2023年11月10日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈062〉西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈前編〉

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2 (「ダンスフロアでボンダンス」)
3 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回 (「百道海水浴場はどこにある?」
第45回 (「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)
第50回(「百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~」)
第51回(「よかトピアのトイレと日陰の話」)
第52回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正編~」)
第53回(「リゾートシアターは大忙し ―よかトピアのステージ裏―」)
第54回(「ピオネとピオネ ―百道海水浴場最後の海の家に隠された名前の謎―」)
第55回(「34年前のよかトピアではこれが当たり前の景色でした ―電話やカメラや灰皿の話―」)
第56回(「百道で行われた戦時博覧会「大東亜建設大博覧会」とは」)
第57回(「キャラクターが大集合した「いわたや(岩田屋)こどもかん」と、ついでによかトピアの迷子事情も」)
第58回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編①~」)
第59回(「巨大な鳥かごに入ってみたら、極楽鳥がであいを伝えてくれた─よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(1)─」)
第60回 (「西新町に監獄ができるまでの話」)
第61回 (「鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた─よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)─」)







〈062〉西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈前編


前回は、監獄ができるまでのことをご紹介しました。今回はいよいよ完成した福岡監獄の内部に潜入してみたいと思います…!


* * * * * * *


前回のおさらいですが、こちらが西新町にあった監獄の位置です。

(福岡博多及郊外地図 〈1/15000〉、大正9年発行、福岡市博物館所蔵)

(地理院地図から市史編さん室作成)

大変広い範囲にあったことが地図から分かります。


こちらは監獄の全体像が分かる写真です。

(『紀念写真帖』より)

写真をつないだパノラマ写真なのでちょっとゆがんでいますが、その全貌がよく分かると思います。

左端は室見川で、その沿岸から浜沿いに松林が連なっているのが見えます。感度の問題で薄く消えていますが、この松林の向こうは博多湾です。




そしてこちらが配置図、監獄内部の図面です。

(『紀念写真帖』より)


さきほどの地図やこちらの図面を見ても分かるように、建物は本当に正確に南北の方角に沿って作られているんですね!


今回はこちらの地図に沿って、監獄内部をめぐりたいと思います!(ワクワク)



ところでこちらの配置図は福岡監獄の一部で、この塀の外側に看守の官舎などがありました。図面を囲む塀の内部には当然入れませんが、その周辺は一般市民も近づくことができたようです。


(福岡博多及郊外地図 〈1/15000〉、大正9年発行、福岡市博物館所蔵)
赤枠で囲った部分が福岡監獄の全体です。
右下に並んでいるのが看守の官舎。
(福岡博多及郊外地図 〈1/15000〉、大正9年発行、福岡市博物館所蔵)
配置図が残されているのはこの枠の部分。
塀の内部です。



それではさっそく見学ツアーに出発しましょう!

※以下、図面・写真は『紀念写真帖』掲載のものです。


* * * * * * *


まずはここ。中央正面にある表門からスタートです。




正面に見えるのが表門です。かなり堅牢で、迫力満点です。

表門は軒が16尺(約4.8m)、全体では29尺(約8.7m)もありました。
扉は二重になっていて、外側は木造鉄板張り、内扉は鉄格子だったそうです。

また、周囲は煉瓦塀で囲まれていて、その高さは15尺(約4.5m)ほど。この塀がぐるりと監獄を囲んでいたんですね。
この表門のほかに、非常門や通用門など全部で6ヶ所の出入口がありました。



つづいて門の中に入っていきます。




ここは表門から入った中央、事務所の入口です。



それではいよいよ建物の中に入っていきます!




玄関を入って最初に見える景色です(図面内の矢印は見ている方向を示しています)。

廊下はコンクリートで、内壁は漆喰塗りでした。
この通路を真っ直ぐ進むと中央見張所があり、そこから居房(収容者を収容する部屋)エリアにつながります。

その手前、右側には文書会計室や応接室があり、左側には典獄(刑務所長のこと)室や看守の休憩所があります。


この廊下を進んでいくと、中央見張所に出ます。




中央見張所からさきほど通った玄関前の廊下を振り返ったところです。

1階中央には看守の見張席(机と椅子)があり、両側には階段があります。
この階段もよく見るとなかなか凝った造りの階段ですよね。手すりのデザインがとってもオシャレ。背面のレンガ塀とマッチして、どことなく都会的な雰囲気もあります。

床は先ほどと同じコンクリートですが、階段や2階部分は木製、階段の手すりは鉄管です。そして火災などに対応する消火栓もありました。


見張席の上部、2階の部分にもなんだか円形のベランダのようなものが見えます。のぼってみましょう。




のぼってきました。正面の衝立のようなものが、さきほど1階から見た円形のベランダ(?)です。

ここも見張所の一つです。見張所を中心に3方向に居房が続いていて、それぞれをすべて見渡せるようになっています。

居房が2階建てなので、見張所もそれぞれの階にあるということですね。


これは1階の見張所から居房を見たところです。

よく見るとそれぞれの通路には鉄格子が嵌められていて、入口には「雑居房」(大部屋)、「西独居房」(個室)という札がかかっています。
右側の雑居房のさらに右側に、もう1列独居房(東独居房)がありました。

このように、当時の監獄では居房を放射状や十字状に作ることが一般的で、全国各地にあった監獄もだいたい同じような造りになっていました。

福岡監獄では雑居房が30、独居房(分房)は東(右)に58、西(左)に64の部屋があり、各部屋の扉の上には房の番号が彫られていました。
この房号は、脱走などの非常に備えるための報知器と連動していて、許可なく内部から扉を押すと房号が外に飛び出る仕掛けになっていたそうです。



居房の手前には居房とは別の棟が左右にあります。

まずは右側から見ていきましょう。




ここは炊事場です。壁側に釜が8つ並んでいます。
釜は二重釜になっており、直径3尺(約90cm)の大きなもので、これで煮炊きをしました。




さらに廊下を進みます。




ここは機関室です。現在でいうとボイラー室のようなものですね。

すべて煉瓦造りで、大きな釜が2つ並んでいます。
手前に見えるのは石炭でしょうか、これが燃料となっていたのですね。
装置としては機関車の火室と同じような感じで、壁に立てかけてあるスコップで石炭を火室にくべて動かしました。




さらに隣を見てみます。




機関室の隣には浴場がありました。

ここは雑居浴場で一度に30人が入れるようになっていました。壁に沿って取り付けられた管は、洗面・洗髪用に水が出る鉄管です。

この他にも分房浴場があり、独居房に収容された者はそちらを使うようになっていたようです。




突き当たったので、一度先ほどの中央見張まで戻り、今度は左に進んでみます。




左側は病監といって、病気の者を収容するスペースになっていました。

病監は、雑居房が4、分房が15、隔離雑居房が1、同分房が3、さらに精神病監が2ありました。基本的には板張りですが、病状によっては畳敷きにもできたようです。それぞれ室内に洗面器や換気口、便器などがありました。

この写真は診察室の内部です。一般の医院にあるような医療器具が並んでいて、受刑者も同じように医療を受けていたことが分かります。




先ほど見た放射状の居房の外には運動設備がありました。



右側の建物は東独居房の壁で、その前に見える扇状の壁が、独居房のいる受刑者のための運動場です。

独居房にいる受刑者は、さきほど見た浴場のように他の受刑者と接することはなく、運動もこの高さは7尺5寸(約2.3m)、長さは6間(約11m)の壁に囲まれた細長いスペースで、一人で行いました。

扇の要部分にある台は、おそらく見張り台と思われます。
その手前にあるのは物干しスペースです。

運動場の奥にはまた別の建物があります。そちらに行ってみましょう。




正面の建物は受刑者が作業をする工場でした。




建物は木造平屋建てで、これだけ見ると「工場」という感じはあまりしません。


中に入ってみましょう。




こちらが工場内部です。受刑者たちが並んで作業をしています。

かつて、明治時代初期までいわゆる囚人労働といえば開墾や土木工事、鉱山労働などの肉体労働が中心で、これは懲役の本分は苦役にあるとする「苦役本分論」に基づくものでした。
明治中頃からはこうした苦役は徐々に縮小されていき、監獄内での軽作業や掃除、炊事などの雑役に変わっていきました。

とはいえ、前回もご紹介したように、この監獄の建設にも懲役として受刑者が工事に携わっていて、そのような肉体労働の懲役もまだ残っていたようです。

のちに監獄内の作業は委託となって、外部からの受注を受けたり監獄内で作った物を販売するようになっていき、受刑者の社会復帰のための大事な要素となっていきます。

この写真が撮られたのも大正初期で、そうした苦役ではなく、監獄内の工場での作業が中心となっていたようです。


* * * * * * *


…福岡監獄ツアー前編はここまで。

「監獄」というと怖くて暗いイメージもありますが、建物自体はなんだか近代的で、建築的にも見応えのあるものでした。

今回は、監獄の中心である放射状の居房を中心に見ていきましたが、後編はその手前にある別の居房と、塀の外にあった施設を見ていきたいと思います。

次回もどうぞお楽しみに!!








【参考文献】

・『紀念写真帖』(阿部写真館謹製、柴藤活版所、1916年)

・重松一義『図解 日本の監獄史』(雄山閣出版、1985年)



#シーサイドももち #福岡監獄 #近代建築としての監獄 #ゴールデンカムイ



Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル

2023年11月3日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈061〉鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)―

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2 (「ダンスフロアでボンダンス」)
3 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回 (「百道海水浴場はどこにある?」
第45回 (「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)
第50回(「百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~」)
第51回(「よかトピアのトイレと日陰の話」)
第52回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正編~」)
第53回(「リゾートシアターは大忙し ―よかトピアのステージ裏―」)
第54回(「ピオネとピオネ ―百道海水浴場最後の海の家に隠された名前の謎―」)
第55回(「34年前のよかトピアではこれが当たり前の景色でした ―電話やカメラや灰皿の話―」)
第56回(「百道で行われた戦時博覧会「大東亜建設大博覧会」とは」)
第57回(「キャラクターが大集合した「いわたや(岩田屋)こどもかん」と、ついでによかトピアの迷子事情も」)
第58回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編①~」)
第59回(「巨大な鳥かごに入ってみたら、極楽鳥がであいを伝えてくれた─よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(1)─」)
第60回 (「西新町に監獄ができるまでの話」)





〈061〉鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた─よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)─


1989年のアジア太平洋博覧会(よかトピア)に現れた、巨大な鳥かごのパビリオン「芙蓉グループ・バードカントリー」。


博覧会のパビリオンといえば、最新のテクノロジーや未来の暮らしを想像させる品々がならぶイメージなのですが、ここには52種類・218羽もの鳥たちが放たれました。


アジア太平洋の今の暮らしや自然に「であい」、その「であい」によって福岡の未来をつくりだそうとしたよかトピアらしい個性的なパビリオンでした。




「バードカントリー」の場所は福岡タワーの西隣り、今はRKB毎日放送があるあたりです。


博覧会当時の写真だと、矢印の木々に囲まれたあたりが「バードカントリー」。


(福岡市博物館所蔵の写真パネルより)


この写真をよく見ると、「バードカントリー」の手前に白い建物が見えます。

しかもこれも鳥の形



アップにしてみます。


(福岡市博物館所蔵の写真パネルより)



実は私もこの写真をトリミングしていて、はじめてこの白い建物に気付きました…(公式記録の図面にも名前が載っていないのです)。


あわてて調べたところ、この白い鳥の方は、芙蓉グループの一社、サッポロビール株式会社が出店していたレストランのようです。


だからこちらも鳥の形なのですね。

なるほど。


写真を見ると、たくさんお客さんも集まっています。



このレストラン、「サッポロチャイナレストラン 食在広州」という中華のお店でした。

ほかにテイクアウトの軽食売店「エイトピア」や物販店「玉手箱」も併設していたようです。


「食在広州」で定番メニューだったのは「広州ランチ」とのこと。


エビのチリソース・鶏の唐揚げ・シューマイに、小鉢とお団子(ごま団子?)、それにサラダ・スープ・ライスがつく定食スタイル。

値段は1000円でした。


「バードカントリー」の隣で鶏の唐揚げを食べるのは何だか複雑な気分になりそうですが、ちょっとびっくりしたのはそのボリューム。


『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89』に「広州ランチ」の写真が載っていたのですが、たっぷりのエビチリに、せいろにのったシューマイが4つ、唐揚げ2つ、サラダもたっぷりでした。

これで1000円は安いかも。


夏場には冷麺も売れたようです。


広州市は福岡市の姉妹都市なのですよね。

「バードカントリー」で姉妹都市の味も楽しめたとは、今回の意外な発見でした。




この「バードカントリー」について調べていると、当時のグッズがいくつか福岡市博物館にも収蔵されていました。


テーマが “鳥” というシンプルなパビリオンだっただけに、グッズもひと目で「バードカントリー」のものとわかる鳥モチーフ

そしてとてもかわいいのです。



たとえばこれ。

「バードカントリー」のフラッグです。


(福岡市博物館所蔵)


赤と青もありました。


(福岡市博物館所蔵)


長さが1m36cmもある大きなものです。

当時はパビリオンのまわりにかかげられていたのだろうと思います(実際に会場ではためいていた写真を探したのですが、見つかりませんでした。引き続き探します)。




こんなものもありました。


(福岡市博物館所蔵)

鳥柄の包み紙がかわいいですね。

のしが透けてますが、何なのでしょう??



では開封。


(福岡市博物館所蔵)


どうも販売された商品ではなく、何かの記念品みたいです。

突然かしこまったのしスタイル、さっきのかわいい包み紙とは対照的ですね…。


箱は和紙でコーティングされていて、いかにも大事な贈り物な感じ。

中身は高級なものなのでしょうか…



箱を開けてみます。


(福岡市博物館所蔵)


箱が二重になっていました。

丸い穴からコルク?が見えてます。謎…。



さらに中箱を開けます。


(福岡市博物館所蔵)


あ、これはコースターみたいです!


四隅の鳥がかわいいですね。

さっきのフラッグの鳥ですよね。



箱から出してみましょう。


(福岡市博物館所蔵)

5つも入ってました!


こうして並べると、昭和レトロ感がありますねー。

四隅でみんな外を向いた鳥たちが、緑色で尾っぽだけが赤なのが絶妙にかわいさを増してます。

テーブルの上でお茶の時間を楽しくしてくれそうですよね。



ちなみに裏はこんな感じでした。


(福岡市博物館所蔵)


特別なお客さんなんかに配られたものなのでしょうか。

ちょっと個人的にもほしくなるかわいさでした。




次に見つけたのはテレホンカード


これも当時ならではのグッズですよね。





1つ1つ封筒に入っていました。


(福岡市博物館所蔵)


開けてみます。


(福岡市博物館所蔵)


あ、今度は全然違うタッチの鳥が描かれています。


色使いや直線と曲線の組み合わせがとてもきれいですよね。

影なんかも丁寧に表現されていますし、鳥の目も印象的。



どこか懐かしさも感じる絵の雰囲気なのですが、それもそのはずでした。

調べて見ると、これを描かれたのは杉田豊さん。


杉田さんはグラフィックデザイナーで絵本作家、筑波大学で教鞭もとられて名誉教授になられた方です(2017年に鬼籍に入られ、多くの方に惜しまれました)。

内外の文化・芸術に関する賞をたくさん受賞されていて、代表作には絵本『ねずみのごちそう』(講談社)などがあります。


杉田さんは絵本ではたくさんの動物も描かれていて、そのどれもが優しい印象を受けます。

杉田さんの絵は目がとても特徴的なのですよね。


このテレホンカードの鳥もとても優しい目をしていて、そして何かこちらに語りかけているようにさえ感じます。



杉田さんは「バードカントリー」のポスターもデザインされていました。


「バードカントリー」は動物が主役のパビリオンでしたので、このテレホンカードを見ると、杉田さんはそれにぴったりなデザイナーさんのように思いました。




鳥といえば、よかトピアで人気だったイベント「ジュロンバードショー」があります。


これはシンガポールの「ジュロンバードパーク」でおこなわれているショーを、そのままよかトピア会場で見られるというものでした。



「ジュロンバードパーク」は、1971年にシンガポールの南西部(現在のジュロン島)に開園した鳥類を集めた自然公園。


20ヘクタールの広大な園内では、約400種類・3500羽の世界の鳥たちを見ることができました(ちなみに当時の入場料は大人5ドル・12歳以下は2ドル50セント)。


よかトピアの「バードカントリー」の鳥たちの半分くらいは、この「ジュロンバードパーク」から借り受けたものでした。


(福岡市博物館所蔵)
よかトピアで配付されていた「ジュロンバードパーク」
のリーフレット



「ジュロンバードパーク」には2ヘクタールの森をそのままネットで覆った鳥舎があって、そのなかには30mを流れ落ちる滝があったくらい大きなものでした。

観客はこの鳥舎を散策しながら、バードウォッチングを楽しみました。



これって、よかトピアの「バードカントリー」のコンセプトそのままなのですよね(「バードカントリー」には滝も流れていましたし)。

よかトピアの「バードカントリー」は、「ジュロンバードパーク」をモデルにしたものだったのでしょう。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
「バードカントリー」平面図。奥に滝がつくられています。


この「ジュロンバードパーク」は、つい最近(2023年5月)、シンガポール動物園のあるマンダイに「バードパラダイス」として移転オープンして、観光客でますます賑わっています。



シンガポールの「ジュロンバードパーク」で人気だったのがバードショー。

オームやインコが自転車に乗ったり、電話をかけたり、ゲームをしたり、ワシ・タカ・ハヤブサが獲物に迫る姿を間近で見られました。



よかトピアでは、この「ジュロンバードパーク」から招かれた2人のトレーナーさんと6羽の鳥たちが繰り広げる「ジュロンバードショー」を福岡にいながら見ることができました。


場所は「バードカントリー」は鳥たちの自由な空間になっていましたので、「三和みどりエスニックワールド」のエスニック・パフォーマンス・プラザでおこなわれていました(同じアジア太平洋ゾーンにあって、野外イベントスペースになっていました)。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)
「アジア太平洋ゾーン」の平面図。
現在はTNCテレビ西日本がある辺りが当時の
「三和みどりエスニックワールド」


「ジュロンバードショー」はよかトピアが開会したばかりの3月19日から5月7日まで毎日おこなわれました(お休みなし)。


おおむね午後から1日3回が定番(3/19~23、4/3~4/8のみ1日2回)。

たとえば、初日だと13時と14時30分、最終日には12時・14時・16時に開かれています。


※4月8日のみイレギュラーで午前中に2回(10時、11時30分)開かれているのですが、これは当日午後に同じ場所でRKB「よかトピアウィーク」というイベントがおこなわれたためかもしれません。



この「ジュロンバードショー」では、オニオオハシ・カラカラ・ワシミミズクといった珍しい鳥たちが、間近でキャッチボールや宝探し、ものまねなどを見せてくれました。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


この写真は公式記録に載っているその一場面。


オニオオハシが白いボールを加えていますので、子どもとキャッチボールをしているところでしょうか。

オオオニハシは南米の鳥で、カラフルな大きなくちばしが特徴的です。


後ろのお客さんが笑顔で楽しそうなのと、鳥を見つめるトレーナーさんの真剣な表情が対照的ですよね。



『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版』を見ていましたら、「ジュロンバードパーク」から来られたトレーナーさんのお一人がインタビューに答えられていました。


それによると、小さいころから鳥が大好きで、13歳でこの仕事を始めたのだとか。

よくいうことを聞いてくれる鳥とそうでない鳥がいて、ご苦労も多いそうですが、笑顔で「鳥たちといると子供のような素直な気持ちになれます」と話されています。


取材の方が「博覧会の印象は?」と尋ねると、「伝統的なものとハイテクノロジーが一緒になって素晴らしいです。そして、福岡の人もやさしいです」とやっぱり笑顔で答えられたそうです。


鳥と通じ合っているトレーナーさんから「福岡の人もやさしい」と言ってもらえると、何だかうれしくなりますね。



「バードカントリー」と「ジュロンバードショー」は、シンガポールと福岡の人びとのであいを鳥たちが結んでくれた、当時の各地の博覧会のなかでもとてもユニークな存在でした。





【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・ウェブサイト
 ・バードパラダイスの公式サイト(日本語版)/https://www.mandai.com/ja/homepage/bird-paradise.html


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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル

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