エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください
Twitterで共有ONにすると、次回以降このダイアログを飛ばしてTwitterに遷移します
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
東日本大震災から10年を前に当時の被災地の様子などを振り返る立憲民主党の安住淳国対委員長=国会内で2... 東日本大震災から10年を前に当時の被災地の様子などを振り返る立憲民主党の安住淳国対委員長=国会内で2021年3月4日、佐々木順一撮影 2011年3月11日の東日本大震災から10年を迎える。震災時に国会は毎年恒例の予算案審議が大詰めで、多くの国会議員は東京にいたが、民主党政権の国会対策委員長だった安住淳・立憲民主党国対委員長(59)=衆院宮城5区=は、地元で家族や支援者が被災した。「復興は人生の全て。生きるか死ぬかだった」と当時を振り返る安住氏に、10年間の復興の歩みや被災地の将来像を聞いた。 発生時は「関東大震災が来たかと」 東日本大震災が起きたとき、私は国会内にある民主党国対委員長室のテレビで、菅(かん)直人首相(当時)が出席する参院決算委員会の質疑を見ていた。国会天井につるされたシャンデリアが大きく揺れて、机の下に潜った。最初は関東大震災が来たのかと思った。 ところがテレビをつけたら震