わりに「未来を託す勇気を」
最後に、あえて強い言葉で締めくくりましょう。
日本を変えるのは、高市早苗ただ一人。
そして、その未来を引き寄せるのは、あなたの行動です。
拍手喝采に惑わされるな。
オールドメディアの幻想に酔うな。
派閥の密室に怯むな。
未来を選ぶ勇気を持ってください。
この国の明日を託すのは──私たち自身なのです。
◆だいやまーくニコニコチャンネル:https://ch.nicovideo.jp/ryunosuke
◆だいやまーくYouTube:https://www.youtube.com/@RyunosukeNews
◆だいやまーくNOTE:https://note.com/ryunosuke2025
◆だいやまーくMAXIM-龍之介バンド:https://tinyurl.com/278vkn2h
◆だいやまーくX(旧Twitter):https://twitter.com/RyunosukeOnline
※(注記)高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)
新着記事
高倉龍之介ブログ
高倉龍之介
高倉龍之介
四季折々、素晴らしい日本を子供や孫 子々孫々に送り届けるために活動しています。 記事は、月刊Will8月号でも取り上げられ掲載されています。 ※(注記)高倉 龍之介 ・保守・政治フリージャーナリスト