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- 掘って、ふるって、数えて、歩く-被災地の干潟での研究(2020年度 39巻2号)
掘って、ふるって、数えて、歩く
-被災地の干潟での研究
特集 災害に伴う環境・健康のリスク管理戦略に関する研究
【調査研究日誌】
金谷 弦
はじめに
高度経済成長期の日本では、東京湾を始めとして各地で多くの干潟が埋め立てられました。しかし、今でも日本の沿岸には多くの干潟が残されており、貝やゴカイのような底生動物(砂の上を這ったり穴を掘ったりして暮らす生き物)や、シギやチドリ類のような水鳥、カレイやハゼの仲間のような魚類の生息場として重要な役割を担っています。海と陸の境目に位置する干潟には多くの希少な底生動物が暮らし(図1)、沿岸域における水質浄化の場として機能するほか、水産有用種であるアサリやヒトエグサの漁場となるなど、人間にとって多くの恵み-生態系サービス-をもたらしてくれる場となっています。
(b)震災前の干潟で多産したホソウミニナ(2010年5月)
(c)震災後に増加した希少種ツバサゴカイの棲管
(d)希少なウミニナ類3種:上からカワアイ、ウミニナ、イボウミニナ
(e)殻の高さ2 mmほどの小さな希少巻き貝マツシマカワザンショウ
(f)復旧工事を生き延びた希少種ハマガニ
東日本大震災と干潟
仙台市内から車で30分ほどのところにある蒲生干潟で、私は大学4年生から博士課程を卒業するまでの期間、博士論文を書くための研究を長いこと続けていました。震災が起こった2011年は、私がつくばに就職してから2回目の春。震災から1ヶ月ほどがたち、だんだんと現地の情報が伝わってくるようになると、私は蒲生干潟がどうなっているのかが気になってきました。震災前と同じやり方で調査を行えば、巨大津波が生態系に及ぼした影響を評価することができるかもしれない・・・。震災のショックで呆然とした日々を過ごしていた私は、やっと回りはじめた頭で調査の計画を立て始めました。
(b)ヨシ原が流され、防潮堤が崩れ、大木が打ち上げられていた震災直後の2011年5月
(c)ヨシ原が徐々に回復してきた2014年6月
(d)東日本大震災時の引き波で破断した防潮堤(2011年6月)
(a)〜(c)はほぼ同アングル (b):鈴木孝男氏撮影
蒲生潟は、南北1 kmほどの袋状の浅い汽水湖(淡水と海水が混じり合う環境)で、震災前はうっそうとしたヨシ原に囲まれていました(図2)。震災から3ヶ月が過ぎた頃、やっと現地を訪れることができた私の目に映ったのは、大きく変わってしまった蒲生潟の姿です。津波はヨシ原を押し流し、干潟の地形を変え、震災前に完成した防潮堤もあちこちで壊されていました。「生き物が戻ってくるまでに、何年かかるんだろう・・・」と、私はその時とても悲観的な気持ちであったことを思い出します。しかし、その1ヶ月後に行った調査で、ゴカイの仲間が震災前よりもはるかに高い密度で生息していることを確認できました。これは、津波でできた新しい干潟に底生動物の幼生がたくさん定着し、3ヶ月間に大きく成長したためと考えられました。1年が経つ頃には、アサリをはじめとする二枚貝の稚貝がたくさんみつかり、3年が経つ頃にはヨシ原や海浜植生にも徐々に回復の兆しが見えてきました。当時の私は、干潟に暮らす生き物たちのしたたかさや強さに、驚かされてばかりいたように思います。
掘って、ふるって、数える
干潟の生きものは増えたのか、減ったのか?この問いに答えるためには、ある一定の広さに何匹の生き物がいるかを知る必要があります。このような調査を「定量調査」と呼びます。干潟での定量調査には大きく分けて2つのやり方があります。方形枠の中の動物を数える方法と、筒(コア・サンプラ-)を干潟に差し込んで土を抜き取る方法です(図3)。後者の場合、抜き取った土をふるいで濾して、ふるい上の残渣から動物だけを拾い集めます。集めた動物は、実体顕微鏡の下で種同定を行い、個体数を記録します。糸くずのようなゴカイの仲間や、すいすいと泳ぎ回る小さなヨコエビが数百匹も出てくることがあります。とてもとても根気がいる作業ですが、様々な干潟で同じやり方の調査を行うことで、データを互いに比べることができます。震災後、「記録しておくこと」の大切さを再認識した私たちは、日本のあちこちの干潟に出向いて、同一の調査手法に従って底生動物を調べる仕事を続けています。
(b)直径15 cmの塩ビ管(コアサンプラ-)を使って土を掘り出し、
(c)1 mm目のふるいで土を濾し、
(d)残渣をバットにあけて生き物を拾い集める。
(b)と(d):青木美鈴氏撮影
「足で稼ぐ」調査
約6時間の周期で海の水は満ち引きを繰り返しています。GPSを持って、潮が引いた時・満ちたときの水際(低潮線/高潮線)をトレースすれば、干潟の地図を作ることができますし、ヨシ原や海浜植物群落の縁をくまなく歩き回れば、植生分布図を作れます。幸か不幸か、蒲生潟は南北800 mと手頃な大きさ。私は、地形と植生の変化を調べようと、毎年夏にGPSを持って一日中干潟を歩き回るという、「力任せの調査」を始めました。
結論から述べると、やはりこの試みは無謀でした。震災直後で植生帯が失われた状況では、高潮線と低潮線をトレースすれば調査はほぼ終了でした。しかし、5年も経つとヨシ原がどんどん復活し、こちらの予想外の速さで海浜植生帯も広がっていきました。トレースする道のりは毎年加速度的に長くなり(図4a)、もはや1日では調査が終らない状況に。そこで、2019年の調査では、文明の利器・ドローンの力を借りて詳細な空撮地図を作成しました。その結果と、私が「足で稼いだ」地図を改めて比べてみると、思っていた以上の精度で植生分布をトレースできていて、場所によっては空撮よりもきれいな結果が得られていることがわかりました(図4bc)。「ドローン使えば、もう歩かなくていいや」と思った瞬間もありましたが、そこまで来ている体力の限界をひしひしと感じながらも、「もう少しだけ、足で稼ぐ調査を続けてみようかなぁ・・・」と思った2019年の夏でした。
図4 蒲生干潟の地形・植生帯の経年変化
(b)と(c):2019年7月の空撮写真から作成したオルソモザイク画像
(c)は近赤外カメラ画像から計算した正規化植生指数(NDVI)の分布。緑〜赤ほど植物が多く、生育もよい。
(b)の黄線はGPSトレース結果。海浜植生帯は、「GPSトレース」と「NDVI」でよく一致した(赤三角)。
おわりに
干潟の良いところは、船を雇ったり、ダイビング器材を使ったりしなくとも、胴長さえあればいつでも気軽に調査を行えるところです。干潟は長期モニタリングに向いていて、震災影響を追跡するのにも適したフィールドであると思います。震災から9年が過ぎましたが、被災地の海岸生態系はいまだに安定していません。東北地方の干潟には、解き明かすべき謎や不思議が、まだまだたくさん待ち受けています。被災地では、復旧工事のように震災に起因する二次的攪乱も進行しており、今後も「長い目で・きめ細かな」モニタリングが必要だと考えています。
執筆者プロフィール:
震災の日、私は札幌の学会会場で、TVから流れる津波の映像を呆然と眺めていました。その後、仙台湾での干潟研究を再開し、9年間あちこちを歩き回ったり、掘ったり、ふるったり、数えたり(体力の限界を感じたり・・・)しました。しかし、沿岸域の生態系が「元に戻った」「安定した」という感覚はまだありません。これからも東北の海に腰を据えて、変わっていく干潟の状況を記録し、伝えていきたいと考えています。
目次
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