エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください
Twitterで共有ONにすると、次回以降このダイアログを飛ばしてTwitterに遷移します
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
◇関東へ入植した半島からの渡来人◇ 7世紀の朝鮮半島は、高句麗・新羅・百済が競う三国時代である。 今の... ◇関東へ入植した半島からの渡来人◇ 7世紀の朝鮮半島は、高句麗・新羅・百済が競う三国時代である。 今の北朝鮮のあたりが高句麗、半島の東側には後に朝鮮半島全体を統一する新羅、西側には百済があり、その百済と当時の倭国(日本)は良好な関係だった。 660 年、新羅と唐の連合軍が百済を滅ぼすと、倭国は百済復興のために出兵するが、663 年に白村江はくそんこうで大敗。 その結果、百済の王族や貴族の大部分が日本に亡命し、大勢の難民も倭国に移住した。一方、新羅は勢いづき、668 年には再び唐の力を借りて高句麗を滅ぼす。 このような朝鮮半島の相次ぐ動乱により、百済と高句麗だけでなく、勝者の新羅からも大勢の人がこの倭国に渡ってきた。これらの渡来人は、九州や山陰、近畿地方に住み始めるが、時を経ずして関東地方にも移動してくる。 716年、政府は東海道7ヶ国に住む高麗人(高句麗からの渡来人)1799人を移住させ、