2024年6月19日水曜日
特別展「大灯籠絵」を楽しむために その6 絵師の痕跡をたどって山へ
THE ASTONISHING WORLD OF GIANT LANTERN PAINTINGS
会期:2024年9月13日(金)~11月4日(月・休) 会場:福岡市博物館
この秋、福岡市博物館では、特別展「大灯籠絵」を開催します。
展覧会の開催に向けて、「大灯籠絵」にまつわる話題をお届けします。
今回の展覧会では、大灯籠絵だけでなく、大灯籠絵を描いた絵師たちにも注目しています。
彼らは、地域密着で、さまざまな活動をしています。
地元の新聞の連載小説の挿し絵を描いたり、学校教材の挿し絵を描いたり、見世物小屋の看板を描いたり、人々が神社に奉納する絵馬を手掛けたり、福岡で発行される錦絵を描いたり…
という訳で、資料調査は多方面に及びます。
5月某日、調査のために出かけたのは、朝倉市の某神社。
目的は、大正6年(1917)に奉納された白水耕雲が手掛けた絵馬です。
神社がある山は、平成29年(2017)の九州北部豪雨で土砂崩れがあり、神社の両脇の崖は崩れてしまったものの、幸い神社は被害をまぬがれています。
地元関係者の方から
「絵馬の安全のためにも、作業する人の安全のためにも、梅雨入り前に集荷した方がいい」
と助言をうけて、6月某日、集荷のための出動となりました。
豪雨災害以来、神社への道は荒れてしまい、車両を乗り入れられない状況のため、
手分けして絵馬を運ぶための資材を抱えて山道を歩きます。
今回調査・集荷した絵馬の作者は、初代白水耕雲(1876~1923)。
大学通三丁目(福岡市博多区千代三丁目)に「白水絵馬店」を構えていました。
特別展「大灯籠絵」では、箱崎(福岡市東区)で絵馬店を続けていた二代目白水耕雲(1897~1974)が手掛けた大灯籠絵も公開します。
お楽しみに!!
(by おーた)
2024年6月14日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈083〉小学校の体育用具倉庫で山笠のムルティをつくってほしい ―よかトピアで大活躍だったインド(その1)―
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回 (「百道海水浴場はどこにある?」)
第45回 (「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」)
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)
第50回(「百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~」)
第51回(「よかトピアのトイレと日陰の話」)
第52回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正編~」)
第53回(「リゾートシアターは大忙し ―よかトピアのステージ裏―」)
第54回(「ピオネとピオネ ―百道海水浴場最後の海の家に隠された名前の謎―」)
第55回(「34年前のよかトピアではこれが当たり前の景色でした ―電話やカメラや灰皿の話―」)
第56回(「百道で行われた戦時博覧会「大東亜建設大博覧会」とは」)
第57回(「キャラクターが大集合した「いわたや(岩田屋)こどもかん」と、ついでによかトピアの迷子事情も」)
第58回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編①~」)
第59回(「巨大な鳥かごに入ってみたら、極楽鳥がであいを伝えてくれた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(1)―」)
第60回 (「西新町に監獄ができるまでの話」)
第61回 (「鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)―」)
第62回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈前編〉」)
第63回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈後編〉」)
第64回(「よかトピアの海上レストラン ―マリゾン(1)―」)
第65回 (「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編②~」)
第66回 (「子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内 ―よかトピアの象のはなし ―」)
第67回 (「船で、飛行機で、データで、電波で、人の手で、福岡と世界を結んだよかトピアのパビリオン ―マリゾン(2)―」)
第68回 (「よかトピアはドームつくりがち」)
第69回 (「シーサイドももちはMVステージ(その1)」)
第70回 (「シーサイドももちはMVステージ(その2)」)
第71回 (「百道松原を買った藤金作(その1)― 西新爆上がりの回 ―」)
第72回 (「百道松原を買った藤金作(その2)― 元寇防塁発見の回 ―」)
第73回 (「サザエさん通りの生い立ち ―「プレ・サザエさん通り」と波瀾万丈の元寇防塁 ―」)
第74回 (「最初の海の家「設備屋」の行方と西南学院のキャンパス」)
第75回 (「百道に計画されていた幻の国際飛行場」)
第76回 (「ガワラッパのネッキ、ミズチと戦う ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その1)―」)
第77回 (「ドラえもんが水のことを教えてくれた日 ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その2)―」)
第78回 (「修養の殿堂、百道に建つ~射撃場跡地にできた社会教育会館~」)
第79回 (「まっすぐ過ぎる道路~百道に残る四角い街区のナゾ~」)
第80回 (「シーサイドももちにはお金が置いてある ―ヤップカヌー外伝(その1)―」)
第81回 (「ルッパン船長とヤップのダンスチーム、よかトピアを飛び出してダイエーに行く ―ヤップカヌー外伝(その2)―」)
第82回 (「シーサイドももちの緑地さんぽ① ~地行浜&海浜エリア編~」)
〈083〉小学校の体育用具倉庫で山笠のムルティをつくってほしい─よかトピアで大活躍だったインド(その1)─
今日は6月14日。
すでに福岡は博多祇園山笠の準備期間に入っていて、舁き山笠・飾り山笠の今年の標題も発表されました。
新天町商店街(中央区天神)の飾り山笠の見送り標題は「サザエさん」だそうですね。
ちなみに表標題は「武門之棟梁清盛」。
人形師はどちらも小副川太郎さんです。
このブログ「別冊シーサイドももち」には欠かすことができない西新のスター「サザエさん」ですから、新天町商店街をさらに賑やかに飾ってくれることと思います。
なぜ山笠の話をはじめたかというと、先日、昔の新聞を見ていましたら、1989年のアジア太平洋博覧会(よかトピア)に「インドの山笠」がお目見えしたという記事を見つけたからなのです。
インドの山笠??
さっそく記事を読んでみると、3月17日の博覧会開催を前にインドから人形師さんが来福されたとのこと。
会場のメーンステージ「リゾートシアター」に飾る人形をつくるために、はるばるインドのコルカタから来られたのだそうです。
リゾートシアターのことは過去のこの回のブログが詳しいです。
コルカタはインド共和国の東、バングラデシュに近い大都市。
よかトピアの当時は「カルカッタ」と呼ばれていて、新聞記事でもそう書いてあるのですが、現在はコルカタと改められています。
インドではヒンドゥー教のお祭り「ドゥルガー・プージャ」(9月か10月ころ)と「サラスヴァティー・プージャ」(2月)で、豪華に飾りつけたムルティ(神像)に祈る風習があります。
そのために「ドゥルガー・プージャ」では「ドゥルガー」(正義の女神。手がたくさんあってさまざまな力を持っています)の神像が、「サラスヴァティー・プージャ」では「サラスヴァティー」(知恵の女神。仏教でいうと弁財天です)の神像がそれぞれつくられます。
この2体を福岡でつくってもらって、本物のムルティを「リゾートシアター」入り口の両脇に飾ろうという企画だったようなのです。
なんて贅沢な…。
博覧会のころがバブル景気だからというより、空前の円高のためにこうしたこともやりやすかったのでしょうね。
先ほどの「インドの山笠」という言い方は、このときの新聞取材にあたって、山車にムルティを乗せている様子を「山笠」に例えて説明したためのようです。
たしかに福岡の人にはイメージしやすい例えかもしれないですね(実際は山車の形が山笠とはだいぶん違ったのですけど…)。
このとき来福されたのは、マニー・パールさん。
コルカタの人形師のまち「クマトゥリ」ご出身の45歳(当時)です。
マニーさんは人形師歴30年のベテランで、前年の「ドゥルガー・プージャ」の人形コンテストでは、2000体のなかから優勝された人形製作の第一人者なのだそうです。
来福したマニーさんは8日(水)に桑原敬一市長を表敬訪問したのち、さっそく10日(金)から作業に取りかかり、2月末には完成させるというスケジュール(2体を20日でつくってしまうとは、さすがの職人技…)。
新聞記事によれば、神像は木とわらで骨組みをつくって粘土で形づくると書いてありますので、塑像のような作り方ということになるのでしょうか。
神像の身長は2.6メートル。
これを山車の上に乗せるので、全高は3.6メートルになるとのこと(山車の幅は1.8メートル)。
マニーさんは神像に着せる衣装も自ら最高のものを選んで持ち込まれていて、「素晴らしいムルティをお見せできるでしょう」と新聞記者のインタビューに答えています。
マニーさんがムルティをつくる場所なのですが、福浜小学校の体育用具倉庫とのこと。
こどもたちが国際感覚を身につける良い機会になるからと、小学校がこの場所を提供されたのだそうです。
福浜小学校はよかトピアの会場になった埋め立て地「シーサイドももち」まで歩いて行けますので、距離的にも絶好の場所。
なるほど、一石二鳥です。
つくりはじめる10日には児童全員が集まってマニーさんの歓迎会を開き、さっそくみんなでインドの話を聞いたそうです。
インドの人形製作の第一人者が人形をつくる過程を最初から完成まで、しかもそれを自分たちの学校のなかで毎日間近に見られるのですから、まるで博覧会が前乗りで出張してきたようなもの。
海外の文化を肌で感じられて、きっと今でも思い出になっているのではないでしょうか。
こうして福岡の小学校でつくられて、会場に置かれた人形がこれです。
なかなか写真がなかったのですが、博覧会の公式記録のなかに写り込んでいるものを見つけました(この写真の構図だと、リゾートシアターの「満員」の様子を撮りたかった1枚なのでしょうね)。
手がたくさんあるので、これは「ドゥルガー」の像。
足下に獅子と男性を置くのは定番の形です。
貞刈厚仁さんのご著書『Ambitious City―福岡市政での42年―』を読んでいましたら、この神像の製作についてふれておられました。
貞刈さんは当時アジア太平洋博覧会協会にいらっしゃって、マニーさんを招かれた方です。
本のなかには、公式記録にはなかった「サラスヴァティー」像の写真や、福浜小での製作風景、マニーさんの送別会の写真もあって、どれもここだけの貴重な記録になっています(勝手に転載はできないので、ご覧になりたい方はぜひ貞刈さんの本をご覧になってみてください。とても良い写真です。口絵と55ページにあります)。
ところで、その送別会の写真には1メートルもないくらいの小さな神像が写っていました。
貞刈さんによれば、これはマニーさんがこのときのお礼としてつくって福浜小に贈られた品で、サラスヴァティー像のようなのです。
これは貴重なよかトピア遺産!(福岡市史では、今もまちに残るよかトピアにまつわる物を勝手にこう呼んでいます)
しかも当時一流の人形師の作品です。
福浜小学校の関係者の方々、もしこの神像の所在をご存知でしたら、福岡市博物館の市史編さん室までお知らせくださらないでしょうか。
ぜひ拝見したいです。
よかトピアのテーマは「であい」。
〈081〉のヤップの話もそうでしたけど、この博覧会をめぐる「であい」は会場や会期にとどまらず、もっと広がりをもったものだったことを感じるエピソードでした。
インドはこの神像だけではなく、パフォーマンスやお店でも国際色豊かによかトピアを盛り上げた国です。
もう少しそんな話を調べてみようと思っています。
そうそう、インドといえば、明日とても楽しそうなイベントが福岡アジア美術館で開かれますので、最後にご紹介。
福岡アジア美術館は博多区下川端町にあるリバレインセンタービル7・8階。
ここで今、「アジアン・ポップ」という展覧会が開かれているのですが、明日その関連イベントとしてインド映画『SHOLAY』(邦題「炎」)が上映されます。
詳細はこちらをご覧ください。
『SHOLAY』は1975年につくられた「インドで最も大衆に愛されたインド映画の金字塔」と言われている映画。
監督はラメーシュ・シッピーさん、主演はインド映画のスター、アミダーブ・バッチャンさん、サンジーヴ・クマールさんのお二人です。
ストーリーは『七人の侍』『荒野の七人』を思わせる、村を守る2人の用心棒の物語。
もちろんこちらはインド映画独特のエンターテインメントと、何で?という展開を詰め込んで仕上げられています(長尺の204分!)。
「七人」ではないので、むしろ今話題の舘ひろしさん・柴田恭兵さん主演『帰ってきた あぶない刑事』や、ウィル・スミスさん・マーティン・ローレンスさん主演『バッドボーイズ RIDE OR DIE』のようなバディ物として見ることもできそうですね。
この『SHOLAY』、「アジアン・ポップ」展の作品『ガンボージ色のガッバル』(インドの画家アトゥル・ドディヤさん作、福岡アジア美術館所蔵)のモチーフになった映画なのだそうです。
アトゥル・ドディヤさんの『ガンボージ色のガッバル』はこちらで見ることができます。
今回の上映は貴重な日本語字幕付き。
しかも上映前には、館内のアートカフェでアジアをテーマにしたDJイベントがあったり、インドビールも飲めるのだとか。
いや、「急に明日なんか行けない!」「ブログを見たときにはもう終わってた!」という方、ご安心ください。
8月17日(土)の「アジアン・ポップ☆イベントⅡ」で、ふたたび上映されます。
この日はDJイベントではなく、『SHOLAY』を翻訳されたアジア映画研究家・松岡環さんの解説トーク(オンラインでのご登場)があります。
松岡さんは『ムトゥ 踊るマハラジャ』などの字幕も担当された方です。
インド映画は作品の背景を知っていると、いろんな視点からもっと楽しめそうですよね。
よかトピアではテーマを考えるにあたって、人や物の「であい」によって、エネルギーを生産するプロセス「まつり」が生まれ、それは博覧会場の外へと広がっていく、そしてそこでまた新たな「まつり」がはじまると構想していました。
まさに「まつり」無限装置。
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)
・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)
・『朝日新聞』1989年2月9日「インドから人形職人」
・『西日本新聞』1989年2月9日「インドの人形師来福─ヒンズー様式の山車製作─」
・『フクニチ新聞』1989年2月9日「アジア博にインドの山笠?─祭りの人形制作 第一人者のマニーさん来福─」
・『毎日新聞』1989年2月9日「カルカッタから人形職人が来福─リゾートシアター正面入り口を飾る─」
・『読売新聞』1989年2月9日「ヒンズー教人形飾る─製作の第一人者来福─」
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #インド #飾り山? #福岡アジア美術館 #アジアン・ポップ #SHOLAY
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
2024年6月12日水曜日
特別展「大灯籠絵」を楽しむために その5 特別展「大灯籠絵」の顔
この秋、福岡市博物館では、特別展「大灯籠絵」を開催します。
展覧会の開催に向けて、「大灯籠絵」にまつわる話題をお届けします。
現在制作中の特別展「大灯籠絵」のポスターのメインビジュアルはこの人
荒木又右衛門(1598~1638)です。
歌舞伎などに詳しい方は、「あぁ、あの」とご存じかもしれません。
曾我兄弟、赤穂義士とならぶ日本三大仇討のひとつ、
「鍵屋の辻の決闘」あるいは「伊賀越の仇討」として有名な仇討事件の主要人物です。
1634年、岡山藩士渡辺数馬が荒木又右衛門の助太刀で、河合又五郎を討ち取ったという事件で、
歌舞伎の演目や映画などの題材にもなっています。
大灯籠絵全体は↓こんな感じです。
サイズは、縦約180cm×横約375cm、ちょうど畳を4枚ならべたくらい。
画面中央で、敵に囲まれながら睨みをきかす荒木又右衛門の姿は、
今回の展覧会で展示予定の大灯籠絵のなかでも、一二を争う迫力です。
はてさて、この荒木又右衛門が、どんな風にポスターとなって登場するのか、
どうぞ、お楽しみに!!
(by おーた)
2024年6月7日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈082〉シーサイドももちの緑地さんぽ① ~地行浜&海浜エリア編~
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回 (「百道海水浴場はどこにある?」)
第45回 (「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」)
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)
第50回(「百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~」)
第51回(「よかトピアのトイレと日陰の話」)
第52回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正編~」)
第53回(「リゾートシアターは大忙し ―よかトピアのステージ裏―」)
第54回(「ピオネとピオネ ―百道海水浴場最後の海の家に隠された名前の謎―」)
第55回(「34年前のよかトピアではこれが当たり前の景色でした ―電話やカメラや灰皿の話―」)
第56回(「百道で行われた戦時博覧会「大東亜建設大博覧会」とは」)
第57回(「キャラクターが大集合した「いわたや(岩田屋)こどもかん」と、ついでによかトピアの迷子事情も」)
第58回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編①~」)
第59回(「巨大な鳥かごに入ってみたら、極楽鳥がであいを伝えてくれた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(1)―」)
第60回 (「西新町に監獄ができるまでの話」)
第61回 (「鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)―」)
第62回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈前編〉」)
第63回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈後編〉」)
第64回(「よかトピアの海上レストラン ―マリゾン(1)―」)
第65回 (「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編②~」)
第66回 (「子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内 ―よかトピアの象のはなし ―」)
第67回 (「船で、飛行機で、データで、電波で、人の手で、福岡と世界を結んだよかトピアのパビリオン ―マリゾン(2)―」)
第68回 (「よかトピアはドームつくりがち」)
第69回 (「シーサイドももちはMVステージ(その1)」)
第70回 (「シーサイドももちはMVステージ(その2)」)
第71回 (「百道松原を買った藤金作(その1)― 西新爆上がりの回 ―」)
第72回 (「百道松原を買った藤金作(その2)― 元寇防塁発見の回 ―」)
第73回 (「サザエさん通りの生い立ち ―「プレ・サザエさん通り」と波瀾万丈の元寇防塁 ―」)
第74回 (「最初の海の家「設備屋」の行方と西南学院のキャンパス」)
第75回 (「百道に計画されていた幻の国際飛行場」)
第76回 (「ガワラッパのネッキ、ミズチと戦う ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その1)―」)
第77回 (「ドラえもんが水のことを教えてくれた日 ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その2)―」)
第78回 (「修養の殿堂、百道に建つ~射撃場跡地にできた社会教育会館~」)
第79回 (「まっすぐ過ぎる道路~百道に残る四角い街区のナゾ~」)
第80回 (「シーサイドももちにはお金が置いてある ―ヤップカヌー外伝(その1)―」)
第81回 (「ルッパン船長とヤップのダンスチーム、よかトピアを飛び出してダイエーに行く ―ヤップカヌー外伝(その2)―」)
〈082〉シーサイドももちの緑地さんぽ① ~地行浜&海浜エリア編~
シーサイドももち地区(早良区百道浜・中央区地行浜)は埋立地として誕生しましたが、土地の用途は住宅のほか、学校や病院、文化・商業施設、さらには多くの企業ビルや娯楽施設もあり、多種多様です。
埋立地としての計画が始まったのは昭和35(1960)年のことですが、当初から現在のような姿を想定していたわけではなく、ご多分に漏れず百道も当時主流だった「工業都市的なまち」が目指されていました。
その後紆余曲折を経て、昭和46(1970)年の福岡市総合計画で、現在のようなウォーターフロントとしての姿に繋がる「シーサイドタウン計画(臨海部大団地)」が掲げられるようになったわけです。
このときの計画では、昔から百道海岸に広がっていた松原や砂浜を中心とした自然の風光美を残し、さらにまちの緑化をすすめることが盛り込まれていました。
シーサイドももち地区が、いわば人工のまちでありながら、海と緑に囲まれた自然の多いエリアなのは、そういった理由があったんですね。
そんなシーサイドももちを隅々まで楽しむには、徒歩やサイクリングがオススメです。
今回は、シーサイドももち地区に設けられた公園・緑道・緑地などを
* * * * * * *
まず、シーサイドももち地区にどのくらい公園や緑地があるか、地図で見てみます。
これらを順に回っていきたいと思います。
今回のルートはこんな感じです。
地図の右端にある唐人町側の地行浜エリア(地行浜橋)からスタートして、最後は百道浜エリア(百道浜橋)を目指したいと思います。
なお、今回は徒歩だけでなく自転車でもまわることができるルートをご紹介します。
それではスタートします。
ちょっと距離がありますので、水分を補給&休憩しつつ、がんばって行きましょう!
1.スタート地点(地行浜橋)
まずは地行浜橋、シーサイドももち地区の東の入口です。
最寄りの唐人町駅(福岡市地下鉄)からは、1番出口を出て菰川沿いに約450mほど歩くと到着します。
ここから東へ向かって歩きます。
さっそく、「MARK IS福岡ももち」が見えてきました。
シーサイドももち地区最大の商業施設で、隣には高層マンションの「ザ・パークハウス 福岡タワーズ」や、奥にはドームの屋根も見えています。
2.みぞえ画廊(福岡市中央区地行浜1-2-5)
※ちょっと寄り道
駐福岡大韓民国総領事館から脇道に入ると、みぞえ画廊があります。
こちらは公園ではありませんが、道路からでも美しい緑の庭を見ることができます。
敷地内にはギャラリーのほか、フラワーショップやワイン専門店も併設。
まだ歩き始めてちょっとですが、休憩がてら立ち寄ってみるのも楽しいかもしれません(休憩早い…)。
みぞえ画廊のホームページはコチラ をクリックしてご覧ください。
3.樋井川河畔緑道(地行浜エリア/南側)(中央区地行浜1丁目付近)
【種別】緑道
【大きさ・長さ】約420m(地行浜エリアの全長では約600m)
【施設】ベンチ
この樋井川河畔緑道は、百道浜橋をはさんで地行浜地区と百道浜地区それぞれ、樋井川沿いに続いています。
舗装された川沿いの歩道と、一段下がって未舗装の遊歩道が併走しています。
途中には複数箇所にベンチがあり、途中で休憩することもできます(休憩は大事ですから)。
4.地行浜西公園(中央区地行浜1丁目3)
【種別】公園
【大きさ・長さ】2,497 ㎡
【完成した年】1990年
【施設】ベンチ・遊具(すべり台)・あずまや・トイレ・広場
樋井川河畔緑道を海に向かうと、すぐ右手に地行浜西公園が見えてきます。
この公園は遊具もあり、周辺が全面砂地になっているので子供も遊べますし、あずまややベンチ、トイレもあるのでちょっとした休憩にも最適です。
隣には広場があって、ちょっとしたキャッチボールなどもできるのですが、その裏手(東側)を見ると、かわいらしい小さなお地蔵さまが鎮座されていました。
さきほどの樋井川河畔緑道にもどって先に進みます。
ここを抜けると地行中央公園です。
5.地行中央公園(中央区地行浜1丁目3)
【種別】公園
【大きさ・長さ】22,810 ㎡
【完成した年】1994年
【施設】ベンチ・遊具(コンビネーション遊具・スプリング遊具・砂場)・水飲み場・あずまや・トイレ・広場・自動販売機・時計塔
【その他】モニュメントあり
地行浜エリア最大の公園、地行中央公園です。
ここはヒルトン福岡シーホークやドームに面しており、バス通りに直結しているので、中に入らずとも目にしたことのある方は多いと思います。
巨大なモニュメント(「大きな愛の鳥」)や時計塔が印象的な公園です。
公園には遊具もありますが、体を動かせるスペースがとても広く、芝生(というか草地)があるグラウンドエリアを中心に、東西に石畳のエリアがある設計になっています。
石畳エリアには各所にベンチもたくさん設置されています。
公園の奥にはスロープがあり、自転車も通行が可能です。
スロープは、芝生のグラウンドエリアを通ってドーム側に抜けることができます。
スロープの一番上には大きなあずまやがあります。
このあずまやから公園の東側(ドーム側)の時計塔がある円形広場に下りることができます。
自転車はスロープがありますが、あずまやのすぐ目の前には大きな階段もあります。
結構大きく急なので上り下りするには大変ですが、座って休憩するにはもってこいの場所でもあります。
時計塔を中心とした円形広場はベンチやモニュメントも多く、ゆっくりと時間を過ごすことができますよ。
見所が多く長居したいところですが、そろそろ公園を出てさらに海側へ向かって行きます。
6.樋井川河畔緑道(地行浜エリア/北側)(中央区地行浜2丁目2)
【種別】緑道
【大きさ・長さ】約180m(地行浜エリアの全長では約600m)
【完成した年】1993年
【施設】ベンチ・モニュメント・大型バス専用駐車場
信号を渡ると川沿いに、先ほど歩いた樋井川河畔緑道が続いています。
ここも、先ほどと同じように川沿いの舗装の歩道と未舗装の遊歩道がありますが、さらにこちらはレンガ敷きの広いスペースが併設されています。
そして、そこには巨大な自然石のモニュメントが。
この石製のモニュメントは1993(平成5)年にここが整備された時にあわせて設置されたもので、手前の平たい板状のものと、100mほど離れた同一線上にくびれがあり上部には穴が空いた不思議な形のものがそれぞれ1体ずつ、対峙するように置かれています。
高さはどちらもおよそ3mほどあるようです。
作者などは不明ですが、なにやら意味ありげなモニュメント…。
周りには何もなく、ぽつんとたたずむ姿は、その大きさもあいまって、なんとも不思議な空間です。
このスペースにもベンチがありますよ。
ちなみにこのスペースは自転車では入れませんが、ベンチは歩道の方にもあります。
さきほどモニュメントがあるスペースの奥には、最近整備された大型バス専用の駐車場があります。
かつてはドームの東側道路に並んでいた観光バスですが、現在ではこのように整備されたことで、多くのインバウンドを中心とした観光客の皆さんがシーサイドももちを訪れやすくなっているんですね。
樋井川河畔緑道から高速道路の下を通る道が海まで道がつながっているので、このまま進んでみましょう。
7.シーサイドももち海浜公園(地行浜地区)(中央区地行浜2丁目3付近)
【種別】その他
【大きさ・長さ】約41,000 ㎡
【完成した年】1989年
【施設】ベンチ・あずまや・トイレ・シャワー・更衣室
樋井川河畔緑道を抜けると、ついに海に出ました!
ここはシーサイドももち海浜公園の地行浜地区。かつての百道の美しい海岸線を参考にして、シーサイドももち地区につくられた人工海浜です。
実はシーサイドももちの浜辺は「海水浴場」ではなく「海浜公園」なので、許可された時期以外の遊泳は禁止されています。ご利用の際にはどうぞご注意くださいね。
さきほどの大型バス駐車場から歩いて数分で海に出られることもあり、この日も海外からの旅行客の皆さんが団体で訪れ海を楽しまれていました(ちょっと写真では分かりづらいですが…)。
ここから西へ向かって浜沿いに歩いていきます。
地行浜と百道浜をつなぐ橋「なぎさ橋」は、歩行者専用橋。
高速道路のすぐお隣にあります。
8.シーサイドももち海浜公園(百道浜地区)(早良区百道浜2丁目)
【種別】その他
【大きさ・長さ】約110,000 ㎡
【完成した年】1989年
【施設】ベンチ・トイレ・シャワー・更衣室・バレーネット・水場・パーゴラ・あずまや・ボードウォーク・多目的広場
【その他】マリゾン・渡船場(うみなかライン発着所)
これぞシーサイドももち!という風景ですね。こちらはシーサイドももち海浜公園百道浜地区です。
これからの季節はとくに気持ちよくお散歩できそうですね。
橋からの道はスロープになっているので、自転車やベビーカーなどでも通行が可能ですよ。
浜辺に沿って続く遊歩道は、途中にはいくつものベンチが設置されています(ベンチチェックがしつこくてスミマセン…)。
また、海浜に沿って植えられた松林の中には、海沿いの歩道と並行して遊歩道があるので、松林の中をゆっくり散歩することもできます。
自転車も通行できます。
海浜公園の百道浜地区は設備も多く、パーゴラやバレーコートなどの屋外設備に加え、レストランや結婚式場のあるマリゾンも、海浜公園の一部です。
老若男女、たくさんの人がくつろいだり遊んだり食べたり飲んだり…。外で過ごすにはいい季節になり、それぞれ思い思いの時間を楽しんでおられました。
そしてここも地行浜地区と同じく、許可された時期以外は泳ぐことはできません。
印象としては、同じ海浜公園でも地行浜地区がインバウンドを含む観光客の皆さんが多いのに対し、百道浜地区は学生を中心に地元の方々が多く利用されているように感じました。
せっかくなので脇道の松林にも入ってみます。
松林を少し進むとふたたび高速道路が見えてきて、そちらに向かって道が続いています。
高速道路の上を横切る形でスロープがつくられており、ここを進むと次の目的地である百道浜北公園に行くことができます(ただし、自転車では通り抜けできませんのでご注意ください)。
9.百道浜北公園(早良区百道浜4丁目30)
【種別】公園
【大きさ・長さ】3,484 ㎡
【完成した年】1993年
【施設】ベンチ・遊具(すべり台)・広場
百道浜北公園は、住宅街の中にある小さな街区公園です。
ここにも小さな遊具と広場が併設されています。
ふたたび海浜公園に戻ります。
松林の道に戻り、さらに西へと歩くと、またまた脇道が。
ここからは、海浜公園内の多目的広場に行くことができます。
10.シーサイドももち海浜公園(百道浜地区)多目的広場(早良区百道浜4丁目2)
【種別】その他
【大きさ・長さ】約4,500 ㎡
松林を抜けると多目的広場に到着です。
この広場は海浜公園の一部で、占有しなければ許可申請なしでも遊ぶことができます。
駐車場があり、ここまで車で来ることも可能です。
多目的広場は思いのほか広いスペースなので、シートを広げてお弁当を食べたり、バドミントンなんかもできそうですね。
ただし、野球のバッティング・ゴルフ・凧揚げ・ロケット花火や打ち上げ花火などは禁止。
また高速道路も近いので、ボールを使う場合は注意が必要です。
なお、シーサイドももち海浜公園の利用にはさまざまな規約がありますので、ご利用の際には公式ホームページで確認してくださいね。
* * * * * * *
・・・と、今回はここまで!
ここから先の百道浜地区は、また次回お送りしたいと思います。
【ここまでの移動距離】約3.2km
【ここまでの所要時間】徒歩:約1時間30分/自転車:約30分
※ 地図のベースはピー・アンド・エル制作。
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[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]